五章 賭けの行方5
式典が済んでもレカルディーナの体調に配慮をしてベルナルドらはそのままルーヴェ・ハウデ宮殿に滞在をしていた。ちなみに意識不明のレカルディーナを運び戻ってきたベルナルドを確認したアドルフィートは、行方不明になった王子が怪我をした侍従を抱いて戻ってきて錯乱状態に陥ったらしい。事情を聞いて、「そういうときにどうして自分めらに相談してくださらないんですかぁぁぁぁぁ」と泣きながら詰め寄ったそうだ。泣きたくなるアドルフィートの気持ちをレカルディーナは痛いほど分かった。王子が自ら拳銃片手に乗りこむとか意味が分からない。
レカルディーナの怪我は腕だけで、熱も下がったし食欲も湧いてきたしで元気一杯なのだが、ベルナルドが絶対安静を言い渡しているせいで部屋から外へ出ることができないでいる。
一度こっそり庭へ出てみようとしたらものすごい形相で連れ戻された。最近ベルナルドは何かとレカルディーナの側から離れようとしないから居心地が悪い。そのベルナルドから明日にはアルンレイヒからエリセオとダイラが到着すると知らされた。
レカルディーナにとっては死刑宣告の日である。
「おい、なにしけた顔してるんだ、ルディオ……じゃなかった。レカルディーナ」
シーロが顔を覗かせた。意識不明のレカルディーナを連れ帰ったベルナルドは同行したエルメンヒルデとともにそのまま王宮の侍医の元に駆け込んだ。客人のベルナルドよりもエルメンヒルデの方が王宮に顔が聞くのだ。医者に診せるとなるとレカルディーナの正体を明かさないわけにはいかなかった。芋づる式にアルンレイヒ側の関係者にも打ち明ける羽目になったのだ、とレカルディーナはベルナルドから説明を受けた。
「しけた顔って……。そりゃあこのあとの展開を考えると……」
実際レカルディーナとしてはこのまま逃亡してしまいたかったが、兄との約束は約束だ。持ちかけられた賭けを了承したのはレカルディーナなのである。
シーロから暖かい蜂蜜湯を受け取って、ふぅっと息を吹きかけて口に含んだ。かんきつ類の果汁と蜂蜜をお湯で割ったものだ。
「にしても、おまえが女とか……。世界はまだまだ分からないことだらけだな。すっかり騙されたぜ。おまえ胸無いし」
こいつは人間の性別をどこで判別しているのか。じろりと無遠慮に胸元を眺めるシーロをいますぐ殴ってやりたい。
(そりゃ、ダイラに比べたらわたしの胸なんて小さいわよ)
それでも一応標準的な大きさくらいはあるのでは、と思っていただけにシーロの言葉は繊細な乙女の心をぐさぐさと傷つけた。
「悪かったわね。胸がなくて」
「いやあ、俺も気づかなかったよ。なんつーか、ちょっとやんちゃな乙女系男子? とか思っていたんだけどな」
と、いつの間にか入室していたカルロスまでもがひどいことを言った。
「こら、おまえら。殿下からおいそれとレカルディーナ様の部屋へ入るなと言われているだろう。出ていけ」
二人の侵入に気がついたアドルフィートまでもが入ってきてシーロとカルロスの首根っこを捕まえた。二人はしまった、という顔をしたのみで出て行こうとはしない。
「隊長、そのレカルディーナ様って呼び方、やめてください」
アドルフィートはここ数日レカルディーナに対して丁寧な言葉を使うようになっていた。今まで目上の存在だった彼から名前に「様」を付けて呼ばれるので変な気分になる。
「しかしですね。あなたのことを自分に対するのと同じように敬えってベルナルド殿下から厳命を受けていまして」
「え、なんですか。それ……」
「そう言うわけです。……というか、おまえらさっさとレカルディーナ様の部屋から出て行け!」
「ええぇっ! 俺はこいつに飲み物を持って行ったんですよ」
シーロが心外そうに反論をした。
「あの、隊長も気が付いていらっしゃらなかったんですよね。わたしが女だって……」
レカルディーナが声をかけた。こうなってくると、気づかれたいのか気づかれなくてよかったのか分からない。立て続けに気づかないと言われるとそれはそれで女性としての何かが傷つく。
「ああ俺? 俺は気が付いていましたよ」
「えぇぇぇっ!」
アドルフィートの発言に三人が同時に叫んだ。
「たいちょー、マジッすか」
シーロが心底信じられないような顔をしている。やっぱり後で殴ってやるとレカルディーナは心に誓った。
「いや、どうみても女の子でしょう。まあ最初はちょっと騙されましたけれど。殿下の様子とか色々と観察しているうちになんとなく。で、そうだと分かったらやっぱりどこから見ても女の子ですし。その割にグラナドス侯爵家の令嬢は男だと信じ切っているし、胃がキリキリしていました。殿下は暴走を始めるし……」
アドルフィートはしみじみと言葉を紡いだ。最後の方は青い顔になり胃のあたりをさすっていた。
なんだかアドルフィートには申し訳ないことをしていたようで、レカルディーナは身を縮こまらせた。
「う……それは、申し訳ございません」
「いえいえ。あなた様には感謝をしているくらいですから」
アドルフィートは笑みを浮かべた。
「皆さま! お姉さまのお部屋への男性の立入りは禁止ですって何度言ったら分かってくださるんでしょうか。ベルナルド殿下といい、皆さまといい。少し目を離すとすぐにこの調子で。わたくし、やっぱり今日から泊まり込みます」
エルメンヒルデが険しい顔をして戸口に立っていた。
「エルメンヒルデ」
彼女の登場はもはやすっかりおなじみで、部屋付きの女官に代わって甲斐甲斐しくレカルディーナの世話をしようとするから付き添う女官がいつも恐縮する。あの事件の後、エルメンヒルデも密会していたのが女性と知られ、誤解も解けたそうだ。誤解が解けたことで外出禁止令も無かったことになった。ついでにエルメンヒルデとベルナルド二人から、婚約話なんて嘘八百だから、と思い切り否定をされた。ものすごい剣幕だったから、レカルディーナはとりあえず頷いておいた。どうやらエルメンヒルデの父が暴走しただけのことらしい。
彼女が日参してくれるおかげで、ここ最近はなんだかんだとにぎやかでレカルディーナも楽しい。こうして話していると考えたくないことからつかの間逃げることができるから。
ベルナルドはアドルフィートから客人の訪れの報せを聞いた。フラデニア国王の好意で式典が済んだ後も王宮に滞在をしている。他の国の大使らが続々と帰国をしていったので迎賓館周辺も落ち着きを取り戻していた。また、レカルディーナ静養の為に新しく部屋も用意してもらうなど手厚い待遇を受けていた。
おそらくは今回のことの顛末にアデナウアー公爵家が関わっていることも一因なのだろう。王家に連なる名門貴族が、知らなかったとはいえアルンレイヒの王族を銃で撃とうとしたのだから。ベルナルドの方もあまりおもて沙汰にはしたくなかったので、内密に事後処理ができるのならばありがたい。大体、人の意思を無視して勝手に縁談を企むとか、ふざけるなと言いたい。
彼女の場合、その高すぎる身分のせいで現在フラデニア国内に家格に釣り合う手ごろな縁談相手が見当たらないらしい。父公爵としても家格の落ちる相手で妥協するよりは国外の王室に嫁がせた方がいいと考えたらしい。
お鉢を当てられていい迷惑である。
ベルナルドはもう心に決めたのだ。
人払いをした室内に静かにとある人物が滑り込んできた。
ベルナルドが連絡を入れた人物、エリセオである。列車が通り移動時間が短くなったとはいえ、それでもまだそれなりに時間は掛かってしまう。
レカルディーナが銃で撃たれたから今日で十日が経過していた。
「殿下。僕は妹を銃で撃たれるような環境下に彼女をやったわけではないんですけどね」
開口一番に嫌味を繰り出してくるあたりがエリセオという男である。
「俺だってそんな環境下に彼女を置きたくない。というか完全にこっちだってとばっちりだ」
「そもそも殿下がやる気を出して引きこもりを止めたせいでしょう」
どうやらどうあってもベルナルドのせいにしたいらしい。別にベルナルドだってここで責任を逃れるつもりはなかった。彼女が怪我をしたのはベルナルドをかばったせいだ。しかし金輪際庇われるのは遠慮したい。それでレカルディーナが傷ついたらこっちの心臓がいくつあっても足りない。
撃たれた彼女を目の当たりにした時、ベルナルドの中でレカルディーナの存在がどれくらい大きくなっていたのかに気づかされた。気づいた途端怖くなった。倒れて動かないのだ。血が噴き出した袖口を目にした途端目の前が真っ暗になった。
「レカルディーナの、今回の件については俺がついていながら悪かった。申し訳ない」
エリセオは眉を潜めた。
ベルナルドがあっさりと非を認めて拍子抜けしたのだろう。
「殿下少し変わりましたね」
「そんなことはどうでもいい。今回の件でレカルディーナが女性だとばれた。ここにいる全員が知っている」
ベルナルドは隠しだてることなく正直に事実を告げた。エリセオもまじめな顔をして聞いていた。
「ではレカルは賭けに負けたということですね。もうここには置いておけないので体調が戻り次第侯爵家へ連れて帰ります」
有無を言わせない口調だった。
別に期待はしていなかったが、やはり今回温情措置は無いらしい。不可抗力なのでもう少し引きのばせると思っていたのだが。
「怒っているのか」
賭けに負けたら自分の進める相手に嫁がせると宣言していたエリセオだ。異母妹への情など無いのだと思い込んでいた。しかし、レカルディーナの為にダイラをリポト館に送り込んだのだ。口では仕方なしに一人だけ味方を付けたと言っていたが、案外もっと深い愛情があるのかもしれない。
「当り前でしょう。僕だってレカルのことは可愛く思っていますよ。ただちょっと屈折しているだけで。我が家はもう一人の兄も含めて全員レカルのこと可愛く思っているんですよ」
胸を張って肯定してみせたが、屈折していると自分自身で宣言するのはどうかとベルナルドは思った。
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