五章 賭けの行方3

 公演が終わると、今ルーヴェの女性たちの間で人気だというサロンへと連れてこられた。

 もちろん個室である。


「舞台、素敵でしたわね。わたくしとても感動してしまいましたわ」

「ええ。そうね。リエラ様とてもかっこよかったわ」


 レカルディーナは相槌を打った。少しだけ目が赤いけれど、エルメンヒルデの瞳も同じようだったから、彼女はレカルディーナも自分と同じように舞台に感動したと思っているようだ。

 感動はしたけれど、半分以上とある男性のことが頭に浮かんできてしまい大変だった。もちろんこれは絶対に秘密だ。


「二人とも結ばれてほしいと思いましたけれど、いつか、いつかきっとどこかで巡り合うことを祈っていますわ」

「そうね。あれでお別れなんて……悲しすぎる」

「お姉さま……」


 いつもと違ったレカルディーナの表情にエルメンヒルデは少しだけ首を傾けた。


「あ、ううん。なんでもないのよ。ちょっと、感情移入し過ぎちゃったみたい」

「そうですの。メーデルリッヒ女子歌劇団の演目にしては珍しく悲恋ものでしたから。その分強い印象になったのもしれませんね」

「そうかも」


 普段の女子歌劇団の演目は圧倒的に大団円が多い。

 会話が途切れたところに、注文をしたケーキが運ばれてきた。

 最近ブルジョワ層の娘たちの間で人気の店である。もちろんレカルディーナも知っている店で、卒業したら行きたいな、と思っていた。帰国の準備が慌ただしくて結局行くことが叶わなかったけれど。


「美味しそうね」

「わたくしも今日が初めてなのです」


 運ばれてきたケーキは三つ。二人で相談して気になるものを頼んだらこうなった。小ぶりのナイフで切り分けて、半分ずつにして食べる予定だ。

 クリームがたっぷりとのったケーキを口に運んだレカルディーナは震えた。


「んんんん~っ! 美味しいっ。甘いものを食べるの久しぶり」

「喜んでいただけてよかったですわ」

「ここ最近ケーキとは無縁の生活をしていたから。とと、いけないわね。つい油断して女言葉に戻っちゃう。もっとしゃんとしないと」


 レカルディーナは慌てて居住まいを正した。個室とはいえ、今のレカルディーナは男物のコートを着て、エルメンヒルデをエスコートする立場なのだ。


「お姉さまったら、そんなにも気を引き締めなくても大丈夫ですわ。人払いをしていますもの。それにしても、ケーキも食べることができない環境だなんて。夢のためとはいえ……、そのうえ、殿下はとても厳しい方なのでしょう? しかも人使いも荒いと聞き及んでいますわ。おまけに表情は暗いですし」

「ケーキは、別にほら。寄宿学校時代だって我慢していたわけだし」


「こっそり真夜中にお茶会をしたりして、楽しかったですわ」

「そうそう。リーディがこっそりお菓子持ってきていたのよね。って、違うから」


 うっかり昔話に華を咲かせそうになってしまいレカルディーナはごほんと咳払いをした。


「確かに殿下は厳しいというか、見た目ちょっと怖いけれど。けど、話してみるとちゃんと優しい人なのよ。だから、あまり邪険にしないでほしいの」

「お姉さま……」

 レカルディーナがベルナルドのことを庇うと、エルメンヒルデは少しだけ瞳を曇らせた。

 しばしの逡巡の後、どうにか笑顔を浮かべる。


「お姉さまがそういうのであれば、殿下の悪口はできるだけ、控えることにしますわ。ええ、わたくし頑張ります」

「もう。そういうこと誰かに聞かれたらあなたの立場の方がまずくなるわよ。あれでも彼、一応王太子殿下なんだから」

「お姉さまもたいがいですわ」


 レカルディーナの物言いも割と酷いものだったため、エルメンヒルデは吹き出した。

 二人は注文したケーキをぺろりと平らげた。

 この後の予定を決める段になって、レカルディーナはひとつ提案をした。


「今日のお礼に何か買ってあげる。実はわたし侍従としてのお給料をもらっているのよ」

「まあ! いいんですか?」

「もちろん。といっても公爵家のご令嬢が持つくらい高価なものは手が届かないんだけど」


 兄との賭けで始めた侍従だったが、副産物として給料が発生した。お嬢様育ちのレカルディーナもまた、庶民の金銭感覚は疎く自分の貰った給金の価値が市井ではどのくらいなのかもよくわからない。

 けれど、レカルディーナのためにあれこれと頭をひねらせてお出かけの段取りをすべて決めてくれたエルメンヒルデに何かお礼をしたい。


「お姉さまが買ってくださるんですもの! 値段など、関係ないですわ。でも、よろしいんですの? お姉さまが、あの王太子殿下に我慢して仕えた対価ですのに」

「あのね……」


 先ほど注意したばかりなのに、なかなかに辛辣な物言いをする妹分である。どうやらベルナルドに対するとてつもない誤解があるようだ。


「あ、ごめんなさいですわ。つい、本音が」

 エルメンヒルデは慌てて両手で口元を押さえた。




レカルディーナが一日休暇を取った日。ベルナルドは今日は一日籠るから部屋を覗くな、と近衛兵らに言い聞かせていた。

 成り行きとはいえ隣国の式典へ出席する日がくることなど想像もしていなかった近衛騎士らは、一日くらいの引きこもりくらいなんなのだ、と鷹揚に構えた。同行したボレル侯爵は内心国際列車建設に向けた会議にも同席してほしいそぶりを覗かせていたが、物事には順序というものがあるのだ。


 さすがに今の時点でそこまで望むのはいささか早計である。ということで、本日迎賓館の時間は比較的ゆっくり流れていた。

 主であるベルナルドが部屋に引きこもっていては警備をするといってもそこまで大仰なものにはならない。しかもここには気分転換を図る動物の世話も無い。


 アドルフィートはリポト館での牛や羊の世話を懐かしく思った。この四年間で剣の扱い方と同じくらい牛の乳しぼりも牛舎の掃除も、牛の出産立ち会いも、鶏につつかれずに卵を獲ることにも慣れたのだ。赴任当初牛の出産に立ち会った部下が貧血で倒れたことが懐かしい。彼もいまではずいぶんたくましくなり、今年のメアリーの逆子騒動の折には率先して産道から覗いた足にロープを引っかけ引っ張り出していたものだ。


「たいちょー。殿下のごはんどうしましょうか」


 午後もいくらか過ぎた頃である。物想いにふけっていたアドルフィートはシーロの呼びかけで現実に引き戻された。

 確かに昼食時はとっくに過ぎている。引きこもり時代の名残か、今でもベルナルドの食事時間はまばらだった。さすがに声をかけた方がいいに決まっている。


「何か用意できているのか」

「一応用意させていますよ。簡単に食べられるものですが」


 普段はおちゃらけたシーロだが、侍従としてやるべきことはきちんとやる男である。

 シーロがベルナルドの主寝室へと入ってしばらくした時だった。

 彼の消えた部屋からすっとんきょうな声が上がって、アドルフィートも慌てて主の部屋と急行した。


「どうした、シーロ」

「へっ、あ、あの。殿下が家出しちゃったみたいなんですよ。いよいよ本格的に自分探しの冒険に出かけちゃったんですかね」

「そんなことあるか阿呆! 殿下はこれまで散々自分探しの冒険をしていただろう」


 シーロのボケに律儀に付き合ってあげたアドルフィートはシーロが差し出した紙きれをつまみあげて目を通した。


「第二段の冒険の旅だってあるかもじゃないですかぁぁぁ」

 シーロはまだ叫んでいた。


 確かにベルナルドの字であった。そこには、『ちょっとそのへんまで出かけてくる。探すな』と簡潔な一文が書かれているのみで、アドルフィートは文字通り頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。




 ルーヴェ市内の中流階級の女性御用達の雑貨店でレカルディーナはエルメンヒルデにマーガレットの花が二つ重なった意匠のブローチを買ってあげた。花心には小さいながらもピンク色の宝石があしらわれている品である。


 それを贈った後、二人はルーヴェ市内にいくつかある公園の中でも北西に位置するクライネヴァール公園へと足を運んだ。


「ここは最近ルーヴェっ子の間で話題のデート場所なのだそうですわ」

 エルメンヒルデはレカルディーナの腕に自身のそれを絡めて歌うように説明をした。

「へえ、そうなんだ。わたし初めて来たよ」

「わたくしもですわ」


 広く一般市民に親しまれているクライネヴァール公園は公爵令嬢が訪れるにはやや庶民的だ。

 しかし二人とも一般的な令嬢よりも世俗慣れしているので気にしない。それよりも最近流行のモード誌に書かれている若者の間で流行っていることを実際に自分たちもすることのほうへのあこがれの方が強い。


 今日のエルメンヒルデは市内散策という目的の為か、必要最低限礼儀にかなう服装をしており、装飾品も簡素なガラス玉がついている首飾りだけであった。ちなみにこの首飾りも数年前レカルディーナとお揃いで避暑先の街で買ったものだった。

 二人はゆっくりと公園内を散策した。

 大道芸を冷やかしたり、大きな池の周りを歩いたり。


 二人で散策を楽しんでいると前方から人影が見えた。青年の姿を確認するなりエルメンヒルデの顔が固くこわばった。人気の少ない、森の中に遊歩道が続いているような緑の深い一角である。

 立ち止ったエルメンヒルデに引きずられるようにレカルディーナも歩みを止めた。


「どうしたの、エルメンヒルデ」

「ええ、その……」

 エルメンヒルデは言葉を濁した。

 濃い金髪をした身なりの良い青年が二人の前に立ちはだかった。


「何をしている。エルメンヒルデ」

「それはこちらの言葉ですわ。……お兄様」


 エルメンヒルデの言葉にレカルディーナはもう一度目の前の青年の方に目を向けた。

彼女との両親とは面識があるが、そういえば兄とはこれが初対面である。元々兄妹の交流が少ないと聞いていたし、エルメンヒルデの兄もまたずっと寄宿舎に入っていたし、大学も寮生活をしている。


「おまえがアルンレイヒからやってきた男にのぼせあがっていることは知っている。こともあろうに二人きりで密会をするとはいい度胸だな」

 彼は妹に接するとは思えないくらい冷淡な声を出した。

「ひどいですわ。尾行していましたのね」

 エルメンヒルデはふてくされたように吐き捨てた。


「妹の身辺調査なんて当たり前のことだろう」

 アデナウアー家の若君は肯定するように顎を引いた。


「おまえには縁談が持ち上がっている。父上はアルンレイヒのベルナルド殿下の元へおまえを嫁がせたかがっている。それなのに、おまえはその殿下の侍従ごときにのぼせあがっているのか」

「えっ、そうなの?」


 思わぬところでベルナルドの名前が挙がってレカルディーナは驚いてエルメンヒルデの方を見た。


「お父様が先走っているだけですわ。それよりも侍従ごときだなんて、ルディオ様に失礼です」

 エルメンヒルデは兄を睨みつけた。彼女にとってはレカルディーナに対する侮辱の言葉の方が問題なのだ。

「ルディオというのか。おい、おまえ。この娘から手を引け。これはおまえが手にするには高すぎる」

「ちょっと、その言い方ひどくない?」


 まるで品物のように妹を評する青年にレカルディーナは反論した。エルメンヒルデを庇うように一歩前に出る。その行為を目にした彼は片手をあげた。

 そうすると木々の陰に隠れていたのだろう、周囲から数人の男が姿を現した。


「大事な公爵家の娘をかどわかしたんだ。アルンレイヒ人だか知らないが少しばかり痛い目にあってもらう」


 男らがじりじりとレカルディーナとエルメンヒルデの方へ近寄ってきた。

 青年が懐から銃を取りだした。

 さすがにレカルディーナも目を見張った。銃とは少しばかり、いやかなり物騒すぎる。


「お兄様! 何をなさるおつもりですか」

 エルメンヒルデが蒼白な顔をして叫んだ。

「何、殺しはしない。少し痛めつけるだけだ。二度とおまえに会う気が起きないように。それとおまえはしばらくの間外出禁止だ」


 その言葉を合図に集まってきた男らがエルメンヒルデとレカルディーナを引き離そうと手を伸ばしてきた。自分はともかく、エルメンヒルデをこの男の好きにさせるわけにはいかなかった。どいつもこいつも人の意思を無視して嫁に行けだの、家の為の道具になれなど勝手すぎる。


「その手を離せ!」


 レカルディーナはエルメンヒルデの腕を取ろうとする男に飛び込んだ。体当たりをしてエルメンヒルデから引き離す。こんなことならカルロスやアドルフィートから護身術でも習っておけばよかった。


「このっ……!」

 エルメンヒルデをかばうように立ちふさがったレカルディーナは、しかし数人の男によって呆気なく降り倒されてしまった。


「いった……」

「ルディオ様! お兄様、彼を離してください。彼は……」

「黙って! エルメンヒルデ」


 たまらなくなってレカルディーナの正体を告げようとするエルメンヒルデに向かってレカルディーナは叫んだ。レカルディーナは男の一人に腕をねじあげられて引きずられるように立たされた。痛いけれど、絶対に弱音など吐きたくは無い。レカルディーナは尚もエルメンヒルデの兄に鋭い視線を投げつけた。


「ほう……まだそんな目をするのか。だったらこっちも少し本気を出すか」


 青年は手にした銃をレカルディーナに向けて構えた。

 拳銃なんて初めて見た。撃たれたらどうなるんだっけ。

 レカルディーナは少ない知識を総動員したが、痛いだろうな、くらいしか思い浮かばなかった。それでも、彼のことを睨みつけた。


「やめてくださいっ! お兄様」

 エルメンヒルデの悲痛な叫び声が上がった。

「……っ」


 じりじりと捻りあげられた腕が悲鳴をあげている。力では到底後ろの男に太刀打ちできそうもない。けれど、ここで女だと正体を告げて命乞いをすることはしたくなかった。


 青年が引き金に力を加えようとした時である。 


 バンッという大きな銃声が辺りに鳴り響いた。

 レカルディーナは思い切り目をつぶった。

 しかし、覚悟していた衝撃と痛みはなかった。


「お兄様!」


 エルメンヒルデが悲鳴のような声をあげた。彼女も青年の連れてきた男によって腕を取られている為、すぐに駆けつけることはできない。


 寸前までレカルディーナに向かって銃口を向けていた青年は袖口から血を流して尻もちをついていた。苦悶の表情を浮かべ、おそらく弾が飛んできたであろう方向に顔を向けていた。


「こいつは成りは男の姿をしているが、女だ。そのへんにしておいてやれ」


 レカルディーナと青年が射る方向とは別のところから聞き覚えのありすぎる声が荒い呼吸とともに聞こえた。

 第三者の登場に男たちは反応が遅れた。遊歩道ではなくおい茂る木々をかき分けてベルナルドが姿を現し、青年の腕を取るとそのままねじ伏せて立ち上がらせた。彼が手から落とした拳銃をベルナルドは素早く足で蹴った。


 ベルナルドは彼のこめかみに銃口を押し当てる。

 よほど慌てていたのか、ベルナルドの呼吸は乱れていた。それでも青年、エルメンヒルデの兄を離そうとはしない。まっすぐに男たち見据えている。


「アロイス様!」

 レカルディーナらの身動きを封じている男らが叫んだ。

「き、貴様……なにものだ……?」

 青年、アロイスが口を開いた。

「俺はこいつの上司だ」

 ベルナルドはまだ少し乱れている呼吸の中で簡潔に答えた。


「上司……?」

 アロイスが疑わしそうに呟いた。


「こいつが女だと? 確かに女のようになよっとしているが。嘘をつくのも大概にしろ」

 アロイスはベルナルドとレカルディーナを見比べて吐き捨てた。この場を切り抜ける為の嘘だと思ったらしい。

「この状態で嘘などつくものか。というかおまえは自分の置かれている状況が分かっているのか?」


 ベルナルドは面倒くさそうに吐き捨てた。

 しかし、レカルディーナにその声は届いていなかった。


(殿下……いま。……女っておっしゃった……)


 確かに聞こえた。こいつは女、だと。ベルナルドは知っていた。レカルディーナが女だということを。

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