第14話


「……ろうさん。 じゅ……さん!」


 声が聞こえる。それは、この三日間、ずっと聞いていた声だ。目の前が暗い。だが、それも当たり前であった。純一郎はふっ、と目を開く。恐らく、一瞬気を失っていたのだろう。目の前には、木が大量に横たわっているのが視えた。


(……うん? なんで木が横になってんだ?)


 そう疑問に思った瞬間、耳の横から声が聞こえた。


「純一郎さん! 良かったぁ……!」


 春菜の声だ。だが、不思議と凄く近くから聞こえてくる。何より、先ほどから頭の横に、何やら柔らかいものがある。いや、柔らかいのだが、適度に弾力もある。


 少年は、次第に意識がはっきりとしてきた。そして、やっと自分が置かれている状況を理解できた。


「あぁ、あああのこれ、ひ、ひ、膝まく……!?」


 そう、純一郎は春菜に膝枕をされていたのだ。膝枕をされていたせいで、世界が横に見えていただけだった。


「あ、それはその……頭が地面に当たってたら、痛いかなー、なんて思いまして……」


 少女の発想は、どこかずれている。確かに地面に頭が当たっていたら痛いだろうが、普通そこで膝枕はしない。


(……というか、頭が痛いどころか……!)

「体中いってぇええええええ!」


 思考とほぼ同時に、純一郎の口から悲鳴が上がった。落ち着いた瞬間に、今までの傷が一斉に純一郎の痛覚を刺激し出したのだ。


「だ、大丈夫……じゃないですよね。純一郎さん、全身ボロボロですもんね」


 横たわったままの姿勢で、自分の体を見て見る。随分血だらけになっているのでは、と思ったが、両の手の血は綺麗に拭き取らていて、右腕には白い布が視えた。気付けば、首の後ろに布の結び目がある。気絶している間に、春菜が応急手当てをしてくれたようだ。しかし、服は泥だらけで、体中は痛みに悲鳴をあげている。


「……純一郎さん、少しカッコ良かったですよ」


 つぶやくような声が、上から聞こえてきた。それは、純一郎の耳には確かに聞こえた。その賛美に、少年は頬が熱くなるのを感じた。だがしかし、それも束の間であった。


「でも、無茶しすぎです! なんですか、最後のアレ! 自分から腕を出すなんて、正気じゃないですよ!?」


 上から、鼓膜に響く怒声が飛んできた。


「い、いや……アイツ、俺の体は壊せないって分かってたから。それで……」

「言い訳は聞きません!」


 ぴしゃり、と言いきられてしまう。だが、そう言われても腑に落ちないものもある。少年は、意を決して言い返すことにした。


「……そう言う春菜だって、何回も吹っ飛ばされて怪我しても、突撃してたじゃないか。無茶してるのは、お互いさまじゃないのか?」


 春菜は、小さくうっ、と漏らして後に、黙ってしまった。それを受けて、これみよがしに少年も畳み掛ける。


「そもそも、そういう無茶な所に感化されて俺も無茶しちゃったんだよ。だから、そんなに怒る権利は、春菜にはないんじゃないかな」


 勿論、純一郎だって感謝はしているのだ。これも、照れ隠しの一環のつもりであった。しかし、少女の方は意外と真摯に受け止めてしまったのか、言い返すわけでもなく、静かに切り返してきた。


「でも……護らなきゃいけない人を、こんなに怪我だらけにしちゃったら、私の面目がたたないというか、なんというか……その、ごめんなさい」

「……いや、いいんだよ」


 そう言いながら、純一郎は左手で地面をつき、上半身を起こした。そして、勇気を持って少女の顔を見つめる。


「あっ……体起こして、平気ですか?」


 少女は、少年の目をしっかりと見返している。少し照れくさかったが、ここはきちんと目を見て、伝えないと思ったのだ。


「平気……とは、言い難いけどさ。でも、平気じゃないくらい頑張れたんだ。だから、大丈夫」


 何が大丈夫なのか、全然言葉になっていない。だが、少女は小さな笑いをこぼすと、改めて少年の目を見つめながら、答えてくれた。


「……そうですか。うん、大丈夫なんですね。それなら、良かったです」


 少年の真意は、しっかり少女に伝わったのだろう。だから、これ以上は言葉はいらなかった。


 気が付けば、先ほどまで吹いていた風は止まっていて、穏やかな夜になっていた。少女の後ろには、また月が輝いている。三日の間、共に居た証だということを告げるように、三日月は月齢を重ねて、弦月となっていた。


 しばらくの間、何も話さずに見つめ合っていたが、とうとう、純一郎の方が根負けして目を逸らした。別段、勝負をしていたわけでもないのだが、流石に照れくさくなってきたのだ。


「ふふっ……純一郎さん、にらめっこ弱いですね」


 多分、君が強すぎるだけだよ。そう言いかけたが、その言葉もそっと仕舞う。その代わりに小さく「うっせー」と漏らしてみるが、春菜の方は、また小さく笑いをこぼすのみだ。

 しかしなんだか、随分と晴れ晴れとした気持ちだ。体の痛みも、自分が頑張った勲章として、心地よいものには――流石に感じられなかった。


「……結構、体ヤバいかもしれない」

「で、ですよね……あの、歩けます?」


 純一郎は何とか体を起こし、歩こうとしてみた。随分とふらつきはするが、なんとか歩けないこともない。


「あの、私が肩を貸しますから……下に降りて、お医者さんを呼びましょう。いくら私の方で応急処置をしても、きちんと手当てをしないと、治るものも治りませんから」


 確かに、その通りだ。これは医者にかかる他どうしようもない。


「うん、そうだな……それじゃあ悪いけど、頼むよ」

「はい、任されました!」


 少女の首に左手を回し、支えてもらいながら歩き始める。純一郎には、背が近くて良かったというべきなのか、男が女の子に肩を貸してもらっているのが情けないと言うべきなのか、どちらと言えばいいのかも分からなかった。だが、不思議と充足感はある。


「――こんな怪我して、何て言い訳しようか。カーチャンも、かなり心配するだろうし……」

「うーん……流石に、魔物に襲われてた! なんて言っても、頭でも打ったのかと心配されるでしょうし……」

「今までにこういう経験、無かったのか? その、春菜が助けた人で、どう周りの人に言い訳しようか困ってたこととかさ。もし良かったら、参考にしたいんだけど」

「基本的には、魔物を見つけたら即成敗ですから……純一郎さんみたいに、助けを求めてきた人って、いなかったんですよ。ですから、間接的には色々な人を助けたことはあっても、私もこういうのは初めてで……」


 そんなことを言い合いながら、二人は山道を下る。とは言っても、小さな裏山だ。普段の二人であれば、とうに下に着いていただろう。だが、二人ともボロボロで――ダメージが少年と比べて少なく、神通力である程度回復しているから、純一郎に比較して余裕があるだけで、春菜の方だって傷だらけなのだ。

 だから、ゆっくりと山を下る。この時間を、噛み締めるように。


「そういえば、封魔刃ですけれども……とりあえず、神社の方で保管しようと思います」

「それは、構わないんだけれども……理由は?」

「この中に、秀綱さん、まだいらっしゃいますけど」

「あぁ……それなら、持って行ってくれ。神社にある方が、安全だろうしな」


 純一郎は、春菜に話しを合わせながら、色々と考えていた。それは、これからのことについてだ。


(……封印すべき亡霊は封印した。もう、俺と春菜の接点は、自然の上では、無い)


 救う者と救われる者で始まった関係である。救われたのならば、互いに目標は果たしたのだ。だが、この三日間は、それで終わることを、少年に吉とさせなかった。


(だから、ここから先は……どちらからか、踏み込まなければいけない。そして……)


 目標を果たしてなお、関係を続けたいのであるならば、新たな目的を加算すればよいのだ。そして、少年の胸には、既に新たな目標はある。


(……肝心なのは、きっかけだ。そうだ、本があるじゃないか。だから……)


 もう、麓はすぐ先だ。


(……よし! 降りたら、言うんだ……!)


 そして二人、アスファルトの上に立つ。少し歩けば、水上神社の石段がある。だが、決心の鈍らぬうちに、今すぐにでも言おうと思い、純一郎は春菜の方に向き直った。


「あ、あの……!」

「その……純一郎さ……!?」


 二人の声が重なる。少年があれこれ考えている間に、少女の方も何かを考えていたのかもしれない。


「え、えっと……そ、そっちからどうぞ」

「い、いえいえ……純一郎さんからどうぞ」


 お互いに譲り合う。少なくとも少年にとっては、ある意味では今日一番の勇気の見せ所であったはずだった。だが、予想外の出来事に決意を鈍らされてしまった。


(い、いや……ここで言わねば、後悔する!)


 そう思い、純一郎は最後の力を体に込める。


「じゃ、じゃあ言うぞ……あの、これからのことなんだけどさ……」

「は、はい……こ、これから……?」


 春菜の返事が聞こえる。だがその瞬間、少年の意識が朦朧とし始めた。


「あ、あれ……?」


 それは、日常に戻って来た安心感から、緊張がほどけたからか……恐らく最大の要因は、傷だらけで疲労困憊の体に、最後に気合いを入れ直すという鞭を打ってしまったからだ。純一郎の腕から力が抜けて、再び地面に膝を落としてしまう。


「じ、純一郎さん!? 大丈夫で……!? 純……さ……!」


 少女の声が、段々と遠くなってくる。


(あぁ……。なんで俺ってこう、最後に締まらねぇのか……な……)


 ここで少年の意識は、ぷっつりと切れてしまった。






 気が付けば、そこには病院の白い天井が視界に現れた。


「……純!? まったく、心配させて……!」


 そして、母の声が聞こえた。


 何故、自分が病院に運ばれていたのか聞いてみた所、どうやら少年は喝上げされた、ということになっているらしい。体が傷だらけになっていた所、外を三日もほっつき歩いていたのに、財布を持っていなかった所などから、そのように判断されたらしい。何より、打撲の跡が酷い。金属の棒で殴られた跡が、ありありと腹部に残っていたし、その上腕まで骨折しているのだ。何も知らなければ、妥当な判断であろう。純一郎は、そのまま話を合わせることにした。


「……所で俺、誰に発見されたんだ?」


 純一郎は、車の後部座席から、運転席の母親に尋ねた。体中の傷は酷いが、本人は意外と元気であったし、骨折部は適切な処置が施されていたため、医者が正式に処置を施して後、自宅療養ということになったのだ。


「うん? なんでも……アンタが発見された公園の、公衆電話から通報があったらしいわ。声は、女の子だったみたいだけれど、なんでも、人が駆けつけた時には応急処置がされていただけで、誰もいなかったとか」

「そっか……」


 純一郎は、車の窓から外を見やる。大通りは、夜も遅くなってきていたため、車の数もまばらだ。


 きっと春菜が気を回して、日常に帰してくれたのだろう。純一郎は、そう思った。今の自分は、心ない者たちに喝上げされた、哀れな少年だ。と言っても、家に帰れば当然財布はあるのだが。


 しかし何にしても、ここが最後の分水嶺なのかもしれない。このまま今日まであったことを忘れれば、自分は三日前の――いや、あの亡霊に触れた前に戻れる。


(でも今日、あの亡霊に立ち向かったことは……自分でも、少し頑張ったって、褒めてやりたいんだけどな)


 だから、今晩までのことを忘れる気は、純一郎にはなかった。だが、問題はその先だ。昨日決めた、あの少女の傍にいようという覚悟。顔は窓に向けたままであったが、少年の目には景色が入ってこない。代わりに浮かぶのは、少女の背中で――。


(……なんだか、やっぱり寂しいよな。いや、俺がこんなこと考えるのも、失礼なんかも知れないけれど……)


 だが、少女の胸中はどうであったのだろうか。もし、今後とも少年の関係を続ける気なのであったならば、恐らく通報してからも、その場に留まったのではないだろうか。そう思うと、これは少女に拒絶された、と見て取ることもできる。


(あぁ……! 結局俺の頭で考えても、何が正解なんて分かんねぇけど……!)


 純一郎は、自由な左手で頭を掻き毟る。その様子をルームミラーで見たのだろう、母親の訝しむような声が飛んでくる。


「アンタ、大丈夫? 元から変な奴だけど、今日は一層変よ?」

「……怪我した息子に対する労わりの言葉はねーのかよ」


 少年は、母の方に向き直り、悪態を突く。当然、母親は車を運転しているため、純一郎の方には振りかえらなかったが、自らの息子の様子に少し驚いているようだった。


「前々から反抗期だな、とは思ってたけど。こっちを向いて意見を言うとは、いつの間にか少しは成長したのかしら?」


 その言葉を聞いて、少年は少し笑ってしまった。そうだ、この三日で、随分と成長したのだと、自分でも思う。


「言うだろ? 男子三日会わざればなんとやらって。まさしく、格言通りじゃないか」

「あっはっは! その様子なら、心配するだけ野暮ってもんだわ!」


 母は、運転しながらも大きく笑っている。純一郎は、自分のウィットに富んだ返しが決まったことに、若干の満足を覚えた。


「……細かくは、聞かないわよ。アンタは馬鹿だけど、アホじゃない」


 母親というのは、時に不思議な生き物だ。なんでも子供のことを、見透かしているような時がある。何が起こっていたのかなど知る術も無いはずなのだが。


(……分かってなくても、信じてくれてんだな)


 少年は、そう思った。今まで母親に対して、なんとなく避けていたことを申し訳なく思った。


「でも、一点だけ聞かせてもらっていいかしら?」


 そう言った瞬間、車が止まる。別に、何かおかしなことがあった訳でなく、単純に信号が赤であっただけだ。母はハンドルから手を離し、助手席から何か拾い上げると、それを純一郎の方に投げ出した。


「それ、アンタが寝ている横に、置かれていたらしいわ」


 純一郎は暗い中を、目を凝らして自分の膝に置かれた物を見る。見れば、可愛らしい紙袋であった。その中には、確かな重みがあるものが入っている。中身を確認するため、純一郎は左手でその中を探り、手に当たった物を外に取り出した。


「金目の物じゃ無かったから取られなかったんでしょうけど。何時の間にそんな趣味ができたの?」

「……まぁ、もうちょっと大人になろうと思ってね。新しいことに、チャレンジしてみようと思ったんだ」


 少年の左手には、今日の昼間に図書館で借りた本が握られていた。


「はぁ? 所で、傷の感じはどう?」

「いや、この痛み、なかなか心地いいよ」

「……ちょっと別の病院に連れて行った方がいいかしら……」


 信号が、赤から青へと変わった。母は頭を右手で抑え、左手でハンドルを支えながら車を発進させた。

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