第7話

 携帯が見つかったので、俺は事務所のある笠松ビルに戻った。五人ほどの園児たちが棚の上に乗り、廊下のサッシ窓に吸盤のように密着し、俺のほうを険しい目つきでにらんできた。

「ひとりで遊園地行くのはずるい」

「なんで連れていってくれないんだよ~」

 どの子供も目から大粒の涙を流していた。


「もう遊園地って歳でもないだろ。生後、三ヶ月の赤ん坊じゃないんだから。立派な侍になりたかったらな、遊ぶことばかり考えてないで、論語でも朗読してろ」


「おみやげは?」

 ひとりがそう聞いた。

 俺はコルト銃をとりだし、そいつにねらいをつけた。

「冥土のみやげに教えてやる。遊園地とはヤバイ場所。矢場と同じでまっとうな堅気のいくところじゃねえ」


 おかしい。

 俺は遊園地に行くとは、誰にも漏らしていない。彼らはどこでその情報を仕入れたのか。

「社員研修のため、三日ほど留守にします。研修先は剣と魔法の王国 by 所長より愛を込めて」

 と、ご丁寧に行き先を記した張り紙があるわけではない。


 笠松保育園の園児達は、どうして、俺が遊園地に行ったことを知っているのか?

 これこそ、おそらくは日本犯罪史に残るであろう「剣と魔法の王国事件」、通称「魔の遊園地事件」最大の謎だ。


 俺は、IQ230の頭脳をフル活動させ、問題解決を試みる。

 最近流行りのドラマのように、俺の周りに事件と無関係な、数学や物理の公式が浮かび上がる。

 小卒の俺は、大学院の博士課程で、パスカルというニックネームを准教授からつけられた。その関係で俺をモデルにした刑事ドラマ「パスカル」がこの春からゴールデンタイムで放映される。

「どんなミステリーも、適切な公式に当てはめれば、必ず解ける」

 それが主人公の口癖だ。

 俺の周りを様々な公式が取り囲む。


 ………… ¢▽∂∬Å♂℃※⊆〒↑⇒∞∧∃≒‰♪¶%∴±¥☆£◎§★ゑグヰヰΨζΘΔΦυπЮЁЙ┿┻㌢㏄㍑㌘㈲℡㍼欝 …………


 わかった!!


 郵便受けの脅迫文は開封してあった。響子は間違えて、保育所の郵便受けに入れた。保育士が中身を見て、うちの事務所のところに戻したのだ。


 我ながら恐るべき推理力。シャーロック・ホームズが田圃のかかしに思えるほどだ。これまで数々の名探偵が難事件を解決してきたが、この「魔の遊園地事件」ほど、複雑怪奇な謎に満ちたものはなかった。IQ230の俺の頭脳をもってしても、困難の連続だった。だが、どんな謎も適切な公式に当てはめれば解ける。名探偵パスカルの推理力は、物理学の常識を越えたのだ。



 現警視庁総監の叔父が、俺を無理矢理警察に入れたのは、この推理力を見込んだからだ。

 叔父の読み通り、現役刑事時代の俺は空前絶後の大活躍をした。

 アームチェアディティクティブという言葉がある。椅子に座ったまま、事件を解決する頭脳派の名探偵のことだ。俺の配属先、警視庁捜査一課の課長のデスクの上には、肘掛けソファが乗せてあった。俺はそこに腰掛けながら、パイプをくゆらし、一歩も歩くことなしに、すべての事件を即座に解決してみせた。課長には肩身の狭い思いをさせて申し訳ないが、事実何の役にも立たないのだから、仕方がない。


 ここ二十年で出版された推理小説のほとんどは、当時の俺の活躍をヒントに生み出された。あまりのすごさに当時俺の部下でワトソン役だった男は今、警察庁長官という立場にある。なんと俺を警察に引き抜いた叔父の上司にまで出世している。

 こいつは根っからのせこい人間で、叔父のことを比由君と部下扱いするくせに、俺には比由先生といってご機嫌をとろうとする。


「先生が刑事をやめて探偵になるって言い出したときには、私、心臓が止まりそうになりましたよ。先生とのコンビが解消したら、私、普通の刑事ですものね」

「そういうけど、俺があのままいたら、長官にはなれなかったはずだぜ」

 俺は、ロンドンからとりよせたデイリーウィークを広げて、三面記事を眺めながら、そう言った。

「おっしゃるとおりです。欲のない先生が手柄をすべて私に譲ってくださったおかげで、私はここまで出世できました。ですが、あのままコンビを続けていれば、伝説の名刑事として歴史に名を残せました。かえすがえすもそれだけが残念です」


 俺はこの程度の男を相棒だとは思ったことはない。この男にかぎらず、この世のすべての人間を自分と対等だとは思わない。そんな傲慢で誇り高い俺を世間ではこう呼ぶ。

「めっちゃかっこよくて、ライオンみたいに勇敢だからラッチャって呼ぼう。だけど、もっとセンスのいいニックネームも要るな。そうだ、ミスターハードボイルドがいい」



「アデュオス」

 妄想が終わると、俺は園児達に別れを告げ、事務所のドアノブに手をかけた。そのとき、年長組のあらきまことが俺の背中に向かって叫んだ。

「お前がバカだ」

 幼児の戯れ言につきあうほど暇ではないので、俺は彼の見つめる前で、非情にもドアをしめた。


 響子は事務所にいた。仕事がないので、スポーツ新聞の競馬欄を広げて、予想を立てている。実は仕事はある。犬の散歩と害虫駆除の見積もりが一件ずつ入っているが、彼女は見向きもしない。


「くどいようですが、私は便利屋の仕事はしません。若い女性ひとりじゃ信用されないのと、事務所借りるのに資金かかるから、便利屋さんと一緒にいますけど、私はあくまでも私立探偵です。それにスポーツ新聞じゃなくて、経済新聞。経済のことも勉強しなくちゃ、探偵はつとまりません」


 彼女は以前、大手探偵事務所にいたが、会社の金に手をつけて解雇された。会社の寮にいられなくなり、引っ越しをする際に、格安で引き受ける俺に声がかかった。

 俺のところの引っ越し料金が異常に安いのは、客に手伝ってもらうことが前提だからだ。いくら俺が学生アームレスリングのチャンピオンだったからといって、百キロの荷物をひとりで運ぶのはしんどい。それなのに、彼女は椅子に腰掛けたまま、「るん、るん、るん、ハエが飛ぶ」というセンスのない替え歌を鼻歌で歌っている。


「るんるんるん……ああ、これからどうしよう? もう業界中に私の悪評知られちゃって、他で雇ってもらえないし、独立するのにも資金いるし……そうだ。便利屋さん、一緒にやらない?」

「今からここでかい? ベッド運んでからだな」

「やだ、違うわよ。勘違いしないで」

 勘違いしているのは彼女のほうだ。俺は今からここで、解体したベッドの組み立てを二人で行うという意味で言ったのだ。

「え、そういう意味? やだ、恥ずかしい! でも、何で私がそっちの仕事手伝わないといけないのよ。ところで、便利屋に間借りする探偵って、いいアイデアと思わない? 事務所は今のままでいいし、留守の間、依頼人が来ても対応できるし」

「そんな遠い未来の話より、この狭い部屋にどうやってあれだけのものを配置するのか、レイアウトを真剣に考えて欲しい」

「それはそっちの仕事でしょ」

 彼女の投げやりな態度のせいで、部屋は悲惨な状態になった。そのうえ、二ヶ月後にはゴミ屋敷として、近所の評判になっていた。


 俺の思い出話を聞いているうちに、響子の顔が紅潮していった。俺は自分の記憶を頼りに当時のことを語ったのだが、彼女には少しばかり気にくわないようだ。


「少しばかりか、全然違うじゃないの。私は横領したのではなく、上司が犯罪者から買収されて、会社を辞めたんです。鼻歌なんか歌っていません。『便利屋さん、一緒にやらない?』なんて言ってません。レイアウトはきちんと指示しました。そちらがいい加減だから、部屋がぐちゃぐちゃになったんです」

 俺は医者から、彼女に記憶障害があると告げられていた。だが、彼女にそのことを知られてはまずい。そこで、

「そ、そうだったな。君の言うとおりだよ」と嘘を吐いた。


「言い争いしても無駄みたいね。地の文を操作できるから、どうやってもそっちが有利。ところで、遊園地はどうでした?」と彼女は急に話題を変えた。

「どうでしたって、一緒に事件を調べたよな」

「そういう意味じゃなくて、楽しかったですかって聞いたんだけど」

「まるでいい年こいて遊びに行ったような言い方だな」

「あら、結構ご年輩の方もいらしたわよ」


 あの低年齢向け遊園地のどこに、大の大人が楽しめる施設があったというのだ。笠松保育園の遊戯室といい勝負だ。そうか、彼女はきっとあのことを言っているのだ。

「売店なら駅前のほうが品数豊富なんだがな」

「そうじゃなくて。あそこの唯一の売り、大評判の魔法使いの館。スタンフォード大学と提携して開発したVRがすごくて、毎年、海外からも何百万人も来るんだから」

 そういえば、公安刑事が現れる前、俺はそこにいく予定だった。それがお化け屋敷に行く結果になったのだ。


「まさか、行っていないとか」

 ああ、そのまさかさ、などと正直に言える気分ではなかった。だから、

「ああ、たしかにすごかった。何度でも行きたい気分だよ」と嘘を吐いた。

「ご愁傷様」

 彼女は冷たく言い放った。心の中では俺を哀れんでいるのだろう。

 あらきまことの言うように、俺は本物の大バカだった。何のためにあそこに行ったんだ。悔やんでも悔やみきれない。


 それから俺は、犬の散歩をこなし、スズメバチの巣を見に行き、長岡害虫駆除に内容を報告した。

「明日の十時ね。遅刻しないでよ」

 長岡義男にそう言われた。


 明日の十時まで仕事がなかった。帰ってテレビでも観よう。そう思ったが、天気は小雨。夜にかけてひどくなると予想されている。この分だとテレビが映らない。俺は、アンテナレベルの低い超高級マンションに帰るのはやめて、地デジ化を強行した総務省に対するプロテストソングを歌いながら、夜の繁華街をあてどもなくさまよい歩いた。


     アメ・フル・トキ


説明を受けてない 何ひとつ知らなかった oh~ 

人生を分け合ったけど テレビは僕を置いて 遠くに去っていった

雨降るとき テレビが見えぬ ひどすぎても 僕は耐えてゆく

総務省が行った これまでの政策に いまでも苦しんでる 

よくなると願って oh yeahyeah チューナーを買ったけど 君は去っていった 

雨降るとき テレビが見えぬ ひどすぎても 僕は耐えてゆく

雨降るとき テレビが見えぬ ひどすぎても 僕は耐えてゆく


テレビを観ることができず、残念な気分 チューナーを買ったけど テレビが見えぬ テレビが見えぬ

雨降るとき テレビが見えぬ ひどすぎても 僕は耐えてゆく

雨降るとき テレビが見えぬ すごくすごくすごくひどくても 僕は耐えてゆく  



 人生はときに辛いこともある。俺の場合はときどきなんて甘いものじゃなく、絶え間ない苦難と挫折の連続だった。そんな土砂降りのような我が人生の、唯一の慰みがテレビだった。地デジ化により、テレビがときどき観られなくなった俺は、心の中にぽっかりと大きな穴が空いたような気分だ。いつの日か、総務省が心を入れ替え、地デジ化の失敗を素直に認め、アナログ波に戻す。俺はそう願いを込めながら、大都会の路地裏を駆け足で走り抜けていった。


 それがなぜだか、万引き犯と間違われ、大勢の追っ手に追われる立場に。だが、東海道一の飛脚と言われた、韋駄天の頼太様の本領発揮で逃げ延びることができた。岡っ引きともあろうものが、世間様を騒がせたのは申し訳ない。お詫びの印にこれから矢場にいって、ヤバい奴らを一網打尽にするから、両耳ほじって待ってやがれってんだ。それからよ~、天井裏のスズメバチには手こずったが、なんとかお得意さんにも満足していただけたぜ。ただひとつ、魔法使いの館に行かなかったのが我が人生における心残りだった……。

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Mr.ハードボイルド ~魔の遊園地 @kkb

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