第10話 顔が近かったから尻に手を当てた
異世界生活四日目。
もうすっかりこの村での生活にも慣れた。
これから旅を始めるのだからこの村の生活に慣れても仕方がないのだが、四日も同じように過ごせばバカでも慣れるというものだ。
起床。
洗顔。
朝食。
そんなルーチンが組み上がっているのにも関わらず、元いた世界で感じていたはずの退屈に未だ出会っていない。
これが良好な事なのかどうかは分からないが、少なくても今この瞬間においては間違いないなく良い事だ。
人生最高。
万歳しながらそう喜びたいくらい。
楽しくて仕方がない。
それもそのはずだ。
今日も一日が始まる。
そして旅が始まる。
ロールプレイングゲームのような旅が目の前で待ち構えている。
男の子ならこの状況で楽しくならないはずがない。
持ち物は露店で買った少しばかりの食料だけで他は何もない。
この身一つと言っても良い。
胸が高鳴る。
「よっしゃ。出発するか」
そう意気込んで村を出ようと歩き出したところでカクさんに引き留められた。
首を横に振っている。
どうやら何か忘れているようだ。
カクさんに持ってもらっている袋の中を確認する。
地図。
食料。
水。
何も忘れていない。
「忘れ物はないぜ?」
しかしカクさんは顔を横に振った。
それからカクさんはまず自分自身を指差した。
そして俺の方を指して。
最後にあらぬ方を指差した。
もう一人。
そこに誰かいなくてはいけないのではないかと言外にカクさんは俺に訴えていた。
誰もいない空間。
カクさんが指差す場所をしばらく見て思い出した。
「あれ? マホちゃんがいない」
そうだよ。
マホちゃんがいなくちゃ旅を始めても意味ないじゃん。
とんだ忘れ者だ。
「どうしたの? まだ寝てんの?」
カクさんは首を横に振る。
「じゃあ飯?」
カクさんは首を横に振る。
「じゃあ何?」
カクさんは首を横に振る。
「知らないの?」
ついにカクさんが首を縦に振った。
これでは埒が明かない。
つーかカクさんとマホちゃんって顔合わせたっけ?
「宿に戻ろう」
マホちゃんが寝泊まりしていた部屋へ行く。
マホちゃんの姿はどこにもない。
次に食堂。
そこにもマホちゃんの姿は無い。
カクさんが俺の肩を叩いた。
厨房の方を指差した。
厨房にはハナさんがいる。
「ダメだ」
ハナさんに聞いた所で分からないという返事しか返ってこないに決まっている。
しかしハナさんがこちらに気が付いてしまった。
「あら、どうしたんですか」
面倒臭い。
「いやぁ、マホちゃんが見当たらなくて。どこに行ったか知りません?」
「彼女なら先に村を出て行きましたよ。スライムを沢山狩るんだって張り切ってました」
ああそう。
「そうだったんだですか。グランシオまでは一緒に行こうって話をしてたのに」
胡散臭いんだって。
それじゃあと改めて別れを告げて宿を後にする。
「いなくなったもんは仕方がない。とりあえずカクさんの分の食料を調達するとしよう」
露店までの道を歩きながら俺はカクさんに話し掛ける。
「マホちゃんはまだこの村にいる」
カクさんは頷くだけだった。
この村は怪しい。
楽しくて仕方がない村での生活だった。
だからと言って何もなかった訳ではない。
村の生活に慣れたからこそ気が付いた事でもあった。
この村の住人、全員が監視するようにずっと俺達を見ているのだ。
気が付いたのはマホちゃんを連れ帰った時だ。
あの時は俺がロリコンだと思われて見られているのだと思っていたが、そうではなかった。
もしかしたらロリコンの上にホモだと思われているのかもしれないが、そうでもない。
あの時の視線は今も感じている。
というか、気付くといつも感じている。
ちらりと横を見るだけで村人の誰かがこちらをじっと見ている。
思えば、始めから妙なのだ。
そもそもウォーウルフが現れたのがおかしい。
長閑な道にウォーウルフみたいな物騒な獣が現れるか?
もしかしたら現れるのかもしれない。
でも、そんなのが簡単に現れる道で畑なんかやるのか?
しかもウォーウルフを倒すと、間を空けずにおっさんが現れた。
まるで俺の事を監視していたみたいに。
もっとも、これはこじつけのご都合主義的な妄想かもしれない。
でもその次が決定的だ。
森の探索。
別に荒らされてもいない森の中を探索させて何がしたかったのか。
どうしてあそこにマホちゃんがいた?
マホちゃんは始めにどこにいた?
きな臭いじゃないか。
報告の時にしてもそうだ。
村長は森の木が倒されたなんて俺の嘘に合わせてきた。
そして今、マホちゃんがいない。
都合の良い辻褄合わせかもしれないが、それでもこういう直感は大切にしたい。
マホちゃんは旅に出たのではない。
大方、どこかに監禁されているのだろう。
村全体がグルなのか?
だとしたら相当あくどいぜ。
この村に来てからずっといる行商人の元へ行く。
露店にある品物も随分と減っている。
「そろそろ店じまい?」
「今日の昼には移動しようかと」
「良いものは入った?」
「それはもう。実はウォーウルフを捌かせてもらう事になりまして。稼がせてもらいますよ」
行商人は随分とご機嫌のようだった。
「へえ。良かったな。それより、もう少し食料と水が欲しいんだ。昨日と同じ物を三〇〇ロウで適当に詰めてくれよ。支払いは昨日と一緒で頼む」
「かしこまりました」
昨日よりもかなり値切った額で要求しているのに、行商人は二つ返事で引き受けた。
よほど良い品物が手に入ったと見える。
本当にウォーウルフ?
「ところで次はどこに?」
お前もグルなんだろ?
そう言いたいのを堪えて世間話を続ける。
「一度グランシオに行きます」
「へえ、そっか。実は俺達もなんだ。どこかで会ったらまたよろしく頼むよ」
「へい。またのご利用、お待ちしております」
露店を後にして、村をぐるりと一周する。
歩く途中でおもむろに振り返ってあげると村人がいる。
誰とも目が合わなかった。
身体はこっちを向いているのに、視線だけがあっちに行っている。
「どう思う?」
まともな返事が返ってこない事は分かっていたが、それでもカクさんに聞く。
カクさんはある方を指差した。
その先には村長の屋敷がある。
「あそこ? 村長の家だよ」
カクさんはあそこに行こうと言う風に指を何度が前後させた。
「…とりあえず行ってみるか」
屋敷に前まで来ると、カクさんは屋敷の塀と木々の間まで俺を引っ張って行く。
丁度、死角になっている。
ここで掘られたら為す術はないだろう。
カクさんは周囲を窺い、そしてそっと俺に耳打ちした。
顔が近づくと、本能的に尻を押えてしまう。
「獣臭い。さっきの露店でしたのと同じ臭いだ」
獣臭い?
露店と一緒?
「俺はそんな臭いは感じないけど…信じて良いんだな?」
カクさんは確信を持った瞳で俺を見ながら頷いた。
「じゃあ侵入しますか」
見つかったらヤバいよなと思いながらも決断を下す。
そして決断を下すや否や、カクさんが物凄い速さで木を登って行った。
身体の大きさに似合わない俊敏な動きだった。
塀を超える高さまで木を登り、屋敷の中を眺めるカクさん。
そしてカクさんは下を見て、登って来いとでも言うかのように指を動かした。
えっちらおっちらと木を登る。
「着いて来い」
言うと、カクさんは常人の遥か上を行く跳躍力でもって塀を飛び越えた。
その様子を唖然として見ているしかできない。
カクさんは着地してこちらを見る。
くいくいっと指を動かす。
いや。
こっち来いって言われても無理な動きだからね。
手で大きくバツを作ってやると、カクさんが塀の上に帰って来た。
「その動きは無理」
そう言うとカクさんはあろう事か、俺を担いだ。
「え、マジ。嘘でしょ」
俺の抗議の声も虚しく、カクさんは再び超人の跳躍力で塀を超えた。
跳躍は約三秒間。
その三秒間がやけに長かった。
前が見えない状態で空を飛び。
奇妙な浮遊感を味わって。
気が付くと大地に足を付けていた。
悲鳴を上げなかった自分を褒めたい。
それくらい気持ちの悪い三秒間だった。
「あ、ちょっと待って」
思わぬ事態に乱れた呼吸を整える間もなく、カクさんが移動を始めていた。
カクさんの後を単純に着いて行く。
それだけの事なのにやたらと疲れる。
何と言うか、カクさんは野性的なのだ。
動きが野良猫みたいな感じだし。
やたらと勘が働くように見える。
何もない所で急に立ち止まったと思えば、次の瞬間にはふと人間が現れる。
さっきは臭いがどうのとも言っていた。
服装も民族衣装チックだし、元々いた場所が野性と親しかったのかもしれない。
ここまでスペック高いとただのトンデモ人間だ。
カクさんに着いて歩いて行く事、数分。
小屋が見えた。
スニーキングミッションもこれで終わり。
小屋に近づく。
ここまで来ると、俺にも獣の臭いを感じる事ができた。
戸の前まで来たところで周囲を窺う。
周りには誰もいない。
カクさんを見る。
頷いた。
ゴーサイン。
戸を開け、素早く中に入る。
「…何だこれ」
思わずそんな言葉を発していた。
家畜小屋の中には見知った生き物がいた。
ウォーウルフ。
一頭や二頭ではない。
十数頭のウォーウルフがまるで家畜のように一頭ずつ区分けされて小屋の中にいた。
野生のウォーウルフを捕まえてきて、ここで解体待ちをさせられているのか。
いいや、違うだろ。
家畜なんだ。
頭の中でいくつもの情報が結びつき、ある仮説が生まれる。
そしてこの仮説はきっと正しい。
小屋の中を探索すると、ウォーウルフが入っていない枠がいくつかあった。
その枠の中に数本の縄とコートがあった。
よく見ると、それは小柄な人間が羽織るには丁度良いサイズだった。
人によってはローブと呼ぶ形状だろう。
ローブの胸の部分には模様が描かれている。
家畜小屋。
小さなローブ。
ここにマホちゃんがいたのか。
麻縄とローブがセットって事は拘束でもされていたのだろうか。
「なんで言わなかったんだ…」
思わず愚痴が漏れた。
会った時にそれを教えてくれていればもっとやりようもあったのに。
妙な所でプライドが高いんだもんな。
おかげでこんな苦労をする羽目になった。
マホちゃんを助けたらこのネタでいじり倒してやろう。
しかし当の本人はここにはいない。
どこにいるんだか。
「何をしている」
後ろから無機質な声が響いた。
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