第6話 ~1995年、あるいは2009年~ 1
1995年、あるいは2009年
記憶に残る一番古い記憶を探ろうとしても、これと言える決定的なものが僕にはなかった。ただ、五歳であると自覚していた記憶はあっても、四歳のそれの記憶はなかったので、恐らくこの前年辺りに物心がついたのではなかろうかと思う。
1995年は、まあまあうちの家庭は慌しかった。
朝の準備が特に忙しく(重度の遅刻癖のあった量子姉さんはのんびりとしたものだったが)、朝食を準備して化粧をして僕と因子姉さんを着替えさせて、僕と因子姉さんに弁当が必要な日はそれを作って―――と、ばたばたと光子姉さんと陽子姉さんは動いていた。
特に、背中の中ほどまである長髪の陽子姉さんは、寝癖を直してまとめるのに時間がかかっていた。
大学へ向かう電車の時間のせいもある。通学バスのない幼稚園に通わせるのは、まだ運転免許を持っていなかったどの姉さんたちにも不可能だった。だから、毎朝幼稚園に僕と因子姉さんを送り届けるのは、当時別のアパートで暮らしていたおじいちゃんの役割だった。
「今日は私が幼稚園にお迎えに行くからね。おじいちゃんが来るまでに朝ご飯食べるのよ?」
七月のある日、陽子姉さんはそう言って、光子姉さんと一緒にアパートを出た。
自分で言うのもなんだけれど、僕はそのころからしっかりしていたと思う。おじいちゃんが迎えに来るまでに、踏み台に乗って洗い物を済ませたり、布団を畳んだり(同時並行的に遅刻する気満々で二度寝をしている量子姉さんを起こしたり)していた。因子姉さんはそのときは大体テレビを見ていた。
あとになって知ったことだが、そのときうちの家庭は、生活保護に助けられていた。民生委員と呼ばれる役割の人が何度もうちを訪れていたのも覚えていた。親がいないのだからそれも当然で、光子姉さんの話によれば、とにもかくにも親がいなくなってから、民生委員の人の手も借りて肉親を探したところ、片桐利政という母方の祖父をひとりだけ捜し当てられた、とのことだった。
おじいちゃんは、そのずいぶん前から、ひとりで暮らしていた。おじいちゃんの奥さん(つまり、僕のおばあちゃんに当たる人。未だに実感の湧かない言葉だ)は早くに亡くなったらしく、僕のお母さん以外に子供はおらず、ひとり年金で生活していた。
おじいちゃんはそれまで、孫の存在はおろか、お母さんが結婚をしていた事実すら知らなかったという。ある日いきなり、五人の孫がいると聞かされたおじいちゃんは面食らってしまい、新手の詐欺ではないかと警戒したらしい。役場の人によって戸籍上のつながりが証明されてようやく、おじいちゃんは、自分には孫がいるのだと知った。
とはいえ、年金で暮らすおじいちゃんひとりに五人の孫を養えるはずもなく、僕たちは公共福祉の力に助けられて生き延びていた。光子姉さんと陽子姉さんは奨学金を受け、授業がない時間はほとんどアルバイトに使った。アルバイトの休憩時間や移動などにかかる隙間の時間を丁寧に勉強で埋めていた。
自分が当時の姉さんたちの年齢を追い越して考えてみるに、光子姉さんと陽子姉さんにおいては、大変な苦労だったと思う。しかし当時の狭いアパートでの生活は、さほど殺伐としてはいなかった。むしろふたりの姉さんは熱意に燃えていた。親がいないことから、代わりに生まれた使命感を燃料に、それぞれの命を赤く鮮烈に燃やしていた。
そのおかげで、当時の僕と因子姉さんは至って平和に六歳児を、量子姉さんはのんびりと中学一年生をしていた。
おじいちゃんに車で幼稚園に送ってもらってからは、おじいちゃんが昼過ぎに迎えに来るまで、当然だが僕と因子姉さんは園内で遊んでいた。因子姉さんはそのころから何かと怒りっぽく、男の子たちと喧嘩をしては相手を泣かせていた。僕に関して言えば、そのころから植物的な無害さを発揮していたため、友達は多かった。男の子からは鬼ごっこをしようかくれんぼをしよう、女の子からはままごとをしようと誘われていた。
僕は植物らしく、風の向くままに流されていたが、ままごとだけは苦手だった。
苦手というのは、理解できなかったからだ。
僕はかなり多くの割合で、「お父さん役」を任された。しかし―――僕には父親の役割がわからなかった。
「ダーリン、いってらっしゃい」と、母親役の女の子が僕に言った。「ダーリン」というのが外国ではかなり一般的な男の名前であると、僕は長く勘違いしていた。そのせいで、中学校の英語の授業で「スタンド・バイ・ミー」の歌詞の日本語訳をするときに、クラスメート全員と先生に大笑いされた経験がある。
「ぼくはどこにいくの?」ダーリンという名前の父親役の僕は、その女の子に尋ねた。僕はどこかに行かなければならないらしいが、どこに行けばいいのかわからなかった。
「どこって、おとうさんは、おしごとにいくんでしょ?」
「しごとにいくのは、おねえちゃんだよ?」
僕はその当時、大学に通うふたりの姉は働きに出ているものと思っていた。事実ふたりはアルバイトもしていたのだから、あながち間違いでもなかったが。
姉妹役のふたりの女の子の、姉のほうが首を振った。
「ちがうよお。おねえちゃんは、おしごとはしないよ」
「『おかあさん』は、なにをするの?」
「いえで、おりょうりをするのよ」
「『おかあさん』は、おしごとをしないの?」
「……おしごとをするおかあさんもいるよ。でも、おとうさんもするんだよ」
「じゃあ、どうしておとうさんはいるの?」
僕の質問に、女の子たちは顔を見合わせて、困っていた。
「だって、こうしくんのおうちにも、おとうさんとおかあさんが、いるでしょ?」
「いないよ?」
僕は、自分の答えが不思議なものであるとは、当時まったく考えていなかった。
「おじいちゃんとおねえちゃんはいるよ。でも、『おとうさん』と『おかあさん』っていうひとは、いないよ」
結局その日も、ままごとで遊ぶことはできなかった。幼児は始まりも終わりもなく遊びをするが、僕を交えて始まったままごとは、大抵が僕の質問攻めで終わった。
いまいち釈然としない気持ちを抱えた六歳の僕は、幼稚園の保育士の先生(当時はまだ保母・保父と呼ばれていた)に、ある質問をぶつけてみた。
「せんせい、どうしてぼくには、『おとうさん』と『おかあさん』がいないの?」
膝を畳んで僕の質問を聞いた女の先生は、笑顔のまま表情を固めてしまった。家庭の事情に深く関わるウルトラヘヴィな六歳児の質問に、他人である先生が、あらゆる意味で明確に答えられるはずもなかった。
「……あのね、格子くん」
保育士の先生は、ゆっくりと笑顔のままで答えた。
「お友達の中にはね、おじいちゃんとおばあちゃんがおうちにいない子もいるわ。お兄ちゃんやお姉ちゃんがいない子もいるし、弟や妹がいない子もいるわ。……それに、格子くんと同じように、お父さんやお母さんがいない子も、いるわ」
本当に「そんな子」がいたかどうかはわからない。しかし両親のうちどちらか一方しかいない家庭もあっただろう。まだその当時には個人情報がどうのという面倒な制約はほとんどなかっただろうが、そのとき先生は、例え話のつもりで語ったに違いない。
そのときの僕は、自分と同じような境遇の友達がいるんだと思った。
「だからね、格子くんのおうちに、お父さんとお母さんがいなくても、ぜんぜん変じゃないの。格子くんは、みんなとおんなじで、とってもいい子よ」
いつの間にか質問と回答がすり替わっていたが、当時の僕は気付かなかった。しかし、僕は変なのかもしれない、という不安があったのも事実だった。
「ほんと?」
僕が尋ねると、先生は笑顔で頷いた。その回答内容の是非はともかく、当時の幼稚園の先生の心労を思うや、答えてくれただけで感謝したいくらいだ。
昼過ぎになっておじいちゃんが幼稚園に迎えに来ると、僕と因子姉さんは夕方までおじいちゃんの住むアパートで過ごした。
因子姉さんは、どのテレビ局でも退屈な番組が続くと、飽きた飽きたと駄々を捏ねていた。そんなときは僕とおじいちゃんがトランプの相手をした。
しかしそうすると、別の面倒なことが頻繁に起こった。
「………」ちょこんと正座をする因子姉さんは、唇を引き結び、目を赤くしていた。
「ほら、よっちゃん。これとこれは同じ札だよ、めくってごらん」
その日は神経衰弱で遊んでいた。ただ、そのときあまりにも因子姉さんの絵合わせがうまくいかず、今にも泣き出しそうで、まったく喋らなくなっていた。それが可哀想になったおじいちゃんが、自分の記憶を頼りに二枚のカードを指で示していた。
因子姉さんは負けそうになると泣いてしまう癖があった。どんな勝負でも一番を譲れない性分の女の子だった。対戦相手に塩を送られるのもプライドが許さなかっただろうが、結局、因子姉さんは言われたとおりに伏せられたカードを捲った。
「………」
一瞬、三人とも沈黙した。
二枚のカードは、絵が合わなかった。おじいちゃんの記憶違いだった。
「……もーいやー!」
うわあああ、と因子姉さんがとうとう泣き出してしまった。僕は、あーあ、と思った。おじいちゃんは、ごめんな、と何故か謝りながら、うおー、と咽び泣く因子姉さんの丸まった背中を撫でていた。
そのとき、アパートの玄関の扉が開く音がした。「おじいちゃーん。迎えに来ましたー」という陽子姉さんの声も聞こえた。
「そら、よっちゃん。お姉ちゃんが迎えに来たぞ」
おじいちゃんがほっとしたような顔でそう言っても、因子姉さんは「いやー」と言ってじたばたしていた。もはや僕には因子姉さんは何が嫌なのかわからなかった。しかしこうなると手がつけられないのを、似たような状況で因子姉さんに八つ当たりで叩かれた経験から僕はわかっていたので、トランプを片付けるだけで何もしなかった。
困った、という表情を浮かべたまま、おじいちゃんは玄関に向かった。すると、Tシャツにジーンズという飾り気のない格好の光子姉さんが―――
僕はこのとき、玄関から現れたのが光子姉さんだと勘違いした。常に逼迫していた歯車家の財政上、光子姉さんと陽子姉さんは下着以外の服を共用して着回していた。そういう意味では双子である姉さんたちを見分けるのは難しいかもしれないが、それでも普通なら、僕は絶対に光子姉さんと陽子姉さんを見間違うことはなかった。わかりやすい違いがあるのだから。
「よりちゃん、帰ろ。すぐにご飯よ」
因子姉さんの顔を覗き込もうとしながら語りかけるその声は、やはり陽子姉さんのものだった。因子姉さんがぐずぐずと鼻を鳴らしながら顔を上げると、「あれ? みつこおねえちゃん?」と言った。因子姉さんも勘違いしたようだった。
陽子姉さんは、ふるふると首を振った。
「ちがうよ。陽子お姉ちゃんだよ。お迎えに来るって言ったでしょ?」
「だって、かみのけ、みじかいよ?」
因子姉さんの言うとおり、陽子姉さんは、今朝までは背中の中ほどまであった髪の毛を、ばっさりと首の後ろの短さに切り落としていた。その姿は、ロングヘアが髪型の選択肢にない光子姉さんにそっくりだった。
「さっき切ってきたの。夏だからね。どう? 似合う?」
そう言って陽子姉さんは、僕と因子姉さんに向かって、短くなった髪の毛を撫でていた。
「うん、にあう。かっこいい」と、因子姉さんは言った。
「ながいほうがよかった」と、僕は正直に言った。長いほうが見分けがつきやすかったからだ。
そっかー、と光子姉さんは苦笑いをすると、
「早く帰ろう。今日はね、ケーキも買ってあるんだよ? 晩ご飯のあとに食べよ」
「やった!」因子姉さんが顔を輝かせて立ち上がった。「ねえねえ、チョコあじはある?」と、陽子姉さんの脚に抱きついた。
ケーキに関しては特に何とも思ってはいなかったが、今日は誰かの誕生日だっけ、と僕は考えていた。僕と因子姉さんの誕生日は二ヶ月前に終わっていた。
陽子姉さんは僕と因子姉さんと手を繋いで、おじいちゃんにお礼を言ってから、アパートを出た。夏も半ばを迎える夕刻の熱が、じりじりと三人を包んでいた。
僕は幼稚園の制服の一部である帽子の下から、手を繋いで歩く陽子姉さんの横顔を見ていた。何か楽しいことでもあったのか、陽子姉さんは笑顔だった。それこそ、ケーキケーキとスキップをしている因子姉さんと同じくらいの笑みだった。
その笑顔の理由がわからなかったから、僕は質問したのだった。
「おねえちゃん、きょうは、なんのひなの?」
「ん? どうして?」陽子姉さんは笑顔のまま僕を見下ろした。
「だって、おねえちゃん、すごくたのしそう。ケーキがあるって、おいわいなの?」
すると、陽子姉さんは笑顔のまま首を傾げた。
「……さあ、どうかしらね?」
「おねえちゃん、ようこおねえちゃん」
僕とは反対側にいた因子姉さんが尋ねた。
「どうして、かみのけを、きったの?」
その問いに、
「……もう、いやあ」
陽子姉さんの笑顔が、痙攣しながら歪んでいった。
その途端に、うわあああ、と、陽子姉さんは歩道の真ん中で泣き崩れてしまった。驚いた僕と因子姉さんは、うおー、と咽び泣く陽子姉さんの丸まった背中を揃って見つめていた。
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