二章 不機嫌な殿下にご用心1

「殿下。ご所望の本をお持ちしました」


 今日のベルナルドは朝から外で読書をしていた。朝から曇り空なのも関係があるのかもしれない。


 ベルナルドはベンチにだらりと腰かけて億劫そうに顔をあげた。

 レカルディーナの持ってきた本を黙って受け取るとすぐにまた下を向き本の表紙に手をかけた。先日初めて名前で呼ばれて、侍従としても一歩前進かなと期待に胸を膨らませたが世の中そう簡単にいかないものである。無愛想な主人に慣れてきた自分が恐ろしい。


「今日は日差しも強くなくて絶好の屋外読書日和ですね」

「……」


 何かしら会話をして意思疎通を図ることが信頼関係を築く第一歩だ。しかし何を話題にしていいのか皆目見当もつかないので、レカルディーナは万国共通の会話に困ったらとりあえず天気の話でもして場をつなげ、を実践してみた。結果は見事に撃沈だった。


 よし、では第二段。レカルディーナは息を吸い込んだ。


「そういえばメアリーの元気がないようで、シーロたちが心配していました」


 メアリーとはリポト館裏の牧場で飼われている雌牛で、この春出産したのだが逆子だったため騎士団がその場に駆り出されたのだ。『そのメアリーが最近元気がないみたいでさぁ』と昨日の夜シーロがこぼしていたのだ。


「おまえ……」


 殿下が反応を示した。レカルディーナの瞳がきらりと光った。やっぱり話しかけてみるものである。


「はい! なんでしょう、殿下」

「うるさい。あっちへ行け」

「……」


 社交的とは程遠いベルナルドの態度に頬を引くつかせながら今日も完敗のレカルディーナだった。一体どんな話題なら食いつくのか。じっとその場で考えてみるが思い浮かんだものは虫関係くらいだった。しかしそれだとレカルディーナの守備範囲外だ。


 離宮警備員を自称するベルナルドは引きこもりの割には意外にリポト館周辺限定で出歩くらしく自室で飼われているゲンゴロウもこの春彼自身が狩りに出かけて捕ってきたものだった。引きこもりというから部屋から一歩も出ないじめじめした性格かと思いきや、そうでもないらしい。


「なんだ、まだいたのか」

 いつまでもその場を動こうとしないレカルディーナを不審に思ったのかベルナルドは再度頭をあげた。

「そろそろ行きます。それでは失礼します」


 レカルディーナはことさら大きな声をだしてその場から退散した。

 相変わらずベルナルドとの距離感がつかめなくて苦労するが、いつか絶対に会話が続くようになってやる、とレカルディーナは心の中で不毛な目標設定を定める。


 レカルディーナが歩いていると、向こうの方から馬車の音が近づいてきた。

 馬車はリポト館の前庭の道に停まった。今度の客もどこか貴族の家の令嬢なのだろうか。独身の王子の元には我こそは王子の引きこもりを直してみせますと気負った令嬢がまれに押しかけるらしい。大半は親から厳命を受けた将来のお妃候補らしいが、ベルナルドにその気は無いので彼女らをやんわりと、断固としてお帰りいただくのも近衛騎士と侍従の重要な任務だった。


 中から現れた少女の姿を確認して、レカルディーナは頬を引くつかせた。

少女は馬車から下りてレカルディーナの姿を捉えるなり小走りで近寄ってきた。少し背の高いレカルディーナのことをファビレーアナは可愛らしく見上げて小首をかしげた。本性を知っていてもその仕草はとても可愛らしい。


「ルディオ様、ごきげんよう。今日もとても麗しいお姿ですわね」

「ええと……」

 馬車の音を聞きつけてやってきた近衛騎士らが遠巻きにこちらを注視していた。


「あら、みなさまもごきげんよう。今日はルディオ様をお借りしたく参りましたのよ。少しの間御一緒させていただくわね」


 ファビレーアナは一方的にそう宣言をするとそのままレカルディーナの腕を取ってずるずると引きずって行った。そして、それを止める者は誰もいなかった。

 アドルフィートと目が合ったが、彼はレカルディーナの助けを求める視線を無かったことにした。


(隊長の裏切り者ぉぉぉ)




 ファビレーアナにつれて来られたのは大きな噴水を望む東屋だった。この時期は柵に這わせた薔薇の枝から可憐な花が顔をのぞかせ、おとぎ話の挿絵に登場するような乙女心をくすぐる場となっている。ファビレーアナのお付の侍女らが荷物を運び入れ簡易お茶会のセット一式が用意された。冷たく冷やされた飲みものを受け取って口に入れると清涼感に包まれた。ミントやかんきつ類を漬け込んだ水である。

 他にも焼き菓子や小さく切られたサンドウィッチやチーズなどもある。


「ルディオ様は何がお好きですの? 好みを存じ上げなかったので色々と用意させましたの」

「ありがとう。そんなに気にしなくていいのに」


 小首をかしげる仕草はまさに可憐な令嬢そのものだが、数日前の居丈高な言動と、子ども時代の印象も相まってどうしても穿った見方をしてしまうレカルディーナである。なにか裏があるのではないか、と。


「まあ、これらはすべて先日ハンカチを取っていただいたお礼ですわ。もちろん、ゆっくりとお話をしたかったというのもありますけれど」

 頬をほんのりと染めて、レカルディーナを見つめるまなざしは可愛らしい。

「そんなお礼だなんて」

 レカルディーナはやんわりとした口調で言い添えた。


「あらお礼だけではありませんわ。先日、わたくしの前に颯爽と現れたルディオ様の勇姿を目の当たりにしてわたくし悟りましたの! ルディオ様こそがわたくしの王子様だと! 運命の方ですわ」

「えっと……」

 どうして木に登っただけでそうなる。


「ですからわたくしのことをお嫁さんにしてくださいませんか」

 ファビレーアナは意を決したようにずいっとレカルディーナのほうへ迫ってきた。


(えぇぇぇぇぇっ! こういうのって普通女の子から言うものなの? わたしのいない間にアルンレイヒってそういう国になっていたの? それとも最近の流行りなわけ?)


 急すぎる話の展開についていけずにレカルディーナの頭の中はにわかに騒がしくなった。

 というか彼女はばりばりの家柄主義だったはずなのに、ルディオ・メディスーニなんていう適当にでっち上げた素姓も分からない男のことに対してよく思い切った行動に出れるものだ。


「いや、ちょっと待って。そういうのって普通もっと段階があるというか。フラデニアではもっとこう、なんていうか……」

「ルディオ様はわたくしのことがお嫌いですか?」


 ずいっとさらに身を乗り出してきたファビレーアナから距離を取ろうとレカルディーナも座っている位置を横にずらした。ファビレーアナはおもむろにレカルディーナの右手を取った。


「嫌いとか好きとか、そういうことじゃなくって。第一わた……僕たちまだ知り合って間もないし。それに僕別に貴族の直系でもないし」


 とにかくここは一度彼女に冷静になってもらわなければならない。あまり言いたくはなかったが、レカルディーナは彼女の一番気にしそうな家柄について言及をした。


「まあ……」

「パニアグア家の傍流だから僕の実家は爵位とかないし。お嬢様が結婚と言ってもやっぱり難しいと思うんだ」

「それでしたら大丈夫ですわ」


 ファビレーアナはレカルディーナの言葉をゆっくりと噛みしめる様に聞いていたが、数拍後大きな目をこちらに向けてきてにこりと笑った。


「へっ……」


 大丈夫とはなにが大丈夫なのか。あまりにあっさりと断言されてレカルディーナは変な形に口を開いたまま固まった。


「パニアグア家はしっかりとした御家柄ですもの。そこの傍流であれば問題は無いですわ。あ、夫人のご実家の縁続きというわけではないのでしょう。確かに代々受け継いだ土地や財産は兄が引き継ぎますが、父個人名義の土地や株券などはわたくしに残してくださいますから大丈夫ですわ。ルディオ様自身に大した財産がなくてもとくに問題はございません」


 グラナドス家はアルンレイヒでも有数の資産家でもある。名のある貴族が時流に乗りおくれ没落していく中、現当主はなかなか才気溢れる人材なのか代々の土地を活用し、新規事業への投資も惜しまずに着実に資産を形成しているのだ。もちろん隣国で過ごしていたレカルディーナの預かり知らない話ではあるが。


 それよりもレカルディーナはファビレーアナのちゃっかりとした主張の方に呆れてしまった。やはりそこは貴族の流れをくむ家柄というとこも恋をするのには大事な要素であるらしい。いっそのこと母の実家と縁続きということにしてしまおうかと思ったがそうするとエリセオが作った身上書と相違してしまう。

 ファビレーアナはまだ言い足りないのかもう一度口を開いた。


「それに、ルディオ様はわたくしの理想にピッタリなのです。わたくし昔から線の細い、どちらかというと華奢な中性的な殿方のほうが好みでしたの。ルディオ様はその理想を具現化したようなのですわ。まさに小さいころから夢見ていた王子様そのものなのですわ。理想の男性と出会えて、その方が手の届く方でしたら、わたくしは家の為よりもわたくしの好みを取りますわ!」

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