第4話


 鳥の歌声が聞こえ、少年は目が覚めた。


 結局、昨日は花札に始まり、トランプ大会まで開催されてしまった。


『三人でやるババ抜きって、凄くスリリングですね!』


 そんなことを言っていた少女のことを思い出し、純一郎は少し笑った。そしてその後に、寝床のすぐ横に置いていた携帯で時間を確認した。時刻は午前六時。こんなに早起きをしたのは、実に半年ぶりだった。


(一応、五時間くらいは寝れたのか……)


 そんな風に思いながら、上着を着て、昨日トランプ大会が開催された畳の間に向かった。


 居間に着くと、長机の上に、昨晩散らかした札の代わりに色鮮やかな料理の皿が乗せられていた。しかし、それを作ったはずの人物が、辺りを見回しても居ない。待っていればそのうちに戻ってくるだろうとも思ったが、開け放たれた障子の向こうには、さわやかな青空が広がっている――折角なので、朝の散歩もいいかもしれない。そんな風に思いながら、純一郎は玄関に向かい、靴を履いて、引き戸を開いた。


 朝の新鮮な空気を肺一杯に吸い込み、改めて周囲を見渡す。耳を澄ませば、自分を起こした鳥の音に、かすかに何か音色が混じって聞こえる。恐らく、社の正面側だ。そう思い、少年は音の出所の方へ、足を運んでいく。


 すると、居た。可愛らしい鼻歌をうたいながら、竹箒で境内の花びらの掃除をしている春菜の姿が見えた。

 春菜の方も人の気配に気づいたのか、鼻歌を止めて後ろを振り返った。向こうも少年の姿を視認したらしい。少し顔を赤らめ箒を動かす手を止め、深々と頭を垂れた。


「お、お早うございます、純一郎さん。その、良い朝ですね」


 鼻歌を聞かれて恥ずかしかったのか、少し言葉の歯切れも悪い。


「お早うございます、春菜さん」


 それに対し、純一郎も挨拶を返す。出来る限り何事もなかったかのような装いで返したつもりであったが、やはり少々口のにやけを止めることができなかった。


「いえ、その、朝ご飯で起こしに行こうと思ったんですけれど、純一郎さんを結局遅くまで付き合わせてしまいましたし、そういえばちょっとお掃除もサボってたなって思って、少し掃除してから、起こしに行けばいいかなぁ、なんて思ってですね、それで……!」


 鼻歌を聞かれたことを流そうとするように、春菜は矢継ぎ早に話しだした。


「そうだったんですか。でも、鼻歌も良かったですよ?」


 純一郎の言葉に頭を打たれ、春菜は一瞬のけぞって後、力無くうなだれた。両手で箒を杖代わりに持ち、なんとか立っている様子だった。そして少ししてから、ジト、とした目で少年の方を見据えた。


「……純一郎さん、意外に意地悪なんですね」


 春菜は、少し怒った様子だ。純一郎の方は、その悪態に少し笑ってから、自分でも自身の発言に少し驚いた。まさか、出会ったばかりの、それも異性にこんなことを言ってしまうだなんて。もしかしたら、昨日のカード大会通じて、少しは心許せたのかもしれない。


(でも、なんだかそれ以上にこの子、ちょっと意地悪したくなる感じなんだよなぁ)


 そんな風に思っている間に、春菜が再び声をあげた。


「あの、敬語……」

「……はい?」

「ですから、敬語です」


 昨日から、相手が何を言わんとしているか分からないことが多い。純一郎自身は、自身をそんなに鈍いとも思っていないのだが、分からないものは分からなかった。


「えっと、それはどういうことですか?」

「昨日遊んでいる時、純一郎さん、敬語使ってなかったんですよ。それで、使ってない方が、私も嬉しいと言うか……」


 昨晩、自分が敬語を使っていたのか、いなかったのかなどということは、純一郎は覚えていなかった。だが、確かにあまり畏まった言葉は苦手だ。昨日誰かさんに注意されたように、つい語尾を濁してしまう。それならば、自然に話せるほうが、自分自身話しやすくて良い、そう思った。


「でも、これからお世話……いや、昨日からお世話になりっぱなしの人に、あまり失礼になるのも」


 如何に心の内が決まっていても、建前というものは必要だ。純一郎は一応の確認を取ることにする。


「いえ! 全然失礼じゃありませんから!」


 力一杯に、春菜は答える。それを見て、純一郎は思った。


(こちらの一挙一動に、これほどまでに全力で応えてくれるから、なんとなく意地悪したくなるんだな)


 きっとこれは、思春期特有の可愛い子には意地悪をしたくなるという一種のアレだ。しかし、これ以上意地悪をすると怒らせてしまうかもしれない。何より、自分のために一生懸命になってくれている相手に失礼だ。そう思い、少し姿勢を改めて、純一郎は自分に出せる最大限の爽やかさで答えた。


「それじゃあ、これからは普通に喋らせてもらうことにするよ……」


 なるべく、自然な笑顔で言ったつもりだ。しかし、ちょっと意識して喋りだしたので、少し声が上擦ってしまったかもしれない。中学を卒業したばかりのお多感な少年に、自然にキメルというのはあまりにも困難であった。実際、ここに第三者がいたら少年の必死さを見て、噴き出していたかもしれない。だが、当の春菜はそんなことなど気にするふうも無く、自分の提案が受け入れられた事実に満足している様子だ。


「はい! それで、お願いしますね」


 昨日から何度見たか分からない、満面の笑みで答えてくれた。


「でも、春菜は敬語をやめないのか?」


 敬語をやめても、少年が思春期真っ盛りなことに変わりはない。春菜の笑顔に正面から応えるのが恥ずかしく、少し視線を横に逸らしながら尋ねた。


「あ、えと……私は、これが自然体なので」


 春菜は、少し申し訳なさそうだ。しかし、別に相手が敬語だからといって不利益があるわけでもないし、何より敬語がこの少女には凄まじい程までに似合っている。


「いや、それなら別に構わないから」

「ありがとうございます。……と、それじゃあそろそろ戻って、朝食にしましょうか。きちんと純一郎さんの分も、準備してありますから」


 そう言いながら、春菜は箒を勾配の手すりの所に立て置き、純一郎の方へ小走りに近寄って来た。

 そういえば確かに、居間に食事が用意されているのを見て、自分の分も作ってくれたのか、とは思ったが、本当に世話になりっぱなしである。


「なんだか、本当に昨日から……」


 言いかけているうちに、春菜は自身の人差し指を、そっと純一郎の口元へ伸ばす。その所作に吃驚して、少年は言葉を止めてしまった。


「いいんですよ。私、誰かのお役にたてるの、好きですから」


 そう言う少女は、顔に微笑を浮かべていた。だが、その微笑は、確かに優しさも伝わってくるのだが、それ以上にどこか達観したような、何かを諦めたような、そんな微笑みだった。少年は、未だに呆気に取られ、何も言えずにいた。


「……さ、中に入りましょう。三寒四温とは言ったモノです。特に朝は、まだまだ寒いですしね」


 春菜は指を下ろし、つかつかと社の裏手へ歩いて行く。それを数秒見送って後、純一郎も我に帰り、春菜の後を追った。






 居間に戻ると、春菜に座って待っているように施され、純一郎は座布団の上に胡坐をかいて待っていた。待っている間が暇なので、携帯を取り出して時間を潰そうと思った。確認してみると、未読メッセージが一件。開いてみると、母からだった。


「あんまよそ様に迷惑かけんじゃないよ」


 昨晩寝る前に、友達の家に泊まりに行ってくる、というかもう行ってる、という旨のメールを送っていたのだ。フランクな母親で良かった。純一郎はそう思った。


「お味噌汁を温め直すのに少し時間がかかってしまって……お待たせしました」


 お盆の上に湯気の昇る茶碗を四つ乗せ、春菜が戻って来た。そして、その茶碗を純一郎の前に二つ、白米が盛られた物と味噌汁が入った物を、対面に残りの二つを置き、そのまま茶碗の前に春菜は座った。


「あれ、白滝の分は?」


 そう、よく見れば朝食は二人分だった。


「お姫様は、いつもお昼過ぎに起きて来ますので」


 成程、あの神様はなかなかダメな奴らしい。あだ名はニート神に決定だな、などと純一郎は思考を巡らせた。


「あ、そう言えば……なんで春菜は、白滝のことをお姫様って呼んでるんだ?」

「お姫さまって、高貴で、詰まらないお仕事はしないからですよ」


 春菜の顔に、少し意地の悪い笑顔が浮かんでいる。もしかすると春菜も、あの神様のことをごく潰しと思っているのかもしれない。


「……というのは、ちょっとした冗談です。お姫様は、ウチの神社のご神体である、霧生織の神様なんですよ。霧生織には、古く京の都からこの地に嫁いできた白滝姫というお姫様の伝説があるんです。そこからあやかって、私は姫様って呼んでいるんです」

「はぁ……成程ねぇ」

「そうじゃなくっても、白滝様は天真爛漫で、無邪気で、可愛らしいお方ですから。お姫様らしくありませんか?」


 そう言われて、半分は納得した。見た目は幼子で、無邪気と言うより天邪鬼であるが、子供らしい点は大いにある。残りの半分は、どことなく神としての威厳もたたえているという点であり、相応の高貴さがあるのも間違いない。確かに姫という呼び方は、京からうんぬんの言い伝えまで加味すれば、適切であるように思われた。

 そうこう純一郎が考えているうちに、春菜の方が口を出してきた。


「あまり長話をしていても、折角温めてきたものも冷めてしまいますし……とにかく、いただきましょうか。おかわりもありますから、たくさん食べてくださいね。今日はきっと、色々と歩きまわったり、忙しいと思いますから。たくさん食べて、元気を付けて行きましょう」


 きっとその通りだ。言われて、自分が魔物に追われていたという事実を思いだす。少年は少し緊張を取り戻したが、この場でくよくよ悩んでも仕方ない。


「それじゃあ、お言葉に甘えて……いただきます」

「はい、召し上がってください。お口に合うか、分かりませんが……」


 純一郎はさっそく箸を焼き魚に向けた。そして一口分の大きさを、口に運ぶ。魚の身を咀嚼して後、春菜の心配は杞憂であることが立証された。食べる挙動をじっと見つめていた春菜に、純一郎は口の中の物を呑みこんでから答えた。


「うん、美味いよこれ」

「そうですか! お口に合って良かったです!」


 お墨を頂いて安心したのか、春菜もやっと食事を始めた。しばらくは黙々と食べていたのだが、その沈黙を春菜の方が打ち破ってきた。


「それで、今日の予定何ですけれど……まず、純一郎さんのお家の、蔵を調べさせてもらいたいです」


 それはもっともな提案だった。全ては、あの蔵から始まったのだから。魔物が封印されていたらしい筒を調べるのも当然のこと、他に何か手掛かりがあるかもしれない。だが、家には母親が居るはず。母にとって見ず知らずの人が、唐突に蔵に上がるとなれば、良い顔をされないのは想像に難くない。


「……ご家族の方には、純一郎さんの方から、なんとか説得していただかないと、となるとは思うんですが……」


 純一郎の思考を読んでか、春菜がすまなそうに言った。自分のために頑張ってくれている子に、あまりこういう顔をさせるのもきまりが悪い。しかも、自分の一大事なのだ。なんとか着くまでに良い言い訳を考えよう。純一郎は、そう腹をくくった。


「カーチャンは、俺がなんとかするよ。それで、その後は?」

「はい。それ以外は、細かくは決めてはいないんですけれど……蔵で見つかる、ヒント次第ですかね。とにかく、なんとかあの魔物を倒せる材料を揃えて、それから……」

「それから?」


 春菜は、またすまなそうな顔をしている。そして意を決したように、続きを話し始めた。


「恐らくあの魔物は、次は神社にまでは来てくれないでしょう。神聖な場所は、魔物の力を削ぎますから。ですから、魔物を倒すには、ここ以外の場所になります。つまり……」

「……奴をおびき出すために、俺が囮にならないとって、そういうことか?」


 あまり、確認は取りたくはなかった。自分を危険な目にさらすのは、当然であるがやりたくはない。


「はい、理解が早くて助かります。なんとか、相手に気付かれないように簡易の結界は準備します。ですが、純一郎さんに最低、後一度は危険な目に会ってもらうことにはなってしまいますね」


 助かるために私を頼って来てくれたのに、申し訳ないんですけれど、そう少女は続けた。

 しかし、あの声から逃れるためには、仕方が無いことなのだ。勿論、渦中に自らの身を進んで投げ出すほどの勇気は無いのだが――。


「その代わり、絶対に私が貴方を護って見せます。だから……」


 春菜の眼は真剣だ。この真剣さを裏切ることを、少年はしたくなかった。


「うん、分かった。春菜をしん……信じるよ」


 少し言葉に詰まったのは、やはり自分の不甲斐なさからだ。結局、護られることしか出来ない自分。でも、だからと言って、他に何ができるわけでもない。


「俺もちょっと勇気を出す。だから、頼むよ」


 こうすることが、今の自分にできる精一杯だ。せめて少女の真剣さに、自分の精一杯で応えようと、そう思ったのだ。


「はい。私も、頑張りますから。一緒に頑張りましょうね」


 一緒に頑張る。純一郎は良い言葉だなと思った。一人では怖いことでも、この人となら一緒に頑張れるかもしれない。


 再び沈黙が訪れる。とりわけこの静寂が気になると言うほどでもないのだが、折角二人で朝食を取っているのに、あまりに会話がないのも文字通り味気が無い。


「……あの、お代わりとかいりません?」


 きっと、春菜もそう思っていたのだろう。何か会話のきっかけでも作ろうとして、沈黙を割ってきた。


「それじゃあ、もらおうかな。なんだか、結構腹が減ってたみたいだ」

「はい! それじゃあ、ちょっと待っててくださいね」


 差し出された茶碗を受け取って、春菜は一度台所の方へ引っ込む。そして、すぐに再び湯気の昇る茶碗を持って戻って来た。


「って、随分大盛りだな」


 見れば、茶碗の上限を遥かに超えた白米が盛られていた。


「えっ? いえ、お腹が空いているって言っていたから……」


 それにしても、限度はあるはずだ。だが、満面の笑みで茶碗を渡されると、食べきれないとは言いづらい。


「……うん、それじゃあ、いただきます」

「はい! あ、お味噌汁のお代わりもいかがですか?」

「……うん、それじゃあ、もらおうかな」


 そう、今日は頑張らないといけないのだ。たくさん食べて、力を付けよう。少年は半ばやけになり、そんなことを思いながら、ひたすら出されるご飯を食べ続けた。


「お代わり、まだいります?」

「……いえ、もういいです」



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