第10話


「えっと、ありましたね。上野秀綱。戦国時代の兵法家です」


 長い机の対面から、きちんと製本された歴史書を広げ、春菜は該当部分を純一郎に指指して見せる。記帳にあまり記述が無かったため、市営の図書館に亡霊の正体を調べに来たのだ。

 春休みだというのに、人はまばらだ。見れば、老人がまばらにいて、所々に主婦風の女性が数人いるばかり。中高生はおろか、大学生風の若者もほとんど見受けられない。


「あぁ、そう言えば……ウチの先祖に、そんな人が居るとか何とか、ジーチャンが言ってた気がするな。それで、どんな人だったんだ?」


 こうも人がいないと、やたらと自分の声が響いているように感じる。純一郎は、声をひそめて春菜に質問した。


「どれどれ……うん、結構凄い方だったようですね。なんでも、戦国時代の有名な大名の侵攻をなんども止めた、優秀な武将だったようです」


 ここに書かれてますよ、と春菜が本を渡してくる。純一郎はそれを手に取り、本に目を通す。あまり普段から活字に触れていない上に、お堅い表現で書かれていて――純一郎は、なんとか少しずつ、慣れない本を読み進めた。


「……若いころは、剣を極めんと諸国を漫遊。国に戻ってからは武将として活躍して、その後は再び兵法を追求するため、弟子を連れて旅に出た……こんな感じか」


 読んだ内容を呑み込むため、純一郎は敢えて口に出してまとめてみた。


「はい、そのようですね。あと、有名な剣術の流派をうちたてた人のようです」


 純一郎は、更に続きを読み進めた。すると、自分が通っていた剣術道場の流派の礎を築いた人である、という記述がなされていた。


「新影流の創始者……てっきり、別の人かと思ってた」

「それは、秀綱さんのものを進化させたものみたいですね。どうやら、その方も秀綱さんのお弟子さんだったようです」


 成程、その弟子の一人が、新影流を大成させた、と書かれている。


「……というか、春菜はこの人、知ってたのか?」


 春菜は、この本をそんなに長く読んでいた訳ではない。該当箇所は十頁程であったが、春菜はそれを一分ほど眺めていたにすぎない。流石に知ってでもいなければ、おかしい早さなのだが――。


「あ、いえ。今読んで知りました」


 つまり、パラパラめくっただけで、大体内容を把握してしまったのか。


「読むの、メッチャ速いんだな」


 そう言うと、春菜は少し照れた表情で答える。


「えっと、その……小さいころから、本を読むのは好きでしたから。自然と、早くなったみたいです」


 そう言われて、純一郎はまた良くない想像をしてしまった。早くから両親を失い、特殊な立場で育ったこの少女は、小さいころからあまり人と馴染まずに、一人でいることが多かったのは想像に難くない。

 悪い思考を振り払うために、純一郎は亡霊の内容に話しを戻すことにした。


「それで、えっと……結構、弟子にも恵まれた人だったみたいだな」


 大体読み終わり、純一郎は本を閉じ、机の上に置いた。だが、置いてから、自分の言ったことに違和感を感じた。


「……なんでそんな人が亡霊なんかになってるんだ?」


 書かれていた内容。それは、この上野秀綱という人物が、如何に立派であったか、ということであった。取り分け、非業の死を遂げただとか、弟子に裏切られただとか、そんなことは書かれていなかった。そもそも、最初に読み始めた瞬間に書かれていた文字、それは――。


「剣聖、ですもんね。私も、そんな人が亡霊になるなんて、ちょっと信じられないんですけど……」


 とりあえず、これ以上本で分かることはなさそうであった。それならば、会話のしにくいこの空間から抜け出したい。


「あのさ、外に出ないか? ここだと、話しづらいし……」

「そうですね。そうしましょうか」


 そう言いながら、対面の春菜が椅子から立ち上がる。だが、何かを思い出したかのように立ち止まり、同じく立ち上がって出口へと向かう純一郎を止めた。


「あの、折角なので本を借りていっていいですかね? ちょっと読みたい本があって……」


 そう言われて、純一郎は携帯で時間を確認した。時刻は午後一時だ。これなら、夕暮れまではまだまだ時間がある。


「あぁ、いいよ。それで、何の本を借りたいんだ?」

「まぁ、折角なのでこの歴史書と……あと、小説ですかね」


 小説を読む。なんだか高尚な趣味だ。いや、学校にも図書室というものはあるし、読書が趣味であった知り合いが今までに居なくもなかった。だが、現代っ子の純一郎は、本を読むなどせいぜい小学生のころに児童書を何冊か読んだ程度。今ではもっぱら漫画ばっかりだ。

 なんだか少女と、再び距離感を感じた。だが、むしろこれもいい機会かもしれない。自分もちょっと本を読んでみようかなと、純一郎は思った。そして折角読むのだったら、春菜と同じ本を読めば、色々と話もできるかもしれない。


「そうか。それで何の小説? 俺もちょっと興味があるんだけど」


 そう言われるのが予想外だったのか、春菜は少し驚いた表情を見せる。そして、少し照れくさそうな表情を浮かべて純一郎に答えた。


「えっと、その……内緒、です」

 折角新たな境地を開拓しようとした第一歩を踏みにじられてしまった。少年は肩を落としたが、ここで退いてはならぬと思い、別のアプローチを試みた。


「そっか。まぁ、自分の趣味とか言うの、恥ずかしかったりするしな……でも、なんかお薦めとかあったら教えてよ。俺も、ちょっと読んでみたいからさ」


 少女は、これまた意外そうな顔をしている。だが、少ししてからその顔を一変させて、笑顔で答えてくれた。


「はい、分かりました。折角ですし、今お薦めをお教えしますから……純一郎さん、図書館のカード持ってます?」

「……いや、持ってないな。だから、逆にちょっとチャレンジしてみようと思って……」


 そう言う純一郎は、少し恥ずかしかった。目の前の少女は、良く図書館を利用している。なんだかこう言う所は大人びていて、それに対して自分はやっぱり子供っぽくて――。

 春菜は、やはり笑顔だ。そしてその顔は、本を読まない少年に対する侮蔑は、一切含まれていなかった。


「いえ、皆そんなものだと思いますよ。むしろ、私がちょっと今の子とずれているので……とりあえず、カードを作りましょうか。受付で頼めば、すぐに作れますから」


 その前に、先に本を見つくろってもらうことにした。なにぶん純一郎は、ほとんどこの図書館に来たことが無い。小さいころに、何度か散歩がてらに祖父と来たきりだ。そのため、どこに何の本があるのか全く分からない。なので、春菜の後につづいて、言いなりになるしか無かった。

 本棚の前に立って、本を探す少女探す少女の姿は、まるで切り抜かれた絵のように様になっていた。昨日着ていた上着は埃で汚れてしまったため、今日は白い色の上着を纏っている。本棚の奥の窓から差し込む光に照らされて、純一郎にはなんだか少女が輝いて見えた。


「……これなんか、お薦めですよ」


 手渡された本のタイトルは、少年が全然見たことも無いものだった。著者も、まったく見覚えが無い。とりあえず、純一郎は少し本をめくってみる。最初に気付いたのは、文字が小さいということだ。一体、一つの頁に何文字敷き詰められているのだろうか。これを読破するのには、途方も無い時間がかかると思った。

一方で、渡されて茫然としている少年を見て、少女は少し不安になったのか、こう続けた。


「えと、あんまり馴染みが無い感じですよね。でも、それ、私が好きな本なので……読んでもらえたら、嬉しいです」


 そう言われて読み切らなかったら、男が廃る。純一郎はそう思った。


「あぁ、そうなのか。それじゃあ、これにするよ」


 少し安請け合いしてしまった気もしたが、これも少しでも少女に近づく為だ。こう考えると、本を読む動機としては少し不純な気もしたが、それはそれ、これはこれだ。しかし、頑張って読み解いてやろうと決意を固める少年の傍らで、少女は少し言いにくそうにモジモジしている。


「……純一郎さん、知ってます? ここの図書館って、一回で二週間、五冊まで借りられるんですよ」

「お、おお……?」


 恐らく、これにする、という言葉が春菜には引っかかったのだろう。彼女はあと四冊薦めるつもりだったのだ。


「あの、他のはもうちょっと馴染みがありそうな、最近のはやり物とかにしますから!」

「お、おお……」


 こうなれば野となれ山となれだ。読み切るかは分からないが、とりあえず薦められるがままに本を借りることにした。

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