第3話
(そうだ、一旦カーチャンに連絡を入れないと……心配してるかもしれないし)
純一郎は携帯を取り出し、母に送る文面を考えた。何というふうに言い訳しようか。まさか魔物に追われているなどと言う訳にもいくまい。友達の家に泊りに――唐突に家を飛び出して、それは素行としてどうなのだろうか、などと考えているうちに、次第に母へのメールを考えるのが面倒になってしまった。
(とりあえず、寝る前でイイや。ケータイに履歴も無いし、カーチャンも俺が家を出たの、気付いてないのかもしれない)
そう思い、一度携帯を座布団の横に置いた。そういえば、ずっと正座をしたままであったことに気付き、さすがに足も痺れてきていたので、胡坐をかきなおした。そうしてふつふつと、今日起った出来事を振り返り始めた。
(しかし、可愛い女の子の家に泊ることになるだなんて。これは、人生の一大事……うん?)
そう思った瞬間、強烈な違和感に襲われた。どう見ても春菜は、自分と同世代だ。かなり穿って見ても二十代中盤――というにも苦しい。恐らく十代のはずだ。そんな彼女に、あるべきもの、いや、居るべきものが無いのではないか。
「あの子の両親は、もうこの世にいないぞ」
聞き覚えのない声が、縁側の方から聞こえた。気付けば、先ほど春菜が締めたはずの窓が再び開け放たれ、そこに一人の、和服を着た幼い少女が、外側に足を投げ出して座っていた。後ろ姿で顔は確認できないが、その代わりに長い髪を首の所で一本に束ねている姿が見える。その髪の色は、この世のモノとは思えない銀色で、月明かりを受けて妖しく輝いていた。
「ほう、ワシが見えるのか。まぁ、視えると確信して、声をかけたんじゃがな」
思いのほか、可愛らしい声をしていた。だが、声の調子は、後ろ姿の幼さとはまるで似つかわしくない程、老練されていた。
「あぁ、そう警戒するでない。ワシは貴様に害を加える存在ではないぞ」
純一郎の方へ振り返りながら、その少女は言った。その顔に、半分は幼子に似つかわしくないほど老獪で、半分は相応しいほどに生意気そうな笑みを浮かべていた。そして立ち上がり、少年の方へ近づいて来る。純一郎は声を上げることができず、その少女が近づくのをじっと見守っていたが、反面それを面白がるかのように、少女は純一郎の顔をまざまざと見つめている。そして、今度は両手を広げ、肩を竦めながら口を開いた。
「四十点」
唐突に飛びだした数字に、純一郎の頭は処理が追いつかない。一方少女は、やれやれといった呆れ顔で続ける。
「いや、やはり三十五点じゃな。言われたことの意味が分からぬという所が、マイナス点じゃ」
どうやら、自分に対する点数であったらしい。少年は少しムッときたので、言い返すことにした。
「お、お前が一体何者かは知らないが……人に点数をつけるだなんて、失礼なんじゃないか?」
少女は、ほう、といった顔をした。言い返す気力があったことが、意外であったのかもしれない。
「成程、まったく骨が無い奴と思ったが、そうではなかったらしいな。四十点に戻してやろう……いや、やはり三十五点じゃな。大方、ワシの外見が幼子だからとて、見くびって言い返したに相違あるまい」
「なっ……!」
違う、と言い返そうとしたが、確かに少女の言い分を、完全に否定はできなかった。しかし、この悔しい想いをどうしてやろうか。純一郎は思案していたが、少女はそんなものどこ吹く風と言わんばかりの表情だ。
「まず、前髪が長い。男なんじゃからバサッと切ったらどうじゃ? 次点、顔がパッとしない。目鼻立ちがくっきりとしていない。童顔じゃな、貴様。まぁ、それは歳もあるから仕方ないとしてもじゃ、目に力が無いな。貴様の性格の卑屈さが、現れているようじゃぞ。顔というのはな、その者の性格を如実に表すものじゃ」
言い終わると、もう見飽きた、と言わんばかりに、少女は純一郎から顔を逸らし、詰まらなそうに元いた縁側に戻った。
「ま、減点対象はだいたいそこじゃ。自信が無い、なよなよした男。顔も性格もダメダメ。あぁ、そう言えば喋り方も駄目じゃ。なんじゃ、若いもんが口調を濁して、なになにっすって。もっとしゃっきり喋らんか。このうつけが」
なんで初対面の相手にここまでコケにされなければならないのか。それに、口調だって――しかし、少女の矢継ぎ早の罵倒は止まらない。
「あぁ、最近の若いもんは、皆そんな喋り方をする、などという言い訳は聞かんぞ。好きでその口調ならば否定はせぬが、皆がやってるから、などという主体性の無さ。それも減点対象じゃ」
ここで少女は一息ついた。そして、ゆっくりと振り向いてくる――その横顔は、穏やかなものだった。
「三十五点をお情けでくれてやったのは、そうじゃな……貴様自身、これでいいのかと思い悩んでいる点じゃ。悩むことを忘れた人間なぞ、獣と同類よな。そこに、成長する道標があるというのに……だから、未来に期待しての、三十五点。目に力が入れば、見れない顔をしてないこともないしな」
褒められてるのか貶されてるのか良く分からなかったが、なんだか純一郎はほっとした。厳しい人がふいに見せた優しさに、やられたのかもしれない。それを見越してか、再び渾身の意地悪を顔一杯に浮かべながら、少女は純一郎の方に向き直った。
「ちなみに、二百点満点じゃぞ?」
純一郎は、一気に肩の力が抜けた。そして、その後に何故だか笑いが出てきた。
「ははっ。まぁ、お前の言う通りかもしれないな。それで……」
純一郎の疑問を先読みしたのか、眼の前の少女は純一郎が言い終わる前に答える。
「ワシは白滝。まぁ、この神社の守り神みたいなもんじゃ」
「流石は神様。こちらの言いたいことも全て分かっているのか……って、神様!?」
また非科学的な存在が飛び出てきた。いや、この少女が相当残念な子なのかもしれない、などと思ったが、よくよく考えてみれば、魔物などというものが存在しているのだ。神が居たって、おかしくはないのかもしれない。
「そうそう、そんなもんじゃ」
だから思考を読むのをやめてくれ、少年はそんなふうに思ったが、ふと先ほどの言葉が気になり、そちらを優先することにした。
「あの、春菜……さんの親、この世に居ないって、どういうことなんっす……いや、どういうことなんですか?」
「あぁ、ちなみに敬語はいらんぞ。神と言えども、この世には掃いて捨てるほどにいる一柱にしかすぎんのだからな」
白滝は再び窓の外に視線をやり、星を見ながら淡々とした口調で話し始めた。
「ま、あの子が小さい頃に、交通事故でな。それで、先々代のばーさまと二人で暮らしておったのじゃが、三年前に寿命でな。故に、もはやあの子に家族と言える存在は……」
「……そうなのか」
少年の胸中に、再び様々な感情が浮かんでくる。自分には家族が居て、平々凡々な身の上。一方で、同世代のあの子はこんなに苦労していて――。
「申し訳ない、などと思うでないぞ。たまたま、そういう運命の下に居っただけでじゃろう。お前も、春菜もな」
「でも……」
「でももへちまも無いわ。だが、そうじゃな……もし少しでも、あの子のことを想うのならば、あの子を頼ってやってくれ」
頼る、というのは違和感があった。普通は、支えてやってくれとか、そういうことを言う所なのではないか。勿論、今日会ったばかりの、それも曰く三十五点の自分に、そんなことを期待するのもおかしくはあるのだが。
「あの子は、誰かの役に立つのが好きなんじゃ。だから、お前があの子に救われるのが、あの子にとっては一番の幸せなんじゃ」
白滝の顔は見えない。相も変わらず星を見上げているからだ。口調こそは淡々としているが、その胸中までは推し量ることは出来なかった。
二人はしばらく無言であったが、丁度その静寂を終わらせるかのように、ぱたぱたという足音が純一郎のいる部屋に近づいてきた。
「純一郎さん、寝床の準備が出来ましたよー……って、姫様。こちらにいらしたんですか」
春菜は少し意外そうに、二人の様子を見て言った。
「あぁ、客人を暇にさせては申し訳ないからな。ワシが相手をしてやっていた所じゃ」
(……むしろ俺がアンタの暇つぶしに付き合わされていたんじゃないのか?)
純一郎はそんな風に思ったが、敢えて言わずにおいた。
「それはそれは、どうもありがとうございます」
「いやいや、礼を言われる程の事では無いわ。ワシも良い暇つぶしになった」
(やっぱり俺を暇つぶしに使ってたんじゃねーか!)
純一郎は肩の力がガクッと抜けた。
「お、貴様。そのリアクション、なかなかオーバーで面白かったぞ」
白滝はご満悦だった。二人のやり取りを見て面白かったのか、春菜は少し笑っている。そして笑い終えた後、純一郎の方に向き直って要件を切りだした。
「それで純一郎さん、どうしますか? もうお部屋に行って、お休みになられます?」
そう言われると、なんだか一気に疲労感が出てきた。考えてみれば、明日は色々と頑張らなければならない。それならば、早く寝て――先ほど春菜が言っていたように、英気を養うべきだ。
「それじゃあ、今日は早く寝ま……」
「いや、ちょっと待て」
純一郎が「寝ます」と言おうと思った矢先、神様が割って入って来た。
「姫様? 何かあるんですか?」
春菜は頭の上に、特大のハテナを浮かべている。
「あぁ、あるぞ。折角客人が来たというのに、早々に寝かしてしまってはもったいなかろう?」
白滝は、またしても意地悪げな表情を浮かべている。
「でも、純一郎さんはお疲れのようですし……」
「いや、冷静に考えてみろ春菜。ワシ、お前、そこのボンクラの三人を合わせればじゃな……」
さりげなくボンクラとかなどと貶められたのだが、純一郎は黙っていることにした。
「三人合わせれば……?」
春菜は先ほどと変わって、今度は真剣な表情で神様の次の句を待っている。
「……花合わせが出来る」
な、なんと! と春菜は唸っている。その後、目を輝かせ、光悦した表情を浮かべてのち、頭をぶんぶん振り始めた。邪念を打ち払おうとしているのだろうか。
「で、でも! やっぱり純一郎さん、お疲れですから……」
そう言いながら、春菜は純一郎の方をチラチラと見ている。その顔には、何かを期待するような、そんな表情が見て取れた。それに対し純一郎は、状況が呑みこめずに聞いた。
「あ、あの……花合わせって、なんでしょうか?」
なんだか淫靡な香りのする言葉だ。白滝の言葉を復唱した後に、なんだか純一郎は少し興奮してきた。
「これだから、若いもんってのいうのは」
白滝は、再び肩を竦めて、やれやれというジェスチャーを取った。言葉の意味を知らない以上に、思春期真っ盛りの少年のある種の純粋な胸のときめきすら、察してしまっていたのかもしれない。
「花合わせって、花札のルールの一つのことなんですよ。これが、三人居ないとできないルールでして……」
そう言われて、純一郎は再び肩の力がガクン、と抜けた。白滝はそれを見てまた笑い始めた。
「いや、少年! お主、なかなか面白いところもあるようじゃの! 五点加点してやるわ」
「それって結局、最初の点に戻っただけじゃないか……」
もはや純一郎には、肩に入れる力どころか、体のどこにも入れる力が残っていない。それを見て白滝はゲラゲラ笑っている。そして、横から春菜が申し訳なさそうに口をはさんできた。
「や、やっぱり……純一郎さん、お疲れですよね。今日はゆっくり眠って……」
「いや、やるよ」
全身力が抜けきった少年の口から、春菜にとって意外であったであろう一言が漏れた。
「で、でも……」
そう言いながら、春菜は少し嬉しそうだ。
「まぁ、折角のお泊りで、すぐに寝ちゃうのも、確かにもったいないしな。だから、やるよ」
純一郎は、そう言いながら力を入れて、顔を上げた。先ほどから白滝と話していた名残からか、春菜に対して敬語を使うのを忘れていた。だが、春菜はそれを気にする風は少しも無かった。
「え、えと……それじゃあ、お願いします!」
「でも、その代わり俺、ルールが分からないから。教えてもらいながらだと、助かるよ」
「それはもう、お任せください! 私が誠心誠意、心を込めてお教えしちゃいますから!」
春菜は、大興奮している。端正な顔立ちが満面の笑みに崩れ、鼻からは荒い息が聞こえてきそうな程であった。
「よし、それでは始めるか」
そう言うや否や、白滝は袖から花札を出した。まさか、いつも常備しているのだろうか。そんな風に純一郎は思ったが、聞かずにおいた。
「ちなみにワシは、初心者相手といえども決して手加減はせんぞ?」
ニヤニヤしながら札を切り、カードを配りだした。
「最初っから負けっぱなしだったら、詰まんなくなっちゃうんじゃ……」
「いや、そんなことは無い。人間、負けなければ工夫をしないからな。早く上達するためには、けちょんけちょんにされるのが一番じゃ」
純一郎の抗議は、バサッと切られてしまった。
「まぁまぁ、私がコツとかを教えますから」
すかさず、春菜のフォローが入る。
「うん、お願いするよ。……それで、札の意味が全然分かんないんだけど……」
「えっと、派手な札が二十点札で、動物が書かれているものが……」
深い夜の雑木林に、少年少女の笑い声がかすかに響き渡っていた。
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