第2話 ஜ۩۞۩ஜ 2 ஜ۩۞۩ஜ
戻ると異変に気づいた。犬小屋の屋根に張り紙がしてあった。
便利屋の人へ。明日の午後二時。車で迎えに来ること。
文字は油性ペンで書かれていた。一見しただけでは内容がわからない。残念ながら今の時点では不明だ。この俺がわからないなら、明智小五郎が生涯かかっても解けない謎だ。だが、俺には二、三日中に謎を解き明かす自信があった。
おそらくこれは何かの暗号に違いない。俺は暗号解読のスペシャリストだ。俺は句点(。)が三カ所あることに注目した。
句点で区切られた三つの文。その文字数こそがキーワードだ。
六文字、七文字、九文字……、つまりこれは、その、あの、俳句の一種で、なんというか、季語らしきものはないけど、でもやっぱり俳句っぽいから俳句ということで手を打ち、それからあの、文字数以外にも、内容も意味がありそうな感じがするということで、最初の文は俺を指していて、次は時間、最後は行動の内容。どうやら俳句というのは私の勘違いなようで、大変申し訳ないですが、そこのところはご容赦願いたく、名探偵ともあろうものがとんだしくじりをいたしまして。
要するに、最終的にたどり着いた回答が、これはこの家の娘が俺に頼んだ仕事という可能性が高いということだ。
同時にこれは俺に対する挑戦状でもある。明日は日曜日。三時に犬の散歩が控えているのに、二時に来いとはどういうことだ。三時に来いならわかるが、二時では散歩に支障がおきるかもしれず、あるいは時間が余る可能性もある。
「バワワワ、ワウー、わん、ワゥン(くだらないことしゃべってないで、早く犬小屋に入れろ!)」
俺は、リードの端をアンカーにかけ、事務所に戻った。
今日あったことをアシスタントに説明すると、
「そのこと、家の人に言わなかったの?」
彼女はあきれたように言った。
「あきれたようにじゃなくて、あきれているの」
事務所に戻ると、アシスタントはご機嫌斜めだった。きっと、以前から気があった保育所の青年に正式に振られたのだろう。
「別に恋愛も失恋もしていません」
俺は、若杉家の娘から受けた依頼を彼女に話した。すると、
「いくら娘さんとはいえ、正式に受けた仕事をキャンセルして、浮いた代金でオーディションについていくなんて、勝手に決められないわ」
「未成年とはいえ、俺が引き受けた仕事だ。散歩は自分がやると行ってるんだから何の問題もない」
「でも、なんで友達じゃなくて、三十過ぎのおじさんに付き添い頼むのかしら」
「友達に言うのは恥ずかしいんだろう」
「あなたと一緒に行くほうがずっと恥ずかしいけど」
「俺は姿を消すから大丈夫だ」
俺は、伊達や酔狂で忍術を身につけたわけではない。小一の夏、忍者に誘拐されて、からくり屋敷のようなところに閉じこめられて、生きるために仕方なく修行を続けたのだ。
「忍者の話だけは、いつも内容が変わらないけど、ひょっとして本当にあったことなの?」
「ただの作り話さ。いくら三重県が三百年遅れているといっても、今時、忍者なんているわけないだろう」
そう言ったが、本当だった。誰にも信じてもらえないから、作り話とでもいうしかなかった。
「そうだ。本当に忍者かどうかテストしてみればいいんだ……そうね、あそこの雀、手裏剣かなんかで落としてよ」
彼女はそう言うと、裏の駐車場側の窓を開けた。駐車場の端には電柱が建っていて、そこの電線に雀がとまっていた。
あいにく、手裏剣の持ち合わせはなかった。そこで、五十円玉と糸を用意した。
「どうして糸がいるの?」
その問いには答えず、俺は糸を硬貨の穴に通した。
「もしかして、五十円を無くさないように、糸を通しているの?」
「ああ、バビロンの大富豪と呼ばれた私が、金持ちになる秘訣を教えてしんぜよう。お金は大切にすることだ」
用意が出来ると、俺は右手で五十円玉をつかんで、雀に狙いをつけた。
彼女は、俺の一挙手一投足を固唾をのんで見守っている。
俺は変化球を投げた。硬貨は回転しながらターゲットに向かっていく。そして雀の額に命中した。雀は断末魔の叫び声をあげて、地面へと落下していった。
「しまった。勢いが強すぎた。命をひとつ無駄にしてしまったな」
俺は小動物の冥福を祈った。
「なるほど、糸を通したのはそういうことね」
俺は糸をたぐりよせ、硬貨を再び手にした。そして、二度目の投球。
三分後、
「さすが、忍者。十回以上投げてもかすりもしない」
彼女はあくびをすると、自分のデスクに戻り、帳簿のチェックを始めた。
俺はあきらめずに、夕方の帰宅時刻まで手裏剣の修行を続けた。
「さも、自分ががんばっているように表現してるけど、散歩から帰ったのが四時過ぎで、五時に帰る予定だから、一時間弱。それも椅子に座ったままで、五十円玉窓の外に放り投げて、またたぐりよせてるだけ」
傷心の俺にとって、唯一の心の支えは彼女だった。それがそんな風に思われていたとは心外だ……。
正直、彼女には失望したが、最後にひとつだけ甘えさせてもらおう。
「若杉の件だけど」
「何?」
「これから行って、料金の交渉をしようと思う。娘さんのこともあるし。ただし、あそこの大将、気分屋だから、いきなり仕事の話もあれなので、普通に客として行こうと思う。自然な雑談の流れで話せば、いい条件をひきだせると思ってね。そうなると、ひとりで行くより、女性同伴のほうがいい。そこで俺と一緒に行かないか。もちろん、君のおごりでね」
本当は、俺ひとりでは不安なので、一緒に行って欲しいなどと正直に言えなかった。
「いいわ。所長ひとりじゃ、さらに半額になりかねないし。それにもうひとつ不審な点もあるし」
「不審な点?」
「客が払う代行運転料金を、なぜ居酒屋さんが値引き交渉したのか」
「それは客のためだろう」
「代行運転のお金って、誰から受け取ってます?」
「前払いなので、客が居酒屋の勘定を支払うときに一緒にもらう」
「そういうことね。大体読めてきました」
アシスタントにわかるくらいだ。俺も当然読めてきた。但し、今は事情により言えない。
そういうわけで、俺と響子はその日の仕事を終えると、居酒屋へ向かった。徒歩でだ。あそこはろくな駐車スペースがなく、近所なので歩いたほうがいい。それで裏の駐車場に向かわずに、ビルの廊下を表に向かう。
廊下はできるだけ静かに歩く。その理由は、保育園があるからだ。保育園は廊下側がガラス窓なので、通行人は注目を集めやすい。この時間、お迎えが遅い子供達が何人か残っている。
白のトレンチコートの上下に中折れ帽という地味で目立たない格好の俺だが、彼らに見つからないように、神に祈った。
「大きな声出さないで。気づかれるじゃない」
そう響子が大声を出したので、一人が俺たちに気づいてしまった。
「あ、ラーチャーだ」
それが合図になったように、園児たちが窓際の棚の上に上がり、バカ、バカとはやし立てる。
「もう五時だぜ。そろそろお迎えの時間じゃないのかい? もしかして捨てられたのかな」
「バカ、バカ」
「お袋さんも、一日も早く君たちが更正して、ここから出られる日を楽しみにしている」
「ばか、バカ」
「娑婆の空気が吸いたかったら、教官の言うことをしっかり聞くことだな」
「バ~カ」
「相手してないで、早く行きましょう」
響子はそう言うが、
「変な女だ!」の一言で立ち止まった。
「なんで私が変な女なの!」
彼女はそう叫んだ。質問ではなく抗議だ。
「変なおじさんと一緒にいるからだよ~」
「この人と一緒にしないで」
ビルを出て、二分も歩くと居酒屋若杉に着く。ちょうど営業を始める頃なので、一般の客としていく。店内に入ると、まだ客は少なかった。厨房には、大将の他に奥さんがいた。二人で切り盛りするには、ちょうどいい店の大きさなのだろう。
「席、空いてる?」
「見りゃ、わかるだろう」と眉の太い店主が答えた。
カウンターは半分ほど空いていた。俺と響子は、並んで座った。
「娘さんのことにふれないのは、たぶんまだ聞いてないから。いきなり料金の話はしにくいから、まずはそちらからね」
彼女に言われて、俺は店主にオーディションの付き添いの件を話そうとした。しかし、彼は調理に集中し、険しい表情なので話しかけにくい。
だが、問題ない。わざわざアシスタントを連れてきたのは、それなりの理由がある。若い女性のほうが、話がスムーズにいくと考えてのことだ。
「それ汚い」と言う彼女を置いて、俺はトイレに行くふりをして、裏口を出た。
しばらく、ハインリッヒと犬語で会話を交わした。店内に戻ると、響子はメニューを見ながら店主と話している。娘の件を話しているかと思いきや、俺のいない間に勝手に注文していた。
「なぜ、待ってくれないんだ」
俺は抗議した。
「まともに注文できないくせに」
「それより、もう娘さんのことは話したのか?」
「話すわけないわよ。あなたが話すべきでしょ」
そうだった。そこで俺は、厨房の店主に事情を説明した。
店主は無言だった。
「事情を説明したしか言ってないじゃないの」
響子が指摘したので、俺は改めて店主に経緯を説明した。
「早くその経緯を説明してよ」
「何、ぶつぶつしゃべってんの?」
ようやく店主が、俺たちの会話に気づいた。
そこで俺の代わりに響子が説明した。
「なんで私が説明しなくちゃいけないの?」
「なんかわからんけど、とにかく説明してよ」
店主が催促した。響子は事情を語りはじめた。
「もう、面倒くさいことは全部私に押しつけるんだから。わかりました。私から説明します」
店主は説明を聞いても、反応がなかった。
「まだ聞いちゃいないよ」
それから本当に響子が説明したが、面倒なので省略する。
彼女の話を聞くと店主は、
「ああ、そういうことね。あれもアイドルになるって言い張って、毎週芸能スクールに通ってて。友達からもからかわれてるから、一緒に行きたくないって言ってる。それに子供一人でいくより、大人が一緒のほうがいい。怪しい事務所だったら、すぐに連れ戻してよ」と事情を理解した。
「アイドルにもいろいろあって、モデルと兼業したり、芝居もするアイドル女優、ご当地アイドル、地下アイドル」響子がにわか仕込みの少ない知識を披露した。「売れっ子でもあまりお金にならないみたい」
「仕方がないよ。本人がやりたいって言うんなら、やらせてみるしかないよ。だめならだめでいつかあきらめるだろう」
会話が弾んできたので、響子はここぞとばかり、例の問題に触れる。
彼女は柱に張ってある、「5キロ以内代行運転五千円」という紙を指さして、
「ねえ、大将。うちに払うのは二千五百円なのに、あそこの五千円って何?」
「え?」
店主は、面倒くさそうに張り紙を見た。
「ああ、前に張ったのが残ってた。今は半分しか受け取ってないよ」
そのとき、やりとりを聞いていたカウンターの酔っぱらいが、
「そんなことないよ。この間、五千円とったろう」と指摘した。
「勘弁してくださいよ。お客さん」
「ぼったくりだよ。この店」
そこから凄腕のネゴシエーター(交渉人)飯室響子の手腕によって、代行運転料は三千五百円に上がった。代わりに犬の散歩代は、千五百円に値びくことになった。
一件落着したので、俺は普通の客として、ビールを注文した。ウォッカ派の俺は控えめに飲んだが、のんだくれのアシスタントは、すぐにジョッキを空にし、何度もお代わりを頼んだ。
しどろもどろになると、さきほど助けてくれた酔っぱらいに絡み始めた。
「私のお酒が飲めないの?」
相手は、場末の居酒屋には珍しい美女に、最初のうち、
「飲みます、飲みます」と上機嫌だった。
それが、彼女がプロレス技をかけると、
「痛い、痛い」と本気で痛がった。
「女だからってなめるなよ」
彼女は、前の探偵事務所で格闘技の訓練を受けている。
「訓練を受けたのは事実ですけど、プロレス技なんて知りません。それにコップ半分も飲んでないんですけど」
彼女のいうように、ビールが出てからものの二、三分しか経っていなかった。
ここの名物は、肉じゃがなどの家庭料理だった。
俺は肉じゃがが大嫌いだ。まずジャガイモそのものが好きではない。ポテトチップスなら食べられるが、煮くずれたものが受け付けない。
肉は調理法次第だ。カツなどのフライやカレーに入れたりすれば問題ないが、バラ肉をただ煮たり、焼いただけのものはだめだ。
たまねぎは生なら旨いが、柔らかく煮たものがだめで、堅さがポイントになる。
結論から言うと、俺は肉じゃがが大嫌いだ。日本人は皆肉じゃがが好きとか勝手に決めつけるな。嫌いなものは嫌いだ。とにかく嫌いだ。何が何でも嫌いだ。たとえ、最高の食材を一流の板前が調理したものでも嫌いだ。
それなのに、目の前に肉じゃががあるのはどういうわけだ。
「そっちが注文したんだよ」と店主は言うが、俺は「この店で一番人気のあるおかず」としか言っていない。
俺はなぜだか、居酒屋に来ると洋食が食べたくなる。特にトルコライスが無性に欲しくなる。
「それなら、うちじゃなくて、キッチンヤシロに行きな」と店主に怒鳴られ、俺は店を出た。代行運転料が上がって機嫌が悪いのだろう。俺は、その足ですぐ近くのキッチンヤシロに向かった。
だが、不幸なことに俺は洋食屋に来ると、居酒屋が恋しくなる。
結局、俺は満たされぬまま、ハンバーグエビフライセットを平らげた。
シェフには、自分が覆面調査員であることを明かし、星七つを約束しておいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます