第6話 ஜ۩۞۩ஜ 6 ஜ۩۞۩ஜ
俺はこれまでアイドルというものにさっぱり興味がなかったが、オーディションに同行したことで、ネットの芸能情報などに自然に目がいくようになった。そこでは、あるニュースが話題をさらっていた。大手芸能事務所がてがけた大規模なオーディションに、16歳の少女が選ばれ、容姿、歌唱力、どれをとってもずばぬけていると評されていた。
芸能界というところは、所詮はひとにぎりの才能の世界で、若杉家の娘程度には縁がない話なのだろう。そう思っていたところ、若杉綾名に二次選考合格の話がきた。今頃来るとは遅い。本人もとうにあきらめていて、他のオーディションに応募していた。掛け持ちは当たり前のようだが、主催者側からすればせっかく合格させてあげたのに、他のオーディションを選択される危険性もある。
俺はお祝いの言葉をかけるため、彼女を訪れた。
合格したのに、本人は納得いかないようで、
「私、面接でなんにもしてないのに合格するなんておかしくない?」と俺に質問した。
たしかに彼女程度の容姿の持ち主など五万といる。よく言って、クラスで五番目に入るか入らないか微妙なところだ。
「何、その言い方」
「これでも褒めたつもりだけどな」
露骨にブスと言ったわけではない。
「アイドルになるんだから、ブスのわけないでしょ」そう言いながら、「見た目だけで二次選考受かるはずないもん。やっぱりおかしい。何か裏がありそう」
何か裏がある。言葉にこそ出さなかったが、彼女の顔はそう語っていた。
「顔じゃなくて、はっきりそう言いました」
「君はそう謙遜するけど、その顔が決め手になったんじゃないかな。普段はぱっとしなくても、たとえば睡眠不足だったり、酔っぱらったりすると、チャーミングに見えないこともないかもしれないし」
つまり、面接ではアイドルに値しないルックスと判断し、歌すら歌わせなかったが、面接官がアルコールを口にしていたとき、ふと彼女のことを思い出した。それで辻褄があう。
「そこまで言う?」
「じゃあ、他にどういう理由が考えられる?」
「あのとき、歌とかなかったのは、おじさんが邪魔したから。今になって連絡が来たのは、きちんと面接させなかったのを思い出したから。だから、二次合格というんじゃなくて、これから二次という感じ」
彼女の説もそれなりにうなずける。
だが、いずれにせよ、最後の一人に選ばれることはないだろう。そのことは本人も承知しているはずだ。俺はそんな彼女に、
「きっと最終オーディションに合格するさ」とはげましの言葉をかけた。
「承知してないよ。やってみなきゃわかんないでしょ」
ハインリッヒも俺たちのやりときを聞いて、おかしくて仕方がないようだ。
「ワウーわん(ギャハハハー)」と大笑いしている。
「早く散歩に連れて行けって言ってると思うけど」
「今日は君の番だぜ」
水曜の夕方だった。
「今日、散歩しに来たんじゃないの?」
「俺はボランティアじゃない。金にならないことはしない主義でね」
それから俺は、いつものコースを無報酬で散歩することになった。
「ラチャン(なあ、ラーチャー)」
ハインリッヒのほうから唐突に俺に話しかけてきた。
「今、俺を呼んだかい?」
「バウー(他に誰かいるっていうのか?)」
「それがなにか?」
「ワウー(アヤナのことだけど)」
「彼女がどうかした?」
「バワワワワー(いい加減、あきらめたほうがいいと思う)」
「君もそう思っていたのか」
「ワウ(前から本人に言おうと思ったけど、彼女、犬言葉が通じないから)」
身内同然の彼の忠告は、アイドル熱に浮かされた彼女にとどくのだろうか。
「ワワウワウワ(だから、ラーチャー。俺の言葉をあの子に届けてやってくれ)」
「君がそう言っていたとでも言うのかい? 信じないよ」
「バウウウウワウウウウワウウウワウウウワウウウウ(そうだな……)」
忠犬ハインリッヒは俺の言葉に納得した。その横顔はどこか寂しげだった。
「ワンッ!(その位置からだと俺の横顔見れないよな)」
彼の言うとおりだった。
ケーキ屋の前を通り過ぎたころ、前方にどこかで見た顔があった。笠松保育園の名物男あらきまことだ。同年代の見知らぬ子供と一緒だ。
こいつは並みいる園児の中でも、かなりやっかいなやつで、下手に相手にしようものなら、徹底的に打ちのめされることになる。
俺は相手に気づかれないように、帽子を目深にかぶり、うつむき加減に横を通り過ぎようとした。
「あ、バカだ!」とあらきは叫び、俺のほうを指さした。
「誰?」
一緒にいた子供は聞いた。
「幼稚園の隣の人」
正式には保育園だが、彼の頭の中では幼稚園なのだろう。
「なんでバカなの?」
「バカだからバカ」
ものすごい理屈だが、相手の子は納得した。
俺は無視して通り過ぎようとしたが、誇り高きハインリッヒは二人に猛烈に吠えかかる。
「ワンワン(邪魔だ、ガキ。とっとと消え失せろ)」
「そんなこと言ってないよ~」
あらきが言った。
「あらきがいったって何?」
子供が聞いた。
「バカのいうことなんかしらない」
俺は、二人に向かおうとするハインリッヒを前に引っ張り、先に進んだ。
その後も二人は俺とハインリッヒの後をついてきた。犬が吠えるので目立つ。すると、通りがかった小学生が加わった。男子だけでなく、女子も混ざっている。
ガキどもは執拗に、バカ、バカと叫んでいる。中には石を投げてくる者もいる。
進むにつれ、人数も増える。制帽をかぶった中学生もいる。どんどん人数が増える。もう十人くらいいる。傍目には、何かのイベントに見えるだろう。
さすがにまずい。これではハーメルンの笛吹第二弾だ。東海道一の韋駄天と言われた俺だ。犬さえいなければ、ここから走り去るのだが、犬の散歩中なのでむやみに動けない。
そこで俺は一計を巡らした。
俺は立ち止まると、右手で彼らの後方を指さし、
「あ、あんなところに、アメリカバイソンが」と叫んだ。
作戦は成功した。単細胞なガキどもは俺の嘘を見破れず、後ろを振り、
「バイソン、え、どこどこ?」「バイソンって何」などと、周りを探し回っている。
こうして俺とハインリッヒは窮地を免れた。
はずだが、「いないよ、バカ」「嘘つき」などと、よけいにののしられる羽目になった。
俺は、忍耐力の限界に達しようとしていた。
ハインリッヒはそれを察し、
「あいつらのことは俺に任せてくれないか」と提案してきた。
「何かいい考えがあるのかい」
「簡単だよ。あんたが握っているリードを放してくれるだけでいい。後は俺がひとりで片づける」
「それはつまり、こいつらに噛みつくということだな」
あらきまことの知能では理解できない会話も、さすがに中学生になるとわかるようで、
「やめてくれ」と言って、先に逃げていった。すると、
「逃げろ!」
ガキどもは口々にそう叫び、雲霧散消した。
だが、あらきまことは一人残っていた。
ハインリッヒは彼に吠えかかるが、彼は両手を腰に当て、不動明王のように立っている。見上げた根性だ。俺がもし手綱を放せば、この小さな勇者も猛獣の餌食となるのだ。
「こいつは朝から何も食べていない。逃げるなら今のうちだぜ」
俺がそう警告すると彼は、
「おまえがバカすぎる」という強烈な一言を放った。
バカすぎる。バカの極限状態。若杉家の飼い犬ハインリッヒはバカスギル犬だった。
「ウワーワワーン(違うぜ。こいつの言ってるバカは、ラーチャー、おまえのことだ)」
と、ハインリッヒはあらきに向かって強く吠えた。
それで、さすがの勇者も、「うえーん」と泣き声を上げて走り去っていった。
邪魔者は去った。俺達は何事もなかったかのように、居酒屋の裏庭に戻った。
「あんたのせいでひどいめにあったぜ」
ハインリッヒがそう言った。
「それはこっちのセリフさ」
今回のことはもちろん俺にも責任はある。仕事でもないのに、散歩を引き受けるものだから、とんだ災難に遭ったのだ。俺は自分のしたことを後悔した。
「いろいろあって楽しかったぜ。もうあんたとは会うことはないだろうな」
俺はハインリッヒ・ポッチ・ビルヘンバッハ氏にそう告げ、狭い路地裏を夕陽に向かって歩き出した。
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