第九話 自分の宿敵がこんなので、本当に良かった



 どうして、自分は魔王なのだろう。ジルは押し付けられた玉座を見る度に、そう考えてうんざりしてしまう。


 魔王になど、なりたくなかった。なりたくなかったけれども、自分以外の兄弟を持てなかった時点で他の道は全て断たれてしまっていた。ゆえにジルは何の不自由なく、今まで生きてきた。しかし、自由だと感じたことも無かった。

 生まれた瞬間に定めづけられた運命を、一体何度呪ったことか。年を重ねるにつれて、自分がどれだけ恵まれているかを知った。同時に、己の存在に恐ろしいくらいの虚しさを覚えた。

 傍に居た筈の友人達は、いつしかジルのことを『魔王』として扱うようになった。一番の幼馴染であるサギリでさえ、名前で呼ぶことは無くなった。魔王になってから、一度も会えなくなってしまった者だって居る。

 誰かが代わってくれるのなら、こんな玉座など喜んで譲ってやるのに。昔は自分の運命に抗おうとしたこともあったが、今ではもうそんな気力もない。それに、年を重ねたことで大人になって、責任というものを思い知った。

 自分の気まぐれ一つで、世界が大きく動いてしまう。決断が遅れれば、誰かが犠牲になってしまうこともあり得るのだ。魔界に恨みは無いし、自分を慕ってくれる者達のことは何よりも大切だった。

 だから、ジルは魔王になった。最初は嫌々だったが、今では仕方がないと割り切っている。寝ることくらいしか自分の時間を持てない生活にも慣れた。それでも、ふと考える。


 もしも、この身が魔王では無くなった時。慕ってくれていた者達は、自分をあっさりと見限ってしまうかもしれない。外側だけが立派で、中身は哀れな程に空っぽなのかもしれない、と。


 誰もがジルを慕ってくれている。でも、それはあくまで『魔王』であるから。魔界の長という、必要不可欠な存在であるから付いて来てくれているだけなのかもしれない。

 裏を返せば。魔王ではないジルなど、誰も必要としないのかもしれない。そう考え出すと止まらなくて、凍えそうな程に冷たい孤独を感じるのだ。


 だから、せめて。妻となってくれる者だけは、自分をジルとして見て欲しい。それが、ジルの求める伴侶への唯一の願いだった。しかし、それさえも叶えることは難しいのかと、諦めかけていたのだが。


 まさか、敵である筈の勇者が自分に求愛してくるだなんて、夢にも思わなかった――




「うう……ん? ここは……」


 凄く長い夢を見ていたからか、頭の中に綿でも詰め込まれたかのような感覚を覚えた。しかも、身体が鉛のように重い。ここは寝室で、身体を沈めているのは自分のベッドだ。

 この身に何が起こったのか、どうしてこんな状況なのか。思い出そうとしても上手くいかない。とりあえず何とか上体だけでも起こした、その時。


 とんでもない光景が、視界に飛び込んできた。


「……何が、あったんだ」


 一言で表すならば、死屍累々だろうか。ここは間違いなく、ジルの寝室だ。天蓋付きのベッドも、天井も床もよく知っているものだ。棚や椅子の配置も、ほとんど変わっていない。

 だが、床に散らばる屍のように眠りこける臣下達とその他は何なのだろう。


「……ううむ」


 はっきりしない頭を抱えながら、何とか記憶を探る。でも、ドラゴンの群れを撃退した辺りから記憶が無い。ぼんやりと、ジルは部屋の中を見回す。

 事切れたかのように床に、しかも仰向けに倒れているサギリとメノウ。器用に壁に寄りかかったまま目を閉じているのはリインで、床で薄汚れた雑巾のように寝転がっている毛むくじゃらはアルバートだろう。全く起きる気配はないが、僅かに呼吸はしているようなので多分全員生きていると思われる。


 はて。何故、彼らはこんな場所で眠ってしまっているのだろうか。自室を取り上げた覚えはないが。


「……あ」


 ふと、気が付く。どうやら私は、何かをずっと握り締めていたらしい。自分の手よりも小さく、古傷だらけの手。

 綺麗だとは決して言えないが、どうしようもなく可愛らしいと思える手だ。


「オリガ……」


 ジルの手を握り締めたまま、ベッドに突っ伏すようにして眠っている。いつものポニーテールは解けてしまったらしく、金の髪はぼさぼさ。頬にはシーツの跡がくっきりと刻まれて、なかなかに不細工な表情で眠っている。

 思わず、くすりと笑みが零れる。


「ふふっ、子供のようだ……こうして大人しくしていれば、結構可愛いな」

「うぅ……これは、まさかジルの……ふへへ、良い匂い。くんかくんか。ふひひひ、一生洗濯しないで家宝にしよう」

「間違えた。気持ち悪いな」


 危ない危ない。一体何の夢を見ているんだ。仕返しにふにふにと頬を摘まんでみても、オリガは起きなかった。他の皆も、ジルが目を覚ましたというのに一向に起きる気配が無い。

 ……でも、誰かを忘れているような。


「こういう時はー、そっとチューで起こしてあげるんですよー。ね、陛下?」


 吃驚した。驚きすぎて声すら出なかった。慌ててオリガから手を離すと、声の方を振り向く。そこには居たのは、人差し指を唇の前で立てて微笑むシェーラだ。

 そうだ、彼女が居なかった。


「シェーラ、足音が聞こえなかったぞ」

「えー? だってぇ、皆が寝ているので。うるさくしたら、悪いかなって」


 自分の背中を指して、ここぞとばかりにぺリの翼をパタパタと羽ばたかせるシェーラ。嘘だ、絶対にジルをからかう為に無音で飛んで寄って来たに違いない。

 

「うふふ。でも、陛下がお目覚めになられて良かったです。覚えていらっしゃいますか? 陛下、三日前に倒れられたんですよ」

「三日前だと?」


 まさか、三日間も眠ってしまっていたのだろうか。確かに、自分にとって睡眠は一番の娯楽だが。思考の整理がつかないジルに、シェーラが声を抑えながらもこれまでの経緯を教えてくれた。

 自分がコルト熱という病に罹ってしまったこと。薬を調達しに、オリガとアルバートが人間界まで行ってくれたこと。そして、皆がずっとジルの傍に付いていてくれたこと。


 言葉にならない思いに、胸が熱くなる。


「サギリ様やリインちゃん、アルバート様だけではなく、オリガちゃんとメノウちゃんもずっと頑張ってくれていたんですよー? 特に、オリガちゃんが一番頑張ってました」

「そうか……有り難いな」

「皆さんが起きたら、ちゃんとお礼を言ってあげてくださいね。あ、それからー。後でシェーラ特製の栄養ドリンクを飲んで頂きますからねぇ? 出来立てほやほや、陛下の為に魔力大回復効果も配合したスペシャルフレーバーですよー。味と喉越し、それから臭いと色味を犠牲にした分、効果バツグンです! 飲まない、とは言わせませんよー?」


 回復するどころか、トドメになりそうな予感しかしないが。


「わ、わかった。こうなってしまった以上、それくらいの罰は受けよう」

「ふっふっふー、流石は陛下。それじゃあ早速持ってきますねー」


 満開の花のような笑みで、不穏な宣言。シェーラは再び静かに部屋を後にした。仕方がない。皆に迷惑をかけたのだ、けじめだと思うことにしよう。


 ……それから、自分が孤独だなんて妄想をしてしまったことへの謝罪も込めて。


「うー……ジルぅ」

「ふむ……お前には、礼をしなければいけないな。オリガ」


 むにゃむにゃと、寝言を零すオリガの髪を梳くように撫でながら。彼女は何を欲しがるだろうか、どんなことをして欲しいと望むのだろうか。

 恐ろしくも、何故だか妙に楽しみにしてしまっている自分に、ジルはほとほと呆れて笑うしかなかった。

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