第9話
窓からの眩しい光に、純一郎は目を覚ました。
昨日はあの後、春菜がオムライスを作ってくれている間に、純一郎が風呂を沸かした。風呂から出ると、白滝が「今日も存分に遊び尽くすぞ」と言いながらカードを出したが、純一郎はそれを制止した。春菜は少し名残惜しそうにしていたが、早く寝るように施した。恐らく、互いに十一時位には、床に入ったはず。本格的に寝る前に一睡していたというのに、寝入りは早かったと思う。やはり、少年も結構疲れが溜まっていたらしい。
昨日と比べて、かなり眠った感じがする。窓から光もかなり入って来ている。日が高い証拠だ。これならば、結構な時間寝られたに違いない。もしかすると、随分前に春菜が先に起きてしまっているかもしれない。少女がどうしているのか気になり、純一郎はそのまま起き上がって、居間の方へ向かった。
廊下を渡っている所で、目の前から誰かが歩いてくる。それは、春菜であった。だが、いつもの姿勢の良さはなりを潜めて、少し背を丸めて、眠たそうに瞼をこすっている。見れば、巫女服でも普段着でも無く、可愛らしい動物のキャラクターがプリントされた寝間着姿であった。髪にも寝癖が見える。
「お早う、春菜。昨日は、よく寝れたか?」
純一郎が声をかける。そしてそれに対し、春菜も答える。
「あぁ……おはよーござますぅ、じゅんいちろうさ……ん……!?」
口を開いてから、事態に気付いたようだ。「あわわっ!」と声を上げて、春菜は彼女が来た方へ振り返り、どたばたと音を立てて行ってしまった。
「なんだ? 一体……」
そして、純一郎は先に居間に入ることにした。一昨日からお馴染の座布団の上に胡坐をかき、ふと時計を見つめた。午前十時、かなり眠れたようだ。
(……それにしても、ちょっと寝過ぎたかな)
寝過ぎると、返って体がだるくなったりするものだ。だが、これで春菜も少しは疲労が回復したかもしれない。そう思うと、純一郎は少し安心できた。
しばらく机に頬杖をついて待っていると、廊下の方から騒がしい音が聞こえてくる。そして、居間の扉を勢いよく開けて、春菜が叫び出した。
「あ、あの! 目覚まし、七時にはセットしてたんですけど! 流石に疲れが溜まっていたようで、思いっきり寝過してしまいまして……!」
見ると、いつもの巫女服を来て、髪もしっかりとかしてあった。
「あぁ、気にしないで。というか、しっかり休めたんだったら、それでいいから。だから、そんなに慌てなくってもいいんじゃないかな?」
「あ、慌てたのはちょっと別の理由と言うか……うぅ……!」
春菜は、顔を赤くしている。何をそんなに慌てているのか、見当がつかいない。
「……どういうことだ?」
「……純一郎さん、モテないでしょう?」
春菜が質問に質問を返す。どうやら、真意は言ってくれそうにない。「女の子には色々あるんです!」などと言いながら、台所の方へ行ってしまった。
「――いや、モテないのは正解なんだけどさ」
誰に対して弁明する訳でもなく、少年は一人ごちた。
遅めの朝食も摂り終わり、お茶で一服して後、二人は神社の倉庫へと向かった。
倉庫は一階建てなものの、その代わり純一郎の家の蔵に比べると広めである。何箇所か窓も付いていて、薄暗いながらも不安な感じはしない。角には机があり、その上には蛍光灯が置かれている。春菜は真っ直ぐに本の棚に向かい、手に取った本をペラペラとめくりだした。
「……お爺様は亡くなられた時、おいくつだったか覚えていますか?」
春菜は目線を本に注いだまま、少し低めの声で純一郎に質問した。
「えぇっと、確か……七十五歳、だったかな」
純一郎は今は亡き祖父の顔を思い出しながら答えた。痴呆も患わず、病床に入るまでは背筋もピンとしていた。
(そう言えばジーサンが死んでから、二年も経ったのか……)
そんなことを考えているうちに、春菜の方から声があがった。
「ありがとうございます。それなら、五十年くらい前の資料かな……これは、ちょっと古いかも……」
春菜は何やら一人事を言いながら、本をめくり続けている。
「あ、あのさ。俺も、なんかやることは……」
このままでは、手持無沙汰だ。何か役に立てることはないかと、少女に聞いてみた。
「……純一郎さん、これ読めます?」
そう言われて、一冊の古い本が渡された。手にとって良く見れば、本というより、ノートに近いものであった。製本されている訳ではなく、紙の端に穴が開けられ、それが糸によってまとめられいるだけでの物である。純一郎は渡された紙の束を一枚めくって、中に書かれている内容を解読しようと試みた。
「……いや、全然読めない」
どれだけ見つめても、文字というよりもミミズがのたくった何かだ。黒い部分がどうやら筆で書かれたものである、という以外に、純一郎には何一つ理解できなかった。
「いえ、気にしないでください。何せ、私のお婆ちゃんの字は、結構癖がありますし……」
かと言って、それよりも前の文献はもっと読みにくいですけれどね。春菜はそう続けた。つまり、資料を漁る上で、純一郎は何の役にも立たないという烙印を押されてしまったのだ。
「あ、あの、純一郎さん。古い文献が読めないのなんて普通ですから、お気になさらず。なんでしたら、ゆっくりしていてください」
しかも、気づかわれてしまった。純一郎は仕方なく「何かあったら呼んで」とだけ言い残し、倉庫の壁にもたれかかった。春菜の方は何冊かの記帳を脇にとり、机の方に向かった。そして蛍光灯をつけ、文書とにらめっこを始めた。
(……まぁ、やれることが無いんじゃ、仕方ないよな)
そんな風に思いながら、純一郎はどこを焦点を合わせる訳でもなく、倉庫の中を見つめた。窓から差し込む陽光に照らされて、埃が舞っているのが見える。塵の円舞の向こう側に、少女の肩下まで伸びた綺麗な髪が見えた。しばらくはその姿を見ていたが、次第に頑張っている少女の後ろ姿を見ているのに耐えられなくなり、腕を組み、視線を床に下ろしてしまう――木張りの床の染みを見つめているうちに、少年の脳裏に、死んだ祖父の姿が浮かんできた。
(……そういや、俺が剣道を始めたのも、ジーサンの影響だったっけ)
純一郎の父は、少年が幼いころから出張が多く、年間通しても数える程しか顔を合わせない。自然に、少年にとっての大人の男というモノは、同居していた母方の祖父であった。祖父も祖父で、父がいないことを気づかってくれていたのだろう。祖父の純一郎に対する態度は、単純に孫だから甘やかす、というものではなく、時には厳しいものであった。しかし、やはり孫が可愛いのか、しっかりと甘やかしてくれる所は甘やかしてくれる、そんな祖父だった。
自然、純一郎は祖父に良く懐いていた。間違いをすれば、厳しく叱られることはあるものの、それでも、自分の手本であってくれた祖父。その祖父の薦めで、小さいころから剣道をやり始めた。昔は家にも道場があったらしいが、あっても管理が大変と言うことで、純一郎が生まれる前には潰してしまったらしい。しかし、やはり男だったら武術のひとつでも、ということで、祖父が昔やっていたという剣道を始めたのだ。
通っていた道場はなかなか厳しい所で、ついには一度さぼったこともあった。その時なぞ、祖父には随分叱られた。
『人間、時には逃げるのも構わん。だが、それは良く考えて、必要だと思ってからにしろ。なんとなく嫌だから、辛いからなどと言う理由で逃げるのは、言語道断!』
腕を組みながら、眼には強い光をたたえ、背筋をしゃんと伸ばして激昂する祖父の姿を思い出す。あの時の祖父は、随分と怖かった。それからは、とりあえずさぼることはしなくなった。
(そうだ。怒られるのは怖かったけど、でも……)
逆を言えば、自分が間違えても、誰かがそれを正してくれるという安心感が、あの時にはあったのだ。そしてそれは、二年前に無くなってしまった。
思考の旅は、まだ終わらない。そして今、純一郎の瞼の裏に浮かんでくるのは、病床に臥せる祖父の姿。
『――まだまだ、お前に伝えたいことは、たくさんあるんじゃがな。どうやら、それも厳しそうじゃな』
病で弱る祖父の体。痩せこけてしまった顔。だが、眼にはやはり力がある。
『お前の父親は、色々と忙しいからな。だから、これからはお前が、上野の家を……母親を護ってやらなければならんぞ』
あの時は、必死にうなずいていたと思う。この世を去っていく祖父に、無用な心配をかけたくなかったから。
でも、今はどうだ? 祖父が亡くなり、なんだか自分を見守ってくれている、自分を叱ってくれる人が、居なくなってしまって――そうだ、それで――。
「……ちろう……ん?」
いや、それは最初のきっかけだったのだろう。本当は、痛いのだって辛いのだって嫌だから。だが、最初の逃げる口実ができてしまったのだ。祖父が亡くなり、そのショックで傷ついて――いや、傷ついたふりをして。頑張らなきゃいけないことから、逃げ出し始めて――。
「じゅ……さ……!」
そうだ、結局逃げだしたのは自分だ。祖父と、約束したのに。これからは、自分がしっかりしなければって、それなのに――。
「純一郎さん!」
呼ばれた声に、少年は、はっと我にかえった。
「もう……さっきから、ずっと声を掛けていたのに。純一郎さん、なんだかぼーっとしてらして……」
どうやら、随分と熱心に自分の世界に没入していたらしい。そして、声の方に顔を向ける。すると、心配をそうな顔をしている少女の顔が、すぐ近くにあった。
「……純一郎さん、大丈夫ですか? 何か、哀しいことがありました?」
何故、春菜はそんなことを聞いてくるのだろう。純一郎は不思議で仕方が無かった。
「だって、純一郎さん……」
少女の指が、少年の頬に触れる。そのまま春菜は純一郎の頬を拭って、その指を見せてきた。
「泣いていたみたいで……」
そう言われて、純一郎は初めて、自分が涙を流していたことに気付いた。そして、春菜の前で泣いてしまったことが、急に気恥かしくなってきた。
「い、いや……その、でっかい欠伸をしたせいで、涙が出て来ちゃってさ……」
「……私が見た時には、純一郎さん、全然欠伸なんかしてませんでしたけど……」
「それじゃあ、埃が目に入っちゃったんだな。ここ、結構埃っぽいし」
それじゃあってなんだよ、純一郎は我ながら自分の言い訳は、かなり苦しいと思った。しかし、なんだか本当のことを言うのも憚られたのだ。
「……そうですか。あの、私が掃除をさぼっていたせいで、ごめんなさい」
そう言う春菜の表情は、納得という物からほど遠いものであった。当然、他に理由があることは少女だって気付いているのだろう。だが、敢えて聞かずに居てくれたのだ。
「それで、何か分かったのか?」
話題を変えるべく、純一郎の方が口を開いた。すると春菜は、一冊の記帳を両手で持ちだした。
「そう、これに書かれてましたよ。だいたい読み通り、今から五十二年前に、あの亡霊は一度復活していたみたいです」
そう言うと、春菜は再び机の方へと向かって行った。そして、純一郎を手招きした。少年は机の横に立ち、春菜が開いている記帳を見つめた。何が書かれているかは、相変わらず全然分からなかったのだが。
「えっと、あの亡霊は、やはり純一郎さんの遠い祖先ということで間違い無いようです。どうやら、約百年に一回周期で、復活するようですね」
だが、今回は五十余年で復活した、いや、復活させてしまったのだ。
「……昔に比べて、人口も増えています。もし純一郎さんが触れなくても、後五十年はもたなかったと思いますよ」
どうやら、少女の方は少年の思考を読んだようだ。適切なフォローが入る。
「しかし……毎度封印してるって、アレ、倒せないのか?」
「はい、その……あの亡霊、凄い大者です。ですから、アレを滅するには、あの亡霊が未練を叶えるか、もしくは、相当強力な力で滅する以外、方法は無いようです。なので毎回、封魔刃で復活するたびに封印していたようですね」
聞けば、神祇官最高位の者でさえ、あの亡霊を滅するのは難しいということらしい。
「まれに、居るんですよ。そういう亡霊って。関東が下総で暴れまわった、新皇などが有名ですね。アレも未だに、封印に留まっています」
聞いたことがある。なんでも、首だけになって飛びまわったとかいうトンデモない伝説があるとか。純一郎は、中学の時の社会の先生が、そんなことを笑いながら話していたことを思い出す。
「……それと同レベルの亡霊が、ウチの祖先だなんてにわかに信じがたいんだが」
「いえ、流石に同レベルであったら、きちんとした塚とかが作られて、神祇官の高官が直接監視していますよ。ですが、かなり強力なことは間違いないです」
「成程ね……それで、正体は一体何者なんだ?」
「それはですね……」
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