第2話


「では、貴方を襲ったモノの正体について、お話ししようと思います……とは言っても、厳密な正体は分かりませんので、大体こういったモノ、という説明になってしまいますが」


 春菜は、少し真面目な表情を作り、次の句をつぎだした。


「あの影の正体は、魔物と呼ばれる存在です」


 魔物、魔物だって? マンガやゲームみたいな? 純一郎は、そう思った。


「驚くのも、無理はありません。現代社会に、そういった非科学的なモノが存在するなんて、信じられないでしょう」


 厳密に言えば、亡霊、怨霊、物の怪など、様々な区分がありますが、総称して――と、春菜は付け足した。


「だ、だけど……今まで、そんなものに会ったことは無かったし……」


 純一郎は言いかけて、言葉を止めた。そう、実際に遭遇したのだ。その魔物というモノと。


「純一郎さんの言う通り、普通は魔物に遭遇することはありません。理由は二つです。まず一つ、多くの人は魔物を認識することが出来ない、ということです」

「でも、俺には見えたし、声も聞こえて……」

「純一郎さん。少し確認させてください。一昨日にその筒に触れる以前に、こういったことはありませんでしたか? 何か変わったモノが視えるだとか、そういった経験です」


 そう言われて、少し思想を巡らす。だが、こんな経験は今までに無かった。純一郎は首を横に振った。


「そう、貴方も恐らくは、今までは魔物を視ることはできなかったはずなんです。ですが、あの魔物の声を聞いたことで、魔物を認識できるようになったんだと思います。強力な魔物は、現世に影響できる力も大きいので、きっとその影響です」


 本当は、あまりそういうことも無いんですけどね、と春菜は付け加えた。それを受けて、今まで見えなかったモノが視えるようになったのは、有難いのやら、それとも非日常に落とされてしまったことを恨むべきなのか、少年は悩んだ。そんな純一郎をしり目に、春菜の方は説明を続ける。


「そしてもう一つの理由は――本来、多くの魔物はそんなに強い影響力は無い、ということです。せいぜい、ちょっと人の体調を崩させたり、物を落とさせて小さな不幸をお見舞いする位で、人々が逐一魔物を意識する必要性なんて、普段は全然無いんですよ」


 自分を狙うのが、そんな可愛げがある魔物だったら、どんなに良かったか。もしかしたらこの前、靴ひもが切れたのも魔物の影響かもしれない。そんなことを純一郎は考えた。


「では、人が魔物を意識するのは、どんな時か。それは先ほども少し触れましたし、もはや身を持って体験なさっていると思いますが……人に影響力を及ぼすほどの、強力な魔物が現れた場合です」


 そう、今自分を狙っているのは、靴ひもを切って満足するような可愛げのある魔物では無いのだ。アレは、自分を狙っている。それも、ちょっと不幸にするだなんてものじゃない。もっとおぞましい何かで――。


 純一郎の垂れてしまっている頭に、春菜の励ます様な声が聞こえ始める。


「でも、もう大丈夫ですから。私は闇を浄化する者。神祇官より使わされた、破魔の巫女です。神道は、古来より国民の生活に密着し、祭事を司ると同時に、社会の裏の闇と戦ってきていたんですよ」


 神祇官、なんだか聞き覚えがあると思った。あれは、歴史の授業だったか。


「神祇官って、今もあるんっすか?」

「一応、表向きには神祇官は廃され、政教分離の観点から、その機能はお伊勢様の神社本庁に移されました。しかし、魔物と戦う機関である神祇官は、今も秘密裏に存在しているんです。そもそも歴史を遡るってひも解いていきますと……」


 歴代の幕府が何故天皇家を滅ぼさなかったのか、とかなんとか、少女は熱心に続けている。止めなければ夜明けまで話し続けそうだ。そう思い、純一郎は少女の言葉に割って入ることにした。


「えと、秘密裏に……ってことなのに、そんなに俺にベラベラ喋って大丈夫なんっすか?」

「あっ……」


 少女は、マズイ、という顔をした。


「あ、あのあの! できれば今話したことは、内密に……!」

「まぁ、内緒にしますけど」


 そもそも、誰かに話した所で、気合いの入った作り話と思われるのが関の山だ。十四歳という、そういった時期も、とうに過ぎている。


「ホントですか!? その、お願いしますね……」


 春菜はほっ、と一息付いた。そしてそれから、改めて口を開いた。


「それで、後もう一つ質問があるんですが」


 今までにないほど真面目な顔つきで、春菜は純一郎を見据えた。


「え、えと……な、なんっすか?」


 春菜の真剣な雰囲気に若干呑まれ、返答がしどろもどろになってしまった。春菜の方は純一郎の同意を受けて、一息ついて後、きり出した。


「純一郎さん、悩みとかありませんか?」


 言われて、一瞬目の前が暗くなった。だが、すぐに持ち直し、返答する。


「いや、全然。悩みなんて、無いっすよ」


 何故、少女はそんなことを聞いてきたのか。いや、悩みなら確かにある。謎の魔物に追われているということが、少年にとって眼の前にある大きな悩みだ。だがきっと、少女が聞きたかったのはそれではない。純一郎も、それをなんとなく察していた。察していたが故に、無いと答えたのだ。


「そうですか……」


 春菜は、手を顎に当てて少し考える風な姿勢をとった。だが、そこで止まった。これ以上追及してくることはしなかった。


「とりあえず、大体話はこんなところですね。何か、質問はありますか?」


 純一郎は、少し考えてみた。今しがたされた話、冷静に考えればまるで現実味のない話である。しかし、自分は実際に、何者かに、それも明らかに人ならざる者に追われているのだ。そして、それを一度、少女が退けたのも確かなことだった。とりあえず、少女の言ったことは真実として受け入れるしかない。

 一通り思想を巡らせて後、純一郎は口を開いた。


「まず、あの……俺を追っていた魔物は、まだ生きているんっすか?」


 魔物に対して生きている、という表現は少し引っかかったが、他に表現のしようも無いのだから、仕様が無かった。


「はい。とりあえず、追い払ったにすぎません。ここは神聖な空間ですし、結界も強めましたので、今は干渉をしてこられませんが……純一郎さんがここを出たら、また追い始めると思います」

「次、なんで俺が追われているんでしょう?」

「それは、私にも分かりません。ですが、魔物は人心惑わし、人の不利益を生みだす存在です。貴方を狙う目的は分からずとも、退治しなければきっと……」


 ここで、春菜は言葉を切り、少し視線を斜め下にずらした。だが言わずとも、碌でもないことだということは分かった。


「最後に、その……俺は一体、これからどうすればいいんでしょう?」

「それは、私にお任せください!」


 一旦伏せた顔を再び上げ、胸を突きだしながら春菜は答えた。


「こう見えて私、結構強いんですよ! だから貴方を狙う、わるーい魔物は、私が退治してさしあげます!」


 えっへん、という声が聞こえてきそうな程、春菜は誇らしげな顔をしている。


「でも、俺、払えるものとか……」

「それは、お気になさらず。神祇官から使わされた破魔の巫女は、言うなれば夜のお巡りさんです。きちんとお国からお給料はいただけますし、この町の魔を払うのが、私のお仕事ですから」


 そう言われて、純一郎は安心した。これで、きっと助かるのだ。あの恐ろしい声から逃れることが出来る――だが、そう思った直後、何とも言えない感情が少年を襲った。嫉妬のような、羨望のような、情けないような、哀しいような、そんな感情が渦を巻いてきたのだ。


(自分は、結局逃げることしか出来ないんだ。眼の前のこの子は、多分俺とそう変わらない歳なのに、凄い力があって……)


 護られることしかできない自分には、こんな感傷を抱くことすらおこがましいという自覚はある。しかし、湧いて出る感情を、どうにも抑えることは出来なかった。


「とにかく、大丈夫ですよ。私に、任せてください」


 少女は、先ほどよりも頭を深く垂らしている少年の気持ちを、どうやら魔物に襲われる不安と勘違いして受け取ったらしい。安心させようと、励ましてきてくれる。


(それも、そうなんだけど。でもやっぱり、それだけじゃないんだけどな……)


 そう思いながら、しかし、何時までも感傷に浸っていても仕方がないと自分を奮起し、なんとか顔を上げて、少年は精一杯の作り笑顔で答えた。


「どうか、よろしくお願いしますね」

「はい! それじゃあ……」


 少女は、再び立ち上がった。今度は窓側ではなく、廊下の方へと歩みを進める。


「あ、は、はる、春菜さん? どちらへ?」


 ここは安心だと言われても、何も言わずに行ってしまわれたら、やはり不安だ。純一郎は部屋を出て行こうとする春菜を呼び止めた。


「あ、はい。純一郎さんの寝床を準備しようと思いまして」


 成程、寝床の準備。時計を見返せば、そろそろ十時に差し掛かろうという所。だが、もうじき高校一年生になる自分が寝るには、ちょっと早過ぎる時間なのではなかろうか。


「って、寝床の準備!?」


 純一郎は素っ頓狂な声をあげてしまった。


「えぇ、寝床の準備です。純一郎さん、お布団で寝れますか?」


 最近の若い人は、ベッドで寝る方が多いですし、などと春菜は付け加える。


「い、いやいや、そういう問題じゃなくって……」

「大丈夫です。客間の掃除もきちんとしてますし」

「そういう問題でもなくって!」


 純一郎は、恐らく今日一番の元気な声を張り上げた。春菜は眼をパチクリさせている。


「わっ、純一郎さん、結構元気ですね」

「いやもう、元気も元気というか……って、そうじゃないっす。な、何故に俺の寝床の準備などを?」


 まさか、泊りになることなど予想もしていなかったのだ。しかも、女の子の家に寝泊まり、それも今日会ったばかりの相手だ。純一郎が狼狽するのも、無理はないだろう。

 しかし慌てている純一郎に対し、春菜は真面目な顔だった。


「あの魔物、なかなか強力です。警戒してなかったといえども、神社は神聖な空間。その中にまで干渉して来た上、私の攻撃でも仕留めきれませんでした」


 そう言われ、純一郎に緊張が戻ってきた。そんな恐ろしいモノに追われているだなんて――。


「あっ、心配はしないで下さい。ただ、相手も私の存在を感知して、警戒しているはずでしょうし……なので、こちらも少し準備が必要になるんです」

「……準備?」

「はい、準備です。強力な魔物ならば、こちらもそれ相応の準備をしなければなりません。これはあくまでも予測ですが、元々その魔物は、純一郎さんが触れたという筒の中に封印されていたと思うんですよね」


 確かに、触れた瞬間から声が聞こえ始めたのだ。あの筒の中に魔物は元々居たという仮説は、なかなかもっともらしい。

 純一郎も少し思案してのち、答えた。


「元々封印されていたというなら、その魔物を封印する手段が、何かしらあるっていうことっすか?」

「そういうことです!」


 春菜は両の手をポン、と叩き続ける。


「恐らく、純一郎さんの家の蔵に、封印をするためのヒントがあると思うんですよ。そして仮にそうでなくっても、強力な魔物というのは、誰かしらの強い怨念が現世に残った亡霊であるだとか、人々の不安が形になったものである場合が多いです。これが、古来から妖怪だとか言われてたものなんですけれど……」


 春菜は話すことに熱中している。が、純一郎が茫然としているのに気付いたのか、一つ咳払いをして、はにかんだ表情で続けた。


「ごほん……えぇっと、つまりですね、強力な魔物ほど、弱点があったりするものなんですよ。亡霊だったら、生前の悩みを解決してあげるとか、ですね。それで、まずあの魔物の封印方法や、弱点を探ることから始めようと思いまして」

「成程。でも、それが春菜さんの家に泊るのと、何の関係が……?」

「それが関係、おおいにあり! なんですよ。魔物と言うのは、基本的に日の光を嫌います。強力な魔物ならば、昼間でもある程度の行動は可能ですが、かなり力は落ちます。なので、日中ならば私達も行動しやすいですし……」


 春菜は、人差し指を立てて、優しい笑顔で続けた。


「純一郎さん、かなりお疲れだと思います。肉体的にも、精神的にも。なので今日は、安全な場所でゆっくり寝ていただいて、英気を養って……それから明日また、頑張りましょう?」


 また、少女が笑顔を見せてくれた。それも、今日一番の優しい笑顔であった。


(……なんだか、今の一言に、随分救われた気がする)


 明日から頑張る、はあまり良い言葉ではないと純一郎は思い返したが、それでも、英気を養って――うん、その通りだ。何とも言えない焦燥感に駆られていた少年に、今の一言は随分沁み入った。きっと休むべき時には休むべきなのだ。


「本当は、今晩中に解決できるのが一番だと思うんですけれど……」


 黙っている少年を見かねてか、春菜が言葉を紡ぐ。見ると、少し不安そうな顔をしている。


「いえ、全然大丈夫っす。その、お願いしますね、春菜さん」

「あ、はい! お任せください!」


 少女は再び満面の笑顔になって答えた。


「では、改めまして寝床の準備をしてきますので。少し、待っていてくださいね」


 そう言って少女は、部屋から出て行った。部屋には純一郎が一人取り残され、静かになった。聞こえてくるのは時計が針を刻む音と、春菜の軽快な足音だけだった。


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