第6話
「結局、ヒントらしいヒントは見つかりませんでしたね……」
時刻は、午後二時をまわっていた。あの後、蔵の周囲に簡易の結界を張り、捜索を続けた。しかし、手掛かりらしいものは何も見当たらなかった。
今は、商店街の喫茶店で、一息付いているところである。店の中は、入口付近は窓から陽光が差し込んでいて明るい雰囲気なものの、店の奥は照明の明りがやっと届いてくる程度のものだった。春菜は窓際を所望したのだが、純一郎が店の奥の方が良いと言い、春菜が妥協する形となった。その後注文を取ってからは、二人とも無言が続いた。品がテーブルの上に出された時も、少年は俯いて黙っていた。
「……ごめん、俺のせいで」
純一郎は少女の顔を、正面から見れなかった。視線を落とし、真黒なコーヒーカップの中身を凝視しながら、やっと口を開いた。春菜は純一郎の謝罪を、頼んだコーヒーを飲み、目をつぶりながら聞いて後、答えた。
「……いえいえ、痛いのは、慣れっこですし。私は全然元気ですから、心配しないで下さいね」
聞けば、体内の神通力を使って、怪我の治療も早められるだとか。確かに、蔵の中で膝をついていた時の痛々しさはなりを潜めている。
だが、あの時感じた罪悪感は、それで清算できる類いのものではなかった。
「それに、謝らないといけないのは私の方です。私が居るから大丈夫だなんて息まいていたのに、この体たらくで……」
「……そんなことない!」
純一郎が声を張り上げたので、春菜は少し驚いた様子だ。幸い、店内に客は二人のみであったので、壮年の店主が少し眉を上げただけで、他の客を驚かせるということは無かった。
「そんなことない……春菜は、頑張ってくれた。俺が、情けなかったから……」
膝の上に置いた拳に力が入る。自分がもっとしっかりしていたら、少女をあんな目にあわせずには済んだはずなのに――。
「いいえ。純一郎さんだって、頑張ってくれたじゃないですか」
「でも……!」
純一郎は顔を上げる。そこには、昨日から何度も見た、優しい笑顔があった。そしてその暖かみに吸い込まれるように、眼と眼が合った。
「やっと、顔を上げてくれましたね……やっぱりお話しするときは、顔を合わせて喋りたいです」
「あ、えっと……」
そう言われた直後であるのに、純一郎は視線を逸らしてしまった。今度は後ろめたい気持ちで眼を合わせなかったのではなく、単純に照れくさかったから。なんとか頭を下げなかったのは、せめて顔を合わすという体裁を整えるためであった。
「もう、そうやってすぐ眼を逸らしちゃうんですから……まぁ、いいです」
春菜はくすっ、と小さい笑いを上げ、注文したコーヒーに砂糖を付けたし、スプーンでかきまわし始めた。そして、カップを持ちあげ少し熱い液体を舌で転がし、少し渋い顔をしてから、再びカップをコースターの上に戻し、深く息を吸い込んだ。そして、意を決したように話し始めた。
「昨日も聞きましたけど。純一郎さん、何か悩んでいることはありませんか?」
あ、勿論魔物のこと以外でですよ――そう付け足して、少女は少年の返事を待った。
「……それが今の状況に、何か関係があるのか?」
純一郎は、また頭を下げた。
「はい、それがあるんです。あの影が言ったこと、覚えていますか?」
なんだか、色々言っていた気がする。だが、果たしてどれのことを指しているのか。少年には見当が――。
「……俺の感情が、アイツの血肉になってるって、それか?」
「はい、それです」
春菜は、またコーヒーを少し飲んだ。そして眉をひそめながら、カップを戻す。
「魔物という存在が、何を糧にしているか……それは、人間の悩みや妬み、哀しみや怒りであるという、俗世間で言われる負の感情というものです」
そしてカップに、もう一つ角砂糖を放りこんで、スプーンでかきまわしながら続ける。
「何故、神祇官などという古臭い組織が未だに存在し続けるのか。その答えがこれです。人間は、負の感情から逃れることのできない生き物。それ故、如何に科学が発達して、神秘や物の怪が否定されようと、魔物の存在は消えることが無いんです」
春菜は次にクリームをコーヒーの中に継ぎ足す。今度はかきまわさず、自らのカップを純一郎にも見える位置に置いた。そこには、混じり合う前の二つの色が浮かんでいる。
「ちょうど、こんな感じです。白と黒。世間というのはこういった感情が渦巻いているものです」
そう言ってのち、スプーンで自身のカップをかきまわし始める。白と黒が溶けあい始め、中には灰色が生まれる。
「それで、人の心って、多分こんな感じなんです。なかなか、人間って真っ白でいられませんから。でも……」
春菜は、純一郎のコーヒーカップを指を差しながら続ける。
「あまりにも黒過ぎれば、そこから歪みが出て来ます」
「……アイツを生んだのは、俺だったってことか?」
純一郎は、自分のカップの中の黒を凝視しながら答えた。そこには、自分の心があった。そしてそこから、眼を離すことができなかった。
「いいえ、そういう訳ではありません。ですが……封印を解いてしまったのは、貴方の悩みなんだと思います」
そう言いながら、春菜は自分のカップに再び口を付けた。そして、カップを置いて再び角砂糖を――。
「って、さっきから砂糖入れ過ぎじゃないか?」
流石におかしいと思い、純一郎が疑問を差し挟んだ。
「……私も格好をつけて、コーヒー頼んでみたんですけど、その、苦くって……」
春菜は苦笑いをしながら、右手で頭の後ろを撫でている。純一郎の意見を聞いて自重したのか、四つ目を諦め、合計三つの角砂糖とクリームの入ったカップに口をつけて後「あ、これなら美味しいかもです!」などとのたまいだした。純一郎は力が抜け、頭を机に激突させた。
「コーヒーの美味しさ、なんとなく理解できました。これで、私も大人の仲間入りですね!」
少女の眼は輝きを放っている。
「そんな甘いのは、オコチャマが大好きなミルクたっぷりのコーヒー牛乳レベルだ!」
今までは頭の中で収めていたツッコミが、とうとう少年の口から溢れ出た。
「そ、そんな、オコチャマだなんて……私、結構しっかりしてるんですよ!?」
春菜は、少し涙目だ。どうやら、子供扱いされるのがあまり好きではないらしい。
「……そう言う純一郎さんは、コーヒーそのまま飲めるんですか?」
春菜は不服げに、純一郎の方を見つめる。そして、純一郎は少しニヤつきながら、自分のコーヒーカップを手に取り、何も入れないままの黒い液体を飲みだした。その様子を春菜は、信じられない、という表情で見つめている。
「う、嘘です……絶対無理しているに決まってます!」
春菜の驚嘆の声に満足して、少年はカップを机に戻す。
「いやぁ、やっぱりこの酸味が、コーヒーって感じだよね」
ふっ、と微笑を洩らしながら、純一郎はささやく。凄く下らないことだが、なんだか勝った気がした。ちなみにそれを見た店主は顔を逸らしながら咳払いをしていた。
「むむむむむぅ……! わ、私ももう一杯頼んで……!」
意外と負けず嫌いなのかもしれない。そして純一郎は、それを見て少し申し訳なくなった。
「ごめんごめん。まぁ、美味しく飲むのが一番だよ。そんな、張り合わないでさ」
実は中学二年生のころ、上質を知る男になりたくて、日夜ブラックコーヒーを飲んでいたため、苦みに少し慣れていただけだ、とは言わないでおいた。きっとこれが、眼の前に少女に勝てる、数少ない自分の大人な所なのだ。
「そ、そうですよね。美味しく飲むのが一番ですよね」
そう言いながら、もう一つ角砂糖を足そうとしている。
「……でも、流石にそれは入れ過ぎだと思うぞ」
春菜は、はぅっ! と声をあげて、名残惜しそうに手を止めた。
少女の気の抜けた一連の行動を見て、純一郎の心も少し軽くなっていた。口に出せば、少し楽になる部分もあるかもしれない――そう思い、純一郎は頬づえをつきながら、独白のようにつぶやき始めた。
「……なんだかさ。俺って、何もかも中途半端でさ」
視線は宙を泳ぎ、定まっていない。どこを見るということも無く――強い手を言えば、自らの心に視点を定めているのかもしれない。
「中一の時くらいまでは、なんだか色々と上手くいってたと思う。でも、中二あたりからかな。なんだか、一生懸命って、カッコ悪い気がして、色々なことに手を抜き始めて……」
ふと、春菜がどんな顔をしているのか気になって、視線をやる。少女の顔は、至って真剣だ。
「ごめん、多分俺、嘘を言ってる」
なんと表現すればいいのか、少年も分からなかった。だが、こんな不誠実では、真剣に聞いてくれている少女に申し訳ない。
「いいえ、気にしないで下さい。きっと人間って、言うほど自分のこと、分かってないんですよ。それで、悩むんです。だって自分のことが全部分かったら、悩みの原因だって分かって、それを解決すればいいんだけなんですから。だから……怖いのは、何時だって分からないことなんです」
そうかもしれない。自分が抱いている焦燥感は、正体が分からないから怖いのかもしれない。いや、本当は見えてはいるんだ。それは、あまりにも漠然としていて、朧げだけれども、確かにそこにある。
「口にすることで、見えることもあるかもしれません。ですから、思ったことを少しずつでもいいですから、言葉にしてみてくれませんか?」
「……うん。なんで悩み始めたかは分からないけれど、なんて言うかな……自分に、自信が持てなくってさ」
何故、自信が持てないのだろうか。少年は不安を、苦さで打ち消そうとする。しかし、口の中にほのかに酸味が広がるのみで、コーヒーは答えをくれなかった。
純一郎はため息をついた。これはきっと、苦しくても一個一個、色々吐きださないとダメなんだろうな、そう思った。なので、少女の厚意に甘えることにした。悩みを一人で考えたり、壁に向かって話したりするよりは、余程建設的だろうし、楽にもなるだろう。
「さっき、嘘を言ってるっていったのは、多分順序が逆だって思ってさ。きっと、まず何かが上手くいかなくなったんだ。それで、自分に対して言い訳を始めたんだ。本気で頑張るなんて、カッコ悪いって……」
この先を続けるのが、急に怖くなった。助けを求めるように、純一郎は春菜に視線を送った。しかし、春菜はじっと見つめ返してくるだけだ。まだ、私が喋る番ではありません。そう言っているようだった。
「……そう、きっと怖かったんだ。本気じゃないって言えば、本当は自分は弱くないんだって、そう思えるから。でも、実際は……」
消え入るような声で、なんとか絞り出した。本当は、気付いていたのだ。きっかけは分からなくても、自分を情けなくしていたのは、結局のところ――。
「……ねぇ、純一郎さん。私は、貴方がそんなに弱い人だなんて、思いませんよ」
純一郎は、声の方に顔を見上げた。自分が俯いていたことにすら、気付いていなかった。
「だって、貴方は今日、私のために立ちあがってくれました。それに、今だって……貴方は、嘘をついたって良かったんですよ? 誰だって、誰かを欺きながらじゃないと……自分すら欺かないと、生きていくの、難しいですから」
今度は春菜の方が俯いている。今、彼女はどんな顔をしてるんだろうか。知りたくても、知ってはいけない。純一郎は、そんな気がした。
どれ程の時間が流れただろうか。しばらく沈黙が続いた。静寂が永遠に続くかと思われた。しかし、春菜の方が顔を上げ、いつもの笑顔で口を開いた。
「……でも、貴方は今、自分の弱さを認めました。それって、すっごく勇気が必要だったと思います」
実際、昨日までだったら、絶対に言わなかったと思う。それを口に出せたのは、目の前の少女が、凄く一生懸命だから。だから、言えた。少しでもこの少女の前に居て恥ずかしくないように、せめて正直になろうと、少年も思ったのだ。
「だから、自信を持ってください。今、貴方が私に正直に話をしてくれたことは嬉しかったですし、何より、多分それが最初の一歩なんですから」
なんだか、敵わないなぁ。純一郎はそう思った。自分とそう変わらないであろう歳の女の子に、こんな風に諭されて。それでも、確かに最初の一歩には立てた気がする。なんだか、心が少し軽くなった気がした。
(でも、なんだか子供っぽい所もあるしな……)
そう思いながら、再び少女に目線をやる。当然、春菜は純一郎を優しい笑顔で見つめている。
(……やっぱり、正面から応えるのは、きっついな)
純一郎は、また目線を逸らした。そして、今度は自分から口を開いた。
「そ、それで……俺の悩みが解決でもしたら、アイツが消えたりは……」
「それは、無いです」
きっぱりと、少女は言い放った。
「そもそも、恐らくあの魔物は、純一郎さんが生まれるはるか前から存在していたモノです。その封印を破ったのは、貴方の負の感情だったかもしれませんが、貴方があの魔物を生んだわけではありませんから。仮に貴方の心が何の悩みの無い、まっさらな状態になったとしても、消えることはありません」
「……それじゃ、なんだか、悩みの言い損みたいな感じじゃないか」
純一郎は悪態をつく。別に、心を楽にしてくれた恩を忘れた訳ではなく、ちょっとした照れ隠しのつもりだった。
「いいえ、そんなことはありません。先ほど言ったように、魔物は人の負の感情を糧にします。純一郎さんの悩みが解決すれば消える、というわけではありませんが、それでも奴を今以上に強くすることは無いはずです」
「成程、そういうことか」
確かに、昼間で二人がかりで全然仕留められなかった。アレが夜になり、全力で襲ってくるとなれば――そして、今以上の力をつけてしまえば、太刀打ちもできなくなるだろう。
「でも、なんで俺の悩みなんだ? 別に、俺じゃなくっても……」
「それは恐らく、貴方が封印を解いてしまったから……という以上に、あの魔物は純一郎さん、貴方の体を欲しているんですよ」
「……なんだよ、それ。気持ち悪……」
言いかけて、あの影の動作を思いだす。確かに、自分の体を侵食しようとしていた。ともなれば、少年の体を欲している。それは、もっともらしく感じた。
「……もう一点、あの影が言っていたことで、気になることがあるんです」
春菜は顎に手をやり、少し思案するよなポーズを取っている。
「我が兵法、未だならず、ってやつか?」
「いいえ、それも気になる点ではあるのですが……純一郎さんに向かって言った、我が遠い後胤、という件です」
そう言えば、そんなことも言っていた気がする。
「……コウインって、何だ?」
しかし、純一郎は言葉の意味が分からなかった。それに対し春菜は、あまり使わない言葉ですしね、と少年に対するフォローを入れてから、続けた。
「後胤というのは、子孫というのと同義です。つまり……」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ……それじゃあ、あの魔物は……!?」
純一郎は、驚きに目を見開いた。それもそのはず、自分の体を狙っているのは――。
「……あの魔物が、いい加減なことを言っている可能性も否定はできません。でも、そうだとするならば、納得できる点もあります。体を奪うにしても、負の感情を取りこむにしても、自らの血を受け継いだ者の方が、遥かに馴染むはずです。なので、恐らく……」
春菜は、一度目を伏せ、随分甘ったるくなったであろう灰色の液体を口に含んだ。そして、少年が聞きたくない推論を続けた。
「あの魔物、いえ、亡霊は、純一郎さんの祖先の方である可能性が、非常に高いです」
春菜の言葉に射ぬかれ、少年の思考は一瞬停止した。あんなものが、自分の祖先。しかも、自分の体を狙っている――改めて反芻することで、事態のおぞましさに、純一郎は身震いをした。
「そう考えれば、未だならずっていう件も、なんとなくですが説明できます。あの亡霊は、この世に強い未練を持っている。そして、その未練を解消するために、自らに近しい存在……つまり、自分の子孫の体を乗っ取って、それを成そうとしている」
少年は、少女の言葉を黙って聞いている。なんだか、訳が分からないような、それでいて明確に理解できているよな、不思議な感覚だった。
「勝手な憶測を語らせていただけば、こうです。あの魔物は、これに封印されていましたよね?」
そう言いながら、春菜は先ほどの柄のような物を取りだす。
「これの使い方は、後で説明いたしますが……簡潔に言うと、魔を封印するための道具なんです。そして、純一郎さんのお爺様が、何かあったらウチの神社に来るようにと言っていたということは、恐らく貴方のお爺様の代で一度、あの亡霊は復活したのでしょう。そして、その際には水上の者も、協力したのだと思います。私自身は、お婆様から何も聞かされてはいませんでしたが……これは、神社に帰って、ウチの方の倉庫で少し調べてみましょう」
一旦息をつぐ為、春菜はコーヒーを飲みほした。
「少し脱線しましたが、お爺様の代で一度復活したとなれば、あの亡霊の正体は、もっと古いものになる、ということです。兵法という表現から、恐らく動乱の時代……江戸末期か、はたまた戦国の世の亡霊なのか、定かではありませんが……とにかく、長い歳月を経て、封印が弱まっている所に、その、悩んでいる純一郎さんが触れてしまって、亡霊に糧を与えてしまった。それで、復活したんだと思います」
「な、成程……でもそれなら、俺の戸籍を調べれば、奴の正体も……?」
「すぐには、厳しいと思います。戸籍って、正確なものは百五十年ほどしかさかのぼれないんですよ。なので、江戸末期の方なら分かりますが、それ以前の方だったら、簡単には分からないでしょうね」
「……そっか」
それを聞いて、純一郎は落胆してしまった。やっとあのトンデモない物の足を掴めると思っただが。
「ですが、アレの封印に、水上が関与していたと言うのなら、話は別です。あれ程強力な亡霊に関する記録は、必ず残っています」
そう言って、春菜は純一郎に対して微笑む。昨日から、何度この笑顔に救われているか分からない。
「ですから、とりあえず今日の所は引きあげましょう。神社の方で、もう一度調べてみて……それで、必ず相手の正体を掴んで、次こそは、純一郎さんの平和な時を取り戻してさしあげます!」
両の手で握りこぶしを作りながら、春菜は元気に声を出した。
「ですから、今晩中……は、少し厳しいかもしれませんけれど、明日の内には、きっと解決しますから。でも、あの亡霊のことだけでなくって、私、純一郎さんに、本当の意味で元気になって欲しいんです。ですから……」
春菜の言いたいことは、少年も分かっているつもりだった。確約は出来ない。でも、せっかく一歩を踏み出せたのだ。だから、それを無駄にはしたくない。
「うん、分かってる。もう少し、頑張ってみるよ」
何に対して頑張ればいいのか、それは言わなかった。というより、言えなかったのである。自分を情けなくしていたのは自分、それは再確認できた。だが、最初のきっかけはなんであったのか、それは思い出せない。そして、どうすれば立ち直れるか、それも分からなかったからだ。
その時、純一郎の後ろの壁から三回、鐘の音が聞こえた。
「もう、三時なんですね。暗くなる前に戻って、結界の貼り直しもしないとですし。御夕飯の準備のために、お買い物もしなければなりませんから。神社に戻りましょうか」
このままでは二日連続で外泊することになる。しかしどの道、この春休みは結構友達の家に外泊していた。きちんと連絡を入れれば、母も納得はしてくれるだろう。そう思いながら、今度は純一郎がカップに残った黒色の液体を飲みほした。冷めてしまって、余計に酸味が強く感じられたが、不思議とイヤな感じはしなかった。
そして、純一郎は伝票を取り――せめて、少しでも恩を返そう――颯爽とレジの方へ歩いて行った。少年は、いつも右ポケットに財布を入れている。だが、いくら手で探ってもその感触が無い。他のポケットも服の上から確認したが、それらしい形状の感触は返ってこなかった。
春菜は一瞬出遅れて、純一郎の後に続いた。
「あ、あの! コーヒー、五百円ですよね? 私も、自分の分は自分で……」
そう言う春菜の方に、純一郎はゆっくりと振り返った。
「あの、言い訳していいかな?」
「……? なんでしょうか」
「昨日俺、必死になって家を飛び出したんだ」
それを聞いて察したのか、春菜は少し意地の悪い笑みを顔に浮かべた。
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