第18話 ~2002年から、2003年~ 6

 その日から、ぱったり因子姉さんの質問はなくなった。因子姉さんに言われたとおりに(というより、それ以外に日々の生き方を知らないので)、僕は普通に暮らしていた。

 しかし数日後、十二月を目前にしたころに、唐突にその出来事が訪れた。

 朝、僕の机の中に、一通の手紙が入っていた。宛名は僕に、差出人の名前はなかった。横長の封筒の中の便箋には、どうやら女の子であるらしい文字で、文章が綴られていた。

 大事な話があるから、午後五時に、図書室に来てください。

 ―――この手紙の差出人が、僕に恋をしている人のものなのか。

 前置きというか、事前了解というか、予想というか、数日前の量子姉さんによるそういったものが僕の中になければ、大事な話とはなんだろうと、僕は本気で考えるに違いなかった。鈍感というよりも(僕は鈍感なのだろうか。今でもわからない)、思考の構造が僕は他人と違うらしい。そのときも、放課後の呼び出しは夕食の買い物に遅れなければいいな、と考えていた。

 放課後になって、僕は言われたとおりの時刻に図書室に赴いた。

 因子姉さんが図書室の入り口のそばの椅子に座っていた。

「格子、こっちよ」

 因子姉さんは椅子から立ち上がり、首の動きで僕を促した。

 僕は因子姉さんの背中に、静かに問いかけた。

「………やっぱり、量子姉さんの言うとおり?」

「そうよ。今から、その子に引き合わせるから。でも、クラスメートよ。安心して」

 別にクラスメートでも外国人でも宇宙人でも不安ではなかったが、特に何も言わずに因子姉さんの背中についていった。

 図書室の一番隅の、壁に近い本棚の近くで、僕は一旦待たされた。因子姉さんだけがその本棚の裏側に回った。

 本棚の向こうから、小さな話し声が聞こえた。

「………連れてきたよ。………いい? 格子ってバカだから、ちゃんと言わないと伝わらないからね?」

「………うん。ありがとう」

 因子姉さんの、僕にはよくわからない励ましに応える女の子の声は、図書室の中だからというよりも、緊張で小さかった。

 因子姉さんが戻ってくると、僕の目を真剣な表情で見つめた。

「いい? あの子がちゃんと言いたいことを伝え終わるまで、絶対に聞いてあげるのよ? 話の途中で帰ったりしたら張り倒すからね」

 恐らく冗談ではないだろう声音に、僕は、わかった、と答えた。

「じゃあ、行って」そう言って、因子姉さんはその場から立ち去っていった。

 その背中が消えるのを見送ってから、僕は、誰かが待っているだろう本棚の裏側に回った。

 本棚と、ブラインドの下りた窓に挟まれた図書室の暗い通路に、その女の子は立っていた。

 その女の子は確かに、クラスメートだった。

 名前は、鈴山―――

「―――まりあさん」

 近づいて、僕が名前を呼ぶと、まりあさんは体をこわばらせた。眼鏡の奥の目はきょろきょろと、辺りをさまよっていた。まりあさんは緊張していたようだった。図書室の静かな空気がそうさせたのか、彼女の緊張が感染うつったのか、僕も少しだけ緊張した。

 しばらく待ったが、まりあさんが何も言いそうになかったので、僕から切り出すことにした。

「まりあさん、僕は、大事な話を、聞きに来たよ」

 僕がそう言うと、まりあさんの視線が、僕の目に定まった。

 何度かの深呼吸を置いて、まりあさんは意を決したように、僕の目を見た。

 小柄な女の子。栗色が強い長い髪。女の子にしては少数派で、眼鏡をかけている。僕から話しかけたことは何度もあるが、長い会話になったことはほとんどない。

「格子くん、わたし……」

 その、鈴山まりあさんが、言った。

「私、格子くんのことが、好きです」

 ―――一世一代の勝負―――

 今から十年ほど前のまりあさんの様子は、そんな感じだった。

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