第5話 ヒュー・ラーチャー最後の事件

 その後俺は、消えた依頼人松村千佳について調べた。

 探偵というと派手で格好のいい仕事というイメージがあるが、実際は泥臭い地道な苦行で、離職する者が後を絶たないというのもうなずける。これほど割に合わない仕事は他にない。なんで、こんな辛い仕事を選んでしまったんだろう。後悔しても遅い。まだ人生のやり直しはきく。そうだ、探偵なんかやめて、獣医にでもなろう。

 この件を最後の仕事にして、四月からは犬猫専門学校に通うんだ。そこでたくさんのわんちゃんに囲まれて、幸せに暮らすんだ。それが小さい頃からの夢だった。


 最後の仕事というからには、重大刑事事件なみに戒名が必要だ。この場合の戒名とは、死者につける一文字五十万円の名前のことではなく、捜査本部の入り口に貼る事件名のことだ。

題して、「ヒュー・ラーチャー最後の事件」

 これから先を楽しみにしていた読者には、ネタばれして申し訳ないが、なんと犯人は、らあちゃ本人だった。

 だから俺は、どうやったら自分が犯人に落ち着くのか、説明がつくように、関係者の証言や現場の証拠などを徹底的に調べあげた。


 俺が調べたはずなのに、響子が俺に報告した。他に重大事件をいくつも抱えている身では、ストーカー程度のことに、時間をかけていられず、アシスタントに任せるしかないのだ。 


 彼女の調査によると、


派遣先に聞くと、契約期間はつい先日終了したとのこと。

友人に聞くと、旅行にでも行ってるんじゃないか、とのこと。

実家には戻っていない。

もちろん、高橋のところにも連絡はない。


 彼女の説明だけでは、何が起こっているのかよくわからない。もう少し整理してくれないと、容疑者が五百人を越え、ひとりひとりに微妙なアリバイがある大長編社会派推理小説を読まされているようで、後味が悪い。


「これでわからないんですか? わかりました。わかるように説明します。一行で言うと、うちにストーカーの件を調べるように依頼しながら、依頼した本人がどこかへ行ってしまったということです」


 それならそうと、最初からそう言ってくれればいい。もったいぶって、相手が理解できないように、回りくどい言い方をすれば、少しは自分が賢く見えるとでも思ったに違いない。


「賢く見てくれなくても結構ですし、あれでもできるだけ簡単にまとめたつもりでした」

 と、彼女はヒステリー患者のように叫んだ。


「あなたといると、時々ヒステリーでも起こしたくなります」

 彼女はきっぱりと言った。さすがは我が一番弟子。


 それにしても、松村は、何故ストーカー被害を訴えたその日に、黙っていなくなったのだろう。事件にでも巻き込まれたのでは? そうか、うちへの調査費用を工面するため、出稼ぎに出たんだ。そんな必要ないのに。当社は分割払いにも応じていて、金利がたったの500パーセント。この点をきちんと説明しておくべきだった。



 俺は松村千佳を捜さなかった。自分はこれからいなくなるから捜して欲しいなどと、頼まれたわけではない。

 こちらだって忙しい。犬の散歩や、保育園の留守番など、仕事の依頼がひっきりなしに来る。とんかつ屋などは、

「今忙しいから、代わりに出前届けてくれる? ギャラ? 払わないよ。うちにツケ払ってからそういう事言って」だそうだ。



 松村が見つかったという報告を受けたのは、スズメバチ退治をしていたときだった。名うてのスズメバチハンターとして知られる俺は、防護服をまとい、古事記に記されていた伝説の巣「立川荘巣窟」に挑んだ。それは見たこともない巨大な巣だった。アパート一階の庇に出来た巣は、取り除かれることなく放置されていたので、底が地面に達し、バベルの塔を思い起こさせる巨大なオブジェと化していた。


 いまさら命が欲しいとは思わないが、スズメバチに体中を刺されて、ぶくぶくの状態で通夜を営むと思うと、参列者になんとお詫びしていいものか、と考え一瞬躊躇した。

 俺は、秘密兵器バベルの棒をつかんだ。引っ張ると数倍に伸びる。手元が一番太く、先にいくほど細くなる。その形状はバベルの塔を思い起こさせた。

 先端で巣に穴を開けて、スプレーを噴射する。慌てた蜂が巣から飛び出して来る。あまりの数に辺りが暗くなった。


 格闘すること二十分。

 地面に散らばった蜂たちの遺骸に向かって俺は、

「おまえたちがうらやましいよ。俺も、女王蜂とやらにかしづいてみたかったぜ」

 と声をかけた。返事はなかった。

 一仕事終えて、携帯電話をチェックすると、響子からメールが入っていた。


「マツムラチカ ミツカル シキュウ モドラレタシ」

 その文言は電報のようだった。

 俺は、相棒の長岡義男に、

「社長、ちょっと用事が出来たもんで、申し訳ないですけど、早く帰りたいんですが」

 との旨を伝えた。


「用事って何?」

「本業のほうでちょっと」

「本業? あんたこの仕事、アルバイトのつもりでやっとったのかね」

「そんなことありません。全力でがんばってきました」

 そう言ったが日当一万円の日雇いバイトだった。


「今、バイトって言ったよな」

 しまった。つい口をすべらしてしまった。


「しまったって、いつも口をすべらしてるだろう」


 結局、長岡の運転するワゴン車で、彼の行きつけの居酒屋に寄った。仕事終わりに一杯と言うことだが、ちょうど昼飯どきなので、ついでにランチ定食も頼んだ。ついでに頼んだはずなのに、アルコールの入った社長の代わりに俺が運転するので、ランチだけをいただくことになった。



 事務所に戻ると、行方不明の松村千佳がいた。響子となにやら話している。

 俺は、「久しぶりの大仕事で大変だった。相手は数も多いし、人間とは思えないほど凶暴でね」

 といって、デスクに向かった。


 デスクの上には、響子の作成した資料が載っていた。俺は、資料を読む振りをして、

「さて、お次の仕事は警視庁からの依頼。東京駅での殺人。推定死亡時刻に、被疑者は根室港にいたという証拠が揃っている。こんな簡単なアリバイトリックも見ぬけないとは、俺が現役デカだった頃に較べて、捜査一課の連中も腕が落ちたな」

 と、二人に聞こえるように大きな声を出したが、彼女達は俺のことに気づかないようだ。

 そこで応接セットまで行って、響子の隣に腰を下ろした。


「それでは、今から所長が調査費用等について説明しますので、私はこれで」

 といって彼女は立ち上がった。その勢いで、深く沈んでいた長椅子のクッションが大きくバウンドし、俺は思わず横に倒れそうになった。


「人をデブみたいに描写しないでよ」


 応接テーブルの向かい側にいる松村千佳は、もともと老けていたが、最初に会った頃よりやつれて、さらに十歳は老けたようだった。一体、彼女に何があったのだろう。


「老けてて悪かったですね。それより、全部でいくらかかるの」

 俺は、さきほどの資料を、テーブルの上に置いた。

「こちらが請求明細ですけど」

 常日頃から顧客第一の良心的経営を心がける、明瞭会計で評判のラーチャー&スミスバーニー探偵社だ。

 依頼人は、請求明細書を見て驚いている。

「え? たったこれだけでいいんですか。探偵さんって本当にお人好しなんですね」

 といって、彼女は微笑んだ。事件が無事解決したうえ、予想外の低価格で、心の底から俺に感謝しているようだ。


 それなのに、請求明細を見た依頼人は、

「調査時間×調査人数って言うけど、所長さん、ずっと便利屋みたいなことしてたって話じゃない。それに成功報酬高すぎない? 完全ぼったくり」とクレームをつけた。


「たしかに他に何件も難事件を抱えているので、松村さんにかかりきりと言うわけにはいきません。それでも、警察が匙を投げた事件を、わずか数日間で解決したのだから、いまさら難癖つけるのはどうかと思うんですけど」

 俺の説明に対し、彼女は何も反論できないようだ。


「何言ってるんですか?」

 彼女は本気で怒った。

「誰が払うもんですか。あんたたち、何もしてないじゃないの」

 女は一円も払わないまま、ドアをバタンとしめて出ていった。

「逃がすな。後を追え!」

 俺はアシスタントに命令した。

「自分で追いかけたら?」


 そう言われたので、「一緒にジョギングでもどう? 健康にいいらしいよ。特にダイエット効果抜群」と誘った。彼女がダイエットの五文字に弱いことは、この業界の人間なら誰もが知っている。


「太ってないのに、デブ呼ばわりするな」と彼女は怒ったが、やはり体重が気になるようで、俺と一緒に逃走者を追いかけた。



 依頼人に逃げられて、慌てた俺達は、扉も閉めずに事務所を出た。

「ところで、事件はどうなった?」

 他に重大な案件を何件もかかえている俺は、ストーカー事件担当の響子に聞いた。

「もう、解決したわよ」


 ビル正面を出た。すでに松村の姿はない。左右のどちらに逃げたのかわからない。 

「どちらだと思う?」

 俺は響子に聞いた。

「どちらでもいいように、二手に分かれればいいわ」

 彼女は、右手でブロンドの長い髪をかきあげる仕草をしながら、右肘を突き上げて、それとなく俺に右側に進むよう示した。

「金髪でもなく、指図もしてないけど、余計なこと話してないで、早く行ったらどう?」


 俺は彼女の指示通り、右に進んだ。


 そのまままっすぐ進んだが、相手が見つからないので、戻ることにした。


 笠松ビルをすぎ、次の交差点で前と左右を見回すと、左に曲がった先に響子の後ろ姿が見える。どの道に進むべきか迷ったが、彼女のあとを追うことにした。

 彼女は、体重というハンディのせいで、すぐに俺に追いつかれた。


「追いつかれたんじゃなくて、私、相手に気づかれないように歩いているの」


 彼女の言う通り、数メートル先を松村が歩いていた。


「こんなことをしてもキリがない。一気に追いつくぞ」

 そう俺は叫んで、依頼人に向かって駆けだした。その声で相手は俺のことに気づいて、前に走り出した。


「痴漢! 痴漢です。誰か助けてください」

 女はそう叫んでいる。俺は痴漢ではない。いままで何度も痴漢扱いされてきたが、少なくともこの状況においては、痴漢行為ははたらいていない。


 女の向かう先で、五人ほどの男たちが道路工事をしていた。うち二人は交通整理をしていたが、そのとき車は通っていなかった。

 彼女は手前の整理係に、

「あの人痴漢なんです。もの凄い変態です」と訴えた。

 すると、現場の全員が手を休めて、俺の前に立ちふさがった。


「何? 痴漢? 本当だ。おかしな格好してる」

 野郎どもは、仕事をさぼる絶好の機会が訪れたことをこれ幸いに、すごみをきかせながら俺に近づく。

「おい、にいちゃんよ~。昼真っから痴漢はいけねえぜ。俺を見習って、やるなら夜やれ、それか電車の中とか」

 一番好色そうな顔をした男が、俺に痴漢の指南をした。


 屈強な男が五人。どいつも、レーキや紅白の旗などの凶器を持っている。なかでも、誘導棒で頭を殴られた場合は、アスファルトが赤く染まるだろう。

 あれに対抗できるのは、バベルの棒くらいだが、今は手元にない。

 俺は本気で死を覚悟した。絶対絶命だ。

 そのときだった。肥満気味のアシスタントがいまごろやってきた。ぎりぎり間に合った。あの体重でここまで走ったのだから、ほめてやらなければ。


「すいませ~ん、今、その人を追いかけていまして」

 彼女は事情を説明しだした。そういうことは得意中の得意らしい。

 五人は、日本人離れした彼女のスタイルに見ほれて、俺の存在を忘れている。つまり油断している。


「今だ」

 俺は五人のすぐ後ろにいる松村に向かって、全力でダッシュした。

 松村も逃げ足が早い。

 必殺工事人のうち交通整理の二名は、持ち場を離れるわけにはいかず、俺を追ってきたのは三名だけ。しかも、武器となるレーキを現場に置いてきている。これなら勝てる。


 こうして、ちょっとした駅伝が始まった。先頭に松村、次に俺、その後ろを工事作業員の三人。最後尾に金髪肥満体。


 一分も走ると、松村はスタミナが切れ、その場で止まった。俺も、実況しながらなので、息切れする。俺は女を追いつめた。もう逃しはしまい。


 だが、作業員の三人と響子も追いついた。


「にいちゃん、やめなよ」と一人が俺を止めようとする。

「探偵さんに仕事頼んだなら、ちゃんと金払えよ」と、もう一人が女を諭す。

「仕事になんねえな」と、三人目が響子に苦情をいう



「いくら話し合っても埒があかない。ここは腕力で決着をつけようぜ」

 俺は三人の男に言った。

「やるっていうのかい?」

 先頭の男はそう言うと、響子を人質にとった。

 俺は暴力反対だが、大衆好みのドラマはハイライトにアクションシーンが付き物なので、やむを得ない。

「浜の闘神と恐れられたこの俺を、目覚めさせてしまったようだな」

 俺は、右手の五本の指を握りしめた。この程度の連中に伝説の拳を使うことになろうとは情けない。

 俺が三人に近づいても、やつらは俺のすごみをものともせず、にやにやと笑っている。

 俺は彼らの一メートル手前で止まった。


「どこからでもかかってこい」

 俺がそう言うと、先頭の男は、素手で殴りかかってきた。わざわざかわすほどのこともなく、俺は片手で受け止め、相手の腕をねじった。

「うげっ!」

 相手は腕をかばうように倒れた。

 残る二人は、目を見合わせ、うなずいた。作戦があるにちがいない。

 年輩のほうの作業員が、近くの電線のほうをひとさし指でさすと、

「あ、あんなところに、ウスバカゲロウの幼虫が」と叫んだ。


 おっと、その手はくわない。俺は危うく相手の仕掛けた罠にかかるところだった。しかし、ウスバカゲロウの幼虫がどんな姿か思い出せず、電線のほうを見つめてしまった。

「馬鹿め」もう一人がそう叫びながら、俺の脇腹に蹴りを入れた。

 しかし、俺は不動明王のように微動だにしなかった。

「どういうことだ」そいつの顔が怯えていた。「俺の脚が……」

 俺を蹴った脚がしびれているようだ。そいつもその場に倒れた。

「これが、長年の修行の成果ということかな」

 残る一人は怯えている。俺は相手を油断させるため、

「あ、あんなところに新種のヘビトンボが」といって、同じ場所を指さした。

 相手は、俺のしかけた巧妙な罠にかかった。

 俺は、油断しているそいつの頬面を殴り倒した。

 三人は、道路に大の字になった。


「ふっ、くちほどにもない奴らだ。響子、大丈夫か」

 俺は両手をはたきながら、人質の身を案じた。


 しかし、響子は俺の問いかけに答えず、三人に迷惑をかけたことを謝罪していた。

「何かわけのわからないことしゃべってますけど、ただの妄想ですから気にしないでください」

「あんたもあんなのに関わって、大変だな」と同情されると、

「もう慣れてます」


 男達は職場に戻っていった。


 俺は、残された松村に向かって、

「あんたがいくら現実から逃げようと、うちへの支払いは消えたりはしないさ」

 と言った。電線に留まる雀も、俺の味方をするように、みじろぎもせずに俺たちを見つめていた。


 追いつめられた依頼人は、

「弁護士に相談します」といって、俺を挑発するようにあごを突き出した。

「弁護士に相談するにも費用がかかるって知ってるかな」

「え、そうなの?」

「弁護士に相談するくらいなら、俺に相談してみればどう? そちらの出方次第でかなり安くなると思うよ」


 結局、料金は半額ということで和解した。

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