第13話


「――白い、刃……」


 春菜が驚きに言葉を漏らす。少女の視線の先に、少年の持つ刃と、老剣士の持つ黒い刃が交錯していた。


「うぬぅぅうううううう!」


 少年の手は血だらけだ。それは、結界を破る時に散らせた自らの鮮血であった。だが、血に反応する刃を振るうには、丁度良かった。


(クソッ……! この刃だったら、受け切れないんじゃなかったのかよ!?)


 老人の方は、相も変わらず冷静な顔だ。


『……貴様の力では、我が刃を折るに足らず。そして……!』


 少年の白刃はそのままいなされてしまう。力一杯に打ちこんでいた純一郎は体のバランスを崩し、足をふら付かせてしまった。


『ふっ……!』


 老人から、鋭い蹴りが放たれる。それを避ける瞬発力など、当然少年にはない。腹に思いきり足を入れられ、少年は後ろに吹き飛ばされてしまう。


「がっ……!?」


 そしてそのまま、後ろの広葉樹に体を打ちつけた。体の前後から鈍い痛みが走る。その苦痛に顔を歪め、少年はその場にうずくまってしまう。


『我が後胤ながら、これ程の力しか無いとは……情けない』


 そう言いながら、老人は少年の方に一歩近づいた。


『貴様の祖父は、なかなかの使い手であったぞ?』

(くっそ……言いたいように言ってくれやがって――いってぇ……いってぇけど……!)


 少年は白刃を杖代わりにして立ちあがった。そしてすぐに剣を老剣士の方に向ける。


『……ほぅ。骨が無い奴かと思っていたが……』


 老剣士は、少し嬉しそうだった。


(――ジジイを喜ばせて、嬉しいもんかよ)


 そう思いながら、純一郎は老剣士を見つめる。


『だが、足が震えているな……怯えておるのか? そんなことでは、我を止めることなど敵わぬぞ』


 指摘されて、自分の体の状態に少年は初めて気付いた。瞬間、自らの不甲斐なさに暗い想いが立ちこめる。だが少年は、その黒をすぐに振り払った。


(怖いのは、分からないこと……眼の前のジジイは、もうどんな奴か分かる。だから……)


 純一郎は自らの気を鎮めるため、大きく息を吸った。すると僅かばかり、震えは止まった。止まり切らなかったのはやはり、彼我の差を自覚しているからか。


『……』


 老人は、興味深そうに少年を観察している。そこには当然、果たし合いとして相手の挙動を読み取ろうという視線もあるが、それ以上に少年に興味を抱いている様子だ。


「……じろじろ見んなよ。気色わりーぞ、ジジイ」


 純一郎は精一杯の悪態をつく。つかねば、心が折れてしまいそうだったからだ。それに対し老人は、口の端を面白げに釣り上げた。


『剣の道とはすなわち心。剣を極めんとすれば心を修練せねばならぬ。貴様は剣を修めんとする時に、礼儀作法を習わなかったのか?』

「……年上には敬意も払うさ。それも、五百歳以上の大先輩なら、なおさらな。だけど、亡霊に使う敬語は、俺の辞書には無いね」


 そう言いながら、少年は老人の隙を探る。老剣士は剣を構えずに、少年の方を見つめている。構えていないと言うのに眼光が鋭く、一切の隙が見受けられない。


(……あれが、無形の位ってやつか)


 この間合いは、相手の間合いだ。眼の前の剣鬼は、どんな攻撃にも即座に対応してくるであろう。仮に目が潰れている左、少年から向かって右側から攻撃したとしても、些かも怯まず対応してくる未来が、純一郎にはありありと思い浮かんだ。

 どれ程対峙を続けていただろうか。時間にして、恐らく十秒もなかったはずだ。だが、純一郎は自らの体の異変に気付いた。


(……異様に、疲れてる。これは……)


 先ほど整えた呼吸も粗くなってきている。眼の前の達人の気迫に、意識が呑まれているのもあったのだろう。だが、これは明らかにそれだけではない。


(そう言えば、コレ……使用者の生命力を吸うって言ってたっけ……)


 そう、自らの手元にある剣が、純一郎の体力を蝕んでいるのだ。使用するのに特別な才能が要らないのは幸運であった。だが、このままでは立っているのも難しくなるかもしれない。


(そんなら……一か八か、いくしかねぇよな)


 そう思った瞬間に、老人の体がピクリと動く。純一郎の殺気を素早く読みとったのだろう。


(気付くか……気付くよな。俺なんかがアンタの意表をつけるわけないのは、分かってるよ)


 足の指先に、力を入れる。


「いいぜ……どうせ俺に払えるもんなんか、体力くらいしか無いもんな……!」


 無駄に吠えたとて、無駄に体力を消費するのは百も承知だ。だが、自らに気合いを入れるため、少年は叫ばずにいられない。


「うぉおおおおおッ!!」


 大地を蹴り、少年の体は疾駆する。この一太刀に万感の思いを込めて、敵を――自らの弱さをも、切り裂く為に。


『ならば貴様の言う通り……貰い受けてくれようぞ!』


 老剣士も、少年の想いに答えるように、太刀を振りかざした。


「うぉぉおおおおおおお!」


 白い軌跡が、空しく大気を切り裂く。何が起こったのか、少年は一瞬理解できなかったが、その後に横からきた鈍い痛みで最低限のことは悟った。どうやら老人は少年の一閃を横に避けて、そのまま横腹に攻撃を入れてきたらしかった。


「……かはっ!」


 口から、血が流れる。そのまま、顔が下を向いた。すると、自らの脇腹に、黒い太刀がめり込んでいる。だが、体は切断されていない。峰打ちだったのだ。


(……なんで、斬らなかったんだ?)


 体に激痛が駆け廻る中、純一郎は疑問に思った。そして、自らの体を支えることが出来なくなり、その場に膝を突いてしまう。


『未熟ながら、気迫はなかなかであった。活きの良い体を貰い受けられる、これも中々の僥倖……』


 刃を地に刺す音が、純一郎には聞こえた。そしてそのまま、自らの方に一歩、近づいてくる足音が聞こえる。


(……そっか。俺の体を乗っ取りたいから。殺すわけにはいかないんだな……)


 遠ざかりそうな意識の中で、そんなことを思いついた。そして老人の手が少年の肩を掴む。見上げれば、そこには老人の顔があった。その顔には、憂いたような、優しいような……そんな表情が浮かんでいる。


(……そうだ、この顔、誰かに似ていると思ったけど……ジーチャンに、少し似てるんだな……)


 ぼやける視界に浮かぶ輪郭を眺めて、純一郎はそんなことを思った。不思議と、恐怖は無い。自分を追っていた影が、何者か分かったからであろうか。


『……悪く思うな。お前の体を使い、必ずや人の世に太平を……』

「はぁ!」


 老人は素早く刺した太刀を抜きあげると、横から飛来した札を一刀に伏した。


『……そのまま、寝ていれば良かったものを』


 そして、攻撃の主の方へと振り返る。純一郎も、なんとか意識を保って、そちらを見た。すると、装束を土で汚して、なんとか立っている少女が視界に現れた。


「私、結構諦めが悪いんですよ」


 そう言う春菜も、純一郎と同様に膝を笑わせている。だが口元に不敵な笑いを浮かべていて、目の闘志はいささかも衰えていない。


「純一郎さんが、頑張ってくれてるんです。私が何時までも横になってたら、格好が付きませんから!」


 言い終わるや否や、春菜は聖霊札を一枚、的確に老人に対して放った。


『何度も破られた手で向かってくるとは……愚かな!』


 そして、振るう刃で札を両断する。しかし――。


「愚かなんかじゃ……ねぇ!」

『――!?』


 少女の攻撃に気を取られた間に、少年は座り込んだまま、力を振り絞って白刃を横薙ぎにした。その一閃はまたしても空を切ったが、老人にとって少年の一撃は不測の事態だったのだろう。大きく後ろに飛んだため、純一郎とはかなりの距離が離れた。そしてそこにすかさず、少年の方へ春菜が駆けよる。


「純一郎さん! 良く、私の意図をくみ取ってくれました! でも……まったく! あんまり無茶をしないでください!」


 春菜が、純一郎をたしなめる。だがその声色には怒りは感じられない。むしろ、少し喜んでいるようですらある。


「まぁ、その……細かいことは、色々と後だ。まずは……」


 そう言って、純一郎は亡霊の方を向く。春菜もそれに続き、袖から札を抜き出し構える。


『……まるで、あの時の焼き回しだ。五十年前の、あの時と……』


 昔を懐かしむような様子で、老剣士は並んだ二人を見つめている。辺りの雲はハッキリと晴れて、今は空にあるのは、一昨日と同じような満点の星空だ。

 だが、少年の心はあの時と大きく違う。


『上野と水上の者が手を組み、我を封印せしめんとしている……やっと、歯応えが……』


 そう言った瞬間、老人は自分でも自分の発言に驚いたようであった。


『……そうか。我も意外にして、兵法家である以上に、剣士なのだな……』


 そして、剣鬼が姿を顕にして、初めて剣を脇に構えた。こちらが二人になった以上、相手の動きに合わせて潰していくには分が悪いと踏んだのであろうか。構えた瞬間に、今まで以上の気迫が、老剣士の背後から溢れ出る。その鬼気に一瞬圧倒されそうになったものの、純一郎はなんとか正気を保ち、少女に対して自分の意志を伝える。


「……なぁ、春菜。俺が、絶対にアイツの動きを止めるからさ……」

「えっ……? で、でも……」

「いいから……俺を、信じてみてくれないか」


 自らを蝕む白刃を正段に構えながら、純一郎は言った。そして一拍の間の後に、少女も少年の決意に答える。


「分かりました。私は、貴方を……貴方の勇気を信じます」


 純一郎は視線を剣士に向けていたので、春菜がどんな顔をしていたかは分からない。だが、その声には力が籠っていた。


 腕に、力を込める。込めれば込める程、意識は遠ざかりそうになる。だが、ここで折れる訳にはいかない。


(……やっと、立ち向かうことができたんだ。だから……)


 足に、力を込める。この一足に、全てを賭ける。今度は、一人ではない。自分の後ろには、心強い味方が居る。


「だから……ここで終わって、たまるものかよ!」


 少年は駆けだした。今度こそ、あの男を止めてみせる。剣を少し引き、一気に間合いを詰める。老剣士はそれに合わせ、自らも間合いを詰め出した。


『「おぉおおおおおおおっ!」』


 先に手を出したのは秀綱であった。正確には、少年の物より剣閃が速いのだ。疾駆した姿勢、脇から一番素早く繰り出せる横薙ぎが、少年を襲う。だが、それに対して少年の口が、僅かにつり上がった。気配に敏感な老剣士は、何か異様な物を少年から感じたが、繰り出された一撃はすぐには止められない。純一郎は剣の柄から、右腕を離し、自らの護るように横に据えた。


「右腕! くれてやるよ!」


 瞬間、何かが砕ける音が聞こえる。次いで、少年の右腕に熱い痛みが走る。黒刃の峰が、少年の腕の骨を粉砕したのだ。


「……あぁああああああ!」


 だが、それは予想できていた痛み。少年の覚悟は止まらない。秀綱も純一郎の奇策には速い段階で気付いたため、既に刃を引いている。だがその刹那は、少年が老人の懐に入り込むには十分な時間だった。


「これで……っ!」


 少年の右肩が、老人の体に当たる。そしてそのまま、左手に残った光刃を、老剣士の胸に突き刺した。


『ぬぐっ……!? き、貴様ぁ……味な真似を……!』


 そう、これは老剣士が春菜に向かってやったものの意趣返しだ。純一郎は無手であった訳ではないが、腕を犠牲に懐に入り込むことで、相手の刀を無力化したのである。


「……終わりだ!」


 純一郎は、剣を力いっぱい、相手にねじ込む。だが、効き手を潰されている上に、満身創痍だったためか、後一歩のところで力が入らない。


『くっ……だが、我が元に入り込んで来たな!? このまま、貴様を取りこんで……!』


 そう言いながら老人は刀を手放すと、体を入れて来ている少年の首に手を回した。そして、そのままその腕に力が入る。


「ぐっ……が……!」


 少年の口から、何やらわからない音が漏れる。


(やっぱり、俺一人じゃ……でも……!)


 自らを襲う二つの腕に、更に力が籠る


『――意識を落として! そのまま……!?』


 少年の後ろから、何かが飛んでくる。老剣士はそれを迎撃しようとするが、既に手に刀が無い。しかし、その何物かは少年にも老人にも当たることはなく、地面に張り付いた。


「……例え一人の力が弱くても、二人で力を合わせれば!」


 土に張り付いた五枚の札から、光が照射される。そしてその光が繋がり、二人の下に五芒星が浮かび上がった。


『くっ……!?』


 老剣士の腕から力が抜ける。光の戒めから逃れようとしたのだろう。だが、それは開放された純一郎が許さない。最後の力を振り絞って、白刃を突きいれた。


「……逃がさ……ねぇよ……っ!」

『ぐっ……ぐぬぅうぅううう!』


 如何に純一郎の力が弱くとも、突き入れられた白刃に、老剣士は逃れるための力を奪われている。秀綱の口から、何かが飛び出す。それは、赤黒い何かであった。


「――水上春菜の名の元に!」


 後ろから、凛とした声が響き渡る。少女は腕を自らの前に出すと、そのまま空を斬りだした。すると、浮かび上がった五芒星から光が湧きたち、亡霊の体を完全に捕えてしまった。


『がぁああああああ!?』


 老剣士の口から、悲鳴が湧き出る。そして、少女はその後ろで、何かの呪文を唱えだした。


 秀綱の体が、再び闇に包まれる。そして、口であった場所から、断末の悲鳴が溢れ出てきた。


『また……また我が悲願が……ミナカミィィイイイイイイイイ!』


 その呪詛の終わりに合わせて、春菜は腕を交差させて止めて後、両の手を大きく前に突き出して叫んだ。


「上野伊勢守秀綱! 貴方を、封印します!」


 その瞬間、純一郎の周りの光が弾けた。周りは、眩い光で何も見えない。だが――。

『――我が兵法、未だならず……何とも、口惜しいことだ……』


 その声は、どこか悔しげでもあり、何か諦めたようでもあった。


『しかし、今宵は……なかなか、楽しめた』


 最後の声音の優しさは、なんだか、どこか懐かしかった。


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