第11話


 所変わって、二人は図書館の外のベンチに移動した。


 午前に比べると少し風が出てきたが、変わらずに良い天気である。辺りには桜の木が植えられており、所々で花びらが宙を舞っている。図書館は二人の家の中間地点にあり、表通りから奥まった所にある。中と同様に、外も静かな様子であった。


 先ほど借りた五冊の本は、春菜が鞄に入れてくれた。なにしろ、純一郎は携帯とその身一つで一昨日家から飛び出してきたので、未だに財布すら持っていないありさまだ。況や鞄をや、である。ちなみに、春菜が何を借りたのか純一郎は気になっていたが、図書カードを作る手続きをしている際にこっそりと借りられてしまい、結局どんな本を借りたのかは分からず仕舞いであった。


「先ほどの話の続きなんですけれど……」


 二人の間には、弁当の箱が置かれている。神社を発つ前に、春菜が昼食にということで、あり合わせの物でサンドイッチを作ってくれたのだ。


「えっと、どの話だ?」


 純一郎は、手にしたサンドイッチを口に放り込むのを止めて聞き返した。


「あの、なんでこんな人が亡霊になったのか、っていう話しです。さっき資料を

見た時に、お亡くなりになった場所が不明になっていたんですよね」


 そう言われて、純一郎は書かれていた内容を、脳裏から必死に取り出そうとした。

「……確か、弟子の一人の住んでいるとこの近くに、弔われてるって書かれてたような……」

「はい。でも、それって上野さんのものかどうか、正確には分かっていないようです。他にも、生家のあるこの地に戻って来たという説もあるようですし……なにぶん古い人のことですから、古文書から断片的に推測するしかないんですよね」

「だから、死ぬ時に何かがあった。そしてその未練から、亡霊になったと。そういうことか?」

「断定はできないですけどね。亡霊になる方は、非業の死を遂げた……というのが多いので。そうでなくとも、強い未練があれば、亡霊になることもあり得ます……ですが、とりあえず上野さんの亡霊が、この地に居るということは、お亡くなりになったのはこの地域で間違いないと思います。そして、兵法家と知って分かった部分もあります。自らの兵法を完成するため、純一郎さん……いえ、厳密に言えば自らの子孫の体を狙っている。恐らく、それが一番の未練なのでしょうね」


 そこで区切って、春菜はまた思想に耽る。対して純一郎は、考えた所で分からないものは仕方が無いと諦め、とりあえず手に持っているサンドイッチを食べることにした。


「うん、美味いよこれ。って、昨日からこればっかり言ってる気がするな……」

「あ、いえ。美味しいって言ってもらえるの、嬉しいですから……うん、何度言われても、嬉しいです」


 昨晩のように、今は二人隣り合っている。顔を合わせると照れくさくなってしまうので、少年は食べながら辺りの桜を眺めていた。とりあえず、気分を仕切り直すため、正確には恥ずかしい気持ちを切り替えるためなのだが、少年は少し他愛もない話をしようとを試みた。


「そう言えばさ、本、好きなんだな。昨日も部屋に入った時、本棚にびっしり本が入ってたし」

「あ、はい。さっきも言いましたけれど、小さいころから本は好きでして……」

「なんか、凄いよな。大人っぽいって言うかさ」


 これは、少年の素直な感想だった。だがそれは、純一郎の思った以上に春菜には響いたらしい。少女の嬉しそうな声が、横から聞こえてくる。


「えへへ……そうなんですよ。私、結構大人っぽいんですから」


 多分、またえっへん、のポーズを取っているのだろう。横から、そんな気配がする。


「いやぁ、流石春菜さん。まったく敵いませんわ」

「むっ。純一郎さん、それ本気で言ってないですよね? やっぱり、意地悪です!」


 多分、今頃頬を膨らませているに違いない。小さな加虐心を満足させたので、少年は話を変えることにする。折角なので本の話を続けようとも思ったが、少し先に気になる点を聞くことにした。


「いや、ホント。俺なんかより全然大人でさ……でも、本以外の趣味とか無いのか?」


 別に、読書という趣味が悪い訳ではないし、自分も少しチャレンジしてみようという気概もある。だが、やはりあの殺風景な部屋が気にかかったのだ。


(なんだかもうちょっと、年相応の趣味があってもいいと思うんだけど……)


 そうすれば、安心も出来る気がする。


「うーん……後は、お料理とか、それくらいですかね」


 だが少女から返って来たのは、少年の幻想を打ち砕く一言だった。


「いや、なんつーか、テレビとか見ないの? 後は最近なんか、携帯で色々出来たりとかするし……」


 この片田舎には、娯楽は少ない。自然とお年頃の中高生は、友達と遊ぶであるとか、テレビやゲームなどの媒体で時間を潰すことを覚えるものだ。だが、この少女には前者は期待できないのだ。それならば、せめて――。


「テレビですか。まぁ、あんまり見ないですね。あと携帯なんですけど……私、実は持っていなくって」


 まさか、今日日携帯を持っていない人が居るとは、純一郎も全くの予想外だった。あわよくば、携帯の話しから電話番号を――などと思っていた部分もあった。だがその願望も、儚く消し去られてしまった。


「えっ……携帯無いと、不便じゃない?」

「いえ、何かありましたら、お家の電話がありますし。それに……」


 春菜が、そこで言葉を止める。その瞬間、純一郎の方も理解した。別段外に出ている時に、誰かに連絡を取る必要性が、この子には無いのだ。


「あー、アレだ。でも携帯って、最近色々出来るんだ。電話やメールするだけが、能じゃないって言うか……」


 何とか、少女にその後を言わせず済むように、少年は必死になって話す。それを見て、春菜は少し笑った後、純一郎に質問を返した。


「そうなんですか。例えば、何が出来るんですか?」

「あー、ゲームとか、動画を見たりだとか……ネット視れたりもするし、携帯一つあれば、結構なんでも出来るんだよ。あっ、確か本とかも読めるはず」


 そんなアプリがあった気がする。純一郎には興味が無い物だったが、この少女は食いつくかもしれない。


「えっ? でもでも、携帯ですよ? それなのに本が読めるっていうのは、一体どういう原理で……?」


 横目で見ると、春菜は興味津々、といった表情だ。


「電子版で、本の内容を買って読む、とか、確かそんな感じかな。俺も自分でその機能を活用しているわけじゃないから、詳しくは知らないんだけど……」


 こんなことなら、そのアプリも持っておけばよかった。なんでも知っておくにこしたことは無い。上手く説明できなかった少年は、それを痛感した。


「そうなんですか……最近の世の中って、なんだか凄いんですねぇ」


 そういう君は、少し浮世離れしすぎているんじゃないか。純一郎はそう思ったが、言わずにおいた。


「でも、私は何と言うか……紙の頁をめくる、ワクワク感も好きですから。電子書籍は、合わないかもですね」

「そっか……うん、そうかもな。俺もとりあえず、手にとった紙を、体で感じてみることにするよ」

「ふふっ、そうしてみて下さい」


 あまり、深く追求しないでおいた。本を買うよりは安上がりなはずだが、そもそも図書館で無料で借りられるのだ。お金の話をしても、ナンセンスだと思った。なので、話題を戻すことした。こちらの話の方が、きっと本来の彼女を引き出せるはずだ。


「それでさ、春菜が薦めてくれた本って、どんな本なんだ?」

「えっと、どれも説明するのは、ちょっと大変かもです」

「それじゃあ、最初に渡してくれた本だけでもいいからさ。折角だし、ちょっと話してみてくれないかな」


 きっと、最初に渡してきたのが一番のお薦めだ。そういう確信があった。


(普段本を読まないって分かってる相手に、結構厚い本を薦めたってことは、多分そういうことなはず)


 そう、さっと見ても初心者向けではなかった。二冊目以降は、比較的読みやすそうなものであった。勿論、自分の深い趣味嗜好を薦めるのには、勇気がいるはずだ。だが、あの一冊だけは、本の厚さに比例して、少女の想いが込められている気がする。そんな確信が、純一郎にはあったのだ。


「えっと、それならあらすじを……あの……」

「……? どうかしたか?」

「いえ、やっぱり読んでからのお楽しみっていうのじゃ、駄目ですか?」


 彼女なりに気を使った結果の可能性もある。意外と、春菜はネタバレとかを嫌うタイプなのかもしれない。


「あぁ、いや、それでもいいんだけどさ。あらすじくらいだったら、別に話してもネタバレにはならないというか……」

「そ、そういうわけじゃないんですよ」


 そう言う訳では無かったらしい。


「それじゃ、なんで?」

「えっと、何と言うか……なんだか、恥ずかしくって……」


 何を恥ずかしがることがあるというのだろうか。恥ずかしいということは、もしかしたらちょっと助べえな内容なのかもしれない。大魔神である少年は胸の内が微かに熱くなるのを感じたが、この少女に限ってそれはなさそうだと思い直し、今思いついた邪念を振り払うことにする。


「あの……女の子の主人公が、男の子と出会うんですよ」


 振り払っている間に、少女の方から声が上がった。


「だ、だから……全然、恥ずかしいっていうのは、内容のことじゃないんですよ? それだけは、分かって欲しくって……」


 どうやら、恥ずかしいと言ったことに対する弁明をしたかったらしい。


「成程……でも、それだけじゃ全然分からないな」


 恥ずかしいことを少女の口から言わせたい。そんな願望が少年の内から沸々と湧き上がってくる。


「あのっ、その……うぅ……やっぱり、意地悪です……」


 多分、この一言が聞きたかったのだ。純一郎は心が満たされるのを感じた。きっと、今自分は凄くいい顔をしている。そんな風に思った。だが、どうやら春菜の方は本気で困っているようなので、これ以上の追撃は控えておくことにした。


「ごめんごめん。それじゃあ、読んでみてからのお楽しみにするからさ……それじゃ、ちょっと別のこと聞きたいな。普段、どんな本を読むんだ?」


 折角、少女のことを知れるチャンスなのだ。この機会を無下にはしたくない。


「えと、そうですね……色々と読みますよ。古めの文学から、最近のエンタメまで、幅広くですかね。でもその中でも……笑わないで、聞いてくれます?」

「……そりゃ、悪魔召喚大図鑑とか、そういう系だったら、苦笑いはしちゃうかもだけどね」

「もうっ! 私そんなの読んでる風に見えます?」

「いや、全然。でも、人は見かけによらないとも言うからなぁ……」

「むー! いいです、教えてあげないんですから!」


 純一郎は、再び横を向いてみた。すると、顔をぷいっ、と背けた少女が目に映る。少し眺めていると、春菜の方もこちらを向き、目が合ってしまった。するとその瞬間、今度は純一郎の方が恥ずかしくなって目を逸らしてしまった。


「……ふっふー。純一郎さん、そう言う所が純ですよね」


 攻守逆転してしまった。春菜の方から満足気な声が聞こえる。きっと今頃、今度は向こうがいい顔をしているに違いない。


「ちょっと、子供っぽいかもなんですけど、冒険ものとかが好きなんです。あとは……」


 春菜の方も、純一郎のことを虐め過ぎたと反省したのかもしれない。純一郎の方が相当なことを言っているはずなのだが、これもこの少女の良いところか。


「……あとは?」

「れ、恋愛小説とか……実はさっき借りたのも、それで……」


 自分から弱点を見せてきた。この子は、やはりそういう素養があるに違いない。少年は確信した。そして心の中で小さくガッツポーズを取った。

 純一郎はその後、春菜の言葉の続きを待った。だが、少女は手を組んでもじもじしているだけで、一向に続きを言ってこない。そして、少し考えた。


(もしかしたら……自分が、そういう世界に居ないから。だから、本を読むことで……)


 そう思った瞬間、なんだか意地の悪いことを言っていたことを申し訳なく思い始めた。せめて、何かフォローを入れなければならない。


「……全然、おかしくないんじゃないかな。やっぱ人類に必要なのは愛だよ、愛」


 自分でも何を言っているのか、全然意味不明だ。純一郎は自分の言ったことの意味の分からなさに、頭を抱えて猛省した。


 だが、春菜は笑っていた。


「ふふふ……純一郎さんって、結構言い回しが独特で、面白いです」


 意外と受けたらしい。


「さっきの、紙を体で感じる、も面白かったですし……純一郎さんのそういう所、凄くいいと思いますよ」

「……さいでっか」


 昨日から締まらない所が良いと言われたり、言い回しが変だと言う所を良いと言われたり、褒められてるのやら貶されているのか、なんだか純一郎は複雑な気持ちになる。それに対し、横からは未だに可愛らしい笑い声が聞こえてくる。


(……ま、笑ってもらえるんだったら、マイナスじゃないよな)


 そう思いなおし、なんとか自らを持ち直すことにした。

 そして、しばらく沈黙が訪れる。ふと空を見つめると、先ほどよりも雲が随分動いているように感じた。やはり、今日は昨日に比べて風が強いのだ。


「……お茶のお代わり、いります?」

「あ、それじゃあもらおうかな」


 先ほどから色々な感情に振り回され、純一郎は喉がからからであった。春菜はゆっくりと、少年の紙コップにお茶を注いでくれた。

 しかし、この青空の下。周囲には満開の桜。そして、手作りのお弁当。なにより、隣には可愛らしい女の子である。


(そう言えばこれ、今更だけど……なんかデートをしているかのような……)


 そう思った瞬間、なんだか純一郎は恥ずかしくなってきた。


「純一郎さん? なんだか、顔が赤いような……」


 今更ながらではあるが、少女はこの特殊な状況を、何とも思っていないのだろうか。どぎまぎする心を抑えるため、純一郎は注がれたお茶を飲んで落ち着こうとした。


「……でも、なんだかこれって……デートみたいですよね」


 思っていたらしい。驚きのあまりに純一郎は、飲み始めていたお茶でむせてしまった。


「だ、大丈夫ですか!?」


 純一郎は上半身を丸めたまま、手をひらひらと動かした。大丈夫ということをジェスチャーで伝えようとしたのだ。


「ご、ごめんなさい。私が、変なことを言ってしまったせいで……」


 咳き込むのも何とか落ち着き、純一郎は姿勢はそのままで少女の方を見た。なんだか、申し訳なさそうな顔をしている。


「い、いや……別に、気にしないで」


 自分も実はそう思っていた、とは言えなかった。それを言うには、ある種の勇気が足りなかった。純一郎は落ち着く為に、少女の方から視線を外し、今度は土をみた。


「……でも、なんだか、私こういうの全然したこと無かったですから……。なんだか、舞いあがっちゃって」


 春菜の声が横から聞こえてくる。自分なんかで良かったら、そう返したかったのだが、如何せん声を出すにはまだ喉に違和感がある。


「あ、その……ごめんなさい。純一郎さんが大変な時に、不謹慎でしたよね」


 何か、言わなければならない。純一郎はそう思った。だが、まだ呼吸が落ち着いていない。そうだ、息が落ち着いたら、こう言おう。


(あの亡霊のことが落ち着いた後でも、君に会いに行ってもいいかな……)


 昨日、結構悩んだ結果だ。そのために、本だって読もうと思った。今の自分では、少女のために何かしてあげられるわけでもないのだが、それでも、何かしたい。

 息も落ち着いてきた。さぁ――。


「……あの、おかげ様で、昨日はゆっくり休めました」


 先手を打たれてしまった。


「今日はもう体調は万全です。できれば、亡霊の弱点でも見つかれば、有利に戦えると思ったのですが……封魔刃があれば、なんとかなると思います」


 その先を言われたら、なんだかもう、言えない気がする。


「……ですから今晩、上野秀綱の亡霊を、再び封印してみせます。そうすれば、純一郎さんも……日常に帰れますから。もう少し、辛抱してくださいね」


 そうだ。自分は、救われるためにここに来たのだ。日常に帰るために助けを求めてきたのだ。最初から、そのつもりだったのだ。

 春菜に言いきられて、なんだか胸に秘めた言葉を出す力がなりを潜めてしまった。


「……うん、俺も頑張るから。よろしく頼むよ」


 だから少年は、そう返すので、精一杯だった。


「はい! 任せてくださいね!」


 少女はベンチから立ちあがり、純一郎の方に向かって小さくガッツポーズをしてみせた。それに対し少年は、心の中で先ほど上げた腕を下げていた。

 

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