第二話 勇者「無駄に丈夫なこの身体が憎い……!」
タタタッと、可愛らしい足音を鳴らしながら。シェーラとメノウを押し退けるようにして、赤銅色の髪の青年が姿を現した。二人とも、そこまで背が高い方ではないが、それでも青年が一番小柄だ。
確か、魔王の傍をうろちょろしていた。サギリ、という名前だっただろうか。
「もう、だめですよー? サギリ様、ここは具合の悪い人が休んでいる場所なんですから、静かにしてくださーい」
「ふんっ、どうせシェーラ目当てにサボっている連中ばかりだろう? おい、お前たち。動けるならさっさと仕事に戻れ!」
ひええっ! 酷く間抜けな悲鳴と共に、他の寝台に潜っていた魔族達が慌てた様子で起き上がり、蜘蛛の子を散らすように病室から逃げて行く。おいおい、マジかよ。
まあ、確かにこんな白衣の天使が居るのなら仮病も使いたくなるよね。わかるぅー、凄いわかるぅー。
「あらぁ、もしかしてボクちゃんって結構おエライさんだったりするの?」
「誰がボクちゃんだ! これでも成人済みだバカ者!」
どうやら、メノウはすっかりサギリのことを気に入ってしまったらしい。確かに、いっそ可憐だとすら思える容姿は成人にはとても見えないが。
「それで、シェーラ。この変態の容態は――」
「ちょっと、変態勇者はまだしも変態はやめて! あたしはちゃんとオリガっていう名前があるんだから! ていうか、あんたは一体何者なのよ!」
このチビ、可愛いがどうにも生意気だ。しかも凶暴だし。あと、礼儀がなっていない。
ま、勇者らしくここは先に名乗ってやる余裕を見せつけつつ。むうっと仏頂面で考え込んでいたサギリが、これ見よがしに重苦しいため息を吐いた。
「僕はサギリ。サギリ・ルーア・ユハナ。魔王陛下の世話係であり、大臣職を担っている者だ」
「人間さん達の国とは違うかもしれないけど……サギリ様は陛下の幼馴染で、この魔界で二番目に偉い方なのよー?」
サギリの言葉に、シェーラが付け足す。人間界では、国王の下には色々な役職名が付いた大臣やら元老院やらが配置されているものだが。彼等が言うには、今の魔界では魔王が君主であり、その魔王をサポートする大臣が一人、それから二人の将軍達と意外と単純な組織体系になっているらしい。
つまり、このチビは魔界で二番目に偉いということ。ついでに魔王とは幼馴染だから、氷の槍をぶつけるだなんて無礼も許されたわけだ。役得ってやつか。
「偉いとは言っても、人間であるお前たちには関係の無い話だろう?」
「あら、わかってるじゃないボクちゃん」
「だからボクちゃんは止めろ! ……こほん。それで、勇者の容態はどうなんだ?」
「えっとー、ちょこっとだけ記憶喪失があるみたいですけどー。それ以外の障害は無いみたいです。念のため、数日の休息は必要かと思いますが」
「全く、あのまま放っておけばこんなに面倒なことにはならなかったのに……」
ちっ、とこれ見よがしな舌打ち。この大臣、どうやら身体だけではなく懐まで小さいのか。
可愛そうに。オリガが一方的に憐れんでいると、不意に信じられない真実が発覚してしまった。
「陛下も物好きだな。放っておけば良かったのに、わざわざご自分が血で汚れるのも構わずに勇者を抱き起して蘇生魔法をかけるとは」
「……ん? 抱き起して?」
「それで、そのままお姫様抱っこでここに運んで来たんですよねー。お優しいですよねー、陛下」
「お姫様抱っこ? 今、お姫様抱っこって言った?」
「その後、無傷なワタシも気遣ってくれたし。本当に優しいわね、あの魔王。しかも、何か凄く良い匂いがしたし。シャンプーかしら? それとも香水?」
「是非とも思い出したいその記憶!!」
脇に避けていたシェーラの両手を取り、縋り付く。わあ、すべすべ。しかし、今はそんな素敵な感触ににやけている場合じゃない。
「わあ! ど、どうしたのオリガちゃん?」
「お願い、シェーラ! あたし、その記憶思い出したい! あの魔王にお姫様抱っこされた記憶思い出したい! 何とかして!!」
「え、えー? 出来ないこともないけど、多分ちょんぱされたことも思い出しちゃうよぉ?」
「良いよ! ちょっとくらいグロイの平気だから! 勇者だもん!!」
「シェーラ、まだ本題にすら入っていないんだ。放っておけ」
うーん、と可愛らしく小首を傾げるシェーラにサギリがぴしゃりと言った。ちくしょう。このチビ、職権乱用か。
こうなったら、自力で思い出してやる。頭を抱えて、牛のように唸るオリガ。そんな彼女に構わず、サギリが続ける。
「だが、何の障害も残っていないのは幸いだったな」
「はいー。処置が早かったこともありますが、陛下だったからこそオリガちゃんも生き返れたんだと思います。真っ二つにされてからの蘇生だなんて、相当な難易度だった筈なのに」
「ああ、陛下は本当に凄いな。あれでやる気さえ出してくれてば、非の打ち所がない名君になれる筈なのに」
うわ、なんか凄い会話が聞こえる。だが、今は思い出すことが最優先だ。他の情報になんか構っている暇はない。
「まあ、お優し過ぎるのも問題だな。陛下はあの後、もしも勇者に日常生活を送る上で何らかの障害が残った場合は責任を取る、とまで言っていたからな。今まで山の数程の女性を泣かしてきておいて、血迷ったことをと思ったが」
……何ですと?
「確かに、オリガは女の子だけど……勇者だから身体に傷の一つや二つは覚悟の上。それくらいでピーピー言わないだろうけど、流石に腕が動かなくなったりしたら……責任は取って欲しかったけど」
ちらり、とメノウがオリガに目配せしてくる。責任、ってなんだ? もしかして、あれか。歩けなくなったりしちゃった場合は常時お姫様抱っこで運んでくれたり、手が動かなくなったりしたら食事と三時のおやつの度に「はい、あーん」とかしてくれちゃったりするのか。あの魔王が。
あの、
それって、所謂結婚じゃない?
「あー!! 痛い、いたたたたた! どうしよう、なんか急に腕が……いや、足が! 足が痛くなってきた! 痛いっていうか、なんかもう……感覚? 感覚が無い! 動かない! 動く気がしない、動かす気力も無い!! 神経が仕事しない! 身体中でストライキが起こってるー!!」
もう記憶なんかどうでも良い。今はただ、魔王との幸せな結婚生活が送りたい! あのイケメンにぎゅーってされて、存分に甘やかされたい!
その為なら、気合で足の一本くらい!
「……オリガちゃん、流石にそれはちょっと」
「はい、すみません」
ダメでした。白衣の天使の目は少しも笑っていませんでした。
「何にせよ、陛下は敵とはいえ若い女に暴力を振るったことを申し訳なく思っているそうだ。本来ならば、あれでも寸止めして、戦意を喪失させようとしたらしい」
「直撃の上、喪失しかけたのは命だったけれどね?」
「言うな。陛下のお力は、ご自分でも制御が難しい程に強大なのだ。それに、何分久しぶりだったからな」
張り切ってしまわれたのだ。サギリが溜め息混じりに言う。なる程、張り切っていたのなら仕方がないな。
「というわけで。勇者と、その仲間に陛下から御伝言だ。お前達二人には一週間、この魔王城への滞在を許可する。客人としてもてなすので、体力の回復に努めるように……だ、そうだ」
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