五章 賭けの行方4
レカルディーナはまっすぐベルナルドを見つめた。
ベルナルドはレカルディーナの方に一切視線を向けることなく、青年の方に意識を集中させていた。
「嘘ではありませんわ、お兄様! ルディオ様は、いいえ、彼女の本当の名前はレカルディーナ・メデス・パニアグア様! わたくしの寄宿学校時代の大切な先輩ですわ!」
エルメンヒルデが大きな声を出した。
ベルナルドがレカルディーナの正体を告げたことで、黙っていることが出来なくなったのだろう。レカルディーナはぎりりと奥歯を噛みしめた。
ベルナルドは知っていた。どうやら賭けはレカルディーナの負けのようだった。
それにしてもいつから。レカルディーナは湖でおぼれた時のことをぼんやりと思いだしていた。やはりあの時、正体に気が付いたのだろう。何故、と思った。どうして今まで黙っていたのか。あの場で、全員の前で正体をばらしてしまえばよかったのに。
「その二人を離してやれ」
ベルナルドは銃口をアロイスのこめかみに押し付けたまま男らに言いつけた。
男らは迷うようなそぶりをし、互いに視線を絡ませた。雇い主が捕まっている以上、要求に従うほかないが、その彼からの指示がないと動くにも動けないのだろう。
「アロイス様」
一人が代表して口を開いた。
アロイスがその言葉に対して、瞳を動かした。
するとレカルディーナを拘束する力が緩んだ。
「お姉さま!」
エルメンヒルデも同じく解放されたのか、まっすぐにこちらに向かって走ってきた。レカルディーナは飛び込んできたエルメンヒルデを抱きとめた。
アロイスは複雑そうな顔をしてその光景を眺めていた。ベルナルドとエルメンヒルデの言い分を信じたのかどうかは分からない。
レカルディーナはその場に座り込んでしまった。
「お姉さま。ごめんなさいですわ。わたくしの兄がとんだことを。お怪我はございませんか」
「ううん。少しかすっただけ。大丈夫」
レカルディーナは弱弱しく頭を振った。色々なことが起こりすぎて情報がうまく処理できない。
「彼女らから十分に離れろ」
ベルナルドは相変わらずアロイスを拘束したまま男たちに命令をした。観念したのか男たちはしぶしぶといった体でレカルディーナらから離れた。歩道からはずれて木々のおい茂る森の中へと後退ったところで、ゆっくりとベルナルドは銃を持った腕を下に下ろした。
「お前は何者だ……」
ようやく解放されたアロイスは訝しげに呟いた。
「誰だっていいだろう。あいつの上司ということは本当だ」
ベルナルドはゆっくりとレカルディーナの方に向かって歩いてきた。傍らにいるエルメンヒルデが支えてくれているけれど、レカルディーナは張っていた気が抜けたのか、それともベルナルドの言動の衝撃のせいか、動くことができなかった。
ベルナルドがこちらへ向かってくる、その動きがとてもゆっくりと感じられた。こちらを窺う瞳の中にはレカルディーナに対する憂いの色が見えた。
ベルナルドがレカルディーナの正面に座った。
「すまない。正体をばらすことになった」
腕を伸ばしてレカルディーナの頬を優しく撫でた。少しだけ冷たかったけれど優しい手だった。王子の侍従としてベルナルドを守っているつもりでいたけれど、反対だった。レカルディーナの方が彼に守られている。
「殿下……ご、ごめんなさい。正体を……隠していて……」
「……俺の方こそ、黙っていて悪かった。……レカ……」
ベルナルドの言葉は最後まで発せられなかった。
瞬時に気がついたレカルディーナがベルナルドに体当たりをしたからだった。
「殿下! 危ないっ」
その時。銃声が鳴り響いた。
「やめろ!」
同じ瞬間アロイスの声が響いた。
しかし、銃口から銃弾が放たれた方が早かった。
エルメンヒルデの悲鳴と再び銃声が聞こえたが、レカルディーナの意識は次第に遠のいていった。
だれかがレカルディーナと叫んだような気がしたけれど、あれは誰の声だったんだろうか。最初から最後までベルナルドには迷惑をかけっぱなしだった。本当にごめんなさい。
謝ろうと思っても声がかすれてしまって、出せそうもなかった。だから、夢の中で謝ることにする。レカルディーナは瞳をゆっくりと閉じた。
レカルディーナに突き飛ばされた直後銃声が聞こえた。
やめろ、という制止の声とほぼ同時だった。気がついた時先ほどまで自分がいた場所でレカルディーナが倒れていた。
「レカル……ディーナ……」
ベルナルドは初めて彼女に対して本名を呼んだ。本当は呼びたくてたまらなかった。
半ば呆然と彼女を抱きかかえると、彼女の腕に赤い染みが広がっていた。
「お姉さま! レカルディーナお姉さま」
エルメンヒルデが蒼白な顔をして叫び声をあげた。何度もレカルディーナの名前を呼んでいる。
「ん……」
レカルディーナがうっすらと瞼を持ち上げた。
「レカルディーナ!」
ベルナルドは叫んだ。
「……殿下。よかっ……無事……」
レカルディーナはベルナルドの方へ顔を傾けて、小さく呟いた。そして力尽きたように意識を失った。
こんなことになるなら最初から無理やりにでも護衛をつけておけばよかった。
ここ数日迎賓館の周囲でこちらを探るような気配はアドルフィートが気づくのと同様ベルナルド自身も感じていた。最初はベルナルド自身を見張っているのかと思ったが、そうではないことに気付いたのは、もしかしたらベルナルド自身が気づかないくらいレカルディーナのことを目で追っていたこともあるのかもしれない。
嫌な予感がしたベルナルドはこっそりレカルディーナの後を付けていたのだ。
尾行をしていたら自分と同じような存在に気がついた。目的が分からなかったのでそいつらからも十分に距離を取っていたらクライネヴァール公園に入った辺りで一度見失った。四年間も怠けていたツケだった。当り前だが体力も格段に落ちていた。引きこもる前は軍で一通りの訓練を受けていたのに。エリセオとはその時からの腐れ縁である。
ベルナルドは急いでレカルディーナの羽織っている上着を脱がせて怪我の状態を検分した。ブラウスには赤い染みが広がっていく。エルメンヒルデが心配そうにのぞき込んだ。
「何か止血できるものをよこせ」
「殿下、こちらをお使いくださいませ」
その言葉にエルメンヒルデは急いで自身の荷物の中からハンカチを取り出してベルナルドに手渡した。
「……弾は外れている」
とは言ったものの傷はなかなかに深いものだった。当たったのが右腕だから良かったものの、これが背中だったりして、万一弾が残っていたりしたら。そう思うといまさらながらに血の気が引いてくる思いだった。
ベルナルドは素早く止血をした。
「馬車だ。馬車を出せ! 一刻も早く!」
ベルナルドは立ち上がって叫んだ。
そして、近づいてきたアロイスの胸倉を掴んだ。
「お、おいっ! 貴様。そのお方は」
アロイスにつき従っていた男のうちの一人が口を挟んだ。しかし、今はこいつらと話している暇などない。
「お前たちこそ、黙れ! 俺は今、こいつに話している。彼女に何かあったら、おまえを地獄に叩き落としてやる。ローダ家の名にかけて」
次にレカルディーナが目を覚ますと、エルメンヒルデとベルナルドの安堵したような顔が目に入った。意識がはっきりしてきて体を動かそうとすれば激痛が身を襲った。
「っつ……」
「お姉さま、大丈夫ですか」
「かすっただけとはいえ、割と傷は深いんだ。熱が出てうなされていた。おとなしくしていろ」
レカルディーナは事態についていけずに目を白黒させた。
たしかあのときエルメンヒルデの兄が連れていた男の一人が後ろから銃でベルナルドを狙っているのが見えたのだ。銃を持っていたのはアロイスだけでなかった。そのことに気がついたレカルディーナは咄嗟にベルナルドを突き飛ばすように体当たりをした。そうしたら激痛が身を襲ってきて、そのあとの記憶がない。
「……殿下……ご、無事……で」
「ああ。俺のことは心配するな」
けれどベルナルドは泣きそうな顔をしている。
そんな顔してほしくないのに。
レカルディーナはベルナルドに向かって口を開きかけた。
「話は後だ。今薬と食事を持ってこさせる。おまえも来い」
ベルナルドは寝台の横に張り付いていたエルメンヒルデに向かって声をかけた。
「わたくしはここにいますわ。部屋を出て行くのは殿下お一人だけです」
「おまえはさっさと帰れ。彼女の意識が戻るまでだと約束しただろう」
「まあ! 男の人よりも今は女手の方が必要ですわ! 殿下こそこれ以上わたくしのお姉さまの部屋にいらっしゃるのは止めてください。乙女の寝顔を見つめ続けるだなんて、本当に紳士ですか」
「ぎゃんぎゃんうるさい。女手ならここの女官が山盛りいる。間に合っているから、さっさと出ていけ」
レカルディーナの眠っている間にずいぶんと仲良くなったようである。
「よかった……、二人とも。……仲良しになって……」
この調子だったらよい夫婦になるかもしれない、とレカルディーナはアロイスの言っていた縁談を思い出してしみじみと思った。しかし、実際に思い浮かべてみるとなぜだか心に棘が刺さったかのように痛かった。
どうしてだろう。
ベルナルドのことを考えるとレカルディーナの心はとても騒がしくなる。
「え……」
「おい……」
レカルディーナの小さな呟きに言い争っていた二人が同時に息をのみ、同時に声を出した。
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