第6話

 俺が久しぶりに事務所に戻ると、響子の姿はなかった。俺のデスクの上には、何枚かのA4用紙が置いてあった。

 文字が印刷されていたが、報告書には見えない。その横には俺の携帯が置いてあった。

 携帯は充電してあった。

 一体、誰が何の目的で他人の携帯を充電したのだろう。


「おや、こんなところにA4用紙が……」

 ふと、目の前を見ると数枚のA4用紙がクリップで綴じてあった。

 わざわざここに置いてあるということは、俺に読んで欲しいということなのか。あるいは、その逆かもしれない。読んで欲しくないから、わざと目立つ位置においた可能性もある。


 俺は、ニューヨークで近所の子供達に忍術を教えていた。彼らは手裏剣や武術を学びたがっていたが、俺は忍術の基本中の基本、隠行の術を教えた。

 秘訣は、探す側の心理の裏を突き、一番目立つ位置に堂々と隠れることだ。

 それを応用したかくれんぼもよくやった。

「先生を見つけてみなさい」

 俺はそう言った後、部屋の壁に張り付くように立った。子供達は俺に遠慮して、「先生、どこにいるのかな?」といって、俺を見つけることができなかった。

 おそらく、この用紙も俺に読ませないために、わざと目立つ位置においたのだろう。


 そこで俺は、

「何が書いてあるのかな。興味津々」

 と言って、用紙を取り上げ、読み始めた。響子が書き残した体験記のようだ。



 速読グランプリ優勝の俺でも、読み終わるまで六時間以上かかった。

 万里の長城と呼ぶべきとてつもない長さの文章で、ほとんど暗号まがいの文章は大変読みづらい。


 だが、速読と暗号解読のスペシャリストである俺は、内容をほぼ把握した。


 響子は俺を追って壇ノ浦に行き、俺を見つけたが、彼女のミスで九州のなんとかの浦に行ってしまったのだ。


「相変わらず、おろかな女だ」


 俺はせっかく帰ったのに、また遠出をすることになった。行き先は九州にある**の浦。おそらくというか、まず間違いなく、田子の浦だ。なんと俺が昨日までいた場所だった。

 おっと、また携帯を忘れるとこだった。

 俺は携帯をとろうとデスクのところまで行った。携帯の横には、何枚かのA4用紙が乗っている。そこには文字がプリントしてある。


「今はこんなものを読んでる場合じゃない」

 俺は急いでドアのほうに向かった。そのとき、携帯の着信音が聞こえた。

 俺は携帯をとろうとデスクのところまで行った。携帯の横には、何枚かのA4用紙が乗っている。そこには文字がプリントしてある。


「今はこんなものを読んでる場合じゃない。携帯に出なくちゃいけないんだ」

 そう心に誓い、俺はおそるおそる携帯を手にした。


「はい」俺が出ると、

「やっと出た」

 響子の声だ。

「いま、田子の浦にいるのか?」

「なんでそんなところに私がいるわけ?」

「君が残した文章にそう書いてある」

「ああ、面倒くさい。とにかく、ゴミ屋敷に来て。そこですべて話すから」

「わかった」

 俺は携帯を切ると、デスクの上に乗せた。その近くにはクリップで綴じたA4用紙が置いてある。


「今はこんなものを読んでる場合じゃない。ゴミ屋敷に行かなくちゃいけないんだ」


 事務所のドアを施錠している間、廊下から俺を呼ぶ声がした。

「あ、変なおじさんだ」

 俺は声の主を見た。笠松保育園のあらきまことだ。一番苦手なタイプだが、母親と一緒なのでたいしたことない。

 母親は俺に会釈をすると、悪ガキを強引に連れていこうとする。

 母親に手を引かれた姿勢で、まことは俺に向かって言った。


「おまえがバカだ」


 毎度のことなので、全く気にならなかった。


 それから俺は、駐車場に置きっぱなしにしていた愛車に乗り、発車した。それが十分ほどした地点でUターンした。


 危うく、田子の浦に行くところだった。


 しかし、なぜ田子の浦にいるはずの響子が、ゴミ屋敷にいるのだろう。

 事件の鍵を握る足立ねねは今どうしているのだ。

俺と田中産業がゴミ屋敷を片づけた翌日、彼女はなんとかの浦に旅行に行くといって姿を消した。

俺は、ねねを静岡県の田子の浦で見つけた。そのときパトロン親父と一緒だった。

響子は、ねねと俺を山口県の壇ノ浦で見つけた。

響子とねねは、犯罪組織に九州に連れさらわれ、俺は無事でいた。

 一体、何がどうなっているんだ。

 今回の事件は状況が複雑すぎて、何が何だかさすがの俺にもわからない。


 すべてはゴミ屋敷に行けば解決する。俺はそう信じて、オープンカーのアクセルをふかした。




 俺は、車をゴミ屋敷に横付けした。

 本当にこの中に響子はいるのだろうか。あの電話は、犯罪組織が俺をおびき寄せるため、彼女の声色を真似たのではないだろうか。

 これは罠だ。

 田子の浦にいるはずの響子が、ここにいるはずはない。

 だが、罠とわかっていても、あえて中に乗り込んでみよう。

 俺は勇気を振り絞り、車を降りた。


 玄関のチャイムを押す。しばらくしてドアが開いた。そこにいたのは、見知らぬ若い女だった。もさっとした顔立ちで、化粧は薄く、眠いのか目をぱちぱちさせている。彼女は何者なのだろう。事件とどう関係するのか、今のところは不明である。

「ぶつくさ言ってないで中に入ったら」


 ゴミ屋敷に入るのは、最初に来たとき以来だ。あのときは土足のまま上がったが、今はこの国のしきたりに従い、靴を脱いだ。

「土足で入ったの?」

 女に聞こえたようだ。


 リビングに案内された。

 そこには俺を呼びだした響子の他、ゴミ屋敷のシンデレラ足立ねねもいた。

 テーブルの上にはトランプが並べてある。どうやら三人でポーカーをしていたようだ。

「次の勝負から、俺を混ぜてくれないか。掛け金はこのロレックスで」

 俺は、左腕の腕時計をはずした。

「中古でも二百万はくだらない。もちろん、君達が自分で使ってもいい。男物だから似合わないけどな」


「ホームセンターで買った安物で、二百円以上は無理じゃないの」

 響子が言った。「残念だけど、ポーカーじゃなく神経衰弱。どちらも所長はルールを知らないでしょうけど」


 確かに、俺はチェス専門でトランプには疎い。だが、ファイロ・ヴァンスのように、ゲームで事件関係者の心理を調べに来たのではない。もはや、事件は解決した。後は詳細を語るのみだ。


「聞かせてよ。事件の詳細」

 響子がそう言うと、ねねは、

「事件って何?」と聞いた。

 第三の女も、「わかった。私が携帯無くした事件」といった。


 彼女たちは何もわかっていない。足立ねね失踪事件。通称、「ゴミ屋敷のシンデレラ」事件。犯罪史上希に見る巧緻なトリックが用いられ、警視庁が総力を挙げても、事件の内容すら判明しなかった。名探偵パスカルと呼ばれた俺でさえ、当初は解決の糸口さえつかめなかったほどだ。これほど複雑で俺の頭を悩ませた事件はかつてなかった。


「前書きはいいから、早く犯人が誰か教えて」

 響子はアルコールが入っているのか、普段の冷静さを欠いている。あるいはポーカーで負けて機嫌が悪いのだろう。

「私のことはどうでもいいから、早く犯人が誰か教えて」


 彼女はそう急かすが、彼女達の安全のため、この中に犯人がいることは明かせない。手追いの猪にとどめをさすには、正しいやり方でないと危険だ。

 そこで、俺は開口一番、

「この中に犯人がいる」と断言した。


 それを聞いて、第三の女が笑い出した。

「ふふふ、あ~おもしろい。こんなおかしなコント見たことない」

 ようやく女狐が正体を現したようだ。


 俺は、右手の人差し指で彼女のほうを指した。

「犯人はおまえだ!」


「なんで私のほう指すの」

 響子が抗議した。俺としたことがとんだミスをした。緊張と興奮で、体のバランスを崩し、角度が少しずれてしまったのだ。

 俺は再び、犯人めがけて、人差し指を突きつけた。

「もう逃げられない。第三の女、おまえが犯人だ」


 女は自分のことを指し、「私、私が犯人なの?」と驚いた後、「あ、そうか。携帯落としたの私だから、携帯紛失事件の犯人、私だね」と納得した。


 俺は、携帯の紛失などという些細なことを扱っているわけではない。人類史上最大の犯罪事件「ゴミ屋敷のシンデレラ」事件のクライマックスに、最初の舞台となったゴミ屋敷に事件関係者を集め、犯人を指名したのだ。


「だから、そのゴミ屋敷のシンデレラ事件って何? ちなみに私、第三の女じゃなくて、足立ねねなんだけど」

 女は確かにそう言った。俺の聞き違いではなかった。

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