第50話 ~2010年~ 7
「父親は、三人いるわ」
光子姉さんはあっさりと衝撃的なことを言った。あまりにも淡白な答え方に、僕はどうとも反応を取れなかった。
代わりに驚いていたのは因子姉さんだった。
「三人? 今、三人って言った?」
「そう。私も名前を忘れたけど、私たちには三人、父親だった人がいるわ。………私と陽子の父親、量子の父親、因子と格子の父親が。…………今も生きてるかどうかは、わからないわ」
呆然とする因子姉さんの隣で、僕は訊き返した。
「でも、光子姉さんは昔、僕たちは血の繋がった姉弟だって……」
「そのとおりよ、こうくん」陽子姉さんが答えた。「私たちは、血の繋がった姉弟なの。それはつまり、………母親はひとり、っていうこと」
陽子姉さんはそう言って、隣の光子姉さんの目を見た。
歓談の声が響く披露宴会場の中で、光子姉さんが真剣な表情で、教えてくれた。
「私たちの母親だった人の名前は、歯車
初めて知らされる母親の名前に、どきどきと、僕の胸が高鳴っていた。
その人が、僕のお母さん―――
「元子は、」
光子姉さんは、僕たちの母親の名前を呼び捨てにした。
「………元子は、因子と格子を産んで、『歯車』という苗字だった三番目の父親と離婚したあと、蒸発したわ。…………それっきりよ」
名前を口に出すのすら辟易する、といった態度で喋り終えると、光子姉さんはワインを口元に傾けて、僕を見た。
「これが、今まで秘密にしてきた理由よ。………小さいころのあんたたちに、父親が三人いるなんて説明しても、理解できなかっただろうからね」
僕は概ね納得できた。因子姉さんも、複雑な表情を浮かべながらも頷いていた。
ただ僕は、「それっきり」という点について、訊きたいことがあった。
「姉さんたちは、その、………元子さんを、」
「無理しなくてもいいのよ、こうくん」陽子姉さんが微笑んだ。「『お母さん』って呼んでもいいのよ? お母さんなんだから」
どこまでもお見通しだなと思いつつ、僕は頷いた。
「姉さんたちは、いなくなったお母さんを、捜そうとした?」
「捜そうとは思ったけど、結局やめたわ」
「どうして?」
「お金がかかるからよ」
それ以上の理由はないとばかりに光子姉さんは言い切った。陽子姉さんも頷いていた。
「おじいちゃんは見つけようとしてくれたみたいだけど、やめてもらったの。そのときの私たちの生活を乱されたくなかったから」
「じゃあ、もし今、お母さんが僕たちの前に現れたら?」
「ぶん殴るわ」これまた光子姉さんは即答した。「ぶん殴って説教する。そんで私たちに一生かけて謝らせるわ」
迷いのない光子姉さんに僕は軽く笑い、次いで陽子姉さんを見た。
「陽子姉さんはどう? もし、お母さんが生きてたら」
「………私は」陽子姉さんは視線を落とした。「もう二度と、会いたくない。関わりたくない。………生きていてほしいとは、思うけど」
私って心が狭いのねえ、と自嘲気味に笑う陽子姉さんに、そんなことないよと因子姉さんが言った。
「私は、生きていてほしいとも思わないもん。もう一度私たちの前に現れたら、改めて家族の縁を切るわ。絶対にそうする」
力を込めて因子姉さんが決心したとき、司会のアナウンサーによって、二回目のお色直しが終わった量子姉さんが現れた。
まるで妖精のような格好だった。グリーンのドレスで、フリルのない短いスカートを穿いていた。左腕にバスケットを提げていた。その中には何やら包装された小さな箱が入っていて、それを、招待された子役の俳優たちに配っていた。そういった演出らしい。
「………量子姉さんは、お母さんのことを知ってるの?」と僕は尋ねた。
「量子には、ずっと前に教えたわ。でもあの子は、あんまり興味がないみたい、生きていても死んでいても、戻ってきても戻らなくてもいいと思ってるみたいよ。………っと」
光子姉さんは立ち上がった。
「ちょっとトイレ」
「あ、私も」
続けて席から立った陽子姉さんと共に、ふたりは会場を出た。
そういえばカメラを回すのを忘れていたと思い、僕はハンディカムを手に取った。すると出し抜けに、因子姉さんが言った。
「格子、知ってる? あんた本当は、『くみこ』って名前を付けられる予定だったのよ?」
「………くみこ?」
「昔、お姉ぇたちに教えてもらったんだけど。………私たち、女の双子だと間違われてたらしいの。母親のお腹の中でね。でも、生まれてきたかたっぽが男の子だったから、あんたは同じ漢字のまま、『
初めて聞く話だった。
子の字が付く男の名前が珍しいとは思っていたが、そんな経緯があったとは。
しみじみ思う。
「僕たちには、いろいろと、ルーツや歴史があったんだね」
「………あんたの言いたいことがわからない。さっさと行ってきたら?」
それもそうだった。僕はハンディカムを携えて、緑のドレス姿の量子姉さんを撮影した。
それから、司会者の背後に下りたスクリーンに、芸能人からのお祝いメッセージが流れ始めた。料理もデザートがやってきた。
けれど、光子姉さんと陽子姉さんは、いつまで経ってもトイレから帰ってこなかった。
「遅いね」
「そうね、アイス溶けちゃいそう」
そのときだった。
ふっ、と会場の照明が落ちた。次は何の演出だと会場がざわめき始め、僕は即座にハンディカムの電源を入れた。
何やら勇壮な音楽が流れ始めた。
「これ、何の曲だったっけ?」
「パイレーツ・オブ・カリビアン。………余興かしら? お姉ぇたち、何やってるんだろ」
見逃しちゃうじゃない、と因子姉さんは呟きつつ、スパークリングワインを口に含んだ。
しかし次の瞬間、因子姉さんは口から酒を吹き出した。
「あんたたちの結婚に、一言物申すっ!」
マイクも使わずに大音声を張り上げたのは、披露宴会場の入り口でスポットライトを浴びる、光子姉さんだった。隣には陽子姉さんがいた。
礼服を着ていたはずの姉さんたちは、とんでもない格好になっていた。それを見て因子姉さんは、げほげほとむせていた。
僕も、すごく、すごく、驚いていた。
光子姉さんは、しましまのTシャツに短パン、肩に木製のバットを担ぎ、赤いキャップを横に被っていた。まるで少年だった。今まで着ていた和服をどこに置いてきたのか。
陽子姉さんは、水色の全身タイツを身に付けていた。もともとがスレンダーな陽子姉さんの体の曲線が、如実に、惜しげもなく現れていた。
―――ともに、今年で三十四歳になる成人女性とは思えない、とんでもない仮装だった。
「やい、量子!」
マイクを渡された光子姉さんが、披露宴会場の最奥にいる量子姉さんに乱暴に呼びかけた。
量子姉さんにもスポットライトが向けられた。緑のドレス姿の量子姉さんは、不敵な笑顔で、司会者に渡されたマイクを掴んだ。
「姉さんたち、そんな恥ずかしい格好して、何のつもり?」
その笑顔は「何のつもり」を一から十まで把握している顔だった。何も知らないのなら隣の凛さんのような顔を浮かべるべきである。「呆気に取られた」という顔を。
光子姉さんは、肩に担いでいた木製バットを量子姉さんに向けた。
「あんた、………よくも三十過ぎた私たちを差し置いて、さっさと結婚してくれたわね」
「あら、ごめんあそばせ。でも、お姉様たちが行き遅れたことは、私に関係ありませんわ」
ふたりのやり取りに、くすくす笑いが会場に広がっていった。そしてこれから起こることに対する期待感も。
ハンディカムに映る光子姉さんのコスチュームを見ながら、あの格好はどこかで見たことがあるぞ、と僕は考えていた。
ハンカチで口元を押さえていた因子姉さんが、恥ずかしそうに声を潜めて、こう言った。
「ふたり揃って、何て格好してるのよっ………!」
どうやら因子姉さんは、光子姉さんと陽子姉さんのコスプレの意味に気付いたようだった。
光子姉さんの「物言い」は続いていた。
「私は知ってるんだからね。あんた、仕事始めるまでは、家でゲームしてばっかりのプー太郎だったじゃない!」
会場がどっと沸いた。
「あらあら、家事の合間の趣味ですわよ、お姉様」
「嘘おっしゃい。ヒマさえあればゲームしてるあんたには、結婚する資格なんてないんだから。………それとも凛さん!」
光子姉さんのバットの矛先が変わった。
「あなたは、そんな妹でも、結婚するっていうの? 愛を誓えるの?」
突然に巻き込まれた凛さんは、びっくりしながらも、会場の視線が集まる中、量子姉さんからのマイクを受け取って、こう答えた。
「はい。………俺は、そんな彼女を愛しています。彼女と一緒に、幸せになります」
賓客からの口笛が鳴り響く。
凛さんからの頼もしい返事を受けて、光子姉さんが訊き返した(陽子姉さんは顔を真っ赤にして俯いていた。恥ずかしいのならそんな格好をしなければ良かったのに)。
「あなたはそれを、絶対に誓うのね?」
「必ず。………絶対に誓います」
「………それなら、私たちと勝負よ! 対決しなさい!」
次の瞬間、司会者の背後にあったスクリーンに、あるゲーム画面が映し出された。
「ステージはプププランド。二対二のチームバトル。アイテムなし。ハンデなし。ストックは三つ」
そのゲーム画面を見て、僕はようやく、姉さんたちのコスプレの意味がわかった。
「スマブラで勝負よ!」ネスのコスプレをした光子姉さんの挑戦に、
「受けて立とう!」リンクに見えるドレスを着る量子姉さんが応えた。
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