第7話 ~1995年、あるいは2009年~ 2

 ぐすんぐすんと嗚咽を漏らす陽子姉さんを、僕と因子姉さんでその手を引っ張って、どうにかアパートに帰ってきた。部屋の中には、中学校から帰ってきていた制服姿の量子姉さんがテレビを見ていた。

 ふたりの六歳児に手を引かれて家に帰ってきた、泣き腫らした目の大学生を見て、量子姉さんはげらげらと笑った。そのときはまだ何色にも染められていなかった長い髪を振り乱すほどに大笑いしていた。

「なによお! そんなに笑わないでよお!」陽子姉さんがまたしても泣きそうな目で、珍しく声を荒げた。

「だって、プロぇ、そりゃあないって。あーおかしい。…………なーんで今日に限ってご機嫌だったかと思えば、そういうことね。はいはい、やっとわかった」

 量子姉さんはまた、ひひひ、と腹を抱えていた。僕と因子姉さんには、陽子姉さんが泣く理由も、量子姉さんが笑う理由もわからなかった。

 陽子姉さんは、ぷんぷんと湯気が見えそうなほどに頬を膨らませて台所に向かった。すると、その背中を見ながら量子姉さんがにやにやと笑った。

「髪を切った理由もこれで納得。………プロ姉ぇ、わかりやすすぎ」

「………もう、どうでもいいでしょ!」

 陽子姉さんは乱暴に野菜を切り刻んでいた。いつもは優しい陽子姉さんの感情の変化に、僕の理解はついていけなかった。

「よくないって」

 笑いが収まった量子姉さんは、少しだけ悲しそうな目で陽子姉さんの背中を見つめていた。

「だから言ったじゃん。あんな男やめとけって」

 量子姉さんの言葉に、陽子姉さんは応えなかった。ただ、まな板を叩く包丁の音が小さく弱くなっていった。

「ねえねえ、りょうこおねえちゃん。ようこおねえちゃんは、どうしてないてるの?」

 因子姉さんが、柱に凭れかかっている量子姉さんに尋ねた。量子姉さんは、苦笑いを口元に浮かべた。

「あのね、陽子お姉ちゃんはね、ろくでなしのすけこましに引っかかっちゃったのよ」

 その言葉に、包丁を持ったまま、鬼のような面相で陽子姉さんが振り返った。

「量子ちゃん! こうくんとよりちゃんに変なこと教えないで!」

「はいはい」と、量子姉さんは肩をすくめた。「……まあ、折れ込まされなかっただけマシか」

「量子ちゃん怒るよ! あと、どこでそんな言葉覚えてきたの!」

「はいはい、ごめんって」

 そう言って、量子姉さんは居間に引っ込んで制服を脱ぎはじめた。僕と因子姉さんも、幼稚園の制服を脱いで普段着に着替えた。着替えながら、「ろくでなし」と「すけこまし」って何だろうと考えていた。陽子姉さんは「変なこと」と言って怒っていたから、あとでこっそり量子姉さんに訊いてみようと決めた。

 このときからずっと未来さきの話であるが、僕が成人した2009年に、1995年のことについて陽子姉さんに訊いてみた。当時の陽子姉さんに降りかかった不幸は次に説明するとおりである。その話を聞いたとき、世間の一般的な感覚からかけ離れている僕でも、陽子姉さんが当時付き合っていた恋人は「ろくでなし」の「すけこまし」だったことがわかった。

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