第5話

 俺を案内してくれたスタッフとは事務所の入り口の前で別れた。

 管理事務所に入って、廊下を少し行くと、大部屋がある。俺はそこのドアをノックした。俺は、自分が忍者であることを思い出した。ドアに耳をつけて、中の会話を盗み聞きする。


「警備に金かけてもお客さんは増えない。だから、契約切るって」

「私たちだけで警備するの? ただでさえ人少ないのに、警備に何人かとられたら回っていかないよ」

「上の考えだから、仕方ないよ」

 返事がないので、一方的に開けた。

 依頼に来た長谷川という若い娘と、初めて見る若い男が無言で見つめ合っていた。二人とも相手に夢中で、俺の存在に気づいていないようだ。


「見つめ合ってないですし、比由さんには気づいています。私がアナウンスしたんですから」

 といって、長谷川はキツツキのように口をとがらせた。

 俺は心のうちの動揺を悟られまいと、わざと明るい調子で、

「さっきのアナウンスには驚いた。いい年をして、遊園地に来て、とんだ赤っ恥をかいたよ」と言った。


 俺の登場で、男と二人だけでいるチャンスを邪魔された長谷川は、機嫌が悪いようで、

「あの、もうすぐ例のショーが始まるので、ご案内したいんですけど」と事務口調で言った。

「S席以外はお断りだぜ」とやんわりと断った。

「舞台の袖で見学していただきます。そう飯室さんから指示を受けています」

「その飯室という女は今どこにいる?」

「比由さんを探しにいくといって、出ていきました」

 アシスタント不在だが、仕方がない。俺は長谷川についていった。


 イベントがあるときだけ利用する総合舞台は、遊園地の端のほうにあった。建物は小さく、昔の芝居小屋を思わせた。

 スタッフ用裏口から中に入る。楽屋には衣装を身につけた三名の出演者が、雑談しながらくつろいでいた。

「こちら探偵さん」と長谷川が俺を紹介した。

「俺を紹介しただって」と、アホな格好の男が素っ頓狂な声をあげた。


「あほってなんだよ」男は立ち上がった。「魔法使いって言えよ」

「その格好じゃアホって言われても仕方ないよ。魔法使いじゃなくてアホウ使い」

 少女役の中年女の言葉にアホは深く傷ついた。


「まだ二十四。少女は無理でもおばさんじゃありません」と、女は一目でばれる嘘を押し通した。

「何、この人。本当に探偵?」

 勇者役の男が俺を疑った。勇者役にしては顔が、そのつまり、あれなんだけど……。

「顔がなんだよ?」

「本番前に揉めないでください」長谷川が注意した。「この探偵さんに、舞台の袖にいてもらって、怪人が出てきたらつかまえてもらいます」


 彼女は、何か勘違いしているようだ。

「怪人が現れたら捕まえるのではなく、怪人が現れる前につかまえるんだ」

 俺の勘では、スタッフの中に怪人がいるに違いない。そして、そのスタッフが誰だかもうわかっている。


「本当ですか?」

 推理小説でもありえない、予想外の展開に長谷川が驚いた。

「ああ」

 俺にとってこの程度の事件など、わざわざ頭を使うに及ばない。足の親指だけでも簡単に解決できる。


「それで怪人は誰なんですか?」

 そこにいる全員の視線が俺に集まる。


 俺は、シガレットケースからタバコをとりだし、人差し指と中指で挟んで、魔法使いに向かって言った。

「毎日平凡な日常が続くと、無性にニコチンが恋しくなる。君が本当の魔法使いなら、このタバコに火をつけることくらいできるはずだ」

 魔法使いは、この難題をクリアできるだろうか。

「僕は氷の魔法使いなんで、火は使えません」

 魔法使い役の男は、うまい言い訳を考え出した。将来はきっといい魔法使いになれるぜ。


「タバコでごまかさないでください。うちのスタッフの誰が怪人なんです?」

 長谷川がしつこく聞いてきたが、事情により今は明かせない。


「事情とかいって、ごまかさないでください。うちのスタッフの誰が怪人なんです?」


 この楽屋に来て思い出したが、実は俺は俳優を志したことがある。小学校を卒業してニューヨークに渡ってまもなくのことだ。当時、俺は道路掃除をしながら、米国籍をとるため、日夜英語の特訓に励んでいた。

 そんな折り、チャーリー某という若い役者とふとしたことで出会った。

 チャーリーはハンバーガーをほおばりながら、歩道を歩いていた。それが、掃除中の俺と衝突し、ハンバーガーが地面に落ちてしまった。チャーリーからすれば、ハンバーガーを台無しにされ頭に来たはずだ。俺からしても、せっかく綺麗にした道路を汚され、怒りを抑えきれなかった。

「ファックユー プリーズ、ウッヂュースピークジャパニーズ、プリーズ」

 俺の拙い英語では会話にならず、チャーリーは、「そんなへたくそなイングリッシュじゃ、ハンバーグひとつ買えないぜ。ぼったくりの英会話学校なんかやめて、俺みたいに役者をめざしたらイングリッシュも上達するよ」と言って、自分が出演する舞台のチケットを俺の手に握らせた。


「作り話でごまかさないでください。うちのスタッフの誰が怪人なんです?」

 長谷川があまりにしつこいので、俺はしぶしぶ怪人の名を明かすことにした。それで、窓の外を指さし、

「あ、あんなところにクチベニマイマイが」と叫んで、その場からすたこらさっさと逃げ出した。



 命がけの逃走だった。着いた先は舞台の上だ。幕の向こうから観客のざわめきが聞こえる。スーパースターがやってきたことを予感しているのだろう。

 そのあとすぐ脇役達がやってきた。俺は彼らの演出を受け持っていた。

「君たちに灰皿をぶつけたり、なにかときつい駄目だしをした。だが、それは君たちに早く一人前の役者になってもらおうという気持ちからやむなくしたことだ。だから、今日の舞台は持てる力のすべてを出し切って、演出家の私に花を持たせて欲しい」


「それ、何かのセリフ?」

 勇者は笑いながら言った。笑っていられるのも今のうちだ。明日の今頃は、「アニキ、俺、アニキの芝居に一目惚れしたぜ。使いっ走りでも何でもするから、アニキの舎弟にしてくれ。舎弟にしてくれるまで、ここから動かないからな」ということになるのだ。


「邪魔だからそっち行って」

 少女は俺に、袖に行くように指示した。

 俺だけでなく、魔法使いと勇者も袖に控えた。


 安っぽい音楽とともに、幕が開いた。本番が始まる。


 ナレーションは長谷川の声だ。

ナ「少女はお母さんに言われて、お使いにいくことになりました。途中に、悪い魔法使いが住んでると言われる森があります。お母さんは森を通らないように少女に注意しました」

 歩く少女。

少女「この科学の時代に魔法使いなんかいるわけがないわ。たとえいたとしても、トリックがある手品だから怖くなんかないもん」

 女の子というには苦しいが、中年女は女の子を演じていた。

ナ「その様子を悪い魔法使いが見ていました」

魔法使い「あの女の子態度が悪い。こらしめてやる。フフフ」

 森を往く少女。目の前に魔法使いが登場する。

魔法使い「フフフ。魔法使いの森へようこそ」

 少女はそのまま進み、魔法使いとぶつかる。

魔法使い「コラ! どこ歩いとんじゃ。ボケ!」

 少女は魔法使いを無視して、そのまま進む。

少女「今何か声がしたような。気のせいね」

 唖然とする魔法使い。


 BGMは恐怖をあおり立てるものに変わった。ダークアンビエントミュージックというジャンルだろう。


少女「おかしいわ。同じ道を何度も来ているみたい。きっと魔法使いの仕業よ」

ナレーション「少女が道に迷ったのは、魔法使いの仕業ではなかった。単に道がわかりにくかったからである」

 観客の笑い声がする。俺は笑うどころではなかった。トラウマが蘇る。今舞台の上の少女は、まさに、立体迷路で迷った俺だった。


ナ「夜遅くなっても、少女は家に帰ってきません。お母さんは勇者に少女を探してくれるように頼みました」

勇者「え? 今からですか? 行ってもいいけど、深夜料金追加だよ。見つかったら成功報酬もプラス」

 森を歩く勇者。

勇者「お~い。どこにいるんだ?」

ナ「その様子を悪い魔法使いが見ていました」

魔法使い「あの勇者態度が悪い。こらしめてやる。フフフ」

 森を往く勇者。目の前に魔法使いが登場する。

魔法使い「フフフ。魔法使いの森へようこそ」

 勇者はそのまま進み、魔法使いとぶつかる。

魔法使い「コラ! どこ歩いとんじゃ。ボケ!」

 勇者は魔法使いを無視して、そのまま進む。

勇者「今何か声がしたような。気のせいか」

 唖然とする魔法使い。

 歩き続ける勇者。

勇者「おかしい。同じ道を何度も来ているようだ。きっと魔法使いの仕業だ」

ナレーション「勇者が道に迷ったのは、魔法使いの仕業ではなかった。単に道がわかりにくかったからである」


魔法使い「ああ、お腹すいた。街に出て、ピザでも買ってこよう」

 森を歩く魔法使い。

魔法使い「おかしい。同じ道を何度も来ているみたいだ。もしかして、人にかけた魔法が自分に返ってきたのでは」

ナレーション「魔法使いが道に迷ったのは、魔法使いの仕業ではなかった。単に道がわかりにくかったからである」


 シーンと静まりかえる客席。最初の一回は受けたけど、何度も通用するようなネタではなかった。


 魔法使いの反対側から少女が歩いてくる。

魔法使い「人だ、助かった。森から出るにはどこへいけばいい?」

少女「こっちが聞きたいわよ」

少女の後から勇者が来る。

勇者「おのれ、魔法使い! その子を離せ」

 少女、勇者の顔を見る。

少女「今、それどころじゃないから、あんた黙ってて」

勇者「一体、二人してどうしたんだ?」

魔法使い「道がわからなくなったんじゃ」

勇者「魔法使いまで道がわからないとなると、森から出られないということなのか」

少女「こんなことなら、遠回りすればよかった」

勇者「全部、おまえのせいだ。どうにかしろ、魔法使い」

少女「そうよ。全部あんたのせいよ。魔法使いなら魔法でなんとかしてよ」

魔法使い「仕方ない。禁じられた魔法を使うか……」

勇者、少女「禁じられた魔法?」

魔法使い「そうじゃ。いにしえより伝わる魔法じゃが、失敗するかもしれぬ」

少女「失敗するとどうなるの?」

魔法使い「わしたちが大恥をかく」

少女「恥くらいなによ」

勇者「そうだ、いくらでも恥なんかかいてやるぜ」

魔法使い「本当にいいんだな?」

勇者、少女「もちろん」

魔法使い「よし、それでは秘技中の秘技、なんでも屋召喚を使おう」

勇者、少女「なんでも屋召喚?」

魔法使い「そうじゃ。なんでも引き受けます。信頼と実績のなんでも屋を呼び出すのじゃ」


 俺はれっきとした探偵だ。駆け出しで食えない頃、便利屋的な依頼を二、三引き受けたことはある。どう考えてもなんでも屋とは結びつかない。だが、なんでもやります、などと誇大広告を出していたような記憶がある。いやな予感がする。


少女「それでここから出られるのね」

魔法使い「そうじゃ」

勇者「どこにいるんだ、そのなんでも屋は?」

 魔法使いは俺を指さした。

魔法使い「そこじゃ。舞台の袖にいる」


 こいつらは素人の俺に演劇に参加しろと言うのか。こんな話は聞いていない。台本もない。すべてアドリブでこなさないといけない。


勇者「どうやって呼ぶんだ?」

魔法使い「こうやるんじゃ」

 魔法使いは俺のほうに来ると、手をつかみ、舞台に引きずり出そうとした。俺は抵抗したが、少女と勇者も加わり、舞台中央に立つことになった。


少女「この人が信頼と実績のなんでも屋さん?」

 仕方ない。ブロードウェイの舞台に立っていた経験を生かすのも悪くない。

探偵「なんでも屋とは世を忍ぶ仮の姿。その裏では、警察が投げだした難事件を解決する名探偵」

 俺は自己紹介した。

勇者「名探偵なら、ここからどうやって出るか考えてくれ」


 俺はセリフを考えた。

探偵「簡単なことさ。いますぐ辞表を書いて、剣と魔法の王国に突き出すのさ。理由は自己都合でいい」

 しばしの沈黙。

勇者「それは困る。明日からどうやって生活していけばいいんだ」

探偵「それなら俺ではなく、魔法使いになんとかしてもらえよ」


 気まずい沈黙……。


魔法使い「ああ、芝居が台無しだ」

少女「だから、素人巻き込むの反対って言ったのに」

勇者「こうなったら、落ちがないけど、これで幕引きにしよう」


ナ「こうして、勇者の活躍で少女は無事、おうちに帰ることができました」

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