第四話 身近に一人は居るよね、物事のタイミングが合わないヤツって

 気を取り直して、オリガは改めて室内を見回す。二人分のベッドに、ソファやテーブル。なんと、洗面所とバスルームまで付いている。そして結構広いから、身体が鈍らない程度の簡単な体操や筋トレくらいは出来そうだ。

 絨毯はフカフカだし、シーツも何もかもが清潔。下手な宿よりずっと上等だ。ていうか、ぶっちゃけオリガの実家より広いかもしれない。


「ふうん……ということは、このお城のセンスが良いのは魔王の趣味のお陰ってことか! うーん、知れば知る程に何という上玉」

「上玉ってあんた」

「オリガちゃん、悪代官みたいねー?」

「こうなったら、何としてでもあの魔王を婿にしたい! あの、えっと……えーっと、あれ?」


 はた、とオリガがとあることに気がつく。そういえば、とても重大なことを知らされていないような気がするのだが。


「ねえ、そういえば……あたし、魔王の名前って知らないんだけど」


 今までずっと魔王魔王って呼んでいたから、気がつかなかったけれども。大臣はサギリで、女医はシェーラ。魔界の住民にも、ちゃんと名前はあるのだ。

 ならば、魔王にも名前がある筈。しかし、今のところ家臣達から『魔王様』か『陛下』と呼ばれているのを耳にしただけだ。


「あら、そういえばそうね? ワタシは、さっきシェーラに教えて貰ったけど」

「何それ不条理!」

「陛下のお名前はねー、ジ――むぐっ!」

「あー!! 待ってシェーラ、ネタばれ禁止!」


 何事か口走ろうとしたシェーラの口を、慌てて両手で塞ぐ。ジ、って聞こえたような気がするけど、聞かなかったことにしよう。


「むぐぐ……ぷはっ! お、オリガちゃん?」

「だめ、だめよシェーラ! それは、魔王本人から直接聞きたいの!」


 正直、物凄く気になって悶えてしまいそうだが。魔王の名前は、魔王から教えて貰いたい!

 それは何となく、譲れなかった。


「直接?」

「えっと、あたし……そう、閃いちゃったの。魔王って呼び捨てにされるどころか、名前で呼ばれることなんて殆ど無いんじゃない?」

「あー、そういえば確かに。陛下をお名前でお呼びするのって、なんか恐れ多いし。ご親族は別宅の方に居らっしゃるし、このお城でそれが出来るのはサギリ様くらいかもしれないわねー」

「でしょ? でもね、あたしってば勇者だから。人間だからさ、そういう魔界の事情なんて関係ないの。つまり、魔王を堂々と呼び捨てに出来るのよ!」


 これは人間界の国王に対しての発言だったならば、牢屋送りにされても文句は言えないが。ここは魔界。

 そして、オリガは勇者。魔王に敬意を払う必要もなければ、変にかしこまる必要も無いのだ!


「ふっふっふ……普段は呼び捨てにされない分、あたしのことを意識せざるを得なくなる。ということは、あたしのことを考えてくれる時間が増える! そして、それは後に恋心と進化する!!」

「おおー! オリガちゃん、何か凄い! 流石勇者、頭良いねー?」

「勇者って時点で、既に相当気に掛けられている気がしないでもないんだけど……」


 パチパチ、と拍手をしてくれるシェーラ。メノウは何か言ってるけど、気にしない気にしない。


「そうと決まったら、まずは魔王を捕まえて直接、面と向かって話をしなきゃ! シェーラ、魔王って今どこに居るか知ってる?」

「え? えーっと、いつもこの曜日の午後はお休みの筈だから……お部屋で、お昼寝……かな? たまに城内をふらふらーっとお散歩している時もあるけど」


 ううむ、とりあえず城内に居ることは確かなようだが。この城は人間界のどんな城よりも大きい為、場所がはっきり特定出来ないようでは偶然を装って会うことは難しそうだ。

 部屋に居るのなら、出てくるまで待ち伏せでもしてみるか。しかし、流石に出会ったその日に夜這いはちょっと情熱的過ぎるかな。

 でもでも、名前すら知らない相手と一夜を過ごすのってなんか凄く背徳的で憧れる! 滾る!


「んー、でもねー……このお城であんまり目立っちゃうと、本当にちょっと危ないかも……二人が無意味にわたし達魔族を無意味に傷つけたりしないっていうのは、わかっているんだけど……」


 シェーラがソファに腰掛けて、不安げな面持ちでオリガを見る。オリガとメノウもまた、それぞれベッドと椅子に腰を下した。

 やはり魔族にとっては人間、特に勇者という存在は恐ろしいのだろう。


「大丈夫、心配しないでシェーラ。魔王はぐうたらなイケメンで、大臣は小生意気だけど。人間に危険を及ぼすような存在じゃないってことがわかったから。今度人間界に帰る時に、あたしが国王にそう言ってあげるから。そうすれば、人間界と争いになったりしないよ!」

「あ、うん……それも、凄く大事なことなんだけど。そうじゃなくって、ね?」


 もじもじ、と言い難そうにシェーラ。実は、と花弁のような唇から言葉が紡がれる。


「あのね、実は……このお城に居る若い女の子達って、大部分がオリガちゃんと同じように陛下のお嫁さんになりたいっていう子達なの」

「大部分って……言い換えると、ほとんどってこと?」

「うん。その……陛下って、さっきも言った通りに穏やかで、使用人にも気さくに話し掛けてくれるの。それで、あの見た目だから……物凄くモテるの」


 シェーラが言うには、つまり。魔王が無遠慮に下っ端や末端の兵士にまで話かけたりするものだから、魔王は自分に気があるのではと勘違いする者が量産されてしまっているらしい。

 ただでさえイケメンな上に王という好条件に加えて、性格まで良い。こうなっては、たとえぐうたらしていても仕事中に居眠りしていたとしても周りからすれば『陛下ってば、仕事中なのに寝ちゃってる萌えー!』となってしまうのだそう。

 そして、魔王は独身。彼の妻になれば、正に玉の輿だ。位の高い貴族や金持ちの娘はもちろん、少し身分が低い女性達まで彼を自分のモノにしようと躍起になっているらしい。


「実はー、昨日も陛下を巡ってケンカがあって……食堂の一角が真っ黒に焦げちゃってねー? 大変だったんだからー」

「やだ、男を巡って争うなんて情熱的ねぇ?」

「『将軍さま』達が居てくれれば、そういう激しいケンカも起こらないんだけど……お二人共、お城を留守にして随分経つから」

「将軍って?」


 そういえば、先程もサギリが言っていたような。この城には二人の将軍達が居て、一人は歩兵や騎兵を、もう一人は魔法兵をそれぞれ率いている。もしも戦争などの有事が起こった際には、魔王の命令でその場を武力により鎮圧する権限が与えられている。

 だが、今のように平和な時には城内や城下町の警備をしたり、兵士達の訓練をしたりなどなど。サギリと同じように様々な雑務をこなしているらしい。


「えっとねー、魔法軍の将軍さまの方は……一か月くらい前にエルフの里の近くで洪水があってね? その治水工事の視察に行ってるの。近い内に帰るってお手紙が来てたから、もうすぐ帰ってくるんじゃないかなー」

「へえ、やっぱり魔界でも災害とかあるんだー。そういうのって、魔法でどうにかならないものなの?」

「んー……建物を強化したり、このお城みたいに変化させたりすることは出来るけど。魔法も永遠に効果を保てるわけじゃないから。やっぱり、自然の力には敵わないところもあるのよー」


 なる程、自然災害に翻弄されてしまうところは魔界も人間界も変わらないようだ。すげーな、自然って。


「じゃあ、もう一人の将軍さんは? そっちもそういう感じ?」

「えっとー、騎兵の将軍さまは確か……山籠もり中、かな」

「は?」


 山籠もり? 今、山籠もりって言った? 天使の可憐な唇から、山籠もりだなんて汗臭い単語が出てきたよ? ギャップが凄いんだけど?


「や、山籠もり?」

「そうなの。なんかねー、定期的に山に籠りたくなるんだってー。もう三か月くらい居らっしゃらないんじゃないかしら?」

「三か月も!?」

「とってもお強くて、剣豪だとまで言われてるんだけど……なんていうか、毎回タイミングが悪いのよねー。将軍が居ない時に、色々と事件が起こるっていうか」

「あー、たまに居るわよねぇ。お祭りの日に限って風邪を引いたり、大事な約束があるのに道で事故があったりして遅れてきたり」

「そうそう、正にそういう感じなのー!」


 メノウの例え話に、きゃっきゃとはしゃぐシェーラ。しかし、そういう有事の際に駆け付けられない将軍ってどうなのだろう。

 有事を起こした身としては、なかなかに不安な情報だ。



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