第32話 ~2007年~ 6

 それから二ヶ月が経った、七月二十八日の土曜日。

 僕とまりあさんは、野外ライブを観るために、福岡県の海の中道海浜公園を訪れた。前日の真夜中に出発する夜行バスに乗って博多に着いて、JRを乗り継いで、会場までやってきた。

「あっついねー」

 会場へと続く順路を歩くまりあさんが、嬉しそうに暑いと言った。そのときまりあさんは、Tシャツにショートパンツを穿き、肩には日除けの黒いバスタオルがかけられていた。

 2007年のその日は暑かった。雲ひとつない好天だった。一般的に「夏フェス」と呼ばれるライブが、台風で延期や中止を余儀なくされることはあるらしいけれど、そんな可能性はまったく考えなくともよかった。

 吸い込まれそうなほどに空が青く、体が溶けそうなほどに暑かった。僕は、キャップの下から空を仰いで、いっそ心地良い夏の暑さを一身に感じていた。

「ちょっ! 格子くんっ?」

 慌てたようなまりあさんの声に、僕は、ああ、またか、と思った。

 汗と一緒に、涙を流していた。

「………これは、僕も予想外だった」

「なになに? どうしたの? 今度はどこで感動したの?」

 そう言ってまりあさんは、はい、と肩にかけていたバスタオルの端を、僕に伸ばしてきた。もしかするとまりあさんが準備したそのタオルは、僕の涙を拭うためだったかもしれない。

 僕はごしごしと目元を拭った。柔軟剤とまりあさんの匂いがした。

「いや、………今日は、ものすごく、夏らしい夏だなって思って」

「夏らしい夏? ………それって、泣いちゃうくらいのもの?」

「どれだけ暑くても、清々しくて、気持ちよくて。………こんな夏は、初めてだ」

 まりあさんと一緒にいると、感動で泣いてしまうことが頻繁にあったため、僕は涙を止めることに慣れていた。このときも、一回拭っただけで涙は収まった。

 歩きながら、僕は笑ったと思う。「ごめんね。もう泣いちゃった」

 まりあさんは苦笑していた。

「今日は、たぶん、もっともっと泣くよ、格子くんは」

「そうだと嬉しいな。………ところで、そのバスタオル、流行ってるの?」

 まりあさんが肩にかけていた黒いバスタオルは、まったく同じ物を順路内の女性が、同じように日除けに肩にかけていた。

 タオルの表面には「RUN RABBIT RUN」と書かれていた。

「違うよ。これは、ちょっと前の、バンプの全国ツアーのときの売り物。買ったの」

「ああ、因子姉さんたちと行ってたね」

「それそれ。………そういえば、因子はいつ帰ってくるの?」

「来月の頭って言ってたから、もうすぐだと思うけど」

「久しぶりに因子とも会いたいなあ。女子高ってどんな感じか聞きたい」

 僕とまりあさんはそんなことを話しながら、会場に向かった。

 実際、この日から二週間ほど経った日に、まりあさんは僕と一緒に因子姉さんと会うことになる。

 ただそこには、かつて手紙で見つけた「uni」という人物も同席する。

 そしてその日、僕は、まりあさんから、別れを切り出される。

 ―――まあ、

 何はともあれ、それはまだ、これから先の話。

 僕とまりあさんの、恋人同士としての最後の小旅行について、まだ話すべきことがある。

 そちらを先に―――

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