第7話 勇者は鼻の下を伸ばし、魔法使いは腹を満たす
「お帰りなさい」
宿へ帰るとハナさんがにこやかに出迎えてくれた。
「ただいまー。えへへへ」
「鼻の下を伸ばすな」
マホちゃんの痛くもないキックが飛んで来る。
「美人の前で鼻の下を伸ばすのは男の作法だろ」
「私の前ではそんな事しなかった」
「彼女をよく見るんだ」
マホちゃんはハナさんを上から下までまじまじと見る。
無言でパンチが飛んで来た。
「痛いって」
何でパンチはこんなに痛いんだろう。
上手く関節に当ててくるんだよな。
「ユウさん。この子は?」
「国立魔法学院所属、マリベル=ホリゾンよ」
「マホちゃんって言って、森で保護したんです」
「あらそうだったの。よろしくね、マホちゃん」
「マリベル=ホリゾン!」
「どうも誘拐されたらしくて。おかげで気性が随分と荒くなってるんですが、悪い子ではないんですよ」
「余計なお世話よ」
語尾を荒げながら飛んでくる拳が再び関節に当たる。
だから痛いって。
「それでこの子をここでしばらく休ませてあげたいんですけど良いですか。一応、村長の許可はもらったんですけど」
「そういう事でしたらお好きに使って下さい。今、お部屋を用意しますから」
そう言ってハナさんは階段を登って行った。
「ちょっと」
「ん?」
「マリベル=ホリゾン」
「そうだね」
自分を指差して言わなくても分かるから。
「だから! マリベル=ホリゾン!」
「後でね。それまではマホで通して」
「だから…」
「お願いだから」
少し真剣な表情で言うと、マホちゃんは渋々と言った風に引き下がった。
ごにょごにょとマリベル=ホリゾンだもんとか言わなくても分かってるって。
「お部屋の用意が出来ましたよ。ご案内しますね」
普段から空き部屋の掃除も行き届いているのか、すぐにハナさんが降りてきた。
マホちゃんの部屋は俺の隣の部屋だった。
「こちらをお使いください。では、ごゆっくり」
「あのハナさん」
立ち去ろうとするハナさんを呼び止める。
「はい」
「そろそろ旅支度を始めたいので、紙と書く物を貸してほしいのですが」
「分かりました。すぐにお持ちします」
そう言うとハナさんは階段を降り、すぐに登って来た。
ハナさんが階段を上る度に揺れる箇所を堪能する。
マホちゃんのパンチが何度も炸裂したが、気にならなかった。
「はいどうぞ」
「ありがとう」
紙とペンを受け取る時に手が触れた。
やった!
ハナさんに触れられた。
柔らかいな。
「では、ごゆっくり」
ハナさんが視界から消えるまで彼女を見届けてから、部屋の戸を閉める。
「じゃあ作戦会議だ」
「その前に鼻の下を戻しなさいよ」
「やべえやべえ」
場所は俺の部屋。
マホちゃんがドカッとベッドに腰掛けた。
俺が昨日使ったベッドに無防備に飛び込む辺り、本当に良いキャラしていると思う。
もう眺めるだけでお腹いっぱいかもしれない。
「何よ」
「マホちゃんもまだまだだなと思って」
「どうせ子供よ。あんなに発育良くないわ」
そして見当違いの事でむくれる姿も悪くない。
「それから勇者。あの女の胸が動く度に顔を上下させないで。せめて顔は動かさないでくれる? あの女、ドン引きしてたわよ」
そうだった?
次から気を付けよう。
「まず聞きたいんだけど、魔法ってどういう事が出来るの?」
「いや、あんたも魔法使えるんだから分かるでしょ」
「魔法使いの勉強をしていないからよく分からないんだ」
「何それ。本当に憎たらしい…ふん、仕方ないわね。それじゃあ教えてあげようじゃない」
そう言いながらマホちゃんは満更でもない顔をした。
鼻の穴も微かに大きくなっている。
何だろう。
外は美少女なのに中はギャグだよな。
「魔法っていうのはね、生命力を魔力に…」
「待った。概念とかはひとまず置いておくとして」
「ぬぐっ」
随分と悔しそうな顔をするじゃないか。
「具体的にどんな事が出来るの?」
「理論的には何でも出来るわ」
「盗撮、盗聴、催眠、洗脳…こんな事も出来る?」
「そりゃあ魔法だもの。何でもありよ」
「それじゃあ対魔法用の魔法もあったりするの?」
「対魔法用の魔法?」
あれ?
こういうのはないのかな。
「要するにある魔法の作用を打ち消すとか、そんな魔法」
「何その卑怯な魔法。あんた本当に勇者?」
「そこまで言うかね」
「魔法使いたる者、相手の魔法を圧倒する魔法を使ってなんぼなの。そんなケチ臭い魔法使えますか」
「でもマホちゃんの言う理論的には出来るんだね」
「分からない」
「分からない?」
「皆、誰よりも凄い魔法を修得しようとするものだから、どうしてもそういった系統の魔法ばかりに目が行きがちなの」
「つまり使えないと」
「…そうよ。悪い」
「その魔法を一から作り上げる事は可能?」
「…時間さえかければ、多分」
なるほど。
今すぐに出来る訳ではないのか。
「そっか。なら仕方ない」
「急にどうしたのさ。そんな事聞いて」
どうしたもんかな。
マホちゃん、ちょっと素直すぎるんだよな。
よく顔に出るし。
自分が何かを言えば皆それに従うと思ってる節があるし。
あまりぺらぺらと話さない方が無難か。
「いや、俺も晴れて魔法が使えるようになったんだ。どういう事が出来るのかを知っておけば、今後の魔物狩りの時に役に立つかなって」
「じゃあ私が教えてあげよっか」
「今後の検討課題とさせて頂きます」
「人が親切に言ってあげてるのにその態度は酷いんじゃない?」
「冗談だよ、冗談。ただ、剣も練習しないといけないからそのバランスも取りたくてさ。それより、今後の事を考えよう」
「森であんたが言った事が本当なら、三人目の仲間を見つけるのが優先だと思う」
もしかして私の話が面倒になったから話題を逸らしたんじゃないのかと露骨に顔に出ているマホちゃんとミーティングを進める。
「俺もそう思う。ただ、情報がまるで何もない状況でもある」
「だったらいつでも旅に出られるようにしておくのが良いのかな」
「だろうね。ハナさん情報だと聖都グランシオって所に行けば神様に会える手掛かりを掴めるかもしれないって話だから、そこを当面の目的地にしたい」
「何日くらいで着くか分かる?」
「分からん。いくつか街を経由して行く事になるだろうから、水と食料、それから地図があれば最低限は大丈夫だと思うけど」
「お金はあるの?」
「昨日、ウォーウルフってのを狩って、それで二十万ロウ稼いだ。果物一個三〇ロウくらいの物価だから、当分は遊んで暮らせるよ」
「路銀は安心ね」
「明日一日かけて物資の調達をして、明後日にはここを出る。それで大丈夫?」
「問題ないと思うけど」
「けど?」
「ローブは?」
それもあったな。
「それも明日、探してみよう。今から探すのは少し骨が折れる」
「そう。なら良いの」
「じゃあ作戦会議はこれでお終い」
そこで戸をノックする音が聞こえた。
戸が開けられ、ハナさんが顔を覗かせる。
「食事の用意が出来ました」
さすがハナさん。
完璧なタイミングです。
マホちゃんと共に食堂へ行くとマホちゃんは顔を輝かせた。
「何これ。凄い豪華じゃない。今日は何かのお祝い?」
メニューは昨日とあまり代わり映えしないものだ。
よくある宿の料理だと思う。
しかしマホちゃんは興奮している。
文化というか世界の違いなのかな。
「いつものですよ。ユウさんはもう飽きられてしまったかもしれないんですが」
「こんなに豪華なら毎日同じ物でも大歓迎よ。ねえ、早く食べよう。冷めちゃう」
マホちゃんに急かされ、席に着く。
マホちゃんは席に着くなり食べ始めた。
むふぅん。
そんな感嘆の声がマホちゃんの口から絶えず聞こえてくる。
「魔法使いってそんなに質素なの?」
向こうの魔法使いはそこそこの地位にいる人間だと思っていたのに。
「私は国立魔法学院の生徒。魔法を学ぶにあたって普段から質素倹約しなくちゃいけないの。それが立派な魔法使いになるための第一歩なの」
「よく分からんな」
「普段からこんな豪華なものを食べていたら堕落してしまうでしょ。贅沢は魔法を学ぶ上で一番やってはいけない事。真理の探究には飢えが必要なの。そんな事も学ばなかったの?」
「いやあ。俺が魔法を使えるようになったのは昨日からだよ? そんな事、知る訳ないじゃん」
「何それ。やっぱり世の中、不公平よね…」
マホちゃんは食べる手を止めて、羨ましそうな、妬ましそうな顔をしながら嘆息した。
「うん。決めた」
「何を?」
「やっぱり私が一から魔法を教える。これは決定事項よ。覚悟しなさい」
うわ。
目の前から面倒事が飛んで来た。
「何でそんな嫌そうな顔をするのさ」
「イヤベツニ」
「声に感情が籠ってない。私が決めたのよ。大人しく従いなさい。それよりこのお肉食べた?見た目はえげつないけど美味しいじゃない。あ、食べないならちょうだい」
そう言うマホちゃんは俺が何かを言う前にスライムのステーキを奪っていた。
「ほえはんおほにむ?」
これ何のお肉?
きっとそう言っているんだろうけど、口に食べ物を入れて話されても何を言っているのか分からない。
可愛いから許すけど。
「スライム」
咀嚼を終え、飲み込んだタイミングを見計らって言ってやった。
マホちゃんの身体がびくりと震え、そして動きが止まった。
マホちゃんの瞳から流れるように感情が消えて行く。
そして持っていた食器が手から滑り落ちた。
「え?」
「スライム」
「あのぶよぶよの?」
「ぶよぶよの」
沈黙。
これで盛大にリバースしたら最高だな。
さあ来い。
ゲロッと行け。
「へえ」
しかし予想に反して、マホちゃんは喜色を示した。
あれ?
「やっぱり、ここって異世界なのね。スライムがこんなに美味しいなんて知らなかった。学院に帰ったら向こうのスライムも食べてみようかな。ねえ。勇者のいた世界ではスライムは食べるの?」
「そもそもスライムなんて生物はいないよ。そう言う名前の玩具はあるけどね」
「そうなんだ。異世界の事を知るのって意外と面白いのね。ん? どうしたの? つまんなそうな顔をしているけど」
「イヤベツニ」
「変なの。あ、ちょっと! スライムおかわりありますか!」
意外にもマホちゃんはスライムを気に入ったようだった。
確かに美味いけどさ。
そこは青ざめて逆流するところじゃないの?
「質素倹約はどこに行った…」
スライムのおかわりが届くなりがっつき始める少女の姿を見ているとそう思わずにはいられない。
「なに?」
「イヤベツニ」
嘆息。
ともあれ。
この日の夜は可愛らしい仲間を迎えて賑やかに過ぎて行った。
悪くない夜のひと時だった。
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