第2話先生と僕
久しぶりに先生と話し合いにいった。
先生はガンだったから、死なないうちに話すべきことを話さなければならない、ってな理由だった。先生は高校の頃の先生で、名は八田八郎といった。情報科が主にメインだったようだが、小さな私立学校だったから国語や英語もときたま教鞭をとった。
小さな高校、それこそ雑ビルかなにかと間違いそうな高校、懐かしい。僕は四角のまさしくビルを見上げた。
ここまで電車で来た。会うために凛々しい服装ーーっていっても黒のシャツ一枚だがーーを着てやってきた。オシャレに疎くとも黒を基調にしていれば、だいたい似合うのが、僕だった。
今、僕は無名の美術大学に通う学生だ。無名とはいえ美術を学ぶ者としてオシャレに気を使った方がいい、とは兄に言われた言葉だ。
今、行き交う元気な学生たちは、僕よりよほどしっかりしているに違いない。こんな情けない先輩だが、同時にそれは自ら選んだ道に他ならない、自分自身を偽るような見栄は張らないことにした。
鉄製の重い扉を開くと、漢字検定や英語検定の合格者、大学の進学や企業への就職状況が張り出されている。
漢字検定の最高が準二級で、英語検定の最高は三級だから、この高校のレベルは知れていると言われても仕方ないだろう。
この学校はもともと不登校児を受けいれる目的で設置された、だから勉学が覚束ない生徒が今も多いのだ。粗暴な生徒やサブカルヲタク、根暗にメンヘラ、そういった生徒が多い。
僕自身、この学校へ入学したのは精神病による不登校からだ。こんな環境だが、ないよりはマシといえば失礼だろうか、この校舎のほのかにただようタバコのにおいを嗅ぐと、すべてが存在意義があったと懐古してしまう。受付の男が、まるで僕など知らないかのように対応する。
「八田先生ですね、八田先生は今専門部にいらっしゃると思います」
「ああ、わかりました。いってみます」
僕は愛想のない返答をしてきびすを返す。すると端の方に“亜人対策について”という張り紙があることに気づいた。そこには、こう書かれている。
“近頃、この付近で亜人が目撃されています。亜人を見たら近寄らずに、すぐさま警察か学校へ連絡しましょう。亜人は危険な存在です。万が一襲われたら、保険金がおります。”
僕の彼女が亜人化していることを思いだして、吐き気がした。
…………なつみ。
小さく口ずさみ、僕は亜人と人間が共存できる世界を空想した。理想主義者だ、頭がお花畑だ、言われるだろう、だがなんだっていい、なつみを否定したくなかった。
専門部は高等部に隣接されている。
だが、専門部の学生が高等部を訪れることはあまりなく、逆もしかり。専門部は高等部より生徒数が少なく、今どうなっているのか少し気になる。高等部の小さな階段を登って、二階のドアを開いた。
旧式のパソコンが並べられているなか、八田先生はいた。ガンの影響で髪が抜けたのだろうか、長かった髪は坊主頭に変わっていた。
「お久しぶりです」
「おっ、宮内くん。ちょっと待って、先に高等部の待合室で待っていて」
「はい」
二つ返事で、答えて高等部へ戻る。
小さな学校だから、待合室は一つしかない。
そこに入ると、エアコンが効いていて、静かで、五、六人は掛けられそうな椅子とテーブルがある。その一つに腰を下ろして、僕はスマホで時間をみた。午後三時四〇分、ちょうどいい時間だと思った。僕はスマホで亜人化治療について調べてみる。するとある論文をみつけ、読んでみる。
“亜人化とガンの類似性について”
だが、内容は亜人化は人体の変化だということしかわからなかった。
八田先生が部屋に入ってきた。
僕はスマホをしまい、「先生大丈夫ですか」
と言いながら、ドイツで買ったチョコレートを贈る。
「おっ、ドイツのチョコレート。珍しい」
「先生はドイツ語を第二ヶ国語で勉強していたんですよね」
「そうだよ、いや〜貰っとくね」
でも、先生が糖尿病も併発していたら、と考えると、物の方がよかった気がして、なんだか後悔した。
「先生、退職されるんですよね」
「うん、来年ね」
あくまで職務を終える一人の教師として、清々しいまでに悔いがなさそうだった。
「ガン、なんですよね」
「うん、まあでも薬は進化しているし、副作用もあんまりないよ」
薬の副作用で苦しむ姿を見たくなかったから、安心したのだが、まだあちらこちらに転移してないだけかもしれない、と思いわざと話を少し脱線させる。
「そうなんですか、CTスキャンやMRIなど、いろんな検査をして大変じゃないですか」
「うん、機械も随分進化しているしね」
ちぐはぐな会話は続く。
「先生、ガンと亜人化が類似性を指摘されているみたいなのですが、知っていますか」
「ああ、朝日新聞の端の方に載っていたよ」
「なんでも、誰でも亜人化する可能性がある、とか」
僕はあくまでなつみを話題に出さないよう、神経質に問う。
「そうそう、勉強熱心だね。亜人化する因子はガン細胞とね、似ている、いやガン細胞そのもののようなものらしい」
「えっ」
ガンの患者の前で、こんな話題を振ること事態が不謹慎だが、聞かずにはいられなかった。
「どういうことですか」
「詳しくはわからないけど、遺伝因子が誰にでもあるらしいよ」
口を開けたまま、僕は考えた。
なつみは特殊な病気ではない、むしろごく普遍的な病気だと。
「ありがとうございます」
なんとなくお礼を言って、きょとんとする先生を見たあと、僕は生徒が亜人に襲われた話を聞いた。
「右の人は亜人を隔離することを勧めているし、左の人は亜人と友愛を叫んでいる、どう思う」
今度は僕の方が問いかけられた。
「どうでしょうね、亜人が人を襲うのは事実ですか、ならば隔離した方がいいような、でも」
なつみのことが脳裏によぎる。
「そうか……」
しばらく沈黙した後、そろそろ会議があるから、と先生は時計を指し示した。
「ああ、はい。それでは、また」
「うん」
軽く会釈して、待合室を後にする。
「それでは、ありがとうございました」
「あ、うん」
笑顔で送り出すその顔と対照的に、無表情のまま学校をでた。
敗北したような気分だった。
外に出ると、クマゼミの声が耳に張り付く。
そして、七月の暑さの中、しばらく呆然としていた。大学の試験が近いから、はやく帰って勉強しなければならないのに。
呆然しながら、ブローチの中のなつみの写真を見て、泣いた。
亜人と沈黙の時間 @sakurai78
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