第11話 ~1995年、あるいは2009年~ 6

 それから、光子姉さんがおじいちゃんに電話で連絡すると、おじいちゃんも僕たちの住んでいたアパートに駆けつけた。光子姉さんはおじいちゃんから、今の時代、迂闊に他人に話すと泥棒に入られるかもしれないとの忠告を聞いて、一番信頼の置ける女性の民生委員の人にだけ内密に伝え、相談することになった。

 次の日家に来た民生委員の人と、おじいちゃんと、光子姉さんと陽子姉さんで、宝くじの当選金の使い道について話し合った。何はともあれ、大前提として貯蓄。そしてそれだけのお金を貯蓄するとなると、生活保護は打ち切られるだろうと民生委員の人は話した。それに関しては上のふたりの姉さんは納得していた。

 おじいちゃんが、いずれこのアパートは五人で住むには狭くなると(その当時ですら十分手狭だったが)提案したことから、新しく住居を購入して引っ越すことが決まった。その話を量子姉さんから聞いた因子姉さんは、僕の手を取って狭いアパートの中を踊りまわった。

 やはり一軒家がいいか、というおじいちゃんの意見に、すぐに引っ越せるほうがいいということと、いずれ姉弟全員が結婚したり遠くへ働きに出るようになったら売りやすいようにという民生委員の人の意見から、マンションを購入することになった。

 当選金も受け取った一ヵ月後の九月の土曜日。僕たち姉弟とおじいちゃんは、現在の、当時新築だった4LDKのマンションの一室に引っ越すことになった。

「すごいすごい! ひろいひろい!」と、因子姉さんは部屋の中を走り回った。

 トイレを覗き込んだ量子姉さんは「水洗だ」と、ぽつりと言ってから、しみじみと洋式の便座に座った。「……楽ね」

「みてみて! おふろひろい! みんなでいっしょにはいれるよ!」

 バスルームの扉を開けた因子姉さんが嬉しそうに叫んだ。さすがに当時でも五人一緒に入るには(一度だけやってみたが)狭かった。

「……おれは、まだ解約していないからな」

 一緒に暮らそうという申し出を引越し当日まで拒んでいたおじいちゃんは、八畳のリビングの真ん中で仁王立ちしていた。

「だからもったいないって、おじいちゃん」と、光子姉さん。

「そうよ。いずれ私たちは出て行くんだから、おじいちゃんも住んでよ」と、陽子姉さん。

「……お前たちの金だ」

 おじいちゃんがこだわっていたのはそこだった。

 すると、しかし、光子姉さんは笑って答えたのだった。

「そうよ。おじいちゃんも含めて、私たちのお金なの」

 光子姉さんの言葉に、おじいちゃんは肩を落としてため息をつくと、日当たりのいい大きな窓に近づいて外を眺めた。

 僕はそのとき、五倍くらいに広くなった台所を見ていた。そして、そこで料理をする光子姉さんと陽子姉さんを思い浮かべていた。実際には、小学校に上がってしばらくすると、料理もほとんど僕の役目になるのだが。

 その日の夜、六人で外食したあと、おじいちゃんはまだ住んでいた自分のアパートに戻った。そしてマンションに戻ると、四つある部屋をどのように振り分けるかを、僕たちはリビングで相談した。そのときにはすでに、前の狭いアパートに収まっていた、ささやかな家財道具はすべて設置されていた。

 ただひとつの和室をおじいちゃんの個室にするのは当然として、残り三つ。それぞれにロフトが付いているため、二段ベッドは購入しなくともよかった。

「わたし、じぶんのへやがほしい!」最初に手を挙げたのは因子姉さんだった。

「因子はまだ小さいからダメ」即座に光子姉さんが却下した。

「私はロフトでいいや。フォト姉ぇが下を使う?」量子姉さんは興味がなさそうだった。

「じゃあ、よりちゃんは私と一緒の部屋ね」陽子姉さんがにこにこと笑って言った。

「……ぼくは?」

 四人の姉さんたちに向けて、僕は尋ねた。答えたのは光子姉さんだった。

「格子は、ひとりで部屋を使っていいわ」

「ずるい!」因子姉さんは僕よりも早く反応した。「どうしてこーしだけ?」

 なんでなんでと駄々を捏ねる因子姉さんを、陽子姉さんが抱き寄せて頭を撫でた。

「大丈夫よ。よりちゃんも、もうしばらくしたらひとりで部屋を使えるようになるから」

 そう言い聞かされても、因子姉さんはむくれていた。すると、量子姉さんがにやにやと笑いながら言った。

「男の子だからね。ひとりがいいんだよ」

「どーして? どーしておとこのこはひとりがいいの?」

 因子姉さんの質問に、上の三人の姉さんは顔を見合わせただけで、答えなかった。

 その当時の僕には、「ひとりがいい」の意味がわかっていなかった。いや、実のところ今も、よくわかっていない。他人ならともかく家族なのだからどうでもいいではないかと思う。

 部屋割りが決まったところでリビングの電気を消し、僕たちはそれぞれの部屋に入り、眠ることになった。

 新しい布団だからか、暗い部屋でひとりきりだからか、僕はその夜、寝付けずにいた。「まだ一緒に寝てもいいよ」と陽子姉さんに言われてもいたが、「せっかくみんな部屋があるんだから」という量子姉さんの言い分も、幼心にもっともだと感じていたので、僕はひとりで眠ろうと努力した。

 しかし眠れなかった。そのうち僕は、焦燥感とも寂寥感とも言い表せない感情に襲われて、結局枕だけを抱えて、光子姉さんの部屋に向かった。陽子姉さんの布団には、きっと因子姉さんが入っているだろうと予想してのことだった。

 六歳の僕にとっては大きな暗い廊下を歩いて、光子姉さんがいるはずの部屋の扉を開けた。

 すると「格子、いらっしゃい」という、光子姉さんの声が暗い部屋の中から聞こえた。

 どうして僕だとわかったのだろう、と考えていると、「ほら、やっぱり来た」という量子姉さんの声も聞こえた。それはロフトの上からではなかった。

 声はまだあった。「こうくん、電気つけるから、ちょっと待って」それは陽子姉さんだった。

 数秒後に部屋の中に眩しい光が満ちて、僕はそれを見た。

 その部屋の床には、アパートに住んでいたときと同じように、三枚の布団が敷かれていた。

 右の布団の上で肌着姿の量子姉さんが胡坐をかいていた。

 真ん中では、掛け布団をひざに上半身を起こす光子姉さんがいた。

 そして左の布団の中では、因子姉さんが寝相悪く眠っていた。

 扉付近の照明のスイッチのそばにいた陽子姉さんが、にっこりと笑っていた。

「やっぱり今日は、一緒にね」

「おいで、格子」光子姉さんが掛け布団を捲って、僕を手招きした。

 その夜はこうして、五人一緒に眠った。

 途方もなく広いマンションの一室で、狭いアパートに住んでいたときのように、僕たちはひとつの部屋で身を寄せ合った。

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