第4話
謎の中年男は、お化け屋敷の中から忽然と消えた。謎が解けぬまま、俺はテーマパークをさまようことになった。無料券を持っていたが、冷静に考えると自分の金で食事をしただけだ。いや、もうひとつある。売店でどこにでも売っていそうなソフトクリームを食べた。いや、食べ始めてすぐ、地面に落としてしまった。これでは何の為にここに来たのかわからない。ガソリン代だって馬鹿にならない。こんなことならニューヨーク市長選に出馬しておけばよかった。
まだ行っていない施設があったが、退屈でどこにでもありそうなものばかりだ。
しかし、思いがけないものを発見した。
高さ十メートル、幅二十メートルはあろうという謎の木造建築物だ。
その謎はすぐに解明された。
立体迷路だ。
ただし、まだ完成してはいない。
完成していようがいまいが、今の俺には一切関係ない。そこに山があるから登る、迷路があるから入るのだ。
俺が迷路に入るのは、ちゃんとした理由がある。
簀の子のように、板と板の間に隙間があるので、中に人がいるかいないか外からでもわかりやすい。といっても、さすがに奥のほうまではわからず、怪人にとって格好の隠れ家になっている可能性があった。
入り口には鎖がかけられ、鎖に掲げた案内板には、
立体迷路 クーロン城 今秋完成予定 とある。
鎖がかけてあるのは、中に入るなということを意味する。
しかし、出口のほうは鎖がなく、そのまま入れるようなので、俺は、中に怪人がいるかどうか調べるため足を踏み入れた。
ちなみに、案内板の最後に、「危険! 入るな」という文字があったのだが、小学校一年の夏から五年間、忍者のもとで修行していた俺は、読むことができなかった。
トンネルのように狭い空間を進んでいく。ところどころ道が分かれ、階段もあり、正しいルートを進まないと、ゴールにたどり着けないようになってる。床の代わりに、ロープを網のように編んだものの上を渡ったり、小さな吊り橋があったりする。
アスレチック色が強く、謎解きの要素がない、子供だましの簡単な迷路だった。こんなものは、ものの十分、いや一分もあればクリアできる。
しかし、進んでも進んでもまた同じ場所を通っていることに気づいた。
三十分経っても、ループから抜け出せなかった。
そんなとき、俺を呼び出す園内放送が入った。
「お客様に迷子のご案内です。比由らあちゃ君という、三十五歳くらいのおじさまが迷子になっています。身長は6フィート2インチ。白いコートの襟をわざとらしく立てて、はげ隠しに周りにふちのある帽子をかぶっています。それにぶつぶつ独り言を言っては、周りを困らせています。
お近くで見かけられましたら、管理事務所のほうまで来るよう伝えてください」
ひどい内容だ。関係者を呼び出す場合は、何々様、至急、事務所までお越しくださいなどというフォーマットに従うのが普通だ。
それが、はげ隠しなど失礼にもほどがある。いっておくが俺ははげ隠しに帽子をかぶっているのではない。第一、禿げていないのだから、隠しようもない。
それから数分して、携帯が鳴った。
「あの響子ですけど、放送聞きましたよね。あの文章私が考えました。今管理事務所にいますので、早く来てください」
と、アシスタントは一方的に言った後、すぐにきった。俺は救援を求めようと、彼女にかけようとしたそのとき、手がすべって携帯を落としてしまった。
そのときちょうど、網の上を通っていた。運の悪いことに、幅1インチの携帯は網の目をすり抜け、奈落の底に落ちていった。
しまった。もう少し幅の広いスマートフォンにしておけばよかった。俺への説明を面倒がった店員のせいで、使い方が簡単なガラケーを購入したのが運の尽きだった。俺は外部との連絡手段を失い、この果てしなきラビリンスの中に永久に閉じこめられてしまった。
しばらくして体力が尽き、俺は簀の子のような床にあぐらをかいた。
大声を出せば、近くにいた人間の耳に届くのではというアイデアが浮かび、
「あ、あんなところに新種のサルモレラ菌が」と叫んだ。
何の反応もなかった。
外部から助けはこない。連絡手段もない。ということは俺は生きてここを出ることはないことになる。こんなことになるなら、遊園地なんかに来るんじゃなかった。せめて未完成の迷路に入るのは避けるべきだった。
なぜ、俺はこの迷路に入ったのだろう。怪人を捜すためだ。そうだ、中に怪人がいるかもしれない。怪人ならば脱出方法を知っているに違いない。
そう思った俺は、血眼になって怪人を捜した。
きっと怪人様は、俺をここから救ってくださる。
一縷の望みを頼りに、膝ががたがたと震え、足が扁平足のようになっても、俺は果てなき迷宮を歩き続けた。
しかし、いくら歩いても、猫の子一匹いやしない。もうだめだ。あきらめよう。そう思いかけたとき、小さな人影が目に入った。
五メートル先にスーツ姿の男性の後ろ姿が見える。
怪人だ。
狭い通路を俺は追いかけた。
相手は逃げようとしなかった。
肩に手をかけ、振り向いたその顔は、やはりあの怪しい中年だった。
「つかまえたぞ。観念しろ。その前にどうやって出るのか教えて欲しい」と頼んだ。
「おたく、どちらです?」
「この遊園地に雇われた探偵だ」
俺はそう答えた。
「そう答えた? へえ、それがどうして、この中に?」
「あんたがここにいると思ってね。実際に中にいたから正解のようだ」
「私を危険人物と思って、探していたんですか。参ったな。こっちも同じことしてた」
「つまり、どういうこと?」
「私、こういうものです」
男は警察手帳をさしだした。俺は衝撃を受けた。
「婦人警官?」
「どこに婦人警官と書いてあるんです。見た目通りただの男の刑事です。刑事といっても、所属は公安なんですが」
怪人は自らの正体を明かした。俺は少しも驚きはしなかった。かなり前から、公安が躍起になって俺を調べていることは知っていた。
「おたくを調べてはいません。こういう人が多く集まる遊園地は、危険な組織が連絡場所として使うケースがよくあるんです。それで我々公安は、ときどき訪れるようにしているんです」
説明が長すぎてわかりにくいが、要するに彼のいうことをまとめると、子供の頃家が貧乏で遊園地に連れていってもらったことがないから、大人になった今、税金を使って来ているということだ。
「ちゃんと、人の話を聞いてますか?」
「娑婆では地獄耳と呼ばれたこの俺さ。あんたの言うことくらい、目を閉じたって聞こえるぜ」
「それはそうと、さっき、放送でおたくのこと比由さんって呼んでましたね。珍しい名字ですね。偶然今の警視総監も比由っていいますが、もしかして親戚か何かですか?」
「他人の空似、いや赤の他人ですよ」
俺は相手に気を遣わせないように、総監の甥であることは黙っていた。
「総監の甥御さん? 本当ですか?」
公安刑事は目を見開き、俺にそう聞いた。仕方なく、俺は本当のことを言うことにした。
「このことは世間には公表していませんが、その関係でときどき未解決事件を手がけることもあります」
「そうでしたか。これは失礼しました。千載一遇とはこのことですね。ついでといってはなんですが、ひとつ頼みを聞いてもらえますか」
「三日でアフリカ一周以外なら、なんでもどうぞ」
俺はそう余裕を見せた。
「私の訴えを、比由総監に伝えていただけたいんですが」
命がけの直訴だった。気迫に押されて、
「百文字以内ならね。それ以上は物覚えが悪くて、お断りだ」
と要求をのんでしまった。
「では、百文字におさえます。公安の捜査は、雀荘、競馬場、ゴルフ場、キャバクラなど、あちこちに出かける機会が多く、とにかく費用がかかります。支給される経費だけでは足りなくて、自腹を切っています。子供が私立中学にあがり家計が苦しいので、調査費用の増額は結構ですので、私の給料だけでも、色をつけていただければと思いまして。十倍なんて贅沢はいいません。たった三倍で結構です」
「いい年こいて遊園地じゃ、亡くなったお袋さんに顔向けできないからな。三倍あれば、好きなだけ絶叫マシンに乗れるぜ」
そう俺は相手に合わせたが、彼の訴えは警察上層部に届くことはない。俺は百文字以内という条件を出した。それなのにこの頭の悪い男は、大英百科事典全巻に匹敵するほどの長文を読み上げてきた。だが、円周率を一兆桁まで暗記している俺の記憶力は、自動的に全文を暗記してしまった。
「いやぁ、驚いた。警視総監の甥御さんが、探偵として刑事事件に携わるとは恐れ入りました。それなら、公安のほうにもご協力願いませんか?」
「体が二つあれば、引き受けてもいいけどな」
俺はそう言って、板の隙間から外を見た。まだ太陽は高く、ディナーの時間には早い。
刑事のほうを向くと、いつのまにかいなくなっていた。一緒にこの迷宮から抜け出ようと思ったのに、脱出の希望が失われた。
だが、しばらくして男性スタッフがやってきた。公安刑事に俺がここにいることを聞いたようだ。
「あっ、いたいた。だめですよ、ここに入っちゃ。管理事務所で長谷川が待ってますので、ご案内します」
スタッフに案内されている間、俺は心の動揺を悟られないように、即興の童謡「ハイデルベルグの森」を歌っていた。
ハイデルベルグの森には、魔法使いが住んでいる
ハイデルベルグは遠いから、魔法を使わないと行けない
僕は魔法が使えないから、魔法使いに習うしかない
だけど、魔法使いはハイデルベルグにいるから、魔法は習えない
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