第7話


「……荷物、私も持ちますよー」


 純一郎の後ろから、少し抗議めいた口調で春菜が話しかけてくる。


「いいって。世話になってるんだし。最低限、これくらいさせてくれって」


 まったく、一度家に戻ったのだから、その時に財布を持ってくればよかったのだ。そんな風に心の中で自虐しながら、黄昏時の住宅街を純一郎は歩いていた。


「……あの、コーヒー代とかメシ代は、今度返すからさ」

「そんな、気にしなくって良いんですよ? こう見えて結構私、小金持ちですし」


 後ろから聞こえてくる声には、まったく嫌味が無い。彼女としては客観的な事実のつもりであったのだろう。確かに、若くして給金をもらって仕事をしている春菜と、一介の学生身分である純一郎とでは、金銭に対する感覚は違う。


「いや、そういうことじゃないんだよ。その、男としてのプライドというか、沽券に関わる問題というか、そんな感じなんだよ」


 荷物を持っているのだってそうだ。こういうことは、男の仕事のはずだ。だからどれだけ批難されようとも、両手のビニール袋を譲るつもりはなかった。


(……我ながら、ちっさいプライドだな)


 でも、純一郎はそれで良いと思った。きっと、こういう小さい所の積み重ねだって大切なのだ。


「……はぁ。純一郎さん、頑固な所もあるんですね。正直、意外でした」


 後ろから聞こえていた声が、今度は少年の横から聞こえてくる。


「でも、それじゃあちょっと甘えちゃいます。荷物、お願いしますね」


 純一郎は、そう背が高い方ではない。かといって、低くもないくらいだ。それでも横に並ばれて、春菜とそんなに身長差はないことに、少年は改めて気付いた。


「背、結構高いんだな」

「あ、はい。背の順だと、後ろの方でした」

「そっか。俺は、真ん中くらいだったよ」


 そんな他愛のない話をしながら、二人は道を往く。今日も、比較的暖かだった。春の西日を受けて、辺りを散る桜の花が黄昏色に輝く。そして、舞い散る花びらに誘われるように、春菜が少年の一歩前に躍り出てから、少年の方を振り返った。


「ちょっと不謹慎ですけど、なんだか今日、楽しかったです」


 きっと、少女の顔が白いからだ。辺りを舞う桜のように、少女の顔も夕焼け色に染まっていた。だけどそれは、短く咲いて散っていく花のようで――。

 少年が呆けていることに気付かず、春菜は再び後ろを向き、一人言のように続ける。


「……同世代で、魔物が視える人って、居なかったですし。私もなんだか、色々話せて、安心してるのかもしれません」


 その時、西日が雲に隠れた。少女の着ている桜色の上着に、少し陰りが見える。眩しさが解消されたせいだろうか、先ほど蔵で被った埃の後が、今になって気になった。


「俺も、今日は充実してた……気がする。正直言えば、やっぱ怖い思いもしたし、まだ解決してないけど。それでも……」


 それでも、君と話せてよかった。それを告げなかったのは、やはり自分に自身の無い左証であったのか、それとも相も変わらずの照れくささからだったのか。

 気が付けば、水上神社の鳥居の前まで到着していた。少女の前に、あの長い石段が上まで続いている。


「……そうですか」


 再び落陽が姿を現した。その光を受けて、少女はまた振り返り、儚げな笑顔で答える。


「同じ想いを抱けるなんて、なんだか素敵で……」


 言いきらぬうちに、春菜がアスファルトに膝をついてしまう。それを見て純一郎は、買い物袋を落とし、少女の元に走っていった。


「……おい! 大丈夫か!?」


 少年は、自分の影で少女を覆って、やっと気付いた。春菜の顔は真っ白を通り過ぎて、青ざめていたのだ。


「え、えぇ……。その、立ちくらみというか、何と言うか……」


 少女の声に力は無い。そして、そのまま目を瞑って、何も言わなくなってしまった。純一郎は携帯電話を取り出し、救急車を呼ぼうとするのだが――。


「いらぬことをするな。ただの疲労じゃ」


 言われてみれば、春菜は静かに寝息をたてている。そして、声が聞こえた鳥居の方を見ると、赤い日を受けてもえる美しい銀色があった。そして、その声の主は飛んだかと思うと、猫のようにしなやかに少年の目の前に着地した。


「なに、買い物袋はワシが運んでやる。貴様は、春菜を上まで運んでいけ」


 ぶっきらぼうな調子で、白滝は袋を拾い上げる。


「……中の卵、割れておるではないか。まったく、気が効かぬ男だ」

「そ、そうは言ったって……俺だって、心配で!」


 純一郎の反論を何事も無かったかのように無視し、白滝は階段を上って行く。


「……主が春菜を心配してくれたのは、分かっておる。むしろ、袋も投げ出さずに駆け寄らなかったら、もっと点が下がっていた所じゃ」


 神様は背中で純一郎に答える。


「……投げ出したら卵が割れたと言われて、駆け寄らなかったら点を下げると言われ……どうするのが最適解だったんだよ」

「そんなもの、決まっておる。卵が割れないように袋を置き、すぐに春菜の下に行く。これしかあるまい」


 また、振り返った顔には意地悪が浮かんでいる。だが、この意地悪が、純一郎の胸を少し軽くしてくれた。


「さぁ、いつまで春菜をその場に寝かせておくつもりじゃ? きちんと布団で休ませてやろうとは思わんのか、このウスノロが」


 そう言うと、姫はどんどん階段を上って行ってしまう。慌てて純一郎も春菜をおぶった。思いのほか、軽かった。少女の華奢な体に、おぶってみて初めて気付いた。


(……いや、やっぱり重いな)


 そう思いながら、ゆっくりと少年は階段を上り始めた。






 春菜を布団に寝かしつけて後、朝食を摂った畳の間に戻って来た。すると、神様は先ほど春菜が買っていた乳酸飲料の袋にストローを刺し、光悦した表情ですすっていた。


「あぁ、この舌にまとわりつくような甘み……たまらん、たまらんのう」


 何か見てはいけないものを見てしまった気がした。少年は踵を返し、外に出ようとした。


「待て待て。中に入ってこい」


 そう言われ、純一郎はしぶしぶ昨日の座布団の上に座った。


「……春菜の部屋に入って、変なことをしなかったじゃろうな?」

「変なことをするも何も……」


 むしろ、純一郎は驚いたくらいだ。先ほど入った春菜の部屋を思い出す。年頃の少女の部屋と言うには、あまりに殺風景だったと思う。部屋の角に机があり、その横の本棚には、結構な数の本が並んでいた気はする。だが他にあった物らしい物をほとんど思いだせない。少女らしい小物などは、一切見受けられなかった。そんな中でなんとか部屋の隅に畳んであった布団を見つけ、それを広げて少女を横たえて、すぐに部屋を出てきたのだ。


「まぁ実の所、ワシは神社の敷地内で起ったことは、全て認識できる。だから、お前がどうしてきたかも、分かっておるよ」

「……そんじゃ、わざわざ聞くなよ」

「いいや、流石のワシとて、人の心まで読める訳ではない。まぁ、お前のような単純な奴は、顔を見ればだいたい何を考えているか分かるがな」

(相変わらず失礼な奴だ。ニート神のくせに)

「ほら、今メッチャ失礼なことを考えたじゃろう」

「凄いな。流石神様だ」


 白滝の方が、ちょっとむっとしている。皮肉っぽく言われたのが、気に障ったのだろう。


「……まぁ良い。ワシはお主と違って寛大じゃからな。それで、何か助べえなことを考えたりはしなかったか?」


 そんなことを思っている暇は無かった――少年は言い返そうと思った。しかし、助べえと言われて、意識しないようにしていたことを思い出した。それは、先ほど石段を上っている時の話だ。


(何と言うか、華奢だけど出る所は出てて……)


 背中に当たる感触を思い出して、少年は少しにやけてしまった。


「あ、ほら。やっぱりメッチャ助べえなことを考えていたんじゃな? このスケベ大魔神が!」

「大魔神だなんて、お前の語彙のレベルは小学生並みか」

「うっさいわ! こうなったら、後で春菜に言いつけてやる!」

「その言いつけるとかってのも小学生レベルだ!」


 しばらくの間、低レベルな舌戦を繰り広げられた。そして、二人は肩で息をするほど言い合ってから、ふと姫は真面目な表情になり、声を低めて話しだした。


「……ワシの方で結界を張り直してきた。ワシはこの神社からは出られんが、その代わりにここの守護神である。水上神社の敷地内に限って言えば、春菜が張るものと同レベル以上の守護ができる。とりあえず、安心せい」


 そう言われ、純一郎はやっと自分が追われていたことを思い出した。窓の外を見ると、既に日はその姿を潜め、辺りは夜の帳が下りようとしていた。


「なぁ、疲労って……」

「……春先ってのはな、結構人々が思い悩む季節。新たな出会いや芽ぶきの喜びの季節であるのと同時に、別れや転機が訪れる時期でもある。それは、人々が変わることを強要される節目。つまり、この時分は喜びの感情以上に、負の感情が溢れやすい」


 そこまで言われて、純一郎も察した。


「つまり、俺が逃げ込んでくる前も、他の魔物と戦っていて……」

「……ここのところ、出ずっぱりじゃった。まぁ、別に小物ばかりであったが、魔物が蠢くのは宵闇の中。きちんと休養も取れていなかった。その上、神通力というのは、自らの生命力を破魔の力に転換し発動するモノ。結構、しんどかったはずじゃ」


 純一郎は、俯きながら話を聞いている。


(春菜は、自分のことだって大変だったはずなのに、それなのに、俺は自分のことばっかりで……)


 ふつふつと、少年の胸に黒い物が浮かんでくる。


「いや、そう自分を責めるな。そんな黒い感情に支配されては、純一郎の純の字が泣くぞ」


 少年は、結構気にしているところを突っ込まれた。だが不思議と、あまり嫌味には感じなかった。これは、ある意味では神徳というやつであろうか。


「……時期が合わぬことは、往々にしてあるものじゃ。何より……」


 そこで区切って、姫は一旦言葉を止める。そして、優しい口調で、改めて続けた。


「ワシは、春菜のことは分かるんじゃ。春菜は今日、主と行動できて、良かったと思っておる。そして、主を救いたいと思っておる。だから、気にするでない。なにせ、あの子が望んでおるのだからな」


 それでも、純一郎は顔を上げることが出来ない。今日、楽しかったということは聞いた。でも、自分のために傷ついて、無理させて――いや、それだけではなかった。少年は、少女の今までを想像した。暗い闇の中、人知れずに闇と戦ってきた。それを、誰に言う訳でもなく、褒められる訳でもなく――。


(……そうか、この胸の罪悪感はきっと、俺だけのことじゃなくって……)


 そう思い、純一郎は浮かんだ疑問を姫にぶつけることにした。


「なぁ、姫様。春菜って、結構こんな風に、疲労に倒れたりするのか?」

「いや、そう何回も倒れたりせんよ。駆けだしのころは、結構倒れておったが……今回のは、実に二年ぶりくらいではなかろうか」


 それを聞いて、少し胸をなでおろす。もし頻繁に倒れているのだったら、それは大変なことだと思った。が、その直後に思いなおす。


(……そもそも、俺と同世代くらいの子が、疲労で何回か倒れた経験があるっていうのが、おかしいんだよな)


 この二日間で、結構色々なことがあった。なにせ、異形のモノに追われているのだ。少し感覚がマヒしてしまっていたのだろう。純一郎は頭を振り、他に気になる質問を続けた。


「春菜って、誰か頼れる人とかって、いないのか?」


 そう、ここが一番心配な所だ。もし、誰も頼る人がいなかったのならば――純一郎は、今日の昼間のことを思い出す。自分のために、傷ついても立ちあがってくれた少女は、その絵面以上に、どこか痛々しかった。もし、あんなことを、ずっと孤独な身の上で続けていたのならば、それは――。


「神祇官は、慢性的な人不足。駆けだしのころは結構援助が入ったが、最近は、あまりな」

「……友達、とかは」


 すがる想いで、質問を続けた。


「いなくはない、とでも言えば良いか。まぁ、事情を話せるわけでもないしな。春先でもなければ、そう頻度は高くないと言っても、魔物の出現に備えにゃならん。なかなか、同世代の子とも遊べる時間も無くってな……故に、心許せるともがらは、ゼロと言って差支えなかろう」


 純一郎の望みを、淡々とした調子で姫は切り裂いてしまった。ふと、昨晩のことを思い出す。三人でやる札遊びを、あんなに楽しんでいた少女の姿を。


「だから、あんなに喜んで……」


 純一郎は、目の奥が熱くなるのを感じた。だが、ここでそれを溢れさせたとて、誰かが救われるわけでもない。少年は、溢れ出て来そうなものをぐっとこらえた。


「言っておくが、同情などするではないぞ。したところで、何の足しにもなるまいし……それに、この仕事は、あの子自身が望んでいることじゃ」


 姫は、少し怒った様子だった。自分がいるのに、少女を孤独と判断した、少年の早計さに対してであろうか、それとも何か別のことであったのだろうか。それは、純一郎には判断出来なかった。


「……なんでだよ」


 姫の真意を手繰ろうと、純一郎は質問を返す。


「不器用な自分が、誰かの役にたっていると実感できると。仮に、誰に認められずとも、誰かの役にたっていると思えば、それだけで、孤独が紛れるんじゃと」


 少年は、白滝の言うことが、なんだか遠い異国の言語のような気がした。自分は、そんなことを微かにも思ったことは無い。全然考えたことが無いから、理解も共感もできない。


「な、言った通りじゃろ? 如何に貴様があの子に同情を寄せようと、あの子の心は理解できない。それなのに心配するだなんて、傲慢も甚だしい……!」


 まるで今まで溜まっていた怒りをぶつけるかのように、白滝は少年に言葉をぶつける。しかし、言いきって思う所があったのか、少し畏まって、少年の方に向き直った。


「まぁ、ワシとしたことが小僧っ子に言いすぎたな……許されよ。とにかく、お前に出来ることといったら、春菜に全力で救われることくらいじゃ。あの子は、それ以上を望んでなどいない」


 確かに、その通りなのだろう。平々凡々な身の上の者が、彼女の気持ちを理解しようなどとおこがましい。その上、自分は所詮、等身大の悩みを抱えているにすぎない。春菜と同じ土俵に立つには、あまりにも次元が違いすぎる。少年はそう思った。


(……でも、なんだか、このままではいけない気がする)


 それは、自分のこともそうだし、少女のこともだ。だが、少女のことを心配するには、自分はあまりにも無力で、弱すぎる。どうすれば解決できるかもわからない悩みがまた一つ増えた。だが、これは今まで自分を塗り固めてた黒い感情ではなかった。

 頭を抱えている純一郎を見かねてか、白滝姫が声をかけてきた。


「……主も、疲れておるじゃろう。とりあえず、部屋でひと眠りしてきたらどうじゃ?」


 寝ればこの想いが、どうにかなるわけでもないと純一郎は思った。だが、確かにこのままでは埒が明かない。今日も結構歩きまわったし、やや睡眠も不足している。勿論、春菜の疲労に比べればなんということもないはずではあったが。


「そうだな、そうしようか」

「あぁ、そうしろ。部屋は、昨日使った客間をそのまま使うがいい」


 純一郎は立ちあがり、部屋を出ようとした。


「そういえば、お前はどうするんだ?」

「ワシか? ワシも、もうひと眠りしてくることにするよ」


 そう言いながら、白滝も立ちあがり、純一郎の横をすり抜けて行ってしまった。向かった方向は、春菜の部屋がある方である。もしかすると、普段から一緒に寝ているのかもしれない。そう思うと、春菜の孤独も少しは晴れているようで、少しだけ安心した。


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