第42話 ~2007年~ 16
部屋に戻ると、リビングに因子姉さんがいた。因子姉さんだけだった。因子姉さんはソファに腰かけて、それまでずっと和室で寝ていたエレメントを膝に乗せていた。
リビングの座卓の上に置かれたままの四つのカップを盆に載せて、僕は黙ったまま片づけを始めた。
「………まりあは?」
「帰ったよ」
「そう。………あの子、結局、なんて言ったの?」
「『別れましょう』って」
「…………そう」
「姉さん、ゆにさんはどうしたの?」
「帰った」
「何か、言った?」
「何も言わなかった。けど、ごめんって言われた」
「そう」
「ちょっと」
洗い物を始めようとした僕に向かって、因子姉さんは手招きした。
「こっち来て。お願い」
僕は水道を閉めて、ソファの、因子姉さんの隣に腰を下ろした。
因子姉さんは、そっと、僕と手を繋いだ。
「………私は、まりあが、あんまり混乱して泣くもんだから、『一旦距離を置いたら』って、あの子に言ったの。……そのこと、私を恨む?」
「ぜんぜん」
「私も同じ。あんたがゆにに私のことを話しても、私もあんたを恨んだりは、しないから」
手を繋いでいないほうの因子姉さんの手は、膝の上のエレメントの背中を撫でていた。エレメントは再びまどろもうとしているようだった。
「私たちって、案外、似てるのね」
「かもしれないね。色々似てるかも」
「………失恋って、いつも悲しい。…………私の恋は、いつだって誰にも届かない。…………あんたは、悲しくない?」
「悲しいけど、僕は失恋してないよ。恋をしてないから。恋ができなかったんだから」
「………泣いてもいい? あんたの分も泣きたいの」
「いいよ」
「手を握っててくれる?」
「もちろん」
僕は、因子姉さんの手を握り返した。
それから僕たちは、おなかが減るまで、ずっとそうしていた。
因子姉さんはその間、ずっと泣いていた。
涙も流さず、声も出さずに―――泣いていた。
涙や声では間に合わないほどに、因子姉さんは泣いていた。
僕が感じ取れない悲しみの分も、因子姉さんは泣いてくれると言った。
僕がそれだけ悲しんでいるということが、因子姉さんを通じて、やっとわかった。
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