第46話 ~2010年~ 3

 志望した地元の国立大学の法学部に無事に入学した2008年、僕がまりあさんに振られた事実を知っていた量子姉さんは、「傷心旅行に行こうぜ、ラッたん」と僕を誘ってきた。

 断る理由がなかった。そして、小学校のときから続けていたお年玉貯金もそれなりにあったので、路銀も問題ない。光子姉さんからも、僕と量子姉さんが一緒なら大丈夫だろう、ということで、絶対に毎日連絡を入れることを条件に許しが出た。

 大学が夏休みに入るまで待ってもらって、僕と量子姉さんは旅に出た。量子姉さんはやっぱり、ほとんど手ぶらだった。むしろ僕の荷物を多すぎると言ってきた。

 僕と因子姉さんは、瀬戸内海に沿って西へヒッチハイクした。以前とは逆周りのコースらしかった。さすがは量子姉さんの特異体質と言ったものか。姉さんは易々と車を捕まえる。

 やがて九州に入り、時計回りに福岡、大分、宮崎、鹿児島、と来て、苛烈な気温の沖縄へ渡った。沖縄に入る前に量子姉さんは、僕たちふたり分の乗船券の代金をカンパで集めてしまった。これについては量子姉さんの体質がどうというだけではなく、量子姉さんの人柄がなすことだった。生まれて初めて量子姉さんを尊敬した。

 ヒッチハイクの旅は続いた。途中の民家で泊めてもらうこともしばしばあった。中には、七年前に量子姉さんを泊めた家庭と再会することもあった。

 北上し、北海道まで届くと、太平洋岸に沿って南下。そして僕と量子姉さんは、東京という、恐ろしいまでに人間のいる都会にやってきた。高校の修学旅行で一度訪れていたが、特に都心部は、眩暈がするような場所だった。建物が高すぎる。

 東京のコンビニは駐車場がないんだなあ、なんてことを考えながら、僕と量子姉さんは、とりあえず神奈川県を目指しててくてく歩いていた。

 すると、何やら声をかけられて、僕たちは捕まった。見ると、テレビカメラやらガンマイクやらを持った人たちと一緒に、スーツを着たアナウンサーらしき人がいた。

 何でもそのアナウンサーの人によれば、情報番組の取材で、道行くカップルに結婚観について質問をぶつけている途中らしかった。

 僕と量子姉さんがカップルに間違われても仕方のないことだ。僕と量子姉さんは七歳離れているが、量子姉さんはかなりの童顔で、ものすごく幼く見える。僕たちが姉弟であることを伝え、現在日本一周の旅行中であると言うと、インタビュアーのアナウンサーは少し驚いてから、失礼しましたと言って、僕たちから離れていった。

 僕たちもその場を離れようとした。

 しかしそこで、再び呼び止められた。

 僕たちを―――正確に言えば量子姉さんを呼び止めたのは、ディレクターだかプロデューサだかわからないが、とにかくそのインタビューを取り仕切っているらしい壮年の男性だった。

 その人は量子姉さんに、どこかの芸能事務所に所属しているか、という質問を投げかけた。量子姉さんが首を振ると、幾分声を弾ませながら、自分の名刺を量子姉さんに渡した。

 時間があるときでいいから、ここに連絡を入れてほしいとのことだった。

 それはある意味愚問だった。量子姉さんは時間しか持っていない人間だったから。

 仕事をしていないからいつでもいいですよと量子姉さんが言うと、その男性はさらに喜んで、じゃあ今日の何時にどこそこで、という約束をした。

「わりっ。ちょっとラッたん、とりあえず先に行ってて。テレビの人と話をするのも面白そうだからさ。話聞いたらまた連絡するから」

 気まぐれな量子姉さんの性格を知っているから、僕は了承し、先に行くことにした。

 僕はひとりでてくてく歩きはじめ、適当な所で量子姉さんがやったのと同じ要領でヒッチハイクを試みた。しかしあまりうまくいかなかった。今までの平穏な旅は、量子姉さんの運命のそばにいたからこそ成り立っていたのだなと痛感した。

 そんなときに、量子姉さんから電話がかかってきた。

「おっす。ラッたん」

「うん。どうだった?」

「いやね、私もさ、こんなうまい話はないと思うわけよ」

「え?」

「急にさ、テレビに出てみないかとか、きみには素質があるとか言われてもさ、怪しいじゃん。ホテルに連れ込まれてポイ捨てされそうじゃん」

「そう言われたの? 才能があるって?」

「まーそんな感じのことを」

「それで?」

「うん。折角だから、乗せられてみようかと思って」

「は?」

「ちょっと面白そうだと思うのよ、これが。あの人が私のことを、えらく買ってくれてるみたいだし。だからしばらく東京にいるから。先に帰ってて」

「………………光子姉さんたちには、一応、言っておくけど」

「大丈夫だよー。もう七年前みたいなことはしないから。私から言っとくー」

 そんじゃねー、と言って、量子姉さんは電話を切った。

 ―――ひとつだけ確実なことは、量子姉さんが、日本一周逆周りの旅を、途中でぶん投げたことである。

 なんだか歩き続けていたことが馬鹿馬鹿しくなったので、僕は新幹線で家に帰った。家に帰り着くと、案の定光子姉さんから散々問い詰められた。量子姉さんの「私から言っとく」を最初から期待していない僕は、ことの経緯を光子姉さんに話した。光子姉さんは、量子姉さんを勧誘したテレビ局の人間が信用の置ける人物なのかをひどく心配していた。しかし、それから頻繁に量子姉さんののんきな電話が度々かかってきたので、少なくとも犯罪に巻き込まれていないことがわかった。

 それからしばらく経って、大学の夏休みも終わった十月ごろに、僕の姉、歯車量子は突然に「片桐涼子」として、深夜番組のタレントとなっていた。

 その番組の中でやっていることといえば、以前と代わり映えしなかった。量子姉さんは旅をしていた。相変わらず見知らぬ誰かに助けられながら、日本全国を放浪していた。

 その番組の企画としては、無一文の女の子がどこまで旅できるか、という内容であるらしかった。薄汚い格好で旅をしていた量子姉さんを見つけたテレビ関係者は、この可能性を見出したのだろう。付き添いはいない。量子姉さんはハンディカム片手に、一人旅をしていた。

 想像だが、この企画を考えた人は、「ひとりの少女が世間の冷たさに揉まれながら、ときどき親切な誰かに助けられて旅を続ける」という映像を欲していたのだと思う。

 だが、その企画者は歯車量子という人間を、舐めていた。

 彼女は天性のフウテンなのだ。生まれながらにして、誰かに好意的に助けられてしまうという運命を背負っているのだ。

 そのことを知っているのは僕と姉さんたちだけだったが、やがて全国が知ることになった。

 量子姉さん―――「片桐涼子」の旅は、まったく何のトラブルもないままに、どんどん進路を広げていた。寝食共に見知らぬ誰かに助けられ、まったく問題がなかった。あまりにもできすぎなくらいだった。

 そうなることは僕たち姉弟にはわかりきっていた。すぐに飽きられてしまうだろうと思っていた。何のトラブルもない旅を見て、誰が面白いと思うのだろう。

 だが―――そんな僕たち姉弟の予想に反して、番組は続いていた。

 大学の友人である酒本という男もこの番組を見ていたので、それとなくどこが面白いかを訊いてみた。

 酒本、答えて曰く、

「だって、あの女、おもしれーじゃん」

 もうちょっと詳しく。

「いや、普通の女と、ちょっと違うじゃん。なんかすげー、気さくっていうの? 誰とでも仲良くなっちゃうじゃん。この前の見たか? サラリーマンの飲み会に混じって、どっかの会社の社長のはげ頭ばしばし叩いてんの。それで皆笑ってたじゃん。ありえねーだろ?」

 確かにそんなことをしていた。確かに、普通の神経ではそんなこと、できるはずがない。

 仮にひとりの女性タレントがいたとしても、その辺の民家の呼び鈴を押して「庭掃除しますからいらない服をください」なんて頼むのは、番組の命令でもなければできないだろう。それを「片桐涼子」はナチュラルにできてしまうのだ。確かに面白いかもしれない。

 その深夜番組で量子姉さんは、旅をするだけではなく、道すがらにいろんなことをやっていた。草野球に飛び入りで代打に立ったり、捨て猫を拾って里親を探したり、仕事帰りのホストの人と喫茶店で愚痴を言い合ったり、大食いメニューに挑戦して失敗したり(罰金を払えなかったために、量子姉さんは一日皿洗いをしていた)、自転車のチェーンが外れて困っている中学生を助けようとして手が油まみれになったりしていた。量子姉さんは勝手気ままにいろんなことに首を突っ込んでいた。

 ―――気取らず、涼やかに、装わず、軽やかに―――

 きっとこれが、自然な姿だったのだろうと僕は思った。七年前に日本一周をしてきたときも、量子姉さんは、そんな風に旅をしてきたのだろう。

「片桐涼子」は何かをやらかす。そしてそれがどれだけとんでもないことでも、なぜか平和的なのであった。番組は人気であるらしかった。次第に、飾らないキャラクターとして、「片桐涼子」にも人気が出ていた。少しずつ別のテレビ番組にも出るようになった。僕たち姉弟は、量子姉さんが変わらずに量子姉さんのままで「仕事」としてやっていっているのを、不思議な心地で見守っていた。

 そして年が明けた2009年の三月ごろ。「片桐涼子」の人気を確固たらしめるできごとが起きた。

 旅行会社のCMに量子姉さんが抜擢されたのだ。それだけでもすごいことなのだが、そのコマーシャルの内容が話題になった。

「旅に出よう。人生を変えよう」―――そんなコピーと共に映し出されたのは、2001年から2002年、量子姉さんが十八歳か十九歳くらいのころの、日本一周の旅の写真だった。旅行中に姉さんがデジカメで撮ったものだった。自身の一人旅の経験を活かしたCMだった。

 このCMが大きな反響を呼んだ。

 反響というのが―――「この人知ってる!」というネット上の書き込みだった。

 ある人は昔、とある女に寝床を貸した。ある人は昔、とある女を車に乗せた。ある人は昔、とある女にカンパをした。ある人は昔、とある女にラーメンを奢った。

 その「とある女」が、「片桐涼子」だったことに、「ある人」たちは気付いた。思い出した。

 それらの書き込みが相次ぐや、ネットでは大きな話題になった。深夜番組で自由奔放な一人旅を続ける「片桐涼子」が、まったく何の演出もなく、真実本当に、テレビで見るままの気楽で気さくな性格なのだと知れ渡り、一気に量子姉さんの好感度が上がった。

 かくして歯車量子は、人気タレント「片桐涼子」になってしまった。

 それからも量子姉さんはふらふらと全国をハンディカム一本で歩き回る傍ら、念願のパスポートを取得して、とうとう海外に飛び出してしまった。海外でも量子姉さんは、言葉が通じないことも厭わずに現地の人と気さくに交わっていた。

「片桐涼子」は、旅番組以外にも、いろんなことをやった。クイズ番組に出たり、CDを出したり、水着の写真集を出したりもした(僕が大学の構内でその写真集を開いていたら、「アイツは巨乳好きのムッツリだ」という噂が流れてしまった)。とにかく無節操に、いろんなことをやっていた。そしてそれが、概ね好意的に受け取られていた。「片桐涼子」は自由な人間だから、という認知をされていた。

 量子姉さんは、人気タレントになってしまっていた。そのことを誰よりも不思議に思っていたのは、僕たち姉弟に違いない。

 そうやって、月日が流れていき―――

 ある日唐突に、量子姉さんが、「結婚するから」という電話をかけてきた。

 相手は四歳年下の、人気俳優だった。

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