第2話 変身と魔法に関する実験と実践
「…まぁ、何とかなるか」
俺は世界の危機に立ち向かうために神に選ばれた存在らしい。
ならばすぐに野垂れ死ぬような場所には飛ばさないだろう。
主人公補正だ。
それがあると願おう。
それに見た所、穏やかな土地のようだ。
野宿をしても死ぬような事はあるまい。
よし。
俺、大丈夫。
当面は死なない。
「これからどうしたもんかね」
とは言え、衣食住がしっかりしないと安心できないのも事実。
とりあえずは現地の人間に接触するのが先決かな。
辺りをもう一度じっくり見渡す。
実に長閑な場所だ。
人一人もいないが、目の前には畑がある。
つまりはこの近くで畑を耕す人間がいるという事だ。
村か町か、とにかく人がいる場所が近くにあるに違いない。
「うーん。今日の作業は終わってるみたいだな」
誰かいないかと思い、畑まで近づいてみても、働く人の姿は確認できなかった。
「とりあえず、歩こう…しかしこれ、ダサいよな」
こんな場所に飛ばしてきた奴は人でなしの神のようだけど、最低限の装備はくれたようだ。
衣服に靴。
ダサい事に目を瞑れば、どれも身体にフィットして動きやすい。
寝巻よりマシと思おう。
その内なんか買わないと。
この姿で知り合いに会ったら恥ずかしい。
いや、知り合いはいないか。
そんな事を考えながら歩く。
コンクリートで舗装されていない道だ。
均されているとは言え、歩く度に凹凸を感じる。
風に乗ってやって来る香りは木々のものばかりで排ガスのようなものは一切感じられない。
見上げる空は薄く青い。
昨日まで見ていた空よりもずっと澄んでいる。
これが本来の空なんだと思うと心までも晴れ渡るような気分になる。
「昔は日本もこんな感じだったのかね」
歌って耕すアイドルグループが出ているテレビでこんな風景を見る。
田舎は今もこんな感じなのかもしれないが、少なくても身近でこんな所はない。
新鮮だ。
生きてるって感じがする。
ゆったりとした風を身体に受けながら土の上を歩くのは気持ちが良い。
将来は農家もありかもな。
「それにしても異世界ときたか」
与えられた力を考えると、剣と魔法の世界ってところかな。
そう考えると胸躍るものがあるよな。
しかし、そんな気分も長くは続かない。
歩けど歩けど人も集落も見えてこない。
陽は天頂まで登っている。
もう昼だ。
腹減ってきた。
果物でも成っていないだろうか。
最悪、畑の物を拝借しようなんてことを考えながら食物を探していた時の事だった。
風の中に獣のような臭いが混じり始めた。
家畜でも飼っているのだろうか。
とにかく、向かうべき方向は間違っていなかったようだ。
そう思ったのも束の間。
すぐに違和感を覚えた。
どれだけ見渡しても小屋がない。
羊でも放牧されているのかと思ってみても見渡す限りあるのは畑だけ。
獣臭さは徐々に強くなる。
物音。
森の方からだ。
これも徐々に大きくなっている。
視線の端にある草が数枚、不自然に舞った。
「ん?」
出てきたのは犬だった。
大型犬だ。
ちょっとした人間くらいの大層立派な大型で第一印象はイヌ科のライオン。
血走った目に流れる涎。
いつ襲ってくるか分かったものじゃない。
凶暴なのは一目瞭然だった。
再び物音。
今度は後方から。
断続的に、しかしリズムよく同種の犬が数匹現れた。
完全に囲まれた。
「野犬っているのね…」
安全じゃねえ。
滅多に野良犬を見ないものだから野犬なんて存在しないのだと思っていたが、よく考えれば日本がおかしいくらいに衛生的なんだ。
これが普通なんだ。
「わんわんお、わんわんお、わんわんお…」
どれだけ軽口を叩いても緊張がほぐれない。
周囲を取り囲む犬はすぐにでも襲い掛かってきそうな感じだ。
ヤバいね。
犬ってもっと可愛いものじゃないの?
「そうだ」
今こそもらった力を使う絶好の機会じゃないか。
変身。
そう叫べば力を発動できる。
シンに与えられたとしか考えられない知識がそう言っている。
さあ!
今こそ変身だ!
「…」
いや。
無理だって。
恥ずかしいって。
逡巡をしている間にも犬の群れは徐々に距離を狭めている。
やがて目の前にいた犬の一頭が飛び出した。
「無理無理無理! 変身変身変身!」
食われる。
死。
そ能的な拒絶が頭を覆い尽くす。
気が付くと恥も外聞もなく叫んでいた。
犬の鋭い牙が眼前に広がる。
世界が急激に速度を落とした。
ぐぁっと犬の口が開かれる。
唾液が飛び散る。
全て緩慢。
見える。
でも力は?
発動しない?
あれ?
もしかして死ぬ?
死。
嫌だ。
こんな死に方、嫌だ。
あの野郎。
人を異世界に飛ばした挙句、あっという間にあの世行きとかシャレにならないからな。
死ぬのは嫌だ。
死んだら祟ってやる。
クソ。
あっさり死ぬなんて御免だ。
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう。
そうだ。
抵抗しよう。
道連れにしてやるんだ。
一頭くらいは道連れにしてやろう。
腕の一本はやる。
だからその脳天は砕かせろ。
決めた。
それだ。
痛いんだろうな。
死にたくはないよな。
死にたくないな。
これでもし生きていられたら俺、格好良いよな。
そう、格好良い。
この状況で生き延びられたら最高じゃん。
心臓が早鐘を打つ。
よし。
腹を括れた。
さらば右腕。
犬の口に合わせて右腕を差し出す。
しかし、腕の動きも緩慢だった。
間に合わない。
動け。
もっと速く。
これじゃあ手をぱっくり食われて終わりだ。
右腕に牙を食い込ませて殴る作戦が出来ない。
速く。
もっと速く。
強く思うほどに世界が本来の速度を取り戻す。
瞬間。
衝撃。
ああ。
こんなミスをして死ぬなんて。
格好悪い。
ガチン。
しかし、聞こえた音は肉が裂ける音ではなく金属的なものだった。
犬は鋭い牙で噛みついている。
右手に握られた一振りの剣を目掛けて。
何が起こったのか理解できると、途端に力がみなぎってくる。
「ありがとう神様! 信じてた!」
犬を振り払うように右手を力一杯振り回す。
周囲にいた犬が吠えながら少し距離を取った。
剣。
胸当て。
マント。
靴。
額当て。
力の発動と共にそんな装備が現れた。
神から与えられた力の一端。
デザインは相変わらずダサい。
しかし、神が造った装備だ。
性能は一流。
与えられた知識がそう言っている。
俄然、希望が湧いてくる。
ぐるりと一周、その場でゆっくりと回る。
全部で五頭。
せっかくだから力を一通り使ってみるのも悪くはない。
「よっしゃ、行くぜ!」
先程噛みついてきた犬に目標を定める。
大きく踏み込めば間合いに入る距離だ。
力強く一歩。
薙ぐように剣を振るう。
犬は顎の関節を境に上下に分断された。
力なく崩れ落ちる。
軽い。
プラスチックのバットを振ったみたいに軽い。
そしてしっくりくる握り心地だ。
後ろを向き、残りの犬と向き合う。
残りの四頭は警戒しているのか、迂闊に飛び掛かってこない。
「そっちが来ないなら、こっちが行く」
もう一度、同じ動作を繰り返した。
踏み込んで間合いに入る。
剣を振るう。
犬が倒れる。
結果は同じだ。
残りは三頭。
装備の力は十分把握できた。
残った犬の内、二頭が揃って飛び掛かって来た。
「アゴハズレ!」
ならば次は魔法。
神に与えられた知識は既に頭にある。
力を発動している間、魔法が使えるらしい。
使える魔法は無限。
俺の想像力次第でどんな魔法でも使えるという。
相手が攻撃してきたのならこっちは防御。
犬がその相手なら噛みつきを抑えれば防御は余裕。
そう考えて咄嗟に唱えた魔法は顎を外す魔法だ。
昨晩、テレビですぐに顎が外れる猫型ロボットを見た影響なのは間違いがない。
しかし、物は使いよう。
噛みつく事が唯一の武器である犬に顎を外す魔法は効果覿面だった。
顎が外れた二頭の犬は噛みつく事が出来ず、急激に生じた自身の変化に驚いたのか、体勢を崩して地面に転がり落ちた。
それを捌き、残るは一頭。
しかし、その一頭は恐れをなしたのか踵を返して逃げて行った。
追いはしない。
これに懲りたらもう襲ってはこないだろう。
溜息。
勝った。
生きている。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!」
ヤバいって!
マジで死ぬかと思った!
怖かった!
「ふぉぉぉぉぉぁぁぁぁっ!」
「どうした!」
「ファッ!」
叫び声を聞きつけてきたのか、おっさんが二人して慌てて駆けつけて来た。
「あ、いや…デュフフ…」
どうしよう。
何て言おう。
異世界から飛ばされたと思ったら急に野犬に襲われてテンパりました。
いやいや。
正直すぎるし格好悪い。
定期的に叫ばないといけない病気なんです。
危ない人になっちまう。
「これ、お前さんがやったのか?」
「ええ。返り討ちにしたんだけど、一匹取り逃しちゃって。悔しくてつい…」
お。
咄嗟に口から出た言葉にしては上出来なんじゃない?
「これを、お前さんが…?」
しかし、おっさん達は道端に落ちている犬の死骸の方が気になるようだった。
「何か問題でも?」
「いや。こいつ、ウォーウルフだぜ。ガセじゃないだろうな」
ウォーウルフ?
何だそれ。
「ガセじゃないよ。見れば分かるだろ。この犬ころが五匹、俺を囲むように出てきたんだ」
おっさん達は顔を見合わせると顔を輝かせた。
もしかして、意外と凶悪なモンスターだったりする?
「そうか! そいつは凄いな! それより見ない顔だな。旅でもしているのかい?」
もしかして手練れの旅人に見られている?
「ちょっとね」
「そうか。なあ、良かったら俺達の村に来てくれよ。あのウォーウルフを倒した旅人だ。歓迎するぜ」
良い気分じゃないか。
それに好都合。
情報に消耗品、それに食料。
これからの旅に必要な物を調達させてもらおう。
いや、その前に金が必要だな。
何か小遣い稼ぎもしないと。
そんな事を考えていると、おっさん達がおもむろにウォーウルフを担ぎ上げた。
「それ、どうするの?」
「捌くんだよ。肉は美味いし、毛皮は高く売れる。骨は装飾品だし、何よりこいつの瞳は宝石になる」
何と。
この犬、そんな高級品だったのか。
「良かった。軍資金が底を着きそうだったんだ」
「運が良かったな。だが、お世辞にも状態が良くない。一頭で恐らく三万ぐらいが良いとこだろう」
三万?
三万円くらいの感覚で良いのか?
「三万か」
相場が分からないが、ここは少し不満げな顔でもしておこう。
漫画なんかだとここは相手が足元を見ている展開だ。
「なんだい、不満そうだな」
「正直、このサイズならこれくらいの値が付いてもおかしくないんじゃない?」
手を広げておっさんに見せる。
「まったく敵わないな。良いよ、それで買い取ろう」
やはりと言うべきか、足元を見られていた。
「じゃあ、行こうか」
おっさんの後をついて歩きながら口元が緩むのが分かる。
軍資金はこれで調達できる。
幸先が良い。
良い旅になりそうだ。
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