第3話 ஜ۩۞۩ஜ 3 ஜ۩۞۩ஜ
翌日。
探偵には定休日がない。もちろん仕事が暇なときはあるが、犬の散歩が一件など小さな仕事があるので、丸一日休める機会は少ない。
今日は久しぶりに、仕事が何もない日だ。本来は三時に若杉家の犬の散歩があるが、家の長女が自分ですると約束してくれた。
俺は高級マンションでのんびりすごせばよかったが、つい習慣で事務所に来てしまった。
だが、響子は、
「今日の所長のスケジュール。朝から松本さんの引っ越しの手伝いがあります。二時に若杉さんの娘さんのオーディションに付き添い」
松本一郎は一人暮らしの営業マンだ。今度の転勤先は比較的近くで、荷物もたいした量ではないので、引っ越し業者に頼まずに、知り合いの軽トラックで運んでもらう。
男三人がかりで家具などを荷物に積む予定だったが、俺ひとりで充分だ。
現役ボディビルダーだったころに比べ、多少は衰えたが、俺は軽々とタンスを頭上に掲げた。
「お望みなら、回転させてみせるぜ」
それを見た松本は、
「しゃべってないで、そっちしっかり支えてください」と注意してきた。
家具など大きなものを荷台に乗せると、俺の仕事は終わりだ。
昼飯には少し早かったが、事務所に戻らずに、保育園の向かい側のトンカツ屋に入った。店内BGMはクラシック音楽だった。これほどクラシックが似合わない店もない。しかし、純和風ともいえない。オープンより少し前だが、追い払われたりしない。俺の他に客はいない。俺は店主のすぐ前のカウンターに座った。
「いつものそば」
「そば食べたきゃ隣に行ったら?」
「ついでにトンカツの細切れ」
「そんなのねえよ」
蕎麦屋とトンカツ屋は以前は同じ店だった。てんぷら蕎麦屋だった父親が亡くなると、二人の兄弟が跡をつぎ、店内にしきりの壁を設け、別々の店としてオープンした。それでも壁にはドアがあり、互いを行き来できる。そば屋からトンカツを注文できるし、逆も可能だ。
「そんなこと俺に聞かせてもらわなくてもわかってるよ」
実はトンカツ屋はそば屋より条件が悪い。通りに面しているのはそば屋のほうだ。
「それは仕方ねえよ。そばやってる弟のほうが本筋だからね」
板前姿の店主はものわかりがいい。
俺は奇抜なアイデアを思いついた。そば屋と廊下を挟んだ向かいはパスタ屋だ。
「スパゲティ屋とコラボしたらどうかな」と俺は提案した。
「何作ればいいんだい?」
「トンカツとスパゲティとくれば、トルコライスしかないだろう」
「なんだい、そりゃ?」
トンカツ屋のくせにトルコライスを知らないとは驚いた。
トルコライスは長崎名物の洋食で、ひとつの皿にピラフとトンカツとスパゲティを盛りつけたものだ。長崎以外ではほとんど見かけない、幻の料理と言われている。俺は以前、一度だけ食したことがある。
「そんなもの、どこでも作れそうだけど」
「トンカツ屋がしらないくらいだから、どこにでもあるものじゃない。組み合わせの比率がコツなんだ」
おれがそう自慢げに語ると、店主は神妙な面もちで謹聴した。だが、最近仕入れたトルコライスのうんちくを披露するのが、目的ではない。
傍目には他愛もない会話に聞こえるが、俺にとっては営業の一環だった。要するに仕事はないかと遠回しに頼んでいるんだ。
「なんだ、そんなことなら最初から言ってよ。そうだね~近所のじいさんが、毎週専門のマッサージ師のところに行ってて、一回五千円が高いって嘆いてた。多少腕が落ちてもいいから、費用が安くて、それに通うのが面倒だから、うちまで来てくれる人がいいって言ってた。だけど、ああいうのって資格いるから、だめだな」
やってやれないことはないが、
「他には?」と聞いた。
「急に言われてもね~」
地道な営業を続けていても、俺は年中暇だった。
「その地道な営業がだめ もっと世間にアピールするような派手な宣伝をしなくちゃ」
年に二、三回チラシを入れている。
「あんた、せっかく目立つ格好してるんだから、サンドイッチマンみたいに看板掲げて歩けば宣伝になるよ」
トレンチコートの上から、看板で挟まれたくない。
そうだ。散歩のとき犬のリードに横断幕のようにチラシをかければ、少しは宣伝になりそうだ。
俺は急いで、トンカツ屋を出て、車でホームセンターに向かった。
ホームセンター業界は、利幅が薄く、店員の人数が足らない。入り口の前には園芸関係用品が並んでいる。
俺は、プランターの植物に水を遣っていた若い男性店員をつかまえ、
「犬のリードに吊す、広告に使う布などの素材を探しているんだが」と聞いた。
「犬のリードでしたら、そこのペット用品コーナーです」
俺は、リードのリーを終わりに向かって下げる発音だったが、店員は通ぶって上げていた。
「はい?」
店員は首を傾げた
「首を傾げた?」
首を傾げながら、首を傾げた?と自問自答するのは滑稽だった。
俺は、入り口を入ってすぐ左手のペット用品コーナーに向かった。たしかにリードはあった。だが、俺の探しているものはリードではない。俺は文房具や事務用品のおいてあるコーナーに行き、画用紙を購入した。
精算を終え、スケッチブックの入った大きめのレジ袋を下げ、外に出ると、さきほどの店員がまだ水を遣っていた。俺に気づくと愛想笑いを浮かべ、「ありがとうございます」と会釈した。
事務所に帰ると、はさみとマジックペンを用意した。すぐにはさみは要らないことに気づいた。
はさみの代わりにクリップがいる。
画用紙に宣伝文句を書いた。それを二つ折りにして、リードにかけて、上からクリップで留めればいい。
宣伝は裏、表と両側に書く。リードの長さから三枚が限界だろう。
「何してるんですか?」
響子が関心を示した。
業務が曖昧な便利屋の仕事は、思いがけないことを頼まれるのが日常茶飯事だ。
だが、これは依頼を受けたものではない。我が社の広告だ。
「広告?」
「犬のリードに、ここの宣伝文句をぶらさげて、街を歩くんだ」
「はい?」
彼女は首を傾げた。
「首を傾げた?」
首を傾げながら、首を傾げた?と自問自答するのは滑稽だった。
「そのパターン新しいね。どこかでそういう反応した人がいたんでしょう」
彼女はお見通しだった。
散歩しながら、通りすがりの歩行者や、よそ見をしているドライバーにアピールするのだ。
あまり長い文章では、効果がない。キャッチフレーズは短文におさめる。
ラーチャー&スミスバーニー探偵社という社名は長すぎる。
あれこれ考え、文章が出来た。
何でもします 笠松ビル1F R&S探偵社
それを観た響子は、あごの下に手の甲を押しつけ、人形のように動かないで突っ立っている。考えごとをしているときのポーズだ。
「最初はアホくさいと思ったけど、意外にいけるかも。どうせならうちの宣伝だけじゃなく、企業広告とか入れれば、広告料いただけるかも」
自分のところだけでなく、他の広告も手がける。その発想は俺には思いつかなかった。そこで、
「それは俺も考えてる」と言った。
とりあえず、手近なところを何パターンも用意した。
蕎麦が頼める トンカツ屋 マスダ
空き室だらけ テナント急募 笠松ビル
酒はまずいが 料理は一流 居酒屋若杉
手に負えない お子さんなら 笠松保育園
こうして、ラーチャー&スミスバーニー探偵社は、広告代理店としての一歩を歩み始めた。
早速、試しに犬の散歩に行こうと思うが、今日は散歩の仕事は入っていない。そこで、最近何かと話題のハインリッヒを借りることにしよう。
その代わり、出来たてほやほやの居酒屋広告を世間に披露する。
俺は画用紙とクリップを手に、居酒屋若杉まで向かった。
俺は店主にばれないように、裏からそっと犬小屋に近づいた。ハインリッヒはお昼寝中だった。
チラシをつけるにはちょうどいい。俺は音を立てぬように注意しながら、三枚の二つ折りの画用紙をクリップでリードに留めた。
俺が無言でいるので、犬はまだ眠っている。無理にたたき起こすのもあれなので、俺は柴犬の横面に思いっきりビンタした。
すると寝ぼけ眼を開いた。
「ワゥ? ワワーン、ワウー(今俺をたたいたのはおまえか?)」
「俺じゃない」と俺は言った。
俺は非情にも、動物相手に嘘を吐いた。
「バウーハウーウー(おい、今、おまえ、何て言った?)」
「俺じゃないと俺は言った」と俺は言った。
「ワンワンワワン(もう一度聞く。おまえ、何て言った?)」
「『俺じゃないと俺は言った』と俺は言った」と俺は言った。
「オマーエーマトロースカカ(お前はマトリョーシカか)」
マトリョーシカとはロシアの人形で、上下に別れることができ、中には少し小さい同じ人形が入っている。
「ワン(なあ、ラーチャー。人生ってマトリョーシカに似ていると思わないか?)」
彼の問いかけに、
「人生がマトリョーシカに似てるんじゃなくて、マトリョーシカが人生に似てるんだ」
と俺は答えた。
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