第7話

「足立ねね? 君は足立ねねなのか」

「もちろん本人です」

 おかしい。足立ねねは女の隣にいるのに、女は自分が足立ねねと言う。

 すると同姓同名か。あるいは……、


「そうさ。これが本事件最大のトリック、二人一役だ。足立ねねは二人いる」

 俺は、俺だけが見抜いた事実を明かした。


「どうも混乱してるみたいですね」響子が口を挟んだ。「それではいつものようにわかりやすく説明します。どうせわかりにくいと言うんでしょうけど、とりあえずは聞いてください」

 ワトソン役以下の響子は、自分の憶測を語り出した。


「所長がこの家を片づけに来たとき、住人の足立ねねさんに出会いました。それが所長の言う第三の女性です。そのとき、ほんのわずかな時間しか接触していません。自分の世界にこもっている所長は、すぐにねねさんの顔を忘れてしまいました。

 所長に家の鍵を預けたねねさんは、お友達の望月裕美さんの家に泊まりました。次の日の朝、ねねさんは朝から学校に行くので、お友達の裕美さんに代わりにうちの事務所に行って、受け取ってきてくれるよう頼みました。裕美さんは事務所に来ましたが、所長は寝坊してまだ来ていません。そこで私が所長のアパートを教えて、裕美さんは所長の部屋を訪ねました。所長は裕美さんが鍵を受け取りにきたことから、足立ねねさんと勘違いしました。これで人違いの件は解決です」


 俺は、足立ねねの友達を足立ねね本人と勘違いしていた。

 そういえば、俺の家を訪れた女は、俺がゴミ屋敷に帰るかどうか聞くと、

「あんなところに行くわけないでしょ」と答えた。自分の住んでいる家をあんなところと表現するのはおかしい。それに、俺が家の中まで片づけたと言っても、反論しなかった。

 ねね本人は、中にゴミがないことを知っていたはずだ。

 今見るとあまり似ていないが、ねねが派手な化粧をし、よそ行きの服装を着れば、望月裕美のように見えても不思議はない。


 ということは、俺が田子の浦と壇ノ浦で遇った女はねねではなく、望月裕美ということになる。

 ますますわからない。

 そこで俺は、

「もちろん、足立ねねと望月裕美がすり替わったことは最初の段階からわかっていた。だが、その程度のことでは事件解決にはほど遠い」と言った。


「おっしゃる通り人違いの件は、発端にすぎません。それにいくつかの偶然が重なり、今回の悲劇が起きたのです。

 まずひとつ。ねねさんが所長と田中産業さんに呼ばれたゴミ屋敷から外に出るとき。外に積まれたゴミの上を歩いたんですが、そのとき携帯を落としてしまい、しかもそのことに気づかなかった。

 もうひとつは、裕美さんが所長から鍵を受け取った後、なんとかの浦に行くとおっしゃったこと。

 三番目は、ねねさんのお母さんが、片づけが終わった頃合いにねねさんの携帯に電話をして、携帯を無くしたねねさんは出られなかったこと。固定電話を解約したこともあって、お母さんはねねさんのことを心配しました。

 第四は、お母さんからの問い合わせの電話に、裕美さんのことをねねさんと勘違いしていた所長が、ねねさんがどこどこの浦に旅行に行くと言い残したと言って、自分が探しに行くと請け負ったこと。もうひとつ追加するなら、所長が携帯を机の中に置き忘れたこと」



 他の二人は、響子の話を興味深げに聞いている。プロの探偵にとっては日常茶飯事な出来事も、素人目には大事件に映るのだろう。


「たいした偶然じゃない。その程度の話なら業界には五万とあるさ。で、それが今回の悲劇にどうつながるんだ?」といって、俺は響子を問いただした。


「たいした偶然じゃない? 普通の人ならそうでしょうけど、あなたの場合、それだけあれば、とんでもないことになるんです」

 彼女は立ち上がり、ヒステリックにわめいた。

「いいですか、あなたが留守にしたせいで、私はとんでもない目に遭いました。怪我までしたくらいです」

「落ち着きましょう」

 裕美に言われて、響子は腰を下ろした。


 彼女が俺を捜しに、壇ノ浦に来て、前の会社の連中にさらわれ、命からがら逃げ出したことについては、俺にもいくらかの責任があると思う。

 だが、俺は壇ノ浦ではなく、田子の浦に出かけていた。それがなぜだか、壇ノ浦で彼女と遭遇していた。


「壇ノ浦とか田子の浦って何?」

 ねねが笑った。

「それって、もしかして……」裕美が遠慮がちに「私のせい?」と聞いた。


「これもわかるように説明します」

 響子は組んでいた足を替えた。足が太いので同じ姿勢を保つのは、下になった足に負担がかかるのだ。


「人をデブみたいに言わない。裕美さんをねねさんと思っていた所長は、鍵を渡したとき、これからゴミ屋敷に帰るのかと聞きました。そのとき裕美さんはどこかへ行くと言いました。所長からすれば、自分の家に帰らないでどこかへ行くとなると、旅行など遠出をするものだと思いました。実際は、旅行ではありません」


「で、何て言ったの」

 ねねが聞いた。

 裕美は言い出しにくそうに、

「私、はっきり覚えてないんだけど、あの後、コレドールに行ったから、たぶん駅の裏って言ったんだと思う」

 駅裏には、アパレルショップや雑貨店などが軒を連ね、天気がよければアクセサリーを扱う露天商も来る。若い女性がよく行く場所だ。コレドールもそこの商店なのだろう。

 彼女は駅の裏で買い物をすませた後、列車で田子の浦まで行ったのだ。

 しかし、裕美は、

「駅裏には行きましたけど、田子の浦には行っていません」

 と支離滅裂な発言をした。


「支離滅裂はあんただよ!」

 と響子が怒鳴った。

 その後、急におとなしくなり、望月裕美に向かって、


 田子の浦ゆうち出でて見れば、望月の欠けたることもなんとやら


 と、平安時代の詩人藤原道長の時世の句を詠んだ。突然の彼女の変わり様に、若い二人は、

「ねえ、このひとKY」「本当、空気読めないわね」と囁き合った。KYとは空気読めないの略で、八代前の先祖がグリーンランド出身で、日頃から日本人離れした気質を持つ彼女の特徴だった。グリーンランドは北極海に浮かぶ世界最大の島で、オオカミ、トナカイ、ホッキョクグマなどの他に多くのアザラシがいる。彼女が時折、アザラシのような行動をとるのは、グリーンランドにいた先祖の血を引いているからなのだろう。


「自分が窮地に陥りそうになると、強引に話題を変えて、自分の世界に引きこもる。でも今回ばかりは、そうはいきません。駅の裏がどうやったら田子の浦になるんですか」

 彼女の言葉で俺は現実に戻った。


「簡単な話さ。駅が聞き取れなくて、田子の浦と推測したまでだ」

 彼女は俺を非難するが、そういう自分だって、田子の浦が聞き取れず、壇ノ浦に出かけているではないか。人のことをとやかくいえた義理ではない。


「おねえさん、壇ノ浦に行ったんですか?」

 ねねが笑った。

 裕美も、「本当、KY」とあきれていた。KYとは空気読めないの略で、八代前の先祖がグリーンランド出身で、日頃から日本人離れした気質を持つ彼女の特徴だった。グリーンランドは北極海に浮かぶ世界最大の島で、オオカミ、トナカイ、ホッキョクグマなどの他に多くのアザラシがいる。


「同じ話を繰り返さない!」

 響子がそう言うので、俺のループは止まった。

「話を進めます。裕美さんは駅の裏に買い物に行きました。ねねさんのほうは、大学から帰るとゴミ屋敷、失礼、ご自分の家に戻られたのです」

「なんだ、そんなことだったのか。その程度のことに君は何を騒いでいるんだ」

 と俺は響子に尋ねた。

「その程度のことのはずが、所長が携帯を忘れたまま、はっきりと行き先も告げずに、ねねさんを探しに出かけ、大事になったんです」


「俺はあのときはっきりと田子の浦と言ったはずだ」

「いいえ、ノウラの前はわざと聞こえにくいように小さな声で発音も不明瞭でした」


 それで、彼女は俺がどこに行ったのかわからず、壇ノ浦に向かったのだ。

「結局、壇ノ浦で事件は解決したんだから、何の問題もないじゃないか」


「壇ノ浦って何?」

 裕美が聞いたので、俺は、

「山口県にある地名なんだけど、君が駅の裏に行くと言ってくれたおかげで、俺が田子の浦に行くことになり、俺が田子の浦に行くと言ったのを、彼女が聞き違えて壇ノ浦に行ったんだ」


 しかし、裕美がそんなことを聞くのは辻褄が合わない。壇ノ浦の時点では彼女は足立ねねだった。彼女は壇ノ浦で俺と一緒に行動していて、響子と一緒にさらわれたはずだ。なのに、なぜそんな質問をするのだ。

 そうか。彼女は自分がいた場所が壇ノ浦だと知らないのだ。


「私、ずっとこっちにいるよ。旅行なんか行ってないし」

「そんなはずはない。彼女に聞いてみればいい」

 といって、俺は響子のほうを見た。


 響子は笑いをこらえるように、

「まさか、あれ本気にしたとか」

 と言ったが、笑いをこらえることができなくなり、大声で笑いだした。


「なんでこんな深刻な話してるのに笑うの?」

 ねねが非難した。

 裕美も、「本当、KY」とあきれていた。KYとは空気読めないの略で、八代前の先祖がグリーンランド出身で、日頃から日本人離れした気質を持つ彼女の特徴だった。グリーンランドは北極海に浮かぶ世界最大の島で、オオカミ、トナカイ、ホッキョクグマなどの他に多くのアザラシがいる。


「繰り返すな!」

 と響子は怒鳴り、真相を語りだした。

「所長は事実と虚構を混同しているのです。私もねねさんも裕美さんもずっとこっちにいて、旅行に行ったのは所長ひとり、行き先は静岡県田子の浦だけです」

「すると、俺が壇ノ浦で君と会ったのは?」

「私と遇った記憶ありますか?」

 言われて見れば、俺は山口県に向かった記憶がない。

「それなら、壇ノ浦で君と彼女が組織にさらわれたことをどう説明づけるんだ?」

「まだ、わかりませんか」

「ああ、わからない」

「あれはフィクション。私が書いた小説です。いつも所長が独り言を言うように、私も物語を作ってみたのです」


 他の二人は話についていけず、きょとんとしている。彼女達のために説明しよう。田子の浦から帰ると、俺のデスクの上に数枚のA4用紙が乗せてあった。びっしりと文字がプリントされている。俺はそれを手にとり、頭から読み始めた。

 響子の手記。正確には旅日記だった。彼女は、所長の俺が留守にしているのをいいことに、鬼のいぬ間の洗濯とばかりに、旅行会社のツアーに申し込み、山陽旅行をエンジョイして、俺に自慢するために旅の思い出をわざわざ綴ったのだ。


「所長の頭を混乱させてしまった点は謝ります。けれど、あれを事実と信じ込むのもおかしいです。あんな無茶苦茶なことが、現実に起こるわけがないのです。私ともあろう者が、どこかの誰かみたいに当てずっぽうで、壇ノ浦に行くわけないでしょう。探偵事務所が、私一人のために観光バスを借りて、偽ツアーを組む? ありえません。すべては所長を騙すためだったのです」


「なぜ、そんなことをした?」

「所長にお仕置きするためです。いつも迷惑かけられてますが、今回はどうしても許せませんでした。あなたが留守の間、私が便利屋の仕事をすることになりました。スズメバチに刺されたり、若杉さんのところの犬には手を噛まれるし、さんざんな目に遭いました」

 俺の仕事を体験することで、甘やかされて育った彼女も人の苦労をようやく理解したようだ。

 それでもまだ疑問は残る。

「なぜ、そんなことをした?」

「いつもあなたがしてることを、まとめてお返ししたまでです」

「俺がいつA4用紙に旅の思い出を印刷した?」

「たしかに所長はプリンターの使い方がわかりません。いくら教えても覚えられないから、私もあきらめました」


 人間コンピューターと呼ばれる俺は、自分以外のコンピューター機器を使うことに抵抗がある。やつらは能力が低すぎて、使う気になれない。世界中のすべてのコンピューターを合わせても、まだ俺の能力にはとうてい及ばないのだ。

 それでもまだ疑問は残る。

「なぜ、そんなことをした?」

「逆に質問させてください。あなたはなぜ、会話の途中で作り話をするのですか?」

 俺は話を作ったりしない。現実世界の荒波に身を置いて、ありのままを受け入れ、対応しているだけだ。感情に流されず、物事を冷静に判断し、誘惑に負けることなく、どんな脅しにも屈しない。そんな俺のことを世間はこう呼ぶ。


 社会派推理小説より日常的で、本格推理小説より論理的で、女にもてすぎるのに恋愛禁止で、タフで非情で粋でいなせな男の中の男。人呼んでMr.ハードボイルド。



 気がつくと、彼女達はまたポーカーを始めていた。

 根っからのギャンブラー飯室響子は、掛け金の大きさに興奮し、大きな目をぎらぎらさせている。

世間知らずのゴミ屋敷のシンデレラは、彼女のカモになることもしらず、ゲームに夢中だ。

 友達の裕美が響子に買収されたと知ったら、どんな反応を示すのだろうか。


 俺は陰謀渦巻く賭博場の空気にいたたまれず、そっとその場を離れ、あてどもなく街を彷徨った。



 こうしてゴミ屋敷のシンデレラ事件は見事解決した。警視庁の記者会見で俺の名前が出されると、マスコミの取材攻勢にあった。


 記者のひとりに尋ねられた。

「警察庁長官とはどんなご関係ですか?」

「かなり昔、一緒に働いた時期がある。いろいろあったけど、今となってはいい思い出だ」

「犯人に対し一言?」

「とても一言じゃいい表せない。あえて言うなら、蓼喰う虫も好きずきかな」

「社交ダンスが趣味だと聞いてますが?」

「好きじゃないけど、子供の頃、よく親父に鹿鳴館に連れていってもらってね」


 世間は俺をヒーロー扱いしたが、俺自身の気持ちはなぜか釈然としなかった。


 あらきまことはなぜ、すべての謎を解いた俺に向かって「おまえがバカだ」と言い放ったのか。


 俺のどこが馬鹿だと言うのか。


 いくら考えても答えは出なかった。


 どうやら名探偵パスカルの出番のようだ。

「どんなミステリーも、適切な公式に当てはめれば、必ず解ける」

 俺は呪文を唱えた。俺の周りにいつもの公式が浮かぶ。



………… ¢▽∂∬Å♂℃※⊆〒↑⇒∞∧∃≒‰♪¶%∴±¥☆£◎§★ゑグヰヰΨζΘΔΦυπЮЁЙ┿┻㌢㏄㍑㌘㈲℡㍼欝 …………


 ひらめいた!


 俺は、想像を絶する馬鹿だった。


 俺はサーカスで必死で働いたのに、一円の賃金も受け取っていなかった。

 あれほど観客を沸かせ、動員人数の新記録を樹立したというのに、俺はタダ働きをさせられたのだ。

 思えば、サーカス団では苦労の連続だった。ライオンの世話、チケットのもぎり、テントのメンテナンス、ありとあらゆる仕事を言いつけられ、俺は人の三倍も四倍も働いた。

 君には将来性がある。そう団長に言われ、いいように利用されていたのだ。

 あまりのきつさに根をあげ、

「こんなことなら、便利屋を辞めるんじゃなかった」

 俺はそう叫び、しっぽを巻いて逃げ出したのだ。


 まあ、いい。今更嘆いても時間は戻らない。すべては済んだことだ。


 そんなことを考えながら、俺は暗い夜道をひたすら歩き続けた。最後にたどり着いたのは足立家だった。

 ここはかつてゴミ屋敷と言われた。それがある時、突然、綺麗になり、シンデレラ御殿と呼ばれるようになった。

 俺が玄関前でたたずんでいると、勢いよくドアが開き、中からアシスタントの響子が飛び出してきた。


「覚えておいで。負けは必ず取り戻すからね。次はおまえがスッカラカンになる番だ」

 家の中に向かって彼女は叫んだ。

 それから狂ったように笑い出し、「カネ、カネ、カネ」とつぶやいた。

 俺に気づくと、血走った目を見開いて、こう言った。

「私がポーカーに負けたのは、全部、おまえのせいだ。おまえが田子の浦なんかに行かなければ、こんなことにはならなかった」

 彼女はそう喚きちらし、その場から走り去った。

 そのときハイヒールが片方脱げた。そのことに気づかず、すぐに彼女の姿は見えなくなった。俺は、彼女が残したかかとの高い靴を拾い上げた。

 それはガラスで出来ていた。


 世の中には人智では計り知れぬ出来事が希に起こる。この屋敷で起きた一連の事件の顛末を、この先も俺は誰にも語ることがないだろう。

 それはあまりにも凄惨で、文章にすることをためらわれるものだった。

 だが、事件そのものが起きたことは世間も知る必要がある。それには名前が必要だ。とりあえず、ゴミ屋敷のシンデレラ事件とでも名付けようか。

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Mr.ハードボイルド ~ゴミ屋敷のシンデレラ @kkb

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