第7話 ஜ۩۞۩ஜ 7 ஜ۩۞۩ஜ

 今回はアシスタントの活躍する場面はなく、俺ひとりの力で「バカスギル家の犬事件」を解決した。

 とはいえ、捜査一課諸君の協力がなければ、前代未聞の謎は解き明かされることはなかった。


 まさか、犯人は自分が犯行に利用した犬に、追われるとは思いもよらなかったはずだ。犬の嗅覚を甘くみたことが、身を滅ぼす原因だった。崖の縁に追いつめられて、すべてを自供した後、犯人は自ら海に飛び込んだ。出演者やスタッフ名などエンドロールが流れるなか、俺はしみじみと真相を語っていく。


「悪いのは彼女じゃありません。すべては運命なんです」

 潮風が俺の頬をなでる。

「若杉家にかけられた呪い、宿業のようなものなんでしょう」


 捜査の指揮に当たった橘警視は、ハインリッヒの頭をなでながら、

「自分が犯行に利用した犬に追跡されるとは、詰めが甘かったな」と言った。

「自業自得というやつだな」

 俺がそう言ったとき、ハインリッヒは悲しげな表情で、夕陽に向かって「ワオーン」と吠えた。


  製作協力 R&S探偵社

  製作著作 JBS


 「木曜二時間サスペンス『便利屋探偵比由ラーチャーの事件簿3』 END」


 こうして困難を極めたバカスギル家の犬事件は、場所のよくわからないロケ地で大団円を迎えた。

 ただ、あれほど世間を騒がせたバカスギル家の犬事件のなかで、ひとつだけ解けない謎がある。その謎とは他でもない。


 いったい、いつどんな事件が起きたというのだ。


 何も事件など起きていないのに、バカスギル家の犬事件とはどういうことだ。

 その理由は、若杉家の犬の散歩の話題で、俺がバスカビル家の犬にちなんで、バカスギル家の犬などと表現してしまったからだ。あのときはほんの軽い冗談のつもりだった。


 だが、ここで簡単に引き下がるような俺ではない。何も事件が起きていないのに、探偵小説と名乗るのは体裁がつかない。

 そこで強引に事件をこしらえることにした。

 たぶん、探せば事件的な要素がひとつくらい見つかるかもしれない。

 たぶんある。いや、きっとある。


 というわけで、事実を振り返ってみよう。


俺が犬の散歩をしに若杉家に向かうと、家の長女が、俺の代わりに自分が散歩をするから、浮いたお金でオーディション会場に連れて行って欲しいと頼んだ。

俺は彼女と二人で、オーディション会場に行き、彼女は面接を受けた。

面接の内容が気になった俺は、面接室に忍び込み、面接官と世間話をした。

そのせいか、オーディションを受けた彼女は、歌も歌わず、退室することになった。

合格はあきらめていたのに、かなり遅れて、二次選考合格の通知が来た。


 これのどこが事件なんだ。何ひとつ日常の営みからはずれていない。被害者も加害者もいない。世界一の探偵の出番はどこにもない。


 そのとき、俺をあざ笑う世間の声が聞こえた。


「あの人、探偵みたいな格好してるけど、本当はただの便利屋で、殺人事件どころか万引き犯ひとりつかまえたことがなくて、たまたま探偵事務所で働いていた女性と事務所を共同利用してるだけ。

 本業の便利屋のほうも、害虫駆除とか廃品回収は専門の業者に回すだけで、まともにできるのは犬の散歩だけ。だから、ラーメン屋でよくバイトしている」


 世間の言うように、俺は便利屋に向いていない。だから、探偵稼業に鞍替えした。それのどこが悪い。今回はたまたま事件が起こらなかっただけで、事件さえ起きれば、どんな名探偵も及ばない推理力を発揮して、たちまちのうちに解決する。

 まあ、いいさ。たまにはこんなこともある。第一、事件が起きないのも、世の犯罪者が俺を恐れてるからだ。ニューヨーク市の犯罪件数が劇的に減ったのも俺のおかげだ。

 俺が存在することで犯罪が起きない。事件がないから、探偵はいつも暇だ。俺はすることがないから、犬の散歩をする。これのどこが悪い。理想的な展開ではないか。 


 俺があきらめかけたそのとき、

 あらきまことの言い放ったあの言葉が俺の頭に浮かんだ。


「おまえがバカすぎる」


 いまだかつてない批判をしたあらきは、どんなメッセージをそこにこめたのだろう。


 何か、大切なことを見逃している。俺の直感はそう囁いた。


 直感だけでは謎は解けない。論理的な考察が必要だ。俺は人間コンピュータと化し、俺の周囲に謎の公式が浮かび上がる。


 ………… ¢▽∂∬Å♂℃※⊆〒↑⇒∞∧∃≒‰♪¶%∴±¥☆£◎§★ゑグヰヰΨζΘΔΦυπЮЁЙ┿┻㌢㏄㍑㌘㈲℡㍼欝 …………


 謎は解けた!


 あらきまことの言うように俺は正真正銘のバカだった。あれほどの大事件が起きていたのに、今の今頃気づくとは。


 あのオーディションこそ大事件だ。


 どうして面接官は俺の乱入を放置していたのか。それどころか、俺の芸を見て喜んでいた。肝心の綾名やいたいけな少女のアピールに興味を示さず、形だけの面接をしたにすぎない。

 いい加減な面接で、歌も歌わなかった綾名が、二次選考に合格した。それも、本人がすっかりあきらめていたように、かなり時間が経ってから連絡を受けた。


 あのオーディションはレコード会社主催で、集合アイドルではなく、単体で売り出す。ルックスだけでなく、それなりの音楽性が求められる。ずば抜けた歌唱力と容姿の持ち主がいれば、すぐに決まるのではないだろうか。


 そういえば、他のオーディションで大型アイドルが発掘されたニュースがあった。綾名に合格の連絡が来たのはその直後だった。この二つの出来事に因果関係があったとしたらどうだろう。


 その大型アイドルは、綾名の受けたオーディションを受けていた。そのオーディションは実質的に、彼女で受賞が決まっていた。しかし、残った地区のオーディションも行わなければならない。

 もう受賞者は決まっているので、やる気のない形だけのものになる。綾名が歌を歌わなくても問題はない。

 しかし、その受賞が決まっていた人物が、他のオーディションと掛け持ちして、そちら側を選んだとしたら。

 適当にやりすごした地区の候補者をあらためて見直さなくてはいけない。綾名は肝心の歌を歌っていない。そこで、二次選考合格ということにして、再度オーディションを受けさせた。

 これで辻褄があう。


 いつものことだが、我ながら自分の推理にほれぼれする。



「ちょっと待ってよ」

 響子が、俺の推理の邪魔をしようとした。

「どうして、いつも所長は私が考えたことを、自分がさも考えたように説明するの」


「俺は読心術を習ってはいない。君が何を考えているかなんて、どうやったって俺にはわからない」

 と俺は反論した。


「さっき、所長から相談されて、私は自分の意見を言いました。それを一から自分が考え出したように語り始めて、自己満足に浸る。そんなことして何がうれしいの?」


 かつて俺とバディを組んでいた刑事は、いまでは警察庁長官にまで出世している。先日、俺のほうから彼のもとを訪れた。

「これはこれは珍しい。比由先生のほうからわざわざおいでいただけるとは、大変、光栄でございます」

「いつももらってばかりだから、たまには手みやげのひとつも持ってこなくちゃね」

 と俺は言って、のし紙を巻いた一升瓶を差し出した。

 若杉家に贈ったものと同じ酒だ。同じ種類という意味ではなく、同じモノということだ。俺はあの日、客として響子と一緒に居酒屋若杉に行ったとき、ひとしれず拝借しておいた。

「それは泥棒ということですか?」

 長官は青ざめた表情でそう聞いてきたが、それは勘違いだ。

「俺が贈ったモノを、俺が回収する。差し引きゼロだろう」

「参りました。さすがは、当代きっての名探偵」

「その言い方だと、昔、俺に匹敵する探偵がいたことになるな」

 俺は彼の顔を鋭くにらんだ。

「いいえ、とんでもございません。先生に並ぶ者などおりません。なにしろあのシャーロック・ホームズが田圃のかかしに思えるくらいですからな」

 そう言って彼は笑った。引きつった笑いだった。俺は彼の緊張をとこうと、一緒に笑った。


「あの……」

 響子は不満げな表情で、俺の前に立ちはだかる。

「警察庁長官の作り話はいいですから、私の質問に答えてください」

「君が俺にどんな質問をしたというんだ」

 俺は記憶を遡った。すると、該当する場面にたどり着いた。


「若杉さんのところだけ、散髪代高くない?」

 帳簿をチェックしていた響子は俺に聞いた。

 俺はゴルフクラブをみがきながら、

「若杉某が床屋でいくら使おうと、俺には関係ないけど」と言った。窓の外は相変わらず陰鬱な天気だった。


「いったい、いつの話してるの!」

 ついに彼女の怒りは爆発した。

「私の聞いたのは、私が考えたことを自分の手柄にして、うれしいんですかということです」


 ここで俺が何か言っても、燃えさかる炎に油を注ぐようなものだ。一旦、引き下がるしかない。


「そういえば、鹿鳴館のパーティに招待されてたんだ」といって、俺は事務所を出た。


 まだ帰宅するには早かった。ほとぼりが冷めるまで近所をぶらぶら歩こう。通りを歩いていると、居酒屋若杉が目に入った。

 昔、あそこでハインリッヒという柴犬を飼っていた。俺はよく散歩に連れていったものだ。

 死に目にあえなかったので、線香のひとつでもあげてやろうと、俺は裏に回った。


 ハインリッヒは俺を見つけても、いつものようにしっぽを振って、吠えてこなかった。

「元気ないようだな?」

 俺が尋ねると、

「バワワワーン(こっちはそれどころじゃないんだよ)」


「何があった?」

「ワウー(アヤナがオーディション受かったって)」

 原因に心当たりがあった。

「俺が一緒にいったからかな」

「わんっ!(それじゃなくて、別のオーディションだよ。今度のは集団で踊るタイプ)」

「めでたい話じゃないか」

「バウー(こっちは大迷惑だよ。忙しくなれば、俺の散歩はなくなっちまうんだぜ)」

「人生にはいろいろあるものさ」

「ワン(人間ってやつは、なにかとバカスギル)」

「俺も次に生まれるときは、犬を選ぶよ」


 俺はそこで会話を切り上げ、響子の待つ事務所へ戻っていった。

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Mr.ハードボイルド ~バカスギル家の犬 @kkb

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