第四話 ひとをコケにした話
とある休日、何の変哲もない朝、自宅のリビングで。
――カラ、カランッ。
――トクトクトクトクトク……
――しゅわわわっ。
カランとグラスに氷を入れたら、メロンソーダの受け入れOK。
透明グリーンの液体注いで、弾ける炭酸、しゅわしゅわ、あわあわ。
バニラアイスをスプーンでくり抜き、トントン、ポトンと、思わずニンマリ。
メロンソーダで満たされたグラスのプールに、雪解けみたいなアイスが混じる。
ストローのオールで大海原に漕ぎだして、四角い流氷海域をかき分ける。
――しゅわしゅわ、じゅくじゅく。
メロンソーダとバニラアイスが混ざり合う、少し泡立つ場所に狙いを定めて。
わたしは、じゅちゅー。
ありったけの夢をかき集めて、冒険の第一歩を吸い取った。
「はふんっ、ぴーすっ……っ!」
やばい、やばすぎるよ。
これは、メロンクリームソーダの醍醐味だよ。
溶けたバニラアイスと混ざったメロンソーダは、フルーティーかつクリミィー。
こんなの飲んだら、乙女が喘いじゃうのも致し方なし。
「ほぇー、幸せ……あ、お兄ちゃんおはよ……、……――」
――なにアレ、なんなの、びっくり、唖然。
――めちゃんこアレな光景に、わたしの頭脳は活動ストップ。
驚きのあまり言葉を失うとは、たぶんこんな感じだと思う。
「オニイチャン……ソノアタマ、ドウシタノ……」
オタクで、オタクな、お兄ちゃんの髪の毛が。
まるでメロンクリームソーダみたいな、どぎつい緑色に染まっていて――
うん。わたし、めっさ驚いた。
「これか? コケが生えた」
クールな態度のお兄ちゃんが曰く、髪の毛にコケが生えたみたい。
な、なにを言ってるのか分からないと思うけど……
わ、わたしも何が起きたのか分からなかった……
奇抜なファッションとか、お題がキツかったとか……
そんなチャチなモンじゃない……
「もっと恐ろしいものの片鱗を味わったわ……どうして髪の毛にコケなんて生えるのよっ!」
「さぁな。風呂に一週間ぐらい入ってないのが関係して」
「うわっ、汚なっ!」
アニオタが不潔なのは都市伝説だと思ってたけど、いま真実であると実証されちゃったっ!
「どーしてお兄ちゃんは、そんな堕落した生活をっ!?」
「えりすに説明しよう。俺はここ一週間、アニメランキングサイトの掲示板で休まず工作活動を続けていた」
「工作活動って?」
「人気アニメキャラクターランキングに1人で478万票ほど投票したり、掲示板でルルたんを擁護する書き込みをしたり、ライバルを蹴落とすべく――」
「なにそれイタい……」
ここしばらく。
お兄ちゃんを見かけないと思ってたけど、その理由はいま判明した。
頭にコケが生えてもカッコいいお兄ちゃんは、雑誌のモデルみたいなポージングで言うの。
「白雪初奈という他アニメのヒロインが強敵でな。最終的にはルルたんが1位を取ったが、ここ1週間は一進一退の攻防、最後までぎりぎりの戦いだった」
「うん、事情が読めたよ。お兄ちゃんはルルたんにランキングサイトで1位を取らせる為だけに、1週間もお部屋に引きこもって工作活動に励んでいたのね……」
想像すると、抑え切れない頭痛にクラクラしてくる。
お兄ちゃんはここ1週間、お気に入りのキャラがランキング1位を取らせるためだけにお風呂に入る時間すら惜しんで自室で延々と工作活動を続けて、挙句の果てに髪の毛にコケまで生やして……うん。
前から駄目な人だと思ってたけど、これはあたしの想像以上だったみたい。
やっぱり、お兄ちゃんは病気。
それも、お医者さんが黙って首を横に振るレベルの。
「ネットで工作活動するのはいいけど、髪の毛にコケ生えるまでやるのは異常だよ……」
「ライバルが多くてな。特に初奈押しのファン、ハンドルネーム「ポテキュッティー」は手強かった。まあ、最終的に自殺未遂まで追い込んでやったが」
「自殺未遂って、お兄ちゃんは何をしたのよっ!?」
「ポテキュッティーのPCに悪質なウイルスを混ぜたメールを送った。ハードデスク内部のデータをネット上に自動でアップロードする悪質なやつだ。そのような過程でネット上にアップロードされた奴のPC情報の中に、たまたま奴の個人情報――奴がアニメ作品を布教すべく海外動画サイトへ違法アップロードした証拠や、自宅の住所や電話番号に本名、マイナンバー申請用に自分の顔を写した写真データがあったんだ。それを盛大に公開してやった」
「うわっ、ヒドっ!」
「一度公開してしまえば、あとは有象無象が勝手に盛り上げてくれたな。結果としてそいつは警察に捕まり、アニメ制作会社に告訴され、親には勘当され、ネット上に決して消えない個人情報を永遠に残され、ついでに顔写真はコラの元ネタとして流行らせた」
「ほんと容赦ないわねっ!? 特にラストのコラ素材にするとかっ!? 鬼畜にもほどがあるからっ!?」
「ポテキュッティーに恨みはない。だが、ルルたんの敵だった」
「あーそうなんだ……ぶっちゃけポテさんに興味ないから、どうでもいいけど」
「もし奴が俺と同じでルルたんを愛していたら、きっと生涯の友になれたことだろう――」
お兄ちゃんは、自分が社会的に殺したライバルさんに思いを馳せる。
窓枠に背中を預けて、に広がる青空を背景をバックに、シリアスな表情で物思いに
ほんとっ悔しいけど、ガチでカッコいい。
切れ長の双眸に収まった瞳の宝玉は、金色の輪郭に収められた灰色。
緩やかな曲線を描く唇は、柔らかな色合いの赤。
至上の美を見せる唇の隙間から見えるのは、ミルクのように白く透き通った歯で。
それは黄色い陽光を反射して、キラリと銀色に輝いている。
お部屋を吹き抜ける一陣のそよ風が、滑らかな黒髪(いまは緑のコケに覆われている)を揺らす。
そんなお兄ちゃんが着ているのは、レスキュー隊とか猟友会が身につけていそうな、どギツイ橙色のジャージでした――と、赤、橙、黄、緑、青、白、灰、黒、金、銀、無意味に10色ほど費やして描写したくなるぐらい、とにかくお兄ちゃんはカッコいい。
ほんとマジで悔しいけど、お兄ちゃんは見た目だけなら完璧。
アタマもいいし、運動神経もバツグンだし。
でも――
わたしは、お兄ちゃんに叫んだ。
「お兄ちゃんは、オタクという名の病気なのっ!」
「失礼なやつだな。否定はしないが」
「ウソでもいいから否定してよっ! お願いだからっ!」
わたしは「ドンッ!」とテーブルを叩きながら言うけど、髪の毛が緑ぃぃ…お兄ちゃんの反応は薄い。
不機嫌そうに、ギロリとわたしを睨むだけ。
横顔を向けるクールな流し目が、ちょっとカッコいいと思ってしまった自分に不覚。
お兄ちゃんは、テーブルに転がるアニメ雑誌を手に取って――
「わたしのこと、華麗に無視っ!?」
「返事をする価値すら認めん。ルルたんに愛を捧げている俺は、この趣味をやめるつもりはないからな」
サラっとお兄ちゃんが「俺は人間を愛するのをやめるぞー!」とカミングアウトしたのはスルーして。
わたしは、頬をぷくっと膨らませる。
やや下向きな眼差しからお兄ちゃんを見上げて、ほんのり羞恥を含ませた声色で言うのだ。
「もぅ……お兄ちゃんがオタクで、妹のわたしはいつも恥ずかしいのに……」
キマった。
これぞ名付けて「恥じらいシスター作戦」。
両親が家を留守にしがちな家庭で、子供の頃から一番長い時間をお兄ちゃんと過ごしてきたわたしが、
「――って、無視はやめて。泣きたくなってくるから」
「泣くなら台所で泣け。うるさい」
目線をアニメ雑誌に固定したまま、面倒くさそうに言ってくるのが、わたしのムカつく度をさらに高める。
もうダメだコイツ……と思いながらも、半分捨て台詞のつもりで言ってみた。
「ったく。お兄ちゃんは、家族とルルたんのどっちが大切なのよ……」
「家族に決まっている」
「ほえ?」
意外な返事に、わたしは呆けた声を出してしまう。
お兄ちゃんは視線を雑誌に固定したままだけど、それは断固たる即答だった。
「家族は大事だ。当然だろ?」
否定を許さない、お兄ちゃんの強い意志を感じる返答。
そう、間違ってた。
わたしは、お兄ちゃんを誤解をしていた。
わたしのお兄ちゃんはただの変態バカでクソたわけな人間失格ゴミ屑オタッキーの世捨て人なんかじゃない。
ちょっと、趣味はおかしい。
だけど、それはお兄ちゃんの一面でしかない。
そうだった……
わたしのお兄ちゃんは、家族思いで、優しくて、頼りになる、大事な家族の一員で、
「ルルたんは俺の嫁だ。もはや家族みたいなものだろ?」
「死んじゃえ!」
アニメキャラを『自分の嫁』と言い張る、救いようのないド変態のゴミ屑さんでしたっ!
「ふむ、今月号はルルカのペタン娘☆貧乳マウスパッドか……何セット買うか悩むな」
ほら、わたしが馬鹿だった!
やっぱり駄目なゴミ人間、もはや手遅れクズ人間、誰か助けて終わってるっ!
口にするのは毒電波、理解不能な萌え電波。
手にした雑誌は萌え豚専用、ピンクでオタクでキモチワルイ。
買う買わないで悩まずに、「いくつ買うか?」を悩んでやがるわ。
あはは、コイツダメっぽい。
たぶん末期で、治療は手遅れ、お医者さんが黙って首を横に振るレベルっ!
「ヂグジョウ……いつかお兄ちゃんのオタクを治療してやるんだからぁ……」
とある休日、何の変哲もない朝、自宅のリビングで。
わたしは、そんな誓いを立てましたとさ。
余談だけど……コケの生えた髪の毛。
あれ、シャンプー1回で元通りだったみたい。
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