第8話
窓の外から聞こえる物音で、少年は目を覚ました。
枕元に置いていた携帯を手に取り、時刻を確認する。午後八時半。一睡を始めてから、ちょうど一時間半といったところだ。
(意外とこれ位の昼寝って、すると元気になるんだよな)
そんなことを思いながら、純一郎は上半身を起こした。寝る前に比べると、思考は随分ハッキリしたように感じる。そのまま携帯の履歴を見ると、母から「この不良息子が。あんまり他所の家に迷惑かけんじゃないよ」という文面のメールが入っていた。寝る前に、今日も友達の家に泊まってくるという旨の連絡を入れておいたのだ。
(……蔵のこと、ばれてないみたいだな)
一応、蔵を出る際に、少し掃除はしてきた。しかし、割れた電球を片しても、代わりの電球まで用意できた訳ではない。バレていないか心配していたが、杞憂であったようだ。
窓の外からの音は、まだ鳴りやまない。虫や鳥の音ではなく、空気を裂くような、鋭い音だ。何事かと思い、純一郎は布団から起きだし、外に出て音の正体を確かめることにした。
引き戸を開けて、夜の空間に目を凝らす。空には、昨日と同じ月が昇ってたが、昨晩と比べると、少し雲が出ている。そして、月と星の光の下に、音の主はいた。今朝と同じ、巫女装束を纏って、春菜が何か棒状の物で素ぶりをしている。
純一郎は近づいて、声をかけようと足を進めた。境内の砂利が、靴とこすれ合い音を立てる。その足音で、春菜の方も純一郎の方に気付き、素振りを止めて、少年の方に向かって手を振った。
「……今度は、鼻歌をうたってないんだな」
春菜は、再び少年の言葉に頭を打たれ、少しのけぞって後にうなだれた。そして、恨めしそうに顔を見上げ、口を開いた。
「純一郎さんって、やっぱり意地悪なんですね……」
そう言ってから、少女は少し笑った。
「でも、意地悪されるのって……仲良くなった、証拠ですかね?」
宵闇の中の、微かな光を頼りに、純一郎は春菜の顔色をうかがった。当然、機嫌を見ようとしたのではなく、文字通りに顔の色を見たのである。目を細めて見つめれば、頬がやや上気しているように見えた。先ほどに比べれば、遥かに元気そうだ。
「体、大丈夫?」
それでも、心配なモノは心配だ。
「はい! ちょっと寝たので、この通り元気いっぱいですよ!」
少女はくるり、と一回転して見せた。
「春菜の場合、駄目でも大丈夫って言いそうだ。ホントに、大丈夫か?」
純一郎は念を押した。その言葉に、少女は少し驚いた表情を見せた。それからはにかんだ様子で言葉を紡いだ。
「今、なんだか……ちょっと、嬉しかったです。多分、純一郎さんの言う通りで、私どんな時でも、大丈夫って言っちゃいますから。私のことを分かってくれたみたいで……」
春菜の持っていた棒が、遠目ながらに縮むのが見えた。そして、手を後ろで組みながら、春菜は純一郎の方へゆっくりと近づいてきた。
「あの、立ち話もなんですし……座って、話しませんか?」
少女が指を指した先は、社の裏手だ。よく見ると、座るには丁度好さそうな大きさの岩が横たわっている。今日は風も穏やかで、良い夜だ。中で話すのも、確かになんだかもったいない。純一郎はそう思ったし、きっと春菜もそう思っていたのだろう。純一郎は春菜の要求を首を縦に振ることで承諾した。岩の上に、二人は並ぶように座った。
「……純一郎さん、ごめんなさい。私をおぶって、階段を上ってくれたんですよね? その、重くなかったですか?」
隣から、心配そうな声で春菜が話しかけてくる。隣に座っているので、どんな顔をしているのか、純一郎には見えなかった。だからといってわざわざ横を向こうとも思わなかった。顔が見えないから話しやすいことだって、きっとある。
「あぁ、結構重かったよ。甘いものの食べすぎなんじゃないかな?」
ちょっとした皮肉が出る。当然、本気で言った訳ではない。不思議と、自然に出てしまったのだ。だから、そこには悪意は無かったし、相手を貶そうという意図も無かった。春菜も純一郎の声でそれを悟ったのか、特に怒っている様子もない。
「ふふっ、そうかもです。ダイエットしなきゃ、駄目ですかね?」
「いや、もうちょっと食べたほうがいいんじゃないかな。朝食だって昼だって、そんなに食べてなかったし。そんなんだから、そんなに腕が細いんじゃないか?」
「もう、どっちなんですか?」
きっと純一郎にとっては、この感じが一番話しやすいのだ。相手の目を見るのが苦手、というのがあるのだろう。二人並んだこの状態が、純一郎を少し素直に、饒舌にさせてくれている。
「一応、もう一回聞くけど……体、大丈夫か?」
「えぇ、ホントに元気で……」
「……正直に答えて」
少し間を取って、純一郎は真剣に聞き返した。夜の空気が、少年に少し積極性を与えてくれている。しかし、本当はそれだけではない。
「……正直言うと、まだ万全じゃないです」
「それじゃ、寝てないとダメじゃないか」
今の自分にはこんな風に、この少女と並ぶ資格なんかないのかもしれない。それでも、少しでも――この子のために、何かをしたい。
「でもその、目が覚めちゃって……」
「目が覚めちゃって、それで体を動かして疲れちゃ、意味がないだろ?」
この子はきっと、少し叱ってあげないとダメなんだろう。そうしなければ、大丈夫です、と言いながら無理をしてしまうだろうから。
「それは、そうかもですけど……」
「とにかく、今日はもう安静にしていること。いいね」
我ながら強引過ぎるかな、と純一郎は思った。だが、少女の反論もそこで終わる。
「……はい。純一郎さんの、言う通りにしますね。肝心な時に疲れてて力が出せなかったら、元も子もないですし」
やはり、どんな表情をしているかは分からない。しかし、その声色は、少し安心したような、年相応の女の子の声であった。純一郎は安心した。これで、とりあえず今日はゆっくりしてくれるだろう。そしてそう思ったら、すこし満足な気分にもなった。
少しの間、沈黙が訪れる。風が穏やかな証拠であろうか、空の雲もゆっくりと動いている。しばらく星空を観察して後、純一郎は先ほど抱いた疑問を尋ねることにした。
「そう言えば、さっき素振りしてた棒、急に短くなったみたいだけど……一体、なんなんだ?」
「あぁ、これのことですか」
そう言うと、春菜は先ほど袖に仕舞った棒を取り出した。近くで見ると、それは純一郎の家の蔵から持ってきたあの筒状の物だった。
「喫茶店で、これは魔を封じる道具だ、と説明したと思うんですけれど……その正体は、こういうことなんです」
春菜の左手の親指と人差し指の間に、安全ピンが握られている。そして、少女は右の手の親指にピンを刺し込む。すると、春菜の親指から赤い滴が少し垂れ出した。
「お、おい! 一体、何をして……」
「見ていれば、分かりますよ」
そして春菜は、その赤を拭うこともしないで、そのまま筒を自らの正面に構えた。すると、筒の先から、何かが飛び出した。それは、淡い、蒼い光を放っている。
「これの名は、封魔刃って言います。このように、使用者の血に反応することで、破魔の力が刃として飛び出る仕組みになっているんです。まぁその、使用者の体力を光刃にしているので、出しっぱなしにしていると疲れちゃうんですけど……」
「馬鹿! 早く仕舞え!」
先ほど、無理をするなと言ったばかりで、体力を消耗させる少女に対し、純一郎は怒った。
「ご、ごめんなさい……すぐ仕舞います」
そう言うと、光の刃は消え去り、もとの筒に戻った。
「ですが、これ、威力はお墨付きですよ。直撃させれば、再びあの魔物を封印することも出来るでしょう」
「……それなら、あの蔵の中でも、それで攻撃すればよかったんじゃ?」
「あっ……」
少女は、しまった! という顔をする。
「いえ、普段使っていない物ですから……あの時も、結構必死でしたし!」
春菜は筒を膝の上に乗せ、両の手を広げて左右に振っている。
「そう言えば、あと一個。蔵の中で俺があの影に襲われた時、春菜はなんで最初っから札を投げなかったんだ? お祓い棒で攻撃するより、安全で威力もありそうなんだけど……」
そう、札が当たった瞬間、あの影もひるんでいた。決して少女の近接戦闘が優れていない訳ではないのだが、恐らく普段は、遠距離から仕留めるスタイルなのだろうと、純一郎は予想していた。
「い、いえ。あのお札、聖霊符には、破魔の力が込められてるんですけど……人に当たっても、結構威力があるんですよ。それで……」
そう言われて、納得した。札で攻撃する場合、あの影とほぼ重なっている状態だと、純一郎に怪我させてしまうと、春菜は考えたのだ。
(……まったく。それで自分が怪我してちゃ、意味が無いだろ?)
純一郎は、そう言ってやりたかった。だが、言えなかった。これは護られることしかできない自分が言うのは、あまりにも傲慢すぎると思ったからだ。
「えと、あの亡霊の正体について調べるのは、明日でもいいですかね?」
春菜の方から、話題を変えてきた。純一郎も言葉に詰まっていたので、その心遣いを有難く思った。
「あぁ、当然。むしろ今日調べます、なんて言われたら、また怒らなきゃいけないところだったよ」
純一郎は、視線を少女の方から空へと戻した。結構話しこんだつもりなのに、雲の様子は先ほどと少ししか変わっていない。
「……そうですか」
そう言う少女から、不服そうな感じは一切見受けられなかった。
「純一郎さんに叱られちゃったら怖いですから。自重しますね」
「うん。そうしてくれ」
話もまとまったので、純一郎はそろそろ春菜に戻って休むように言おうと思った。だがその瞬間、ぐぅ、という間の抜けた音が、少年の腹の方から響いた。
「……そうそう、起きたのは、晩御飯を作るため、っていうのもあったんですよ。私も、お腹空いていましたし」
一体、どんな顔をしているのかと思って、純一郎は春菜の方に向き直る。すると、顔を背けて体をわずかに振るわせていた。時々、ふっという笑いを抑えた息使いが聞こえてくる。
(せ、折角ちょっと決まったと思ってたのに……)
純一郎は、両手を頭に乗せて俯いた。それに対し、春菜は純一郎の方へ向き直り、話しだした。
「あの、皮肉じゃなしにですね。私、純一郎さんのそういう所、素敵だと思いますよ」
「……それは、ちょっとマヌケな所に親近感が湧く、と言うことかな?」
俯いたままで、純一郎は答える。
「ふふっ……えぇ、多分そう言うことです。でも、皮肉じゃなしにって言いましたよね? いいじゃないですか、親近感が湧くって、凄く大切なことだと思います」
そう言いながら、春菜は立ちあがった。純一郎もそれを見て立ちあがる。言わなければならないことがあるのだ。
「あ、あのさ。疲れてるんだったら、飯は作らなくってもいいんじゃないかな。別にお互いに、一食くらい食わなくっても……!?」
言い終わりかけた時に純一郎が驚いたのは、春菜が今朝と同じように、人差し指で純一郎の口を封じてしまったからだ。だが、少女の顔には、今朝のような大人びた――憂いた笑顔ではなく、純粋な笑顔が浮かんでいる。
「ダメですよ、純一郎さん。ご飯を食べないと、元気が出ませんから」
「で、でもさ。早く、寝たほうが……」
純一郎は、俺が料理をするから、と言ってやりたい所ではあった。だが、残念ながら少年の料理スキルときたら、せいぜい米を洗うことぐらいである。
「いいえ。私、純一郎さんにお礼がしたいんですよ。私をおぶって石段を昇ってくれて、ありがとうございますって。あと、その……私を叱ってくれて、私の心配をしてくれて……本当に、ありがとうございますって」
少女はそこまで言うと、手を下し、母屋の方を向き、歩きだした。
(……顔を見ながらだと、やっぱり押されっぱなしだな)
顔を見ていない状態ならば、純一郎の方が押していたはずだ。しかし、純一郎はなんだかこれで良いような気がした。
「それに、姫様に聞きましたよ。卵、割っちゃったんですよね。それだったら、早く調理しないと、駄目になっちゃいますから……」
少女が少年の方へ向き直る。その後ろには、昨日と似た三日月が浮かんでいる。
「オムライス、好きですか?」
「……大好物です」
そう言うと、二人は家の中に入って行った。
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