第2話 ごく簡単な自己紹介

 そろそろ俺についてもう少し説明したほうがいいだろう。三重県尾鷲市生まれ。NY市ブロンクス育ちでイタリア訛りのブロークン英語を話す。身長六フィート二インチ。体重二百六十ポンドとかなりの大男で筋肉隆々。ボクシングのプロライセンスも持っているが、俺の戦闘能力の秘密は、そういったありふれたことにあるのではない。世にもまれな特別な環境で育ったことが原因だ。


 俺は子供の頃、忍者に育てられたのだ。今でさえ三重県では忍者の目撃例が頻繁に報告されているが、当時は大きな街なら週に一度は遭遇したものだ。戦後、忍者の装束はカラフルになったが、俺の会った忍者は高齢のためか、地味な格好だった。

「や~い、地味忍者」と俺がはやし立てると「忍者が目立ってどうする?」と謎めいた問いかけをしてきた。

「おじさん、ひょっとしてプロ忍者?」


 顔を布で覆っているので、目元だけがあらわになっている。鋭い眼光が俺の心の底まで読み抜いているようだ。

 俺は恐怖で足がすくんでその場から動けなかった。忍者は縄を取り出すと投げ縄のようにして俺のほうに投げた。縄はまるで生き物であるかのように、俺の胴体に巻き付いた。

「ついてこい」

 忍者がそう言うと、俺の体は意思に反して従った。


 俺は小学校一年の夏休みから五年間、その忍者のもとで暮らした。帰りたくても半ば監禁状態にあり、家に帰してもらえなかったのだ。

 しかし、別れのときはやってきた。それは本来ならば、六年生の夏休みとなる年の真夏の日のことだった。

 自分の背丈より高く伸びた草を背面飛びで三百回も飛ぶという地獄の訓練を終えた後、俺は師匠の頭より高く飛べばここから抜け出せることに気づいた。作戦はうまくいき、俺は五年ぶりに自分の家に帰った。

 家には知らない子供がいた。妹だった。妹は俺を見て、泥棒と叫んだ。


 学業に復帰したのもつかの間、すぐに卒業式がやってきた。


 小学校を卒業すると単身ニューヨークに渡り、船員やバーテンとして生計をたてた。それがひょんなことから忍術を修得していることがばれてしまって、近所の子供達に忍術を教えることになった。月六百ドルで借りていた道場兼住居のコンドミニアムには、毎日大勢の少年忍者が通ってきていた。

 そんななかのひとりにロバートという名の天然パーマの十一歳の少年がいた。

 彼はひときわ熱心で、

「ヘイ、マスター。今日は何を教えてくれるんだい?」と毎日のように俺に尋ねてきた。

 あるとき俺は、

「ボブ、忍術の基本は隠れることだ。今日は先生が隠れるから、捜してみなさい」

 と彼に課題を与えた。

 そして俺は、クローゼットの中で身を潜めて、ロバート少年に見つからないように神に祈った。


「それってただのかくれんぼじゃないの?」という響子の言葉で、俺は我に返った。


 依頼人の松村は帰ったあとだった。俺は響子に事件の概要を訊こうと思い、

「ところでさっきの件だけど」と話を切りだした。

 それなのに彼女は、俺の独り言について追求してくる。

「悪いけど話聞かせてもらっちゃった。六フィートってよくわかんないんだけど、私より背が低いのに大男っておかしくない?」


 彼女の言うとおり、俺と彼女が並ぶと、彼女のほうが若干高い。しかし、それは彼女がはいているハイヒールのせいだった。歩行に支障を来すほど限界までかかとを高く上げた特注ハイヒールを、彼女が使用するには理由があった。いざ戦闘となるとそのかかとは、強度と硬度を兼ね備えた凶器に変わる。

 このハイヒールは忍者グッズを扱う伊賀市の業者が、発売したものだ。手裏剣の売り上げ低迷に悩んだすえ、この新商品を開発した。かねてから業者と知り合いだった俺は、何足か発注し、彼女にプレゼントした。 


「よくそこまで話を盛れますね。感心しちゃう。では、三重県に行くと普通に忍者に逢える件は?」

「忍者は心の正直な人間にだけ見えるから、君が旅行にいっても無駄だと思う」

 我ながらよくできた嘘だった。彼女の貧弱な知性では見破れないはずだ。

「嘘ってわざわざ言わなくてもばれてるよ」

「いや、一部創作が加わっているけど、すべてが嘘というわけじゃない。忍者に育てられたのは本当だ」

 本当だった。

「へえ、本当なの?」

 彼女は、興味のなさそうに感想をつぶやいた。どうせ俺の話はつまらない。

「つまんなくはないわよ。ただ、あまり信用してないだけ。そんなことより、さっきの件よね」

「急な用事で打ち合わせに参加できなくてごめん」と俺は非礼を詫びた。

「ここで眠ってたくせに」

「本当にぐっすり眠っていたなら、本人には自覚がないと思うな」

 俺の正論に圧倒されて、彼女はちぇっと舌打ちした。それから、なにやらまぶしそうに窓の外を眺めた。

 そのとき裏通りの電線に一羽の雀がとまっており、俺達のほうを意味ありげに見おろしていた。

 彼女は、「電線や 雀みつめる 秋のタンポポ」と一句詠んだ。


「どこに雀がいるっていうの。それにどこからタンポポが出てくるの」

 彼女は、自分の詠んだ句に自らケチをつけた。

「まともに相手してると時間の無駄ね。じゃあ、松村さんの件について報告します。彼女、二ヶ月ほど前から、外に出たときに誰かが後ろを尾けてくることに気づいたの。相手は若い男のようだけど、帽子を目深にかぶって、マスクをしているからはっきりしない。ある時、思い切って、そいつのところへ近寄り、帽子をはぎとった。そしたらなんと……」


 ウラル山脈の裾野から来たというその山賊の集団は、メンバーの証として額に猫のタトゥーを入れていた。総勢十名ほどにすぎなかったが、どの男も体格がよく、かなり喧嘩なれしているようで、俺ひとりで相手をするには、少々心もとなかった。そこで俺は、

「ハラショー、お近づきの印にキムチ鍋でもどうかい?」といって、相手を油断させる作戦に出た。リーダーらしきスキンヘッドの男は、

「おい、忍者野郎。飯よりは酒だ。ウォッカはねえのかい?」とすごみのある声で笑うと、いきなりコサックダンスを踊り始めた。そいつだけではない。残りのメンバーも一緒に踊るものだから、俺はどうしていいかわからず、

「そういえば、映画の始まる時間だった。悪いけどこの勝負は再来年にお預けだぜ」

 と言い残し、そのサーカス団を後にした。


「ねえ、人の話聞いてる?」

 残念ながら、山賊達のイメージが俺の大脳を占拠していたため、彼女の話は俺の耳には届かなかった。だが、脈絡もなく山賊が登場してくる理由は俺にもわからないし、ましてや彼女にそんなこと言うわけにはいかない。そこで「もう少し話しをまとめてくれないか」とその場をとりつくろった。


「あなたにはややこしかったみたいね。一言で言うと、彼女、ストーカーにつけられていて、そのストーカーがつき合っている彼氏だったの」

「ストーカー被害か。だったら、警察に相談すべきだな」

「相手が彼氏じゃ、警察に言えないわよ」

「こっちは重大事件を山ほど抱えて、猫の手も借りたいくらいだ。昼下がりの些細な出来事なんかに関わってられるか」

「猫の手借りるどころか毎日暇なくせに。それに猫のタトゥーって何?」

「あのとき俺が助けなければ、おねえちゃん、あんたも今頃はコサックダンスを踊っていたぜ」

「もういいわ。お昼に行ってきます」といって、彼女はロッカーのほうへ向かった。


 また彼女の機嫌を損ねてしまったようだ。しかも今度は相当深刻だ。そこで俺は、

「一緒にランチはどうかな?」と提案をした。

「おごってくれるならつきあうわ」

「もちろん、無料さ」

 彼女は、コートを着るためロッカーに向かったが、俺は「コートは着なくていい」と止めた。

「コート不要ということは外に出ない。外に出ないってことは、このビルの中で食べるのね」

「さすが名探偵のアシスタントだけある」と俺は彼女を評価した。

「とんかつよりパスタがいいんですけど」と彼女はささやかな希望を口にした。

 俺は、「とにかく行こう」と言って、ドアをあけ、廊下に出た。


 俺の事務所が入居している笠松ビルは、たぶん従業員数三十名の大手ゼネコンが手がけた、大都会にそびえる地上四階、地下ゼロ階の摩天楼だ。


「なに摩天楼って。しかもわざわざ地下ゼロ階」

 十秒遅れで廊下に出た響子は、ど派手な厚化粧のせいで、質実剛健をモットーとする一階中央フロアで浮いてみえる。俺はコートのポケットから鍵の束を取り出すと、事務所のドアを施錠した。

 一階フロアは、俺の事務所の他は、三軒の飲食店と教育関係のテナントが入居している。通りに面してパスタ屋とそばやが並び、表から見て廊下の右側に保育所と管理人室、左側の手前がトンカツ屋、奥がラーチャー&スミスバーニー探偵社だ。

 トンカツ屋とそば屋はオーナーが兄弟同士で、てんぷら蕎麦屋をやっていた先代が亡くなったとき、店を分けたのだが、通り抜けできるうえ、客はどちらにも注文できるという、持ちつ持たれつの関係だ。

 教育関係のテナントといったが、笠松保育園という具体的な名前がある。ビルのオーナーから、笠松という名前をつければ、賃貸料が安くなると言われたのだ。同じ誘いは俺にもあった。


 成金趣味丸出しのオーナー笠松大五は、スキンヘッドの元バブル紳士で、昔は相当羽振りがよかったらしい。普段は俺の事務所と廊下を挟んだ向かいにある、管理人室ですごしている。俺が引っ越しの挨拶をしたとき、日焼けサロンで焼けた顔に、金歯をむき出して、暑くもないのに扇子で顔を仰ぎながら、俺に言った。

「笠松探偵社なんて、いい響きじゃないですか。商売繁盛まちがいなしですよ」

 顔は笑っているが、その目は脅すように俺を睨んでいた。

 俺は、「ありがたいお話ですが、どうしてもこの名前にこだわりがあるので。それにいつかこのビルを出て、世界に羽ばたく予定なので、そのとき後悔したくありませんから」

 とやんわりと断った。

「それは残念。大家と店子といえば、家族も同然。亡くなった父親からそう聞いてましてね。それで、テナントさん達と笠松ファミリーを作ろうと思ったんですけど、まさか真向かいの方に断られるとは思いませんでしたな。ところで、将棋でもひとつどうですか?」

「チェスなら得意なんだが、将棋のほうはね……」


 俺はチェスのルールを知らなかった。将棋のほうはルールは知っていたが、経験が浅く、勝つ自信はなかった。自分から将棋を誘うくらいだ。笠松は将棋が得意に違いない。だが、おそらくチェスは未経験だろう。そこで、将棋をしたくない俺はそう言ったのだ。

「それなら将棋ですな」

 俺が断わる理由を考えていると、笠松は将棋盤を用意しだした。


 俺が笠松との思い出にふけっていると、響子が脈絡もなく、いきなり話しかけた。

「すぐ前が保育所で、子供が五月蠅いから格安で借りられたんだったね」

 彼女の言っていることは事実だ。契約時、少しくらい五月蠅くても問題ないと判断したが、今は後悔している。結果、俺は子供が嫌いになった。


 保育所は、空気を入れ換えるため、あるいは廊下から保護者が中の様子が見えるようにするために、廊下側の腰より高い位置はサッシ窓になっている。幼児達が逃げないように普段は閉まっているが、防音ガラスではないので、廊下に出ると幼児ソングがいやおうでも耳に入る。


 ~ぼくはうんちがひとりでできるんだ~だってもうあかちゃんじゃないんだもん~


 子供が歌うにはあまりに切なすぎる歌詞が俺の胸を打つ。名だたる作詞家か文豪が渾身の思いを込めて作りあげた詩なのだろう。初めて聴く歌で曲名はわからなかったが、俺は、「哀愁のトイレ事情」と名付けておいた。


 廊下の様子も中から見える。幼児達は俺の存在に気づくと、惚けた表情でこちらを見つめている。その目は、「いい年してこんな恥ずかしい歌なんか歌いたくない。誰でもいいから、ここから連れ出してくれ」と訴えていた。

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