亜人と沈黙の時間
@sakurai78
第1話なつみと夏の風景
うだるような暑さのなかで僕は自転車をこぎながら、病院へ向かっていた。自分ではわかり難いが、背中はオネショの後のように汗が服に染み入っているに違いない、その汗が冷えて風が吹くと気味悪い感触を背中へ与えるのだ。
スマホのナビは正確に目的地の場所と距離を示した。昨日から鳴き始めたセミに、夏のはじまりを感じる。自転車は真っ直ぐ坂を下って川へ架かる高架線下へ潜り込む。そのまま川沿いの道を進んでいくと、トンボが低空で飛行していて、気持ちはぶつかるのじゃないかと不安になる。田んぼの真ん中にポツリと佇む巨大な白。
病院へ着くと駐輪場へ自転車を止めにいく。
僕の自転車はダイアル式の鍵だ。忘れやすい僕は自転車の鍵をすぐなくすから、ダイアル式にしたんだ。
自転車から降りて病院の受付へ。シートに時間と見舞いをする患者の名前、そして体温を計り記入する。
二七階の五〇一号室。
そこは白くてそれなりに涼しくて、快適だった。
「やあ、なつみ。元気していたかな」
僕の声が静かな病室へ吸い込まれて消えて、にっこりと笑うなつみは折り紙を片手に懐かしむように言った。
「待ってたよ。まだかな、まだかな、って」
「ごめんよ、仕事が忙しくて」
なつみは僕の弁解を笑顔で受け止めた。
「明日また手術なんだ」
なつみの健気にも前向きな声に僕は言葉を失って、なつみを抱きしめた。
「きゃっ、びっくりした」
なつみの体温は人間らしい暖かさをまだ残している。互いの汗が混ざり合う。シャンプーの匂いが愛おしい。心臓の鼓動が愛おしい。
彼女が亜人になろうとも、僕は離すものか。
しばらくして、僕は本をとりだした。
ゲームのアートブックス、言葉は悪いかもしれないが、なつみはヲタクっぽいところがある。だが、そんなところも和やかな性格だから、なんとも言えない暖かさがある、普通だから、普通だから暖かい。
「わー、ありがとう、ずっと欲しかったんだ」
「よかった、僕も最近はじめたんだ、このゲーム」
「じゃあ、治ったら一緒に対戦しようね」
「ああ」
僕はたわいもない駄弁りをつづける間、必死に笑顔でいた。
亜人化による症状で身体は徐々に黒いデビルのような体毛に包まれていることに目を背けて。背中からひっそりと生える翼が羽ばたくころ、なつみは僕をすっかり忘れてしまうのだろう。そんなことを考えながら、病室を後にした。
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