第3話
世にテーマパークと称する施設は数々あるが、そのほとんどが観覧車やジェットコースターなどの遊具を備え、遊園地との区別が曖昧になっている。剣と魔法の王国の場合は、テーマパークというよりも遊園地といったほうが良く、名前にふさわしいコンセプトが感じられない。
ただ、メインとなる魔法使いの館だけは評判がよく、重要な収益源と聞いている。それ以外は遊園地としてのレベルも低く、ありふれた遊具しかない。だから、情報不足や混雑で魔法使いの館を体験しなかった客のほとんどは、もう二度とここにはこないと近いながら、がっかりして帰っていく。
名前負けしたテーマパークの唯一の長所が、いつどんなときでも空いていることだ。無駄に広い駐車場。行列に並ばずにすむので快適。必要以上に多いベンチは座り放題。一日いても疲れず、ぬるくすごすにはもってこいだ。
そんな平和な楽園に怪人が出た。その怪人も今日で見納めになる。なにしろ、この俺がわざわざここまで出向いたのだから。どんな難事件もその日のうちに解決する。そんな評判は海外まで届いていた。最近、俺のニューヨーク市警時代の上司から、またこちらに戻らないかという誘いがしきりに来る。
「ラーチャー。君がいた頃に較べ、この街は随分安全になった」
「それなら、俺が戻る必要なんかないだろう」
「ところがだよ、治安がよくなった分、警察官を減らすと今の市長が言い出すようになってね」
上司の声が暗くなった。
「それが俺と何の関係があるんだ?」
「君にニューヨーク市長に正式に立候補してもらいたい」
「見くびってもらっちゃ困るな。大統領選なら出てやってもいいけどな」
俺はそう言って電話を切った。
俺がベンチに腰掛け、売店で買ったソフトクリームを食べながら、ひとりほくそ笑んでいると、
「あの、スタッフの方ですか?」
と、アフロパーマの小男に声をかけられた。
年の頃は二十歳前後、チェック柄の上着、色白で丸めがねをかけ、そばかすが目立ち、ピエロを思わせた。
「トイレどこですか?」
何を持って、スタッフと勘違いしたのだろう。俺はここのスタッフではない。
「そこの売店で聞いたらどう?」
「そんな格好してるから、スタッフの人と思いましたよ」
男は、照れ隠しに笑った。
「勤務中のスタッフが、ベンチでソフトクリームを食べているわけないよな」
俺は相手を馬鹿にするように見た。すると、
「あれ? 地面に落ちたソフトクリームを片づけているのかと思いました」
傍目から見れば、俺はベンチの前に落ちているソフトクリームを片づけるスタッフかもしれないが、俺自身に言わせると、ベンチでソフトクリームを食べているはずが、気がついたら食べ終わっていたような感じだ。
「つまり、拾ってまた食べるつもりだったんですか?」
男はそういって驚いたが、勘違いもはなはだしい。俺の言いたいのは、俺の意識はソフトクリームを落としたことに気づいていないが、俺の体が勝手に動いて、落ちたソフトクリームを拾おうとしたのだ。
「そういうことですか。さようなら」
そう言い残し、男は去っていった。後に残ったのはひとかけらのむなしさだけだった。そのむなしさを埋めるため、俺は重い腰を上げ、園内マップのところまで歩いていった。
園内マップに載っている主な施設は次のとおり。
走るレストラン-トン急列車。レストラン列車が園内を一周する。ここには、タコスなどの売店を除いては、レストランと呼べるものはない。まともな食事をとるには、ここを利用するしかない。ぼったくりもいいとこだ。
ゴーカート。どこにでもある。
観覧車。どこにでもある。
お化け屋敷。どこにでもある。
魔法使いの館。これもお化け屋敷の一種だが、ハイテクを使った最新式のものだ。
巨大ジャングルジム。あまり見かけないが、公園のジャングルジムをでかくしたものなら、期待できない。
他にショーを見せるための舞台がある。
とりあえず、腹が少しばかり減っていたので、トン急列車に向かった。
利用方法は少々変わっている。
駅舎の中にある待合室で料理の注文をする。料金前払い。料理が出来、かつ列車が到着すると、ウェィトレスの格好をした係員が、列車に案内する。コック帽をかぶった豚の顔が先頭の小型の汽車だ。各車輌は四人がけのテーブル席になっており、テーブルに料理を乗せ、列車が出発。何周かするうちに、食事が終わり、駅舎で降りる。
俺は待合室のベンチに座った。ファミレスのような制服を着たウェィトレスが注文を取りに来た。
「お一人様ですか?」
「電車に乗るのに、同伴者が必要なのかい? 愛人なら大勢いるけど、今は仕事で来てるからね」
と俺はいって、50セントのチップを渡した。50セント硬貨は真ん中に穴の空いている日本でもよく見かけるあれだ。
ウェィトレスは50円を突き返すついでに、メニューを渡してきた。
店長おすすめトルコライス
とにかく原価率が低い豚カツ定食
しょうが少なすぎ豚しょうが焼き
野菜の少ないヘルシー餃子
麺よりチャーシューが多いこだわりの醤油ラーメン
豚肉入りお好み焼き(小)とライス大盛りセット
どれも豚肉を使っているが、トルコライス以外は注文して欲しくないようだ。トルコライスはトルコ料理ではなく、パスタ、ピラフ、トンカツを同じ皿にもりつけた長崎の秘伝料理だ。
洋食屋なら誰でも作れるように思いがちだが、パスタ34%、ピラフ41%、トンカツ26%の比率が少しでも崩れると食べ合わせが悪く食中毒を起こし、うまく盛りつけないとトンカツが落ちてしまうなど、難易度のきわめて高い料理だ。古くから隠れ切支丹の間にだけ伝わるコツがあり、長崎以外で作られることはない。
実は、俺はただのグルメではない。その正体は、隠れた名店を探し歩く覆面調査員、人呼んで豚専のラーチャーだ。
当然のことながら、それは決して知られてはいけない絶対の秘密だ。
しかし、ウェィトレスは俺の正体を知ってしまった。それでも、俺は普通の客を装う。
「トルコライス一人前」
彼女の目が鋭く光った。
「お飲物は?」
「食後にホット」
彼女はオーダーを聞くと、注意事項を付け加えた。
「制限時間はございませんが、三周目にコーヒーをお持ちして、その際、お食事のほうは片づけさせていただきます。コーヒーは四周目までに飲み終えてください。なお、一周辺りの時間はおよそ五分です。もし三周以内に食べ終えれば、代金は無料になりますが、残された場合は、追加料金二千円をいただきます」
そう言うと、駅の中にある厨房に消えていった。
消えたはずのウェィトレスは不機嫌な顔で、まだ俺の前に立っていた。
「すいません、お客様。時間制限も無料になる決まりもございません。時間のことなど気になさらずに、ごゆっくりおめしあがりください。お会計は1850円になります」
俺がなけなしの金を払うと、彼女は駅の中にある厨房に消えていった。
待合室のベンチで料理がでいるのをひたすら待つ。料理ができるまでに、列車は二周した。
「料理のほうできましたので、テーブルまでご案内します」
そう言われ、小さなホームで列車が来るのを待つ。
停車すると、席に座らされた。その間、厨房からコック姿の男が料理を持って出てきて、テーブルに乗せると、すぐに厨房に戻っていった。ウェィトレスひとりで配膳までやると、列車の運行が遅れるから仕方がない。
遊園地内、しかも車内食堂なので、料理のボリュームは期待しなかったが、トルコライスは山盛りだった。いや、山盛りという言葉では表現不足だ。
皿の中央に二十センチもの高さに細長い塔のようにピラフを盛りつけ、その周囲にナポリタンパスタがこれぞとばかりに取り囲む。ピラフの頂上に見たこともないような分厚いトンカツを乗せ、真横から見れば工の字を思わせる。トンカツはシーソーのようで、バランスを少しでも崩せば下に落ちる。まさにこれぞ本場のトルコライスだ。
「ごゆっくり」
ウェィトレスは、自信満々にそう言った。
列車はゆっくりと走り出した。さわやかな風と列車の振動が心地よい。フォークとナイフの他に割り箸が用意されている。俺は、割り箸を割ったが、フォークだけを使って食べる。
三種類の異なった料理を一つの皿に盛りつけたのには、深い意味がある。キリスト教の三位一体という教義を、隠れ切支丹がそこに込めたのだ。だから、料理は一品ずつ順番に食べ終えなければならない。その順序も決まっている。
まずはパスタからだ。
パスタを食べ終えて、次はピラフ。上のトンカツを落とさないように上手に食べる必要がある。落とすと、運気も落ちるので、真剣に食べなくてはいけない。
二周するまでにピラフを無事クリアした。だが、制限時間内に分厚いトンカツを食べきれるだろうか。
だが、俺はニューヨーカー時代、フードファイトのコンテストで準優勝を勝ち取ったことがある。それに事務所の隣がトンカツ屋なので、普段から食べ慣れている。勝算はある。
俺は順調に、トンカツを食べていく。この調子なら駅舎に着くまでに食べ終えるはずだ。
ところが、いきなり列車の速度が上がった。おかしい。これは遊園地側の陰謀だ。
まずい、駅舎が目の前に迫る。無料どころか追加料金を払わなくてはいけなくなる。そこで、俺は残りのトンカツを無理矢理口の中につめこんだ。
列車が停車した。
間一髪。ぎりぎりのところで間に合った。
ウェイトレスがコーヒーを持ってやってきた。
彼女がテーブルを片づけている間、俺はチップをはずむかわりに、お世辞をいうことにした。
肝心の味だが、大げさな表現を嫌うこの俺が、言葉が見つからないほど、上出来だった。ピラフ、パスタ、とんかつのどれも、その道の達人をもってしてもかなわない。
このとんかつの味に較べれば、俺の事務所の隣のテナントのとんかつ専門店なんぞは、笠松保育園の園児が作ったカレーライスとさほど変わらなく思えるほどだ。
小食で知られる俺が、あれだけのボリュームをあっという間に平らげてしまったことからも、レベルの高さがわかるというものだ。
これ以上はないほど褒めたつもりだが、ウェイトレスは表情を崩さず、皿を持って駅舎に戻っていった。
残りはコーヒーで一週。これで1850円は安い。現金の代わりに白紙の小切手を差し出したいくらいだ。
だから、列車から降りるとき、ウェィトレスに、
「実は私、覆面の調査員なのです。ここは料理もサービスも最高なので、星三十三個のギネス記録です」といっておいた。相手は冗談と思ったようだ。
駅から出て深呼吸した。駅前にはオフィス街のサラリ-マンのために巨大ジャングルジムがある。腹ごなしにちょうどいい。落ちても大けがをしないように高さは抑えてあり、無駄に横に広い。
特に年齢制限はないが、大柄な大人にはきついものがあり、全日本肥満協会からクレームが来ている。それだけではない。この恐怖のジャングルジムは、これまで挑戦したすべての登山者の命を奪ってきた。
若い頃、高峰モンブランを制した俺が、この死のジャングルジムにチャレンジする。生きて帰ることはまずないだろう。
俺は、そこにいた係員からボールペンとメモ用紙を借りて、辞世の句を書き綴った。
どうせなら 無料(タダ)にしてくれ ジャングルジム
公園に普通にあるジャングルジムをただ大きくしただけ。燃料費もかからず、チケットを受け取る係員が一人いるだけで人件費も少ない。それなのに、三十分三百円とは銭ゲバにもほどがある。
「これを田舎にいるお袋に渡してくれ」
俺はそう言って、係員にメモを返した。ボールペンのほうは、グリップの握り具合が気に入ったので、内ポケットに入れておいた。
「あの、ボールペン、返してください」
俺は、両手で手近な鉄の棒をつかむと、足をかけ、上に上った。遠くからではわからなかったが、ジャングルジム中央の頂上に下向きの矢印のパネルがとりつけてある。これにはきっと何か意味があるに違いない。俺は最上部を這うようにして、おそるおそる矢印に近づいた。矢印の真下の地面にマンホールのような蓋がある。秘密の入り口だ。
秘密というからには、出入りするところを誰にも見られてはならぬ。周囲を見回すと、俺の他には、肥満気味な子供が一人いるだけだった。鈍そうな体型だが、猿のようにすばしっこく動く。しかし、すぐに飽きたようで、ものの数十秒もすると出ていった。
い、今がチャンスだ。俺は素早く下まで降りると、蓋を上に持ち上げた。すると、蓋の下には、「おつかれさま」の六文字が。俺はそっと蓋を戻した。
次はどこに行こう?
お化け屋敷は全く怖くなく、一人で観覧車や、いい年をしてゴーカートもあれなので、魔法使いの館に向かった。
途中、怪しい男を見つけた。
髪を真ん中で両側に分けた、スーツ姿の四十歳くらいの男で、柔道でもやっていそうな立派な体格なのがわかる。
スーツ姿ということは、会社員が仕事でここに来たのか。それにどの施設に寄ることもなく、ぶらぶらと歩いている。あまりにも挙動不審だ。
俺は得意の尾行を開始した。
尾行中、俺は完全に音を消すことができる。足音や呼吸の音までもだ。、
相手はときどき俺のほうを振り向くが、その都度、俺も横を向くので、自分が尾行されているなどとは夢にも思うまい。
まさかトレンチコートに中折れ帽姿の俺が本物の探偵だとは、知らぬ仏の為五郎。
しかし、男は俺に気づいたのか、お化け屋敷に入っていった。その程度で、この俺を巻こうなどとは考えが甘い。
お化け屋敷は、四谷怪談をテーマにしていた。剣と魔法の王国で、四谷怪談とはコンセプトがいい加減だ。俺はこの手のイベントに全く恐怖を感じない。係員にチケットを手渡すと、堂々と胸を張りながら中にはいった。
中は暗かったが、伊賀忍者のもとで五年間修行した俺には、まるで真昼のようにはっきりと見えた。
キャー。
前のほうで女の叫び声が聞こえる。白い装束をまとった女が俺の前に立ちふさがる。
「呪ってやる」と女は言ったが、文字にすると、
「祝ってやる」と良く似ている。
突然、上から血をしたたらせた生首が落ちてきた。俺は何の反応も起こさず、そのまま通り過ぎた。
ここのスタッフには申し訳ないが、俺は心霊現象の類に恐怖を感じることができないのだ。
「おじさん、一人でしゃべってないで、早く中に入ってよ」
後ろにいた小学生がそう言った。
「すいません、お客さん。後ろのお客様が迷惑なさってますので、お化け屋敷のほうへお入りください」
スタッフにも注意されてしまった。尾鷲の漁師たちから、ポセイドンと恐れられた比類なき勇敢な俺だが、脚がすくんで動くことができず、仕方なくすぐ隣にある出口の前で見張ることにした。しかし、あいつは一向に出てこない。
代わりに俺に文句を言った小学生が出てきたので、
「君、私はカーネル大学で代数学を研究をしているエドモンド・ジョージ・ニコルソン三世というものだ。今、ジャパンのお化け屋敷における待ち行列理論の応用について調査中なんだが、ひとつ困ったことが起きてね。同僚の中国系オーストラリア人、ピーター・サイ助教授がいきなりかくれんぼをしたいと言い出して、この中に消えてしまった。四十歳くらいの中肉中背の男性なんだけど、もし心当たりがあれば教えて欲しい」
比由らあちゃという本名を明かすわけにはいかず、咄嗟に思いついた名前を名乗ったが、相手は信用したようで、
「そんなひと、いなかったよ。ラーチャー」
このお化け屋敷は予算不足から一本道しかない単純な造りだ。小学生は怪人の後に入った。俺は一瞬たりとも、入り口と出口の両方から目を離すことはなかった。出口を出た小学生は、男をみかけなかった。
これは古典的ミステリ「黄色い部屋の謎」などに出てくる不可能犯罪の一種、人間消失だ。ちなみに、黄色い部屋の作者ガストン・ルルーが書いた「オペラ座の怪人」という小説を読んだことがあるが、あまりにかったるいので途中で投げ捨てた。それが今ではミュージカルで大評判という。
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