第2話 ~2000年~ 1

 2000年


 有名な予言者がいた。恐らく1999年までに物心の付いた人なら誰でもその名前を知っていると思う。

 ノストラダムス。

 彼の本名がミシェル・ド・ノートルダムであったり、1999年以降に関する予言を残していたり、ということを知っている人がどれだけいるかはわからないが、彼の残した「1999年7の月、恐怖の大王が」うんたらかんたら、という予言は、当時なら誰でも知っていた。そのときからテレビにも本にも興味がなかった僕すらも知っていた。

 その予言の解釈によっては、1999年に人類が滅亡するということだった。

 しかし………恐怖の大王が何だったかはともかく、人類は滅亡せずに済んだ。

「私はねえ、めちゃくちゃ信じてた。私はきっと二十三歳になるかならないかのころに死んじゃうんだって。だから早く恋をして、結婚して、子供を作らなきゃって思ってたの」

 陽子姉さんがそう語ったのは、めでたく三十路を迎えた2006年の七月四日の誕生日のときだった。人類が滅亡するというのに恋をして結婚して子供を作って、ということに意味があるのかどうかはさておき、幼いころの決意が仇となって、陽子姉さんはダメな男に引っかかり続けてしまう(これは因子よりこ姉さんの言い回しだ)。

 問題の年、そのときはまだ元気だったおじいちゃんは、「戦争が起きても人類は滅亡しないのに、たかだか予言でそうなるわけがない」という、深みのある言葉をくれた。戦前も戦中も、そして今までの戦後も見てきたおじいちゃんには、そう言えるのだろう。

 僕にしてみれば、その予言を知ったころには「その年」が間近に迫ってきていたので、感慨を抱きようがなかった。だが、恐らくは、多くの人が「あーあ」と感じたのではないだろうかと思う。それも、僕と因子よりこ姉さんよりもずっと年上の人が。

 きっとその人たちは少年時代に、まだ遠い未来だった1999年について、思いを馳せたのだろう。自分が大人になったとき、人類の終末はどのような形で訪れるのだろうか、と。

 しかし結局「あーあ」である。終末願望はいつの時代にも起こり得るというのを聞いたことがある。本当に人類に滅亡してほしいのかどうかはともかく、心のどこかでは、そういうものを信じたい心があるのだろうか。

 僕と因子よりこ姉さんは、都市伝説のように噂された2000年問題も擦り抜けて、予言が本当なら、なるはずじゃなかった小学校五年生をしていた。そのころには、家での僕は今と変わらない生活をしていた。そのころから今まで、歯車家の家事は概ね僕が担当している。当時は双子の片割れでもある因子姉さんにもその役割の一端はあったのだけれど、なんやかんやと一方的に言いくるめられて、スマブラで負けたほうが洗濯も風呂掃除も食器洗いもする、というわけのわからない条件を押し付けられた。

 自慢ではないが、僕はNINTENDO64の「大乱闘スマッシュブラザーズ」で勝った例(ためし)がない。僕のカービィは、いつも因子よりこ姉さんのドンキーコングにボコボコにされていた。

 歯車家の家事のすべてを粛々とこなす僕を見かねて、おじいちゃんが「これも時代か」と、しみじみと呟いて手伝ってくれた。どれだけやってもコントローラーの3Dスティックをうまく弾くことのできない僕に責任はあるのだけれど(ないのかもしれないけれど)。

 僕は、そのときにはどうにか、僕の家庭が普通ではないということに気が付いていた。

 それは恐らく「サザエさん」の家族構成がはっきりと理解できたのと同じくらいだった。「サザエさん」だけは、僕にとっては家族構成が謎すぎてよく観ていた。この当時、サザエとカツオは親子ではなく姉弟なのだ、と理解した。

 学校の授業で性教育(のようなもの)を受けたことも原因だと思う。どうやら「僕」という生物の発生には、「お父さん」と「お母さん」が必要であるらしい。それを学んだとき、なるほど、と僕は思ったものだった。

「お父さん」と「お母さん」には、そんな役割があったのか、と。

 幼少のころ、僕には、周囲の友達の言う「お父さん」と「お母さん」という存在の意味が、皆目わからなかった。

 何故なら―――僕たち、歯車はぐるま家には、「お父さん」も「お母さん」も、最初からいなかったから。少なくともそう呼ばれる人はいなかったから。

「お父さん」かもしれない大人の男の人はいた。ただしその人は「片桐利政」という名前で、しかも「おじいちゃん」と呼ばれていた。

「お母さん」かもしれない大人の女の人はいた。ただしその人はふたりいた。そしてそのふたりは「お母さん」ではなく「お姉ちゃん」と呼ばれていた。

 僕と同い年である因子姉さんは早くに気付いたらしかったが、幼い頃の僕には、何度因子姉さんから説明をされても理解できなかった。

「お父さんは知らない。知らないよ? でもね、お母さんはおうちから出ていっちゃったのよ。だから、お姉ちゃんたちと、私と、格子こうしが残っちゃったのよ」

 因子姉さんは、言い飽きたかのように、何度もそう言っていた。しかし当時の僕にはわけがわからなかった。友達の場合を知る限り、片方しかいない場合もあるけれど、だからこそ少なくとも「お父さん」と「お母さん」のどちらか一方は、いるべきではないかという思いがあった。だから僕は混乱してしまっていた。

 ―――振り返ってみれば、その混乱のせいもあったんだと思う。

 2000年の九月。僕は今までの人生で一番の、アクティブで、アグレッシブで、オートマチックな出来事を、しでかした。

 どうして僕があそこまで過激な行動に踏み切ったのか。

 理由は明白だが、それ以上に、やはり幼かったからなのだと今になって思う。

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