第三話 魔王「手加減はした。頑張った」
これまで生きてきた十七年間で、初めて抱く思い。今まで会った、どんな男の人とも違う。顔が熱く火照るような、心臓がどくどくと跳ねる、そんな感じ。
――オリガは人生で初めて、一目惚れをしたのだ。
「……本当だ、人間が居る。気付かなかった、いつの間に」
「いつの間に!? 結構前から勇者が侵入したって、城内で大騒ぎだったじゃないですか!」
ふわふわと欠伸を繰り返しながら、暢気なことを言う魔王に青年が喚き立てる。そういえば、この空間――玉座の間とか、謁見室とても言えば良いのだろうか――に来た頃に声をかけたが。反応は薄かった。
もしかしてあの時、既に夢の中に旅立っていたのだろうか。
「全くもう! 城内でどれだけの被害が出たと思っているんですか!? 怪我人は出るし、美術品の類は壊されるし。総額いくらになると思います!? 弁償させたいくらいですよ!」
「弁償!? あ、あれはその……そっちがよろけたり引っ繰り返ったりして壊したんじゃない!」
弁償、と聞いた途端オリガの顔色が変わる。国王に魔王討伐を命じられた際にいくらかお小遣いは貰ったが、それももう底を尽きかけている。
弁償だなんてとんでもない!
「……怪我人?」
だが、魔王の関心は別なところにあるようで。怪我人、という単語に初めて魔王が反応を示した。ぴくりと肩を跳ねさせ、紅玉の視線が鋭くなる。
隣のメノウが、息を飲む。強敵か、何か良くない状況を目の当たりにした時の癖だ。
「……サギリ、状況を報告してくれ。怪我をした者はどれくらい居る?」
「え、ええっと……」
魔王から命令を受けて、青年が居住まいを正す。先程忠誠心をかなぐり捨てて、全力で暴挙に出ていた癖に何をかまととぶってんだか。
「そこの勇者に腹を殴られたりして、気絶した者が数名。切り傷や打ち身を訴える者が多数、それから……勇者の隣に居る女」
「あら、ワタシのこと?」
「そちらの者が扱う妙な武器の攻撃を受けた者が、何故か深い眠りに落ちたまま目を覚ましません」
「ウフフ……魔界には銃なんて無いのかしら? イノシシでも何でも一撃で仕留める、強力な麻酔弾よ。朝まで目を覚まさないと思うわ」
柔らかそうな胸を弾ませながら、メノウ。彼女が扱う銃は、人間界でも珍しく高価な代物だ。
見たことがない、という者が居ても不思議ではない。
「……それで、死者はどれくらい出た」
「あー……えっと、死者は居ません」
「居ない?」
「気絶したり、眠り込んだ者ばかりです。怪我も、再起不能になるような重篤な者は一人も居りません」
「人間を見くびらないで欲しいわね。ワタシ達は殺しなんてしないわ。そうでしょ、オリガ」
「えっ、ああ……そ、そう!」
メノウに話を振られれば、オリガが堂々と胸を叩く。因みに着込んでいる鎧が分厚いのと、メノウが規格外にデカいだけで、オリガだってそれなりに立派なものを持っている……と、思いたい。
「あ、あたしたちは例え相手が魔族だろうと何だろうと、不必要な殺しはしないわ! そう、だから魔王……あなたも」
すらりと、オリガが腰元の剣を抜く。国王から頂戴した、勇者の剣。この剣が目指すのは、そしてオリガが求めるのは殺戮や虐殺などではない。
誰もが笑って暮らせるような、平和。そして――
「あたしと勝負しなさい、魔王。そして、あたしが勝ったら……」
白銀の切っ先を、魔王に突きつける。選ばれた者にしか振るうことを許されない、『勇者の剣』だ。そうして、国王に……国民に向かって宣言した時のように堂々と、朗々と声を張り上げる。
「あたしが勝ったら……魔王よ、あたしをお嫁さんにしなさい!」
しん、と辺りが静まり返る。わー、静かすぎると耳が痛くなるんだ―。と、オリガは学んだ。また一つ賢くなれた。
「な、なにを言って……」
「オリガ……あんたって、本当に空気を読まないわねぇ」
青年とメノウが、呆然とオリガを見つめてくる。しかし、オリガの意志は揺るいだりしない。
どんなことでも、一度決めたら最後まで貫き通す。それが勇者なのだ。
「……帰ってくれないか? そういうのは間に合っている、結構だ」
まるでしつこい勧誘か何かをあしらうかのように、魔王。至極真っ当な対応である。だが、オリガは諦めない。
「ふふん、あたしには分かっているのよ。魔王、あんた……独身でしょ?」
「な、なぜそれを!?」
オリガのセリフに、魔王以上に青年が過剰に反応した。もうその反応だけで肯定しているようなものだが。
「だって、左手の薬指に指輪が無いもの! と、言うことは独身でしょ。いい歳して、独り身なんでしょう?」
「くうう、確かに陛下は今年で二十五にもなって未だに独り身だが……流石は勇者。かなりの変人だが、凄まじい洞察力だな。この状況下で陛下の左手に注目していた根性は滅茶苦茶気持ち悪いが」
「あら、別に王族が二十五歳で独り身だなんて珍しいことでも無いんじゃない? 人間界の一番上の王女も今度の誕生日で二十六だけど、未だに浮いた話一つ無いわよ」
「……お前たち、独り身独り身と連呼するのは止めてくれないか?」
魔王が頭を抱える。ああ、そんな悩まし気な表情も絵になるだなんて。うっとりと見惚れていれば、青年がコツコツと足音を響かせながら再度オリガ達の前に立った。
緑色の瞳が、キッと此方を睨み付ける。
「とにかく、このままでは埒があきません。将軍たちが居ない今、このサギリが代わりを勤めます。こんなヘンタイ勇者、きっと大して強くありませんよ」
「ちょっと、誰がヘンタイよ! ただ欲望に少しだけ忠実なだけなの!!」
「どこが少しだ! モロ出しではないか!!」
くそう、この青年……サギリと言ったか。女の子みたいな姿形してるくせに口が悪い。しかし、先程魔王にぶつけた氷の槍を見るに、見た目以上のやり手に違いない。
まあ、確かに魔王の前に重臣っぽい彼を倒しておいた方が何となく勇者の王道な感じになるかもしれない。
「あらあら、主君を護る為に身を呈するだなんて格好良い。どうする、オリガ?」
「良いわ。そこまで言うなら、あんたから先にけちょんけちょんにしてやるんだから! やるよ、メノ――」
「サギリ、下がれ」
「……は?」
オリガが剣を、メノウがショットガンを構える。しかしサギリが構えようとするや否や、突如として魔王が呼び止めた。何だ、これからって時に。怪訝そうに三人がそちらを見やる。
すると、魔王が緩慢な動作で立ち上がり、一度髪を払った。
「え、あの……陛下?」
「攻撃の態勢を取る相手を無力化するというのは、殺してしまうよりも難しい場合が多い。それに、将軍達が不在にしているとは言え此処までの侵入を果たした……その二人の実力は確かなものだ。戦い慣れていないお前では怪我をするだけだ」
下がれ。サギリに命じ、それはそれは優美な足取りで歩み出る魔王。立ち上がったことで知ったが、オリガよりも頭一つ分以上背が高い。
背中を撫でる髪は腰よりも長く、手足もまた長くすらりと伸びている。筋骨隆々とは言えないが、脆弱性は微塵も無い。
こんなに美しい男は、人間界には絶対に存在しない。オリガが妙な確信を得ていると、不意に背後に居る兵士達がざわついていることに気がつく。
――え、もしかして陛下が戦うのか?
――いやー、流石に勇者が相手でもそれは無いだろう。
――なあ、最後に魔王様が戦場にお立ちになったのって……二年前の反乱軍の時だったよな?
――あの二千人近くの竜人族を十秒で鎮圧させた時だったか? こわっ、勇者もよくやるなー。
……何ですと?
「い、いや……あの、陛下。確かに相手は勇者ですけど、今回はたった二人ですし。しかも、ここ広いけど室内ですし。陛下がお力を振るうと、あの二人だけで無く我々にまで被害が被るっていうか」
「大丈夫だ、手加減する。頑張る」
「いや、頑張るって……あの、陛下の場合は努力次第でどうこうなる問題ではな――」
「と、いうわけだ。待たせたな、勇者殿。お望み通り、私がお相手しよう」
ひっ! と、悲鳴が上がる。もちろんオリガ達からではなく、後ろに居る兵士達からだ。しかも、誰も主君に加勢しようとかそういう思いは無いらしく、むしろバレないように少しずつ後ずさりまでする始末だ。
サギリなんて、まだ主君を止めようと奮闘している。
「へ、陛下ぁ……陛下がお怪我をされたら、国民が……特にお年頃の女性達が悲しみますし。あと、戦闘でこの城が損傷とかしちゃったりしたら、僕が悲しくなっちゃいますし。ですから、考え直して頂きたいんですけど」
「わかっている。魔法を使わなければ良いんだろう? 大丈夫、私はこう見えてやれば出来る男だ」
そう言うと、今まで寝ぼけていた顔面が一変、挑発的な微笑を口元に飾った。あ、このちょっと悪そうな表情超好き。
「ま、魔法を使わないって……まさか」
「では、勇者殿」
再び、魔王がオリガを見据える。そして、両腕を宙に突きだすような格好を取ると、呼応するかのように空気が歪んだ。
そして目の前に広がった濃厚な『闇』から、魔王が何かを掴み一気に引き抜いた。
「な、何あれ……」
メノウの声が、震えている。無理もない。いつの間にか、魔王が手にしたそれにはオリガでさえ恐怖を覚える程だ。
死神を思わせるような、巨大な大鎌。どんな闇よりも暗いそれは、刃の部分だけが血色。この世のものとは思えない程に禍禍しく、凄まじく重そうに見える大鎌を魔王は軽々と構えて見せる。
「ひいい!? よりにもよって、『塵殺の大鎌』を出すだなんて!?」
「駄目だ……魔王さまってば、久しぶりの戦闘だから色々と加減をお忘れになってしまっているんだ!」
「き、緊急退避! 魔王城から全員避難! 早くしろ、死にたいのか!?」
「え、何々?」
オリガ達を仕留めるどころか、遂には我先にと逃げ出す兵士達。確かに、想像以上におどろおどろしい武器を出してきたが。
果たして、主君を置いて逃げ出す程なのだろうか。それとも、魔界は人間界とは違って薄情者の集まりなのだろうか。それなら、とっとと魔王を倒してお持ち帰りしてしまおう。そんなことを暢気に考えていた。
でも、オリガはすぐに思い知ることとなる。
「勇者殿、精々私を楽しませてくれ。本気を出さないと……殺してしまうかもしれないぞ」
そう言って、嗤う魔王。彼の言葉は虚勢でも何でもなく、あくまでも純粋な親切心で紡がれているようだ。
「ふ、ふふん! そんなにデッカイ鎌なんてちゃんと使えるの? 鎌に振り回されてたりしたら可愛すぎて萌えるだけなんだからねっ」
先手必勝! 言い終わらない内に、オリガが強く床を蹴って一気に距離を詰める。その特殊な形状から考えるに、大鎌の刃よりも魔王に近付けば、彼の鎌は無用の長物になり果てる。
それに、魔王は鎌を両手で構えている。刃の内側に入れば、すぐには対処出来ないだろう。
「よし、貰った――」
「甘いな、勇者殿」
美貌が間近に迫るも、そこまでだった。流麗にして、刹那の内に放たれた漆黒色の斬撃。いつ、彼が大鎌を振ったのか。一体何が起こったのか、オリガにはわからない。
ただ、オリガの視界が一瞬で暗転したことと、彼女が立っていた床が深く抉れたことだけはわかった。
「……あ、やり過ぎた。まずい、これは……サギリに怒られるな」
え、勇者を倒した第一声がそれですか。胸中だけでツッコミを入れつつ、何故か若干快感にも似た満足感に身を委ねる。
そして、視界が暗転する――
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