第33話 ~2007年~ 7
「HIGHER GROUND 2007」の会場は、だだっ広い芝生だった。ステージ側に向かって緩やかに傾斜していて、少なくともアーティストの人が見えないということはなかった(そもそもステージには巨大な画面があったのだけれど)。僕とまりあさんの持つチケットの示す区画は、最後尾ではないにしろ、かなり後ろのほうだった。しかしそれはそれで丁度良かったと思う。一番前の区画では押し合いへし合いの大騒ぎになるらしかったから。
グッズを買ってくると言って、まりあさんがひとり区画を出た。が、すぐに戻ってきた。
「どうしたの?」
「バンプのグッズが欲しかったんだけど。………見て、あの行列」
見た。
確かにすごい長さの行列だった。グッズ売り場はステージの左横の外れた所にあったのだけれど、そこから伸びた行列が、ぐるりと会場の外周を半周して、最後尾の区画の後ろにまで及んでいた。
「諦める」
「いいの? せっかく福岡まで来たのに」
「いいの。せっかく一緒に来たのに、ずっと行列に並ぶなんて、もったいないから」
燦々と陽光が照りつける中で、僕とまりあさんは新聞紙ほどのレジャーシートに並んで座り、同じバスタオルで日陰を作って、日焼け止めを塗りつつ開演を待った。
やがて―――始まった。
オープニングアクトという言葉をどう和訳すればいいのかわからないけれど、おそらくは前座のようなものだろうとは予想していた。
その一番目が、秦基博という人だった。ギター一本で唄っていた。もう五年も前の記憶なので、その人が何を唄っていたのかを、僕は記憶していない。ライブが始まったばかりでそわそわしていたからかもしれない。会場にいた観客の人全員が、芝生の上に座って、その人の歌を聞いていた。ライブというものは誰も彼もが立ち上がって大暴れするものだと量子姉さんから聞かされていた。もしかして座ったままでも聞いていられるのかなと少しだけ思っていた。
それが間違いだったことが、次のアーティストが出たときにわかった。そのときには、会場にいた全員が立ち上がった。僕とまりあさんもそうした。考えてみれば当たり前のことで、秦基博という人の歌は、座って聞きたいような曲だったのだ。だからみんな座っていたのだ。
次に出てきたのはBase Ball Bearというバンドだった。メンバーの中でひとりだけ女性がいたことを記憶している。
歌が始まる。
爆音が響く。
僕は泣いた。音楽における、音量の重要さというものを初めて知った。同じ音楽でも、イヤフォンから聴くのと、野外でも聞こえるようなスピーカー(この場合はアンプと言うらしい)で聞くのとでは、印象がまるで違った。
僕とまりあさんのいた区画からステージは遠かったけれど、アーティストの人たちの背後にある画面には、唄う人が大写しになっていた。気持ち良さそうに唄っていた。あるいは苦しそうに唄っていた。それはどちらもそうなのだろうと思う。あれは情熱を吐き出していたのだと思う。「真夏の条件」という歌が、僕にはとても印象的だった。
休憩を挟んで、次に現れたのが、チャットモンチーという、女性三人組のバンドだった。まりあさんが、「テレビで見るよりもかわいいね」と言っていた。テレビに出る人たちらしい。「シャングリラ」という歌が、とても良かった。好きだった。曲の合間に喋っていたのはベースギターとドラムの女性だった。ボーカルの人は、歌以外はほとんど喋らなかったと思う。そしてそれも当然だろうと思う。その日は暑すぎた。
その次の、ザ・クロマニヨンズという人たちが、僕はとても好きになった。なにやら登場からして不思議だった。そのバンドのボーカルの人が、宇宙人のような喋りで自己紹介をしていた。ボーカルの人は、背が高くて、瞳がぎらぎらしている人だった。
Tシャツとジーンズ姿のボーカルの人は、ひどく痩せていた。そして、激烈な人だった。
曲が始まると、マイクを手にぴょんぴょんとステージを飛び跳ねていた。飛び回っていた。自由自在な人だなと思った。僕にはその人の歌は激しすぎて、ほとんど歌詞を聞き取れなかったのだけれど、それでもその人の歌が、唄いっぷりが、好きだった。
ザ・クロマニヨンズのボーカルの人は演奏中にぴょんぴょんと跳ねたのだけれど、曲が進む度に、その人が穿いているジーンズがずり下がっていった。どうやらパンツを穿いていない。どんどん下がっていくジーンズに、僕はなんだかハラハラさせられた。
結局最後はお尻を丸出しにして退場した後は、休憩を挟んで、ウルフルズというバンド。
なんとなく、有名なバンドではあるのだろうということは僕でも知っていた。いつかどこかで、テレビで聞いたことがあるような気がしていた(それをまりあさんに話すと、「ほんとに?」と疑われてしまった。本当は知っていて当然であるほどに有名であるらしい)。ウルフルズのボーカルの人は、派手な、ぴかぴかしたライダースジャケットのような衣装を身につけていた。
歓声がウルフルズを迎えている中で、ボーカルの人は観客に背を向けて水を飲んだ。すると、会場に笑いが満ちた。
見ると、ウルフルズのボーカルの人の衣装は、お尻の部分がハート型にくり抜かれたデザインだった。お尻の割れ目が見えていた。最近のアーティストはお尻を出すのが流行りなのだろうかと思った。
ウルフルズの曲は、聞いたことがある曲もあった。それはつまり、世間的には超有名な曲なのだろう。僕には知らないことが多すぎた。こんなにいい曲を知らなかったのは、人生を損していた。そのとき僕はやっぱり泣いていた。
日も落ちかけて、最も蒸し暑くなったころに、ウルフルズの最後を締めくくったのが、「ガッツだぜ!」だった。僕は、この曲を嫌いな日本人など、この世には存在しないだろうと思った。
夕暮れに登場したのが、レミオロメンだった。
彼らの一曲目のことだった。
その出だしが流れたとき、会場が、おおっ、というどよめきに包まれた。
「なになに? どうしたの?」
ぼくがまりあさんに尋ねると、まりあさんは、説明するのももどかしそうに、しかし説明したくてたまらないといった興奮した様子で、早口で僕に言った。
「だって、……一曲目から『粉雪』だよっ?」
「こなゆき? 有名なの?」
「……もうっ、いいから聞いててっ!」
そう言われたので、黙って聞いた。
壮絶かつ鮮烈な曲だった。これを唄うのにどれだけのパワーが必要なのだろうかと僕は思った。これが一曲目ということがどよめきを呼んだのにも納得した。レミオロメンのボーカルの人は、この曲を何度も唄っていたら、いつの日かサビの部分で力尽きてしまうのではないのだろうか。
それまで会場の観客は、曲のリズムに合わせて腕を振ったりしていたが、レミオロメンの曲は、じっと立ち尽くすようにして聞いているのが多く見られた。
そして………「HIGHER GROUND 2007」、その日の最後の出演者。
BUMP OF CHICKEN。
僕は、そのバンドの歌うんぬんよりも、彼らを待ち望んでいた観客の歓声と熱気のほうに圧倒された。完全に日も落ちて、今までずっと陽光に嬲られて体力を削られてきたにもかかわらず、観客は拳を上げて彼らを迎えた。
熱狂の渦巻。情熱の奔流。
会場全体が、バンプの音楽によって、ひとつの生き物のようになったのではないかと錯覚した。皆が同じ空気を吸い、同じ音を聞き、拳を突き上げていた。
これが音楽の力。人間を「合わせてひとつ」の生き物にしてしまうのが音楽の力だった。たった今この瞬間にバンプのボーカルの人が、「今の恋人と結婚をしなさい」と言えば、みんなそうしてしまうのではないかと思われた。僕は、バンプの曲を聞きながら、ずっと泣いていた。まりあさんも泣いていた。泣いている人はほかにもいた。
野外ライブの最後を締めくくったバンドの演奏は、あっという間に終わった。
振り返るに僕の中では、再現性のない「今、ここ」の音楽の感動というものは、何物にも替えられないのではないかという結論に達した。わざわざ遠出して、チケットを買わなくとも、同じ楽曲をもっと安く聴くことは容易にできる。だけどライブ演奏の「今、ここ」は、確かに「あのとき、あの場所」でしか味わえないものだ。
いつだって―――「今、ここ」しかないのかもしれない。
そのときの自分の情動を喚起させ、歓喜させるのは、いつだって、「今、ここ」しかないのだろう。そのときの自分の感動を知るには、そこしかないのだろう。
今まで感じたこともない幸福感と共に、僕はそのとき涙を流していた。
もちろん汗のせいもあるが、僕は喉が渇いていた。だけど心は十分に潤された気分だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます