第4話 ストーカーの言い分

 午後四時、依頼人の勤務時間の終業を見計らって、派遣先のオフィスのあるビルに向かった。


 俺は、一階正面の自動ドアの横に立って、中から出てくる人間を片っ端からチェックした。

 それで一時間待ったが、彼女は出てこない。

 そこで携帯に電話を入れたが、応答なし。なんとも幸先が悪い。おまけに不審者扱いされて、警官に職務質問された。

 警官はいい年をした巡査で、おそらく定年まで巡査のままだろう。どうせ刑事ドラマに憧れて、警察に入った口だろうが、理想と現実とのギャップにもがきながら、地味な仕事をこの先もせっせとこなしていくのだろう。 


「ちょっと、静かにして」

 と、警官はいきなり俺を怒鳴りつけた。俺の何がいけないのだろう。きっとこの警官に限らず、警察全体がこの俺を警戒しているのだろう。なにしろ、これまで数々の迷宮入り事件を解決してきて、警察のメンツを丸つぶしにしてきたのだから。


「気が散るから、少し黙ってもらえる?」

 警官は俺の差し出した名刺を見ながら、どこかへ連絡を入れている。

「ラーチャーアンドスミバーニーという探偵事務所です。住所は……」


 しばらくすると、警官の額から冷や汗がにじみ始めた。

「え? 総監の甥御さん……その関係で、西新宿タロット占い師連続殺人事件を解決されたんですか」

 今頃、俺の正体に気づいたか。警官は姿勢を正し、俺に敬礼した。

「申し訳ございませんでした。警視総監の甥御様にご迷惑かけるとは、本官、一生の不覚です。今後、二度とこのようなことのないよう注意します」


 俺はたばこ入れからシガレットを取り出し、口にくわえた。

「おじきにはよろしく言っておくから。ところで、火はない?」

「申し訳ございません。ライターは持ち合わせておりません」

「それなら、コートの左ポケットにジッポーあるから」

「はい。失礼いたします」

 そういって警官は、俺のポケットに手を突っ込んだ。


「持ち物検査するのに、小説みたいに言わなくていいから」

 警官は俺のポケットの中を探りながら、文句を言った。

「よし、凶器は持ってない。本物の探偵みたいだけど、ここにいては迷惑だから、すぐに立ち去ってください」

 俺は言われたとおり、その場を離れた……もう二度とこの街に来ることはないだろう。ここで過ごした青春の日々が、走馬燈のように俺の脳裏に蘇る……せめて、もう一目だけでも響子、おまえに会いたい……。


 事務所に戻ると、響子は俺のデスクにお尻を乗せて、長い脚を組んでいた。色っぽい衣装を身につけて、しきりに俺を挑発していた。

 俺は、彼女をどけるように、デスクの上に鞄を置いた。

「事態が急展開した。残念ながら、お楽しみは後のおあずけだ」


「妄想はともかく、急展開って何なの?」

「それが、依頼人と連絡がつかない」

「どういうこと?」

 俺が詳しく説明すると、彼女は、

「もしかして、朝、松村さんがここに来たとき、ストーカーが尾けてきてたりして」

「相手の住所氏名もわかってるんだろう?」

「もちろん」

「フィリピンの諺に、虎児を得るには仏門に入れというのがある。早速、そこに行ってみよう」


 俺と響子は、事務所を出て、笠松ビル裏手の関係者駐車場に向かった。そこにひときわ異彩を放つ我が愛車、マセラティのグランカブリオが駐めてある。

 俺は彼女を助手席に乗せて、エンジンをふかした。


 購入当時、全くといっていいほど俺は自動車に興味がなかった。だから、一千万円の札束をディラーに見せびらかして、「おたくの説明じゃ、違いがわからない」と苦情を言った。

「ですから、お客様。どの車もうちで買うとお値打ちなんです。嘘だと思うなら、他へ行って値段見て来てください」

「あんたもわからない人だなあ。さっきから金に糸目はつけないっていってるだろ」

 そのとき、ショールームのはじっこに置かれていた白いオープンカーが目に止まった。

「あれは?」

「さすが、お客様。お目が高い」

 この車とは、それ以来のつき合いだ。


「嘘でもそういう話聞かされると、国産の軽に乗ってること忘れるね」

 響子が訳のわからないことを言った。


 俺は、シートベルトを閉める前に、車を豪快に発車させ、GPSに相手の住所を告げた。GPSは最新鋭かつ最高級のため、声で道案内をしてくれる。

「マッスグススンデクダサイ」


「自分で言ってて恥ずかしくない? シートベルトは必ずするくせに。それに、すぐ近くに行くのにGPSなんか使う必要ないでしょ」

 彼女の言葉どおり、二分ほどで目的地に着いた。


「あの家」

 彼女が指さした先には、三階建ての洋風の一軒家があった。この辺りは都心の中でも再開発が進んでいるので、不動産としての価値は数億はくだらない。


「いつからここ都心になったの。それに、二階建ての木造モルタル」と響子はいった。それから、「あそこのファミレスに車停めましょう」と俺に指示した。


 俺は彼女を車に残し、ストーカーの屋敷の前で張り込んだ。


 それから二十分。

 ストーカーは自宅を出た。歩道を北のほうへ進んでいく。俺は後を尾けた。

 尾行なら得意中の得意だ。俺はただの探偵ではない。忍者探偵だ。しかし、相手は俺が忍者とも探偵とも気づかない。いや、その前に自分が尾行されていることすら全く気づいていない。なぜなら俺とストーカーの距離は、十メートル以上離れていたからだ。並の探偵なら見失う距離だが、俺にとっては屁でもない。


「何、ぴったり後ろにくっついてもごもごしゃべってんだよ。それに忍者がどうかした。僕に何か用でもあるの?」

 そいつは後ろを振り向くと、俺にそう言った。

 ストーカーというから、頭のいかれた変態男を想像していたが、きりっとした顔立ちのどこにでもいそうな青年だった。きっと会社での上司のプレッシャーに絶えきれず、鬱憤のはけ口として、ストーカー行為に走ってしまったのだろう。人ごとではない。現代社会では誰もがこの青年のように、ストーカーになる危険性がある。かくいう俺も、下手したら探偵に尾行される立場になるかもしれない。


「何言ってんだよ。僕に聞かせてるわけ? あんた一体なんなの?」

 トレンチコートに中折れ帽という目立たない格好でいたことが幸いして、相手は俺が探偵だとは気づいていない。それならば、忍者で押し通そう。

「拙者、しのびの者です。今はおしのびで、散歩しています」

 と俺は相手に大嘘を吐いた。相手はまさか嘘だとは気づくまい。

「わざわざ嘘と告白しなくても、あなたが忍者でないことくらいわかりますよ。忍者といいながら、探偵のコスプレして、頭おかしいんですか?」

 と、青年は引きつった笑いを浮かべて、自嘲気味に言った。


「支離滅裂。で、何の用ですか?」

 相手は俺が忍者だと信用したようなので、本題に入る。

「高橋孝さんですね」

 俺は、タカハシタカハシと言いそうになった。

「嘘、言わないでよ。ちゃんと高橋タカシって滑舌よく言ってましたよ」

「実は、ある人から依頼を受けて……その人の名前は明かせませんが、おそらくあなたの知っている人物です」

 依頼人の名前が松村千佳だとは、口が裂けても言うわけにはいかない。

「千佳がどうかしたの? あなたに何か頼んだんですか?」


 太陽はとっくに沈んでいた。今気づいたが、肌身に染みる寒さだ。何か体を温める飲み物でも飲みたい気分だ。

「ここで立ち話も何なので、アルコールなんかどうです。知り合いが経営するバーが近くにあるんですが」

 と俺は彼を誘った。もちろん、俺のおごりだが、調査費用に計上するので、最終的に松村千佳が払うことになる。

「そちらのおごりならいいけど、このへんにバーなんかあったかな」

 俺はストーカーを連れて、行きつけのバーへ向かった。

「そのストーカーっていうの、やめてくれる?」


 ジャックナイフという名の店に着いた。狭い店内は常連客で混み合っていたが、皆、俺と顔見知りなので、二人分の空間をあけてくれた。俺とストーカーは奥の席に座った。


「バーじゃなくてジャックと豆の木というファミレス。想像力豊かですね」

 ストーカーはけちをつけた。


 バーのマスターは、若い頃、米軍相手にトランペットを吹いていた。俺は米兵からここを紹介された。米兵は帰国するとき、

「ラーチャー、ワタシノコキョウ、フロリダニアソビニキテクダサイ」

 と言ってくれたが、まだその約束は果たしていない。


「あなたの話、聞いてると退屈しなくていいです。あ、すいませ~ん、店員さん。オーダーお願いします」

 高橋は、フロアでひまそうに鼻くそをほじっていた女店員を呼んだ。その手で配膳するのだから、一体この店の従業員教育はどうなっているのだろう。


「ちょっと黙ってもらえます。え~と、キノコ入りハンバーグセットと、食後にホット」

 そのキノコは毒キノコという噂だ。何人も食中毒患者が出たのだが、役所に手を回してもみ消したらしい。

「こちらのお客様は?」

 店員は、潤んだ瞳で俺を見つめた。そんな風に見つめられると、俺は言葉が出せない。

「あの、オーダーのほうは?」

 店員は、容疑者に尋問をするように、しつこく聞いてきた。それで俺は仕方なくげろった。

「ビーフストロガノフの地中海風マリネ。食後に、ありのままの君。ただし、鼻くそほじった手は洗っておいてね」

 明らかに店員の顔色が変わってきている。

「メニューにございませんが」

 店員はぶっきらぼうにそう言ったが、俺は相手の態度などお構いなしに、

「硬派報道番組のまかない飯コーナーで紹介されていたのを見たけど」と知識をひけらかした。

 お笑い芸人と水着姿のグラビアアイドルが、アポなしでインタビューを試みる企画だった。首にタトゥーの入った店長は、本部に黙って店独自の裏メニューを開発していた。


 高橋は困りかねる店員を見かねて、

「地中海風パスタでいいです。ドリンクはなしで」

 と、メニューを見ながら言った。俺と同じ客のくせに、店員をフォローするとは、信用していた仲間に裏切られた気持ちだ。

「かしこまりました。確認します。キノコ入り……」


 注文した料理が運ばれ、俺はフォークとナイフのどちらを使おうか、真剣に悩んでいた。そのとき、ドアが開いて、若い女の客が入ってきた。べらぼうにいい女だ。

 俺は店員やマリネのことなど忘れて、その女のほうに近づいた。

「ヘイ、ハニー。ドライマティーニならいくらでもごちそうするぜ」


「ここに来るとはさすがね」

 響子は、咄嗟の俺の判断をほめてくれた。


 俺は、彼女をテーブル席に案内し、隣に座らせた。

 窓の外の街のネオンが目に焼き付く。それは、俺が子供の頃見た風景に似ていた。もしあの頃に戻れるなら、手足の一、二本失おうとかまわない。


「ごめんなさい。この人の言うことなんか気にしないでください」

 響子は何故か高橋に頭を下げた。

「別に気にしてません。ところで、あなたがたはどなたです。この人は忍者と言い張ってますが」

「一応、探偵やってます」

 彼女は名刺を出した。

「ラーチャー&スミスバーニー探偵社さん。まさか、本物の探偵だったとは」

 彼の思いがけない発言に、

「どうして、俺が探偵だと気づいた?」

 と、俺はそいつに尋ねた。

「そいつって失礼ですね。気分悪い」

「本当にすいません」

 また、彼女はそいつ、つまりタカハシタカハシに謝った。



 雑事は彼女に任せて、俺は大切な任務を遂行しなければならない。暇つぶしに、バーに飲みに来たわけではない。他に目的があったのだ。

「マスター、ランディが殺されたって噂、本当かい?」

 俺はカウンター越しにそう聞いた。

「ああ、まだ若いのに気の毒なこった」

「殺られた理由は、ドラッグ関係って聞いたけど」

 マスターは、他の客に聞こえないように、俺に顔を近づけた。

「ヤクザとかじゃなくて、米軍の間で出回ってるブツらしいぜ。いくらあんたの腕っ節が強くても、軍隊相手じゃどうしようもない。悪いことは言わない。この件に関わらないことだな」

 俺は、マスターの忠告をありがたく受け入れるような青二才ではなかった。

「俺が亡くなったら、餞にコニャックのいいやつをマセラティの運転席に入れておいてくれないか。ゾンビになってでも、飲んでやるから」

「そこまで、あんた、ランディのことを」

「ああ、無二の親友だった」


 気が付くと、高橋はいなくなっていた。

 響子は、

「彼、少し怒ってて、忙しいといって帰りました。だから、ハンバーグは私が食べます。でも、少しは役立つ情報仕入れたわ。彼の言うには、普通に松村さんとつき合ってて、ストーカーどころか、最近、会う機会が減ったって」と報告した。


 わずかな時間に、それだけの情報をつかむとは、諜報員として優秀だと思う。

 それで俺は、マスターに「この娘をやつらのアジトに潜入させる」と手の内を明かした。

 マスターは、「それはやめたほうがいい。下手すると国際問題になりかねない」と心配してくれた。

 俺は、「こう見えて、彼女、元FBI超能力捜査官なんだ」と秘密を漏らしてしまった。

 マスターは、「さすが、名探偵の助手だけのことはある」と感心していた。


 響子は、「あ~あ、あなたの話聞いてたら、食欲無くなっちゃった。私も忙しいから帰るわ。悪いけど、二人分食べてね」と言い残し、帰っていった。

 さきほどの女店員は、俺一人になったのを見て、青ざめていた。

 だが、俺は彼女を呼び、

「一人分、余ったけど、残すのは店の人に悪いから、もし君さえ良ければ、ここで食べてくれないかな」と提案した。食べ物を粗末にするのはよくない。

 しかし、彼女は、

「すいません。私ここの従業員ですので、店内で飲食するわけにはいかないです」

 と、憮然とした表情で言った。

「さっき、鼻くそ食べてたのはどうなんだ?」

 といって、俺は女を問いつめた。

 彼女は泣きそうな顔をしながら、

「私、鼻くそほじったのは確かですけど、食べてなんかいません」と否定した。


「店長、呼んできます」

 といって、彼女は奥に消えた。しばらくすると、ひからびた中年男が颯爽と登場し、

「他のお客様のご迷惑になりますので、お引き取りいただけますか」と言った。いまいち意味がわかりにくいが、要するに俺にここから退去せよと命じたようだ。

「その通りです。退去してください」

 店長は、はっきりそう言った。

「早く、出ていってください。他のお客様の迷惑になります」

 鼻くそ女もそう叫んだ。


「他のお客はむしろ俺の発言を喜んでいるぜ。なあ、そうだろう」

 といって、俺は周囲を見回した。他の客達は関わり合いになるのを避けるように、俺と視線を合わせなかった。

「おわかりですね。お引き取りを。お金は結構です」

 店長は慇懃にそう言った。


 こうなったら仕方がない。俺は、正体を明かすことにした。

 俺は立ち上がると、中折れ帽を手でつかみ、胸の前に持っていき、軽く会釈した。

「セニョール、実は私、覆面の調査員なのです。飲食店の味やサービスのレベルを調べて本部に報告しているのですが、ここは星マイナスひとつみたいですね」

 その言葉を聞くと、店長は急ににこやかな表情になり、

「なんだ、そうでしたか。そういうことでしたら、前もっておっしゃってくだされば、最高のおもてなしをしましたのに」

「前もって言わないから、覆面の調査員なのです。会社の金でおいしいもの食べて、うらやましく思えるでしょうが、自分が嘘吐きのようで、結構辛い仕事なのです。ですから、今後は入店時に覆面の調査員だと告げてからオーダーします」

 俺は苦しい胸のうちを明かした。店長は、

「そんなご苦労があったとは知りませんでした。調査員さんも大変ですね。もちろん、今日のお代は結構ですから、星のほう、もう一つだけ上げていただけないでしょうか」

 と取引を持ちかけてきた。

「あんたのことが気に入ったよ。星三つでいいぜ」と俺はさらりと言った。


 となるはずだったが、

「もう何でもいいから、出ていってくれ」

 店長はそう叫んだ。


 一体、今の日本のサービス業はどうなっているのだろう。俺のような善良な小市民に、無茶ないいがかりをつけ、一方的に追い出すとは。もう、二度とこの店に来ないと、俺は心に誓った。


「もう二度と来ないって? こっちからお断りだ」

 店長は俺を押し出すように、店の外に出した。そんな俺をあざ笑うように夜の風が吹き付けた。

 こうして、俺はその店を出禁(出入り禁止の略語)になった。

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