第1話


 純一郎が通されたのは、神社の裏手の春菜の家だった。

 畳の間の座布団の上で純一郎は一人、正座をして待っていた。ここがこの家の、居間に当たる部分らしい。春菜は「少しやることがある。すぐ戻ってくる」とのことで、純一郎を置いて行ってしまった。ふと辺りを見回すと、壁になかなか年季の入った掛け時計がある。現在の時刻は九時三十分、突然家を飛びだしたので、母親も心配してるかもしれない。

 などと純一郎が考えているうちに、お盆を持って春菜が部屋に入って来た。


「お茶を淹れて来ました……って、そんな正座して待ってなくたって、いいんですよ?」


 そう言いながら、春菜は木製の机の上に、湯気の立った湯呑を置いた。


「あぁ、いや。正座、慣れてるんっすよ」


 少し崩れた敬語で純一郎は答えた。あまり丁寧過ぎるのは照れくさかったのもあるし、真剣過ぎるのもカッコ悪いと思ったのだ。


「そうですか? まぁ、それならいいんですが……」


 そう言いながら、春菜は純一郎の前に座った。


「とりあえず結界を強めておいたので、境内の中ならば安全です。ですから、安心してくださいね。さぁ、お茶でも飲んで、少しリラックスしてください」


 お茶を飲まずとも、もはや随分と落ち着いてはいる。しかし、先ほどまで走り通していたことの証明のように、かなり喉は乾いていた。純一郎は熱いお茶にも関わらず、一礼すると一気に飲み始めた。


「あっあっ……! あ、熱いお茶をそんなにごくごく飲んだら、食道に悪いですよ?」


 春菜はあたふたしていた。その仕草は一生懸命で、なんだか可愛らしかった。


「いや、食道は丈夫な方なんで……ごっそさんっす」


 そう言うと同時に、純一郎は湯呑を机の上に置いた。


「えと、喉が渇いているようでしたら、何か冷たいものでも用意を……」


 そう言いかける春菜を、純一郎は手を上げて制止する。「大丈夫です」の代わりのつもりだったのだが、それもなんだか言うのも恥ずかしかったので、動作で自分の意志を伝えたのだった。


「そうですか……それなら、とりあえずお話を先にしてしまいましょうか。喉が乾いたら、言ってくださいね?」

「うっす。お話、お願いします」

「はい、それでは……」


 春菜は改めて、純一郎の方に向き直り、そして真剣な面持ちで話を始めた。


「まず、純一郎さんを追っていたものの正体。なんだか、ご存知ですか?」


 純一郎は、首を横に振った。分かっていたら、もう少し自分で対処する術もあっただろう。皆目見当もつかず、この場に逃げ込んできたのだ。


「では、あの影の正体は置いておいて……何時から、あの影に追いかけられ始めたんですか?」


 春菜は、真っ直ぐに純一郎を見据えている。それがなんだか気恥かしくなって、考え事をするふりをしながら少年は少し俯き、答えた。


「俺、今年で高校一年になるんっす。それで、中学ん時の持ち物とかを、色々整理しようってなって。ウチにある蔵に、荷物を運んでたんっすよ」


 少女は、頷きながら聞いている。一字一句逃さぬよう、些細なヒントでも逃さぬようにとしているかのようだ。


「それで……あるじゃないっすか。掃除をしてて、周りのモノが気になって、あれこれ取り出して見たりするの」

「あぁ、分かります分かります。私も掃除とかしてて、昔好きだった本とか見つけちゃうと読み始めちゃって……って、今は私の話じゃないですよね、ごめんなさい」


 少年をリラックスさせるため、敢えて少し話題に乗ったのだろうか。いや、結構天然な感じの人なんだろうな、と純一郎は思った。


「いや、俺の方こそ脱線させちゃって。えと、それでですね、蔵の中を色々漁っていたら、変な筒のようなものを見つけて……」


 そう、筒だ。丁度両手で持つと、手で全体を覆える程の大きさの筒だったはず。


「それを触った瞬間、なんだか声が聞こえ始めて……」

「その声は、なんと?」


 思い出すだけでもぞっとする、あの低音だ。蔵の暗がりの中で、自分に向けて放たれた呪詛。見つけた、逃がさないという声――純一郎は体を身震いさせた。


「あっ……大丈夫ですか? ごめんなさい、怖いことを思い出させてしまったようで……」


 少女が心配そうな顔で、少年の顔を覗き込んでいる。それを見て、なんだかまた恥ずかしくなった。女の子の前で、怖さで震えているだなんて、情けない。このままでは、自分が居た堪れない。自分の後ろめたさに気がつかれぬようにするため、純一郎は口を開いた。


「それで、話しの続きなんっすけど……筒に触れたのが、一昨日。二日前は、声が聞こえたきりでした。でも、昨日から何かが近づく気配を感じて……」


 純一郎の話が一段落すると、春菜は手を顎に当てながら、少し思惑を巡らせてのち、再び口を開けた。


「とりあえず、その筒に触れたのがきっかけと言うのは分かりました。それで、今その筒は……」

「いえ、気味が悪くなって、その場置いて蔵の外に出たんっす」

「……ですよね。普通、そうすると思います」


 少女は、少しはにかんだ笑顔を浮かべた。


「えと、それで、これはただの好奇心なんですけれど。何故、この神社に逃げ込もうと思ったんです? それは結果としては、大正解だった訳ですけれども」


 春菜の疑問はもっともなものだった。何せ、二人とも初対面であり、春菜自身、どうして少年がこの場に辿り着けたのか不思議であったのだろう。


「……何か不思議なことで、困ったことがあったら、水上神社に行けって……死んだジーチャンが、言ってたんっす。それを、思い出して」


 相変わらず純一郎は、少女と視線を合わせずに答えた。少女の視線が気恥かしい、という以上に、二年前に亡くなった祖父のことを思い出し、少し胸の詰まる想いが湧き起こってきていたためだった。


「そうだったんですか……」


 純一郎は春菜の視線が外れる気配を感じた。どうやら、向こうも何か考え事をしているらしいかった。


「……ごめんなさい、何か縁がある方かとも思ったのですが。上野と言う苗字には、やはり心当たりがなくって……この辺りの方でも、ありませんよね?」


 春菜は少し申し訳なさそうに、少年に疑問を投げかけた。


「そうっすね。歩いたら、一時間近くはかかる距離で……俺の家は、隣町っす」


 走ったら二十分くらいであったと、少年は笑いながら付けくわえた。


「それなら、当神社の管轄内ですから……先代か、先々代の時に、何かしらご縁があったのかもしれないですね。でも、隣町なのに、よくこの場所が分かりましたね」

「それは、その……」


 少年は、まだ少し俯いたままだった。が、顔を上げて、言った。


「この神社の先に、高校あるじゃないっすか。霧生きりゅう高校って。来週から、そこの高校に入学するんっす。それで、ここの神社の石段の横を通った時に、ここがジーチャンの言ってた神社か、って……」


 水上神社は小高い丘の上にある。そこに至るためには長い石段があり、石段の入り口にも鳥居が掲げられている。その有り様が、純一郎にとってはなんだか印象的で――それで、すぐに場所を覚えたのだった。


「これから、通学路になる道にたまたまここがあって。なんだか、雰囲気のいい所だなぁ、なんて思ってて……」


 実際に石段を登ってみたら、こんなに上らされるだなんて思ってなかった、というのは言わずに呑みこんでおいた。言い終わるや否や、ちらと少年は少女の顔を覗いた。すると少女が、その大きな瞳を輝かせている。それも文字通り、キラキラと。


「雰囲気がいいと言っていただけるなんて……感激です!」


 春菜は、少年の対面から机に身を乗り出し、手を伸ばしてきた。どうやら、嬉しさのあまりに手を握ろうとしているようであった。しかし少年は照れくさく、少女の手を握る代わりに、飲みきってしまっているはずの湯呑に手を伸ばし、底にわずかに残っているお茶を飲み干してから、再び少女に向き直った。すると、シュンとした少女が視えた。


(ま、マズイ! ちょっと落ち込ませてしまった!?)


 内心、少し慌てた。少女が命の恩人であり、これから自分を護ってくれる人、という以上に、女性を落ち込ませてしまったことに慌てた、というほうがより正確であった。とはいえ、思春期真っ盛りの少年に、落ち込ませてしまった少女の気を良くするような気の利いた一言など出てくるはずもなく、えーっと、うーんと、と唸るので手いっぱいであった。


「……ごめんなさい、私の方が、何か調子に乗ってしまったようで」

(ぬあぁ!? 謝らせてしまったぁ!?)


 間髪いれず、自責の念が少年の頭上を渦巻く。出来ることならば両手を頭の上に置き、思いっきりうずくまりたい所であったが――。


「でも、雰囲気がいいって言ってもらえただけで……私、嬉しいですから」


 そう言いながら少女は立ち上がり、つかつかと歩きだした。そして、廊下と反対側にある障子を開き、そのまま縁側の窓を空け開いた。夜の冷たい空気が部屋に入り込んできて――その風が、少年の煮たった頭と、熱くなった頬を少し冷やしてくれた。


「手前味噌のようなんですけれど。私、ここが大好きなんです」


 少女の背中の先には、神社を覆う雑木林がある。そして奥には、申し訳ばかりの明りが木々の隙間を縫って見えた。アレは片田舎が放つ、精一杯の生活の灯りだ。その上には先ほどと同じような満点の星空が横たわっていた。


「だから、なんだか褒められたことが、自分のことのように嬉しくって」


 少女は、少年の方に向き直った。顔には、先ほどと打って変わって、頬笑みを浮かべている。その笑顔はまるで、宝物をはしゃいでみせる、あどけない子供のようで――。


「あ、その……」


 少年は、ただ少女の所作に見入ることしかできなかった。


「……あまり、窓を開けていたら、寒いですよね。ごめんなさい、今閉めます」


 そう言いながら、少女は窓だけ閉め、再び純一郎の前に座った。そして自らの湯呑に手を付け、少しお茶を口に入れて一息入れてから、春菜は神妙な顔になって話し始めた。


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