第29話 ~2007年~ 3
五月の連休の最終日。その昼間。
その日は姉弟全員がマンションに集まっていた。僕は自分の部屋で翌日の予習をしていて、リビングからは四人の姉さんたちがスマブラに興じる騒がしい声が聞こえていた(ちなみに、姉さんたちはそれぞれお気に入りのキャラクターしか操作しない。光子姉さんはネス、陽子姉さんはサムス、量子姉さんはリンク、因子姉さんはドンキーコングだ)。五人全員が揃う機会は滅多にないことで、その度に姉さんたちはスマブラで親睦を深めていた。
「この、クソニートめええええ」と、リビングから因子姉さんの呻き声。
「おーほほほ。私に挑むなんて十年早くてよ」と、量子姉さんの高笑い。
「もーいやー!」
深めているのが禍根や怨恨ではなくて親睦であると信じたい。
―――と、リビングで、ゲームに興じるではない姉さんたちの会話が聞こえた。時間が来たのだろう。そろそろ因子姉さんは、女子高の寮に戻らないといけない。
僕は自室を出た。廊下の先の玄関に、姉さんたちは集まっていた。大げさなスーツケースを傍らに、因子姉さんが靴を穿いていた。
「まだ寒いから、風邪には注意しなさいね」
「はいはいわかってますよ」
「よりちゃん、授業でわからないところがあったらいつでもメールして」
「んー」
「スマブラでわからないところがあったら私に訊きな」
「………今も
ドアノブに手をかけた因子姉さんが僕を見た。
「格子、私の部屋に雑誌あるでしょ? ちょっと頼みごと」
「雑誌って、『ナイフマガジン』のこと?」
「そうそう」
因子姉さんは、とてもどうでもよさそうに言った。
「あれ、まとめてあるから、欲しいならあげるけど、要らないなら捨てといてくれる?」
―――正直、僕は、因子姉さんが冗談を言っていると思った。
「………ファクたん、本気かい?」
僕の代わりに、先ほどまでふざけていた量子姉さんが、不似合いなまじめくさった顔で因子姉さんに言った。
「いいの。私にはもう、必要ないから」因子姉さんはあっけらかんとした様子だった。「それじゃ、行ってきます」
因子姉さんは玄関の扉を開け、手を振ってマンションの部屋を出た。僕と姉さんたちはそれぞれに靴のかかとを潰して玄関の外に出た。因子姉さんは振り返りもせずにスーツケースを転がして歩いていた。
「……どういう心境の変化かしら」と、光子姉さん。
「バックナンバーまで取り寄せてたのにねえ」と、陽子姉さん。
「………」量子姉さんは、黙ったまま意味ありげな視線を僕に向ける。
まさか、と僕は思った。
しかし因子姉さんを見送ってから部屋を覗くと、因子姉さんが何年もかけて購読していた「ナイフマガジン」が、部屋の隅でビニル紐によってまとめられていた。一冊も本棚に残さず縛り上げられていた。部屋の隅に積まれていた雑誌は、ただの過去の堆積物のようだった。
それを見て、僕は確信した。
因子姉さんは恋をしている。
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